若き企業家③ バブルの残骸と青い奇跡
1990年(平成2年)1月を迎えた。
私と寧音は、銀行口座に表示された数字を確認し、思わず顔を見合わせた。
そこに並んでいるのは、現実感を欠いた桁数だった。
バブル末期、私たちは銀行株と不動産株を中心に売買を繰り返し、含み益を担保に資金を調達して、その資金でさらに含み益を積み上げるという、まさに無限ループと呼ぶしかない作業を続けてきた。
その金額は100億円からはじまって、300億円、500億円と倍々ゲームで増えていった。
さらに、昨年6月に「日経225オプション市場」が開設されたのも追い風になった。
私も当然利用したが、私以外にも買えば上がるという熱狂の中で、コール・オプション(買う権利)を保持していた投資家は、短期間で元本が数倍〜数十倍になる経験をした。
後半になればなるほど、数字は加速度的に膨らみ、それは天井の存在を否定するかのような、指数関数的な曲線を描いて右上へ突き抜けていった。
最終的に、税金の支払いまでを織り込んだうえで帳簿上に確定した金額は、2500億円。
すでに法人税としておよそ40%以上が差し引かれ、それでもなお残った純粋なキャッシュが、この数字だった。
24歳の若者が手にする金額としては、あまりにも現実離れしている。
おとぎ話にすら登場しない数字だ。
私は通帳の数字から目を離し、静かに息を吐いた。
これは、ただの金ではない。国と企業と、時代そのものを相手にできるだけの力だ。
当然、世間の耳目が集中した。私のようなプレーヤーは少なくなかったものの、世間では「アバンダント・アリージャンスが手仕舞ったらしい」との噂が駆け巡った。
その反応の多く、いやほとんどは「なんてもったいないことをしたんだ」。あるいは、「株価はこれからまだまだ上がるから、そのうちに慌てて再度参入してくるだろう」。一番多かったのが、「ブラックマンデーで波に乗った男も今度は見誤ったか」。という揶揄や嘲りだっただろう。
とにかく、そんな反応ばかりだったが、私はそんな声に耳を貸すつもりはなかった。
「もう崩壊は始まってるはずだ。俺の夢予言は正しいと思う」
寧音に向かって私は静かに言った。
そして1990年(平成2年)1月4日 大発会
日経平均株価は38,712円87銭で取引を開始したものの、そこから下落が始まった。
私が保有していた最後の株が売られ、手仕舞いを完了したのは、まさにそのタイミングだった。
「見て。たぶんだけど、もう戻ってこないから」
私は翌日の朝、新聞の株式欄を指さした。
1月4日の大発会から株価は容赦なく下落を続けた。
「一時的な調整だ」、「押し目買いのチャンスだ」、「春には必ず戻る」
証券会社の窓口では営業マンたちがそう顧客を説得していた。多くの個人投資家がその言葉を信じて買い向かった。しかし、株価は戻らなかった。
1月中旬、日経平均は37,000円を割り込んだ。
2月に入ると、下落のペースは加速した。
36,000円、35,000円と、まるで階段を転げ落ちるように下がっていく。
「ねぇ、あの人たち…」
寧音がテレビのニュースを見ながら言った。
画面には証券会社の前で呆然と立ち尽くす人びとの姿が映っていた。昨年末まで肩で風を切って歩いていた個人投資家が、次々と破産に追い込まれているという。
「信用取引で目一杯買ってたんだろうね。オプション取引における、『プット・オプションの売っていた側』だったら、それはもう、地獄そのものだね」
私は静かに答えた。
プットの「買い手」だった場合は、株価が暴落しても、あらかじめ決めた高い価格で売る権利を持っているが、それはシーソーの逆側に地獄に堕ちる人間が同数存在することを意味するのだ。
証拠金が数日で底をつき、不足分を埋めるために家も土地も、先祖代々の墓まで差し出すことになるだろう。まさに「ケツの毛までむしり取られる」と表現するのが相応しい惨状で、含み益を担保にさらに株を買う。その繰り返しで資産を膨らませてきた人々。
私と同じ手法を使っていたが、違いは降りるタイミングだけだった。
3月に入ると下落は一層激しくなった。
日経平均は一時3万3,000円台まで落ち込んだ。
わずか3ヶ月で約5,000円、率にして約15%の下落。
「今まではバブルだった」
ついにメディアがその言葉を使い始めた。
証券会社の店頭には、追加証拠金を求められた投資家たち列をなしたが、しかし、多くの人には払う余裕がなかった。
強制的に株を売却され、それでもなお追いつかず莫大な借金だけが残る。
3月末。
日経平均株価は28,002円07銭で取引を終えた。年初の高値から約27%の下落。
たった3ヶ月で10兆円を超える時価総額が消失した。
「これは…まだまだ下がるんだよね?」
寧音が不安そうに私を見た。
「うん。間違いなくそうなりそうだ」
私は頷き、続けて言った。
「これから2年ほどは下がり続けるんじゃないかな。少し遅れて土地も下がり始めるだろうし、日本は長い冬の時代に入りそうだよ」
窓の外では、桜が咲き始めていた。
しかし、その美しさとは裏腹に日本経済の春はもう二度と来ないかもしれない。
少なくともバブル期のような春は。
「藤一郎は次に何をするつもりなの?」
悪意のない、その寧音の言葉は私の胸に、予想以上の堅さと鋭さをもって刺さってきた。
これまで私の中でバブルとその崩壊は歴史に過ぎなかった。
決して戻ることのできない歴史。
その中で日本がどう選択し、どう失敗し、どう坂を転げ落ちてきたのか。人びとはどう踊り、どう倒れてきたのか。ただ単にそれは記録でしかなかった。
だが、それは今まさに現実として起こっている。そして悩み、苦しむ国民を私は見てしまった。知ってしまった。
これまでの私は漠然とした思いはあったとしても、まずは金儲けがしたいという単純な目標しかもっていなかったが、そんな私の心に生じた最初のひび割れだったのかもしれない。
「…とにかく生き残ること。そして、この混乱の中で本当に価値のあるものを見極めることかな」
私は明確に言えず、漠然とした答えを寧音に告げた。
平成の長い不況が今始まったばかりだった。
ともかく最初にすべきことは、『株式会社ワイドギャップテクノロジーズ』と関連事業に注力することだ。
青色LEDの開発を急ぐのだ。そして、それが完成した次のことも考え始めよう。
その青色LEDだが、石田三典と青木昌治教授が寝る間を惜しんで研究に没頭しており、私も頻繁に足を運んでいる。
ただし私は経営者としてではなく、研究者として尋ねる姿勢を崩してはいない。
研究者たちに余計なプレッシャーを与えないためだ。
株式会社ワイドギャップテクノロジーズの研究所は、都心から少し離れた工業団地の一角にあった。
外観は地味で灰色のコンクリート壁に囲まれた三階建ての建物だ。
だが一歩中に入れば、そこはまったく別の世界だった。
研究所全体の人数はまだ40名ほどに過ぎない。 その内訳は私の指示によって戦略的に配置されていた。
結晶成長班(12名): 24時間体制でMOCVD装置を回す心臓部。
デバイスプロセス班(10名): 成長した結晶をチップへと加工する職人集団。
評価・測定班(8名): わずかな光の変化も見逃さない監視者。
理論・解析班(5名): 物理定数と格闘する知の集積地。
技術補助・装置管理(5名): 繊細な装置のコンディションを保つ縁の下の力持ち。
大企業の研究所に比べれば小さな陣容だが、ここには「世界を変えてみせる」という狂気にも似た熱気が充満していた。
クリーンルームの空気はピリピリと張り詰め、特有の焦げたアンモニアの匂いが鼻をつく。
そんな中で石田三典が、充血した目でモニターを見つめ、力なく吐き捨てた。
「……また、失敗か」
マグネシウム(Mg)を添加した窒化ガリウム(GaN)に電流を流しても、ピクリとも動かない。
「温度、ガス流量、基板の傾き。すべて試した。だが、p型にはならない。まるでGaNが意志を持って拒絶しているみたいだな」 青木昌治教授も、ホワイトボードに書き殴った数式を前に、険しい表情で立ち尽くしていた。
それが1989年末、世界が直面していた「常識」という名の壁だった。
理論上は水素がマグネシウムと結合して活性を妨げている。理屈は分かっている。だが、その「水素の鎖」を断ち切る術を人類はまだ持っていなかった。
その時、私は静かにクリーンルームの観察窓を叩いた。
「石田、少しいいかな?」
防塵服に身を包んだ私が中に入ると、研究員たちの視線が集まった。単なる出資者ではない、このプロジェクトの真の設計者としての私に。
「熱でダメなら、『衝撃』を与えてみてはどうだろう」
「衝撃……ですか?」
石田が怪訝そうな顔をする。
「学生時代にも言ったと思うが、例えば電子線だ。
電子線照射装置を使って、高エネルギーの電子を直接、結晶の表面に叩きつける。熱化学反応ではなく、物理的なエネルギーで水素を弾き飛ばすんだ」
石田と青木教授が顔を見合わせた。
「そんな……無茶です。電子線を当てれば結晶が壊れるリスクがあるのでは?」
石田の言葉に青木教授が静かに言った。
「いや…やってみる価値はあるはずだ。今のままでは、我々はただ『待っている』だけだったのだから。とにかく何でもやってみるべきだ」
青木教授の言葉には静かな、しかし何か確信めいた響きがあった。
どうやら長年にわたる経験上、閃くものがあったのか。
その夜、石田は一人で電子線照射装置の前に座っていた。
「社長の勘か、それとも気まぐれか……」
彼は苦笑しながらも、私の助言通り、出来上がったばかりのGaNウエハーを装置にセットした。
翌朝。 評価班の叫び声が、静まり返った研究所を切り裂いた。
「ホール電圧が……反転しています!」
「なんだと!?」
石田が駆け寄る。モニターには、これまで頑なにマイナスを示していた数値が、プラスへと転じている様子が映し出されていた。 正孔が動いている。
つまり、世界で初めて実用に繋がる可能性を示す形で、窒化ガリウムのp型化に成功したのだ。
「……すぐに電極を蒸着しろ。光らせるぞ」
石田の声が震えていた。
連絡を受け、私も研究所に駆け付けた。
数時間後。全ての照明が落とされた実験室で装置に繋がれた小さなチップに、電流が流された。
パッ。
そこには、これまでの人類が見たことのない、深く、鮮烈な「青」があった。
「……青だ。本当に、青いですよ社長」
石田が涙ぐみながら私を振り返る。
青木教授は、魔法でも見たかのようにその光を見つめ、無言で震えていた。
もちろん、これが完成ではない。 出力は弱く、寿命も短い。まだ試作の段階だ。 しかし、ここからの道筋は明確で、電子線で原理は証明できた。
量産するには別の方法が必要だった。
「石田、電子線は、鍵のかかった扉をこじ開けるためのバールみたいなものだ。
開けることはできても、家を建てる道具にはならない。次は電子線ではなく『アニール』で同様の効果が得られないか検証してくれ。量産化を考えれば、それが正解のはずだ」
「……はい! すぐに取り掛かります」
研究員たちの目に、これまでの疲労とは違う、ぎらついた闘志が宿った。 失敗の山は、確信という名の苗床に変わった。 理論班が電子線の物理モデルを解析し、プロセス班が最適な熱処理温度を割り出し、評価班がデータの一貫性を証明していく。
バラバラだった40名が、一つの巨大な意志を持って動き始めた。
青木教授は、実験台の隅に置かれた古い試料ケースに、そっと手を伸ばした。
かつて光らなかったGaN。その隣に、今日の日付を書き添える。
1990年(平成2年)10月10日のことだった。
私は、再び銀行口座の残高を思い出した。 2500億円。 かつてはバブルの泡だったその数字が、今、目の前にある青い光となって、日本の未来を照らす実体へと姿を変えていた。
「これで、勝てる。まずは特許の申請だが、それだけでは足りない」
窓の外では、平成の長い不況が本格化しようとしていた。
多くの企業が守りに入り、研究費を削り、リストラに走るだろう。 だが、私は違う。 この青い光を旗印に、沈みゆく日本企業から真に価値のある技術を買い取り、この研究所を中核とした新たな産業帝国を築き上げるのだ。
「さあ、次の段階だ」
私は、青く輝く研究員たちの背中を見つめながら、静かに次の投資先を記したノートを開いた。
現在の保有企業
『株式会社ピクセルジョイトロン』
『株式会社アバンダント・アリージャンス』
『株式会社ワイドギャップテクノロジーズ』




