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もう一人の私 昭和に転生した元財務官僚、失われた30年を防ぐ  作者: 織田雪村
第六章

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日本復活⑫ 密約

2002年(平成14年)11月 西吉野村


季節は晩秋から初冬へと移り変わり、自宅のある集落でも紅葉が終わりに近づき、落ち葉が目立ち始めていた。今日は快晴で、遠くの山々まではっきりと見渡せた。


国道168号線から県道49号線に入り、芸能の神様として有名な天河神社の方向へ向かって数km進んだところで左折し、とんでもない急斜面を登っていく。その村道をしばらく登っていくと、山の中腹から上に、突如として明るい集落が現れる。谷底の川沿いに作られた県道を走っているだけでは、これほど日当たりのよい場所があるとはとても想像できない。標高500メートルから700メートルの間に、住宅が点在している環境だ。


このあたり一帯はV字谷の地形だが、南向きの斜面を活かして、大昔から人々の営みが続いてきた場所で、確認できる最も古い墓石の日付は観応二年、1351年のものだ。


谷を隔てた向かいの山には一軒の家もない。北側斜面だから日当たりが悪く、人が住みつかなかったのだろう。その山までは直線で1km近く離れている。周囲の山々は杉や檜に覆われ、一部は雑木林になっていた。


そんな山の斜面にある私の自宅には、3人の男たちが集まっていた。


まず、私が座っているのは一番縁側から遠い奥側の席だ。


そして、私の右手に座っているのは、Appleを率いるスティーブ。

今や私の片腕でもある。彼は現在、私の家の斜め上にある空き家を改装し、夫人と一緒に住んでいる。目の前に広がる山の風景を見ながら朝晩の座禅を組み、自らの感覚を研ぎ澄ませるのが日課となっている。


特に、彼の家からは遥か遠くに見える稲村ヶ岳。

烏帽子のような鋭角的な佇まいを見せる山体を、彼は好んで眺めているらしい。そしてその隣にそびえる山上ヶ岳は、日本古来の山岳宗教、修験道の聖地であると知った彼は強い関心を示している。


次はGoogleを率いるエリック・スミス。

今日の打ち合わせのためにアメリカから来てもらった男で、今は私の左手に座っている。彼は主にシリコンバレーが活動拠点だが、その代わりにラリー・パインとセルゲイ・プリンの二人は、私の家から見たら100mほど斜め下の住宅を2軒買って、お互い家族と一緒に暮らしている。


そして三人目は、Microsoftのビル。彼は私の正面、一番縁側に近い場所に座っていた。

もっとも、Microsoftは既に別の人間がCEOに就任しているが、彼はチーフ・ソフトウェア・アーキテクトとして全ての製品への最終決定者であり続けている。

もちろん彼はここには住んでいない。我が豊臣グループとビルは敵対関係にあるからだ。


会談が行われている場所となっている私の家は、築200年ほどは経つ古民家で、現代では原材料の入手が困難な茅葺き屋根が特徴だ。

しかも大きい。平屋なのに屋根の頂上までの高さは10m近くもあるし、大黒柱は大人が抱えきれないほどの太さがある。


その家を支えるために存在する巨大な梁は、原木の形そのままのうねりを持つもので、現代では入手できないのではないかと思わせる太さだ。

そんな立派な古民家を現代風の内装に改装したことで、快適な住環境がもたらされているのだ。


私たちは今、そんな古民家の居間にある古風な掘り炬燵を囲んで話をしている。コタツの上には今年から出荷が始まった西吉野村の新たな特産であるミカンがカゴに盛られて置かれているが、これから話し合う内容には不釣り合いに感じた。


障子は開け放たれていて私からはビルの背後に向かいの山もよく見える。山間部だが天気の良い昼間だからそれほど寒くもない。それでも炬燵の中には炭火が入っていて、こたつ布団を掛けて足元を温めている。


最初は雑談から入り、場を和ませていたのだが、頃合いを見計らって私が本題を告げた。

今回の目的は、前世では起きなかった問題を解決するためだった。


「……さて、ビル。今日は来てもらって嬉しいよ。

ちょっと君に相談したいことがあってね。いや、お願いかな?」


私は左右に座る2人に目配せをした。まずはスティーブから話すらしい。


「数年先とはなると思うが、Appleでは携帯電話事業へ参入しようと考えているんだ。

そして、偶然にもGoogleも同じことを考えているらしい」


私はかつてビルに見せたことのあるアルミの塊を再びビルに差し出した。コードネーム八咫烏。

いわゆるスマホの開発を行おうとしているのだ。


令和でいえばiPhoneとAndroid。


この二つは当然だが互換性もないし、前世と同様に全くの別物で企画中だ。

本当だったら「ザウルス」を基本に考えたかったが、私の話に耳を傾けてくれなかったから仕方ない。


「そこでだ。Microsoftでも似たような携帯電話を開発してほしいんだ。君だったら、私たちが何を心配しているか理解できるだろう?」


ビルは最初、スティーブの話を聞きながら訝しそうな表情をしていたが、状況が理解できたらしく、ニヤリとして言った。


「つまりは反トラスト法を回避したいというのだな?だからキノシタは私に早くから手の内を晒していたのか。やっと理解できたよ」


私は頷きつつ言った。


「その通りだビル。このまま開発を進めて発売すると、AppleとGoogleで世界シェアが100%になってしまう。問題はこの両社が、豊臣グループの傘下企業である点だ」


「独占禁止法違反を回避するための第三の選択肢が必要、というわけか」


ビルは腕を組んで考え込むような仕草を見せたが、視線はミカンに向けられていた。


「なるほど。君たちと競合関係にある我がMicrosoftが携帯電話市場に参入すれば、市場には三つの陣営が存在することになる。規制当局も文句は言えないだろうし、さんざんアメリカ政府に叩かれた私にとっては意趣返しの機会というわけか」


エリック・スミスが口を挟んだ。


「ただし、『Windows Mobile』の二の舞いは避けてもらいたい。中途半端なものを作られても、かえって我々の足を引っ張ることになる」


それを聞いて私は一瞬、ひやりとした。あまりにも挑戦的な物言いだからだ。

ビルは怒らないだろうか?


「中途半端とは、ずいぶんな言い方だな」


予想通り言葉は鋭かったが、意外にも表情はそれほどでもなかった。以前のビルなら考えられないことだが、荒波を乗り越えてきた者の余裕なのだろうか。

ビルは自信ありげにエリックに対して言った。


「だが、君の言いたいことはわかるし、あれは発売が少し早すぎたみたいだな。次はペン入力ではなく、タッチスクリーンに最適化されたOSを最初から設計しよう。既存のWindowsの延長線上では考えない」


スティーブが正面に座るエリックに対して身を乗り出した。


「開発スケジュールはどうなる?Appleでは2006年秋のリリースを目標にしている。Googleのほうは?」


「我々は2007年の春を考えている」


エリックはそう答え、ビルに向かって言った。


「ただし、Appleとは異なるアプローチを考えている。我々はOSをオープンソースにして、世界中のメーカーに提供する形を取る。もちろん日本企業もその対象だ」


私はビルを見つめながら言った。


「ビル、君のところも2007年か2008年には市場投入できるか?あまり遅れると不自然だし、早すぎても我々の計画が露呈する」


「2007年の後半を目指そう。それなら自然な流れに見えるはずだ。ただし、条件がある」


ビルはそう言って頷いたが、私たちに交換条件を突きつけてきた。


おそらく、次の言葉が最も大事なのだろうと私は身構えた。


「条件?言ってくれ」


私がそう言うと、ビルは、またもやコタツの上のミカンに目を落としながら話し始めた。もしかしてミカンが欲しいのだろうか?


「Microsoftは携帯電話OSに対して真剣に取り組む意思はない。市場シェアは10%もあれば満足だ。その代わり、PC市場での我々の優位性は保証してほしい」


「それでは困るんだ」


私はそう即答した。ビルは少し驚いたみたいに見えたが、とうとうミカンに手を出した。

そして皮をむきながら私に話しかけてきた。


「なぜだ?どうして困ることがあるんだ。そっちのほうがトヨトミにとって有利な話じゃないのか?」


「豊臣グループにとってはそうだ。だが、私はそんな目先のことを考えてはいない。健全な競争が起きないと困るのは顧客だからだ」


「顧客?それは?ああ……甘いな」


甘いのは私の考えか。それとも今、彼が口に入れたミカンなのか。どっちだ?

よく分からなかったが、私は私の考えを口にした。


「エンドユーザーだ。いや、人類全体と言ってもいい」


これは本音だ。お互いに切磋琢磨するという真剣勝負の先にこそ進歩がある。競争のない『ぬるま湯』は怠惰に繋がり、成長を止める最大の要因になるだろう。

私は続けて言った。


「その代わりと言ってはなんだが、我々はPC市場にはこれ以上踏み込まず、携帯端末に集中する。その棲み分けでどうだ?」


ビルは満足げに微笑み、二つ目のミカンに手を伸ばした。


「では、これで三つ巴の競争という構図が完成するわけだ。規制当局も、消費者も、誰も我々が実は裏で繋がっているとは気づかない」


近くで鳥たちの鳴き声が響いた。


「もう一つ確認したい」


エリックが私の方に向いて慎重に言った。彼もいつの間にかミカンを頬張っている。

皮をむいてそのまま食べているが、白いスジくらい取ったらどうだ?さっきから作法に厳しいスティーブが鋭い視線を向けているのに気づかないのか?


「基本特許の扱いはどうする?互いに訴訟合戦を演じるのか?」


私も我慢できず、ミカンに手を伸ばしつつ静かに答えた。


「表向きはそうしよう。派手に争わねば不自然だからな。ただし、舞台裏では特許のクロスライセンス契約を結んで、実質的な損害は出ない仕組みにする」


おお!信じられないくらい濃厚で、実に美味い。彼らが夢中になるはずだ。この調子なら西吉野村のミカン栽培は成功しそうだな。


「つまり、演技力が試されるわけか。……それは、市場ではなく『構造』だな」


ビルがニヤリと笑いながらそう言った。既に彼は三つ目のミカンの皮むきにかかっている。

もうすぐミカンが無くなってしまいそうだが、スマホのシェア争いよりも前にミカン争奪戦が起きている。


「ああ、競争は作るものだと私は考えている」


早く取らないとミカンが無くなってしまうから、私も負けじと手を伸ばす。


最後の一個はビルとエリックが同時に手を伸ばしたが、僅かにエリックのほうが速かった。というより、エリックがビルにフェイントをかけてその隙に奪ったのだ。実に汚いやり方だ。


「しかも、世間には競争して叩き合っているように見えて、実際は裏で手を結ぶ。理想的な市場支配の形だな」


話は済んだとばかりにスティーブが立ち上がり、縁側に出て外を眺め、大きく伸びをした。彼はミカンの争奪戦に興味はないらしい。


いや、違うな。さっき一番甘そうに見える一個を、抜け目なく懐に入れたのを見たぞ。


400mほど下、V字谷の底を流れる川の音が絶え間なく響いてくる。

家の周囲ではカケスのさえずりや、ヒヨドリの「キーッ」という鳴き声も聞こえる。

実にのどかで平和な風景。尾根伝いの正面に見えるお寺の鐘が今にも響いてきそうだ。こんな環境で行う話ではないなと思う。


私がこの集落を住居に選んだ理由の一つ、カンヌ映画祭で高評価を得た「萌の朱雀」という作品の撮影地は、正面に見えるお寺の裏側にある。

そんな風景を見ながらスティーブは振り返り、私たちに言った。


「この山の中で、世界を動かす計画が練られているとは、誰も想像しないだろうな」


スティーブはそう言ったが、やはり私たちに見えないようにミカンの皮を剥き、口に入れていた。

それに気付き、スティーブのほうへ振り向いたビルが露骨に顔を歪ませた。


「まさにそれが狙いだ」


そう私は答えた。


「シリコンバレーでこんな会合を開いたら、すぐに噂になる。だが、この奈良の山奥なら……」


私の言葉を受けてビルが私に向き直り、断定的に言った。だが、言葉とは裏腹にミカンが無くなってしまったカゴを恨めしそうに見ていた。


「安全というわけか。確かに、今ここで話している内容が表に出たら、歴史に残るスキャンダルに発展するな」


その言葉を聞いた瞬間、私の心に小さなトゲが刺さったような気がした。さっきのエンドユーザー云々というのは、自分に対する言い訳に過ぎないのだろう。


そんな私の気持ちなど分からないだろうビルが、納得したように頷いた。


私は気持ちを切り替えた。

ここまで来たからには引き返せない。


「そうだビル。最近ジェンスンに会っていないだろう?会っていくか?」


「なに?彼もここに住んでいるのか?」


「ああ。皆で固まって住んだほうが何かと便利だからな。イーロンの家もあるぞ。もっとも彼はあまりこっちには来ないがな」


「……なるほど。ここならスパイも寄り付きにくい。防諜という意味では安心だな」


さすがに本質を理解したか。もっとも……閉鎖的な空間だから苦労も多いが。


「よく分かっているじゃないか。ここに住む人間は全員が顔見知りだ。知らない人間が来たら国籍に関わらず、すぐ噂になる。スパイ活動には極めて不向きな場所だ。

それに、こんなのどかに見えて、実は防犯装置は完備されているし、夜間の警備会社の巡回も徹底している。外部の人間は近付きにくいだろうね。それから……」


私は縁側から見て左側にそびえる柚野山を指さして言った。


「あの山の頂上までトンネルを掘って、そこに研究所を建てているんだ。大昔はあそこに砦があったらしい。つまり、意外に頂上はなだらかだから、ちょっとした構造物なら建てられるんだ。最重要の先端研究所の適地なんだよ」


「前から思っていたが、君はやることが大胆だな?」


柚野山の頂上部はテスラの本拠地となる場所でもあり、谷の向こう側の山を繋ぐ橋の設計が行われている。テスラモーターズのテストコースはあそこからスタートするのだ。


ビルは押し黙り、次に畏れたような表情をした。彼がこんな顔をするとは思わなかったが、きっと、この山奥から始まろうとしている計画のスケールに気付いたのだろう。


「どうだビル。今回の談合の件もあるから、いきなりは無理だが、10年か20年先にここに住んでみないか?メリンダも気に入ると思うぞ?」


「……そうだな。私は昔から、日本という国には興味を持っていた。いずれ日本のどこかに別荘を建てようかと思っていたが……ここに住むのもありかもしれないな。それよりミカンはもう無いのか?」


軽井沢の豪邸はここに建てられそうだな。ただし、もっとコンパクトで狭い家になるだろうが。

まあ難しい話はこれで終わりにしよう。


奥のキッチンでは寧音が手料理を作ってくれているから、さっきからスティーブが物欲しそうな顔をしている。皆で遅めのランチだな。その前にミカンの補充をしておかねば争いになってしまう。


それこそスキャンダルだ。


そういえばスティーブの顔を見ていて思い出したが、そろそろ彼を病院に連れて行かねばならないな。

私はまだ、彼を失うわけにはいかないのだ。

スティーブは向こうに見える山を見ながらぽつりと言った。


「この家からじゃ、お寺に遮られて修験道の聖地が見えないんだな」


そう残念そうに言った。


「なんだ、今頃になって気づいたのか?特等席は君に譲ったからな」


そう言いながらも私は頭の中で考えを巡らせていた。

もしかしたら……これは口実に使えないだろうか。と。



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