若き企業家② バブルでGO! 結
1989年(平成元年)1月8日
昭和という時代は過去のものとなり、今日から平成が始まった。
昨年の秋以降、世の中は自粛ムードに包まれ、一瞬だが景気に冷水をかけたような状態ではある。
そんな中で、バブルはまさに絶頂期を迎えようとしていた。
「一億総中流」という言葉は忘れ去られ、人びとはバブルに酔い、踊りまくって我を忘れている。
しかし、踊らない人たちもいる。私の身近で平常運転中なのは竹中と阿戸さんのコンビだ。
どんなに土地の価格が跳ね上がり、株価が上昇したと聞いても、いつも反応は似たようなもので、今日もそうだった。
「銀座の山野楽器前の土地は、一坪あたり3億8000万円まで上がったらしい」と、加藤が話題を振ったのだが、阿戸さんの返答は乾いたものだった。
「あ、そう。それよりこの描画アルゴリズムのバグの方がよっぽど致命的よ」
そう答えたのみで、相場には1ミリも興味を示さない。
この外部の雑音に左右されない純粋な探究心が、世間のお祭り騒ぎに惑わされそうになる私の精神を、辛うじて留めてくれる貴重なブレーキ役だ。
クルマで例えると、竹中と阿戸さんがフットブレーキなら、寧音の存在はサイドブレーキといったところか。彼女は常に数字を読んで、冷静に判断を下そうとしてくれる稀有な存在だからだ。
それから、彼女は無事に大学院の卒業と、税理士資格の取得に成功した。
今後は実務経験を積むことが求められる段階だ。
「これからは藤一郎のアシストが本格的にできそうだわ。
でも転ばないようにしないとね?」
私は一瞬だけ言葉に詰まり、窓の外に目をやった。
平成最初の朝、会社内は拍子抜けするほど穏やかで、街はまだ昨夜の熱を引きずって眠そうにしている。
「転ばないために、踊るのをやめろって?」
そう返すと、寧音は小さく首を振った。
「いいえ。踊るなら、靴だけは脱がないでって話」
「靴?靴ってどういう意味?」
「逃げるための靴。ハイヒールで全力疾走はできないでしょ?」
竹中がくすりと笑い、阿戸さんはモニターから目を離さないまま言った。
「まあ、走るかどうかはさておき……今はまず、このバグを潰そう。現実逃避にはちょうどいい」
私は思わず苦笑した。
この部屋だけが、平成という新しい時代の中で、異様なほどに平常運転だった。
踊り場の真ん中に、確かに非常口はある。それを見失わない限り、安全に脱出できる。
そう自分に言い聞かせながら、私は机に向き直った。
ともかくバブルが始まって、ここまでの3年間を年ごとに簡潔に表すと次のようになるだろうか。
・1986年:静かに助走を始める年。
・1987年:それが確信に変わる年。
・1988年:疑問を忘れ、踊り始める年。
徐々に加速している感じだ。今年の表現は次のようになるだろう。
・1989年:全てを忘れ、踊り狂う年。
ついでに来年以降も触れておこうか。
・1990年:床を踏み抜いて落下する年。
・1991年:僅かな希望にすがる年。
・1992年:全てを諦め、捨てる年。
そう表現されるようになるだろう。
1989年とは、日本という国家が神の領域に手をかけたと錯覚した、最後で最大の狂宴の記録だと表現してもいいだろう。
現在の東京にあるのは、単なる好景気ではない。集団催眠、あるいは熱病。令和の記憶を持つ私にとって、それは「崩壊」という、結末が決まっている悲劇のクライマックスに他ならなかった。
1989年12月末。
狂乱の1年が終わろうとしているが、1月から12月まで、この国がどう狂っていったのか。その記録を私の視点から語り直そう。
我が社の投資状況も併せて紹介しておくが、敢えて第三者的に語らせてもらう。
1月:静寂の後の爆発。
昭和という長き時代が、深い雪とともに幕を閉じた。
列島を包んだ「自粛」の重苦しさは、新元号「平成」の発表とともに、信じがたいほどの反動となって弾けた。
1月の東京は、喪服を脱ぎ捨てた瞬間に極彩色のドレスを纏ったかのような、異様な明るさに満ちていた。証券会社の店頭には、数千万円の退職金を「一番上がるやつ」の一言で投げ打つ老人たちが列をなし、窓口の若手社員は、神を祀る巫女のように「平成は黄金の時代です」と、根拠のない予言を繰り返していた。
日経平均はすでに3万円を伺う位置にあり、「アバンダント・アリージャンス」の保有する株類は、1秒ごとに私の資産を数千万円単位で押し上げていった。
2月:地価という名の宗教
皇室の喪が明けると、街は飢えた獣のように快楽を貪り始めた。
夜の銀座では、1本数十万円のヴィンテージ・ワインが水のように消費され、クラブの会計で数百万円の束を投げ出すことが男の甲斐性とされた。 不動産業者は、まだ見ぬビルのパース図一枚で数億の金を動かし、「去年より高くても、来年はもっと高い。買わない奴は馬鹿だ」と豪語した。
山手線の内側の土地代で、アメリカ全土が買える。そんな物理法則を無視した「土地神話」という宗教が、この国の唯一の教義となった。
私はその波と、正気を失いつつある銀行員と、証券マンを相手に売買を繰り返し、さらに資産を膨らませていった。
3月:錬金術師たちの決算
決算期、日本の企業は製造業であることをやめた。
本業の利益を遥かに凌駕する「営業外収益」つまり、株と土地の転がしで得た含み益が帳簿を彩った。
まだ売却すらしていない「含み」を利益として計上し、それを担保に銀行からさらに巨額の資金を引き出す。
銀行員は「貸さないのは悪だ」とばかりに、私のもとにも日参してきた。「木下様、あと100億、無担保でいかがですか?」と、とうとう無担保で提案してきた。
本業のピクセルジョイトロンの売上など、彼らにとっては誤差に過ぎなかった。
4月:青田買いの喜劇
新入社員たちが街に溢れる季節、翌年に向けた就職戦線はもはや喜劇だった。
学生たちは内定を一つもらうたびに、大企業からハワイ旅行や豪華なディナーを振る舞われ、入社祝いにBMWのキーを渡されることすら珍しくなかった。
「うちの会社、福利厚生で軽井沢にゴルフ場買いましたから」 新卒の若者が、まだ何も成し遂げていない手で高級ブランドの時計を弄びながら語る。彼らは、自分たちが乗っている船がすでに氷山に向かっているなどと思いもしないだろう。
それから消費税が遂に導入されてしまった。
物品税は廃止され、一時的に安くなった高額品もあったから、歓迎した庶民もいたほどだが。
その象徴が「ジョニ黒」という言葉だろう。昭和30年代以降、このウィスキーブランドは高級酒の代名詞であり、初任給が2万円という時代に1万円前後で売られていた。
それが消費税導入時に古い税制が整理され、価格が劇的に下がったのだ。
5月:天井知らずの陶酔
連休明け、日経平均は3万3千円を軽々と突破した。
証券マンの顔は常に紅潮し、声は枯れ果てていた。彼らの辞書から「天井」という言葉は消えていた。過去10年間、押し目を作るたびに株価は不死鳥のように蘇ってきたからだ。 「まだ行きます。次は4万、その次は5万だ!」 その叫びは、もはや投資戦略ではなく、集団による祈祷だった。
6月:日本列島の消滅
地価公示は、現実の取引価格との乖離を広げるだけの空文と化した。
もはや東京だけではない。地方の山林、使い道のない原野までもがリゾート開発の名の下に、坪単価数万円で取引される。 皇居の地価だけでアメリカ全土が買える。
その冗談が笑えなくなった頃、私は静かにポートフォリオの再編を始めた。あまりにも熱い。熱すぎて、空気中の酸素が足りなくなっているのを感じた。
7月:ボーナスという名の燃料
サラリーマンたちに史上空前のボーナスが支給された。
それは生活を豊かにするための金ではなく、さらなる夢を追うための投資資金へと化けた。 二十代の平社員が、給料の数倍を競馬やパチンコではなく、ワラント債や投資信託にぶち込む。彼らは、自分の上司が三十年かけて築いた資産を、たった一ヶ月の株価上昇で追い抜けるのだと確信していた。
8月:数字に換算された自然
夏休み、日本中の山と海が金融商品へと変貌した。
ゴルフ場の会員権が、一本数億円で取引される。一度もプレーしたことのない人間が、その紙切れを転売して利益を得る。 この国の美しさは、もはや景観ではなく、その土地が生み出す利回りによって評価された。
当然ながらアバンダント・アリージャンスには、全国各地のリゾート開発案件が持ち込まれたが、私はそれら全てをゴミ箱へ捨てた。
9月:静かなる亀裂
日経平均は最高値圏を維持していた。
だが、令和の記憶を持つ私の耳には、どこかでガラスが割れるような小さな音が聞こえ始めていた。
市場に供給される資金の蛇口が、わずかに閉まり始めている。 「最近、外資の売りが増えているんじゃないの?」 私ではなく、寧音に手伝ってもらっていたデータ分析の結果が、明らかな異変を示していた。
だが、その声は熱狂に沸くメディアの喧騒にかき消された。
疑う者は、時代に取り残された敗北者の烙印を押される時代だった。
居酒屋ではこのような会話がなされているだろう。
「株って下がることはあるんですか?」、「土地もそうですよね?」と。
10月:虚飾の頂点
街の派手さは限界に達していた。
テレビをつければ『24時間戦えますか』という栄養ドリンクのCMが流れ、人々は過労死の恐怖をバブルの熱狂で麻痺させていた。 銀座のクラブでは一本100万円のシャンパンが「ピンドン」と呼ばれ、毎晩のように花火のごとく抜かれていく。だが、人々の瞳の奥には、どこか追い詰められたような虚ろさが漂っていた。
増やし続けなければいけない。誰かがそう言っているようにも感じた。
私はその動きを冷静に見極め、脱出の準備を始めた。
ただし、私の動きは全体の相場にも影響を与える規模になっているから、一気に離脱すると目立ってしまう。徐々に利確していこう。
11月:逃げ出すネズミたち
海外の投資家たちが、静かに、だが確実に日本市場から資金を引き揚げ始めた。
情報の非対称性。末端の日本人が日本は世界一だと自惚れている間に、プロの相場師たちは出口へと急いでいた。
「海外は日本を羨んでいる、日本株は最強だ」 それが、新聞や雑誌の誌面を飾る最後、そして最強の呪文となった。
私はこの月、アバンダント・アリージャンスの不動産関連株を、市場を刺激しないよう細心の注意を払いながらも処分を加速した。
12月:宴の終焉
史実通りに日銀総裁が交替した。岐阜野康の就任に際して、新聞は『安定的な金融政策の継続』と報じたが、私にはその意味が分かっていた。早く逃げ出さなくてはいけない。私は撤退行動を加速した。
一方で青木教授と石田が中心となって進めている「ワイドギャップテクノロジーズ」のラボは時間の流れが違った。彼らは今日も失敗を繰り返している。
それこそが、ともすれば浮かれる私の気持ちを現実世界に繋ぎとめてくれている、いわば錨のように感じるから不思議なものだ。
1989年12月29日。大納会。
電光掲示板に刻まれた数字は、38,915円87銭。
それは、日本という国が到達した神話の頂だった。その夜、赤坂の高級クラブでは、文字通りシャンパンの雨が降った。営業マンたちは肩を組み「来年は4万円だ!」と咆哮した。
誰もが信じていた。信じなければ、明日からの自分を肯定できなかったからだ。
12月31日深夜。
テレビのニュースキャスターは満面の笑みで「もうすぐ輝かしい平成2年の幕開けです!4万円突破も間近でしょう!」と叫んだ。
だが、私はその熱狂から離れた静かなオフィスで、最後に残っていた株を売却した。
アバンダント・アリージャンス、全ての保有株式を売却。
寧音が感慨深そうに、安心したように呟いた。
「これで手持ちの株式はなくなるのね?」
「うん。もうしばらくは買わない。次に買うのは底を打ってからになるだろうね。
しかも売買を目指す一時的な保有じゃない。支配するために買うんだ」
そう言ってレバレッジをかけて膨らんだ幻を、私は現実のキャッシュへと変換した。
感慨はない。少し恐ろしいとの感情に満たされるだけだ。
それでも私は何とか平静を保ち、自己正当化を試みた。
「これはバブルで儲けた金じゃない。バブルから奪った金なんだよ」
寧音はそれに対して黙って頷いた。
都心では、何も知らない人々が最後の一杯を掲げていた。
1990年という名の、容赦ない目覚めが迫っていることも知らずに。
1989年。それは、日本中が終わらない夢を本気で信じることができた、最後の一年だった。
翌年は年始早々からバブルの崩壊が始まることを、現時点ではまだ誰も知らない。




