躍進期⑯ 大和の都・竣工 中編
2010年(平成22年)3月18日
春の柔らかな陽光が五條市の盆地を照らし出していた。私はその光を浴びながら本社ビルの最上階から眼下を見下ろしていた。
そこには複数の超高層ビルとリニアの駅、そして戦艦大和の雄姿が見えた。
リニアやその他路線の開業日前にもかかわらず、今日も多くの見物人が押しかけており、その人気の高さを物語っていた。だが、人々の目当ては戦艦大和だけではないらしく、ほかの施設にも多くの群衆が押し寄せていた。それは戦艦大和のほかにも複数の艦が建設されていたからだ。
大和の東側の池には全長220m、全幅27mの巨体を誇る「空母 隼鷹」が西向きに鎮座していた。空母に改装される以前の名前は「橿原丸」で、竣工していれば太平洋航路最大の客船となるはずだった。
この船の使用目的は防災拠点であり、内部は天井高20メートルを超える大空間となっており、上部には電動収納式観客席や照明トラス、数千人分の防災資機材を収めた昇降式備蓄ラックが設けられていた。平時は全国規模のスポーツ大会や展示会を開催でき、有事には短時間で大規模避難所へと姿を変える。
さらに地下も活用して救護所、入浴施設、大規模なトイレ、防災用品倉庫、調理配膳室、食堂などが設置されている。飛行甲板には約10機のヘリコプターを同時に駐機でき、大規模災害時には救援物資や負傷者輸送の拠点となる。
その東隣には2隻の船が南北に200mの間隔を空けて西向きに並び、南側の船の右舷と、北側の船の左舷のそれぞれ中央部がくりぬかれて、間にはサッカーやラグビーの国際試合が可能なスタジアムが造られていた。
この船の名は「空母 葛城」と「空母 生駒」。計画上では雲龍型航空母艦の4番艦と8番艦となる予定だった艦で、全長は隼鷹よりわずかに長い227m。艦橋部は貴賓席として活用される。
すでに開催が決定している、「ラグビーワールドカップ2019」のメイン会場として申請しており、正式に決定すればエキサイティングな試合を観戦できることだろう。
さらにその東隣には「軽巡 龍田」が西向きに建てられていて、内部は30軒以上の有名レストランが集まるという、グルメ御用達の施設として開業した。
なぜレストランなのかといえば、この「龍田」は竜田川にちなむ艦名であり、竜田揚げにも縁が深い。料理名の由来は竜田川とされるのが一般的だが、軽巡「龍田」の厨房で生まれた料理が広まったという説もあるのだ。
そこで艦内はレストラン街として運用することにしたのだった。
ともかく全艦、大和同様に洪水対策として半地下構造であり、周囲には堀が設けられていた。
さらに「もう一隻」建造されていた。
その場所はここから南に30kmほど離れており、史実においては、紀伊半島豪雨によって大規模な深層崩壊を起こし、多くの犠牲者を出した大塔村の山の頂上部に建てられている。
こちらの使用目的はデータセンターだ。
深層崩壊を防ぐための植林や、斜面に突き立てる巨大な杭打ち作業も同時に行われた。
その船の名は「戦艦 金剛」。頂上部からだと北方に金剛山がよく見えるのだった。
どれも奈良県内の地名・山岳名・河川名から名付けられた艦名というのが共通点だ。
もっとも、その基準だと他にも「戦艦 三笠」、「戦艦 初瀬」、「装甲巡洋艦 春日」、「防護巡洋艦 吉野」、「巡洋艦 畝傍」など、未採用の艦名が存在しているが、それを言い出せばキリがない。
ともかく、かつて海に消えた、あるいは解体された旧海軍の末裔たちが、最新の建築技術と豊臣の資本によって都市として再生し、静かに息づいている。
「美しいわね。……実に皮肉なほどに。小二郎さんも長年の夢がかなって喜んでいるでしょうね」
隣で寧音が呟く。
本来、これほどまでの巨大建築群を地方都市に築くことは、狂気の沙汰とされただろう。だが、豊臣グループが進めてきた事業は、これをいとも簡単にクリアさせることができる体力をもたらしている。
「ああ。感無量って感じだったな。だが……共産党の皆さんとか、活動家の連中が押しかけてくるんじゃないかな?」
「ブルジョワ資本主義の権化が、軍国主義の亡霊を呼び戻しているって?ただでさえ藤一郎はそういった人たちから嫌われる存在だし……」
寧音は語尾を濁らせながらそう言った。
何でも勝ち過ぎは良くないというのは分かってはいても、失われた30年の絶望から日本を救うには、私の歩みは間違っていなかったと信じたい。だが、そんな「本当の歴史」を知らない日本国民から見たら、私などは憎悪の対象になってしまっても不思議ではない。
皮肉なものだと思うが、これも運命なのだと受け入れるしかないだろう。
何事もなく日常を過ごす人びとから見たら、メディアに叩かれ続ける者の苦労など想像の外なのだから。
だから私は寧音に言った。
「そう。そんな感じで、いろいろクレームを付けてくるかもね」と。
「どうするの?」
「どうすると言われてもね。もう完成してしまったし、今から壊すわけにもいかない。しかも政府の資金なんて入っていない。それに、ここは豊臣グループの私有地だ。政治的集会、デモ、掲示物はすべて禁止の対象にしているから、立ち入りはご遠慮いただくしかないだろう」
「……藤一郎は批判も賛辞も羨望もすべて受け入れるつもりだろうけど、私は心配だわ。できればもっと穏健であってほしいと思う」
寧音は作り笑いと分かる表情でそう言ったが、視線はどこか不安げに、眼下に広がる巨躯を見つめていた。
私は手元のグラスを軽く揺らした。2010年という現代の技術で再現されたその姿は、あまりにも精密だ。かつて小二郎が接着剤の匂いをさせて作っていたプラモデルが、そのまま巨大化して大地に根を張ったかのような錯覚に陥る。
「……ねえ。小二郎さん、さっきあそこでサイン攻めに遭っていたわよ。建築に関わった『伝説のプランナー』として」
そう言って寧音は話題を変え、大和の後部甲板の人だかりを指差した。
「あいつ、結局、建築デザインにまで首を突っ込むようになるとは思わなかったな。でも、彼が言ったんだ。『兄さん、大和は海に沈んでいるから悲劇なんだ。陸にあって、人が集まる場所になれば、それはもう希望のシンボルなんだよ』って」
「希望のシンボル、か」
寧音が少しだけ真剣な表情になって、遠く南の空を見つめた。
「確かに、あの大塔村の『金剛』もそうね。斜面を補強して、村を災害から守るための楔だなんて。それを戦艦の形にする必要があるのかって聞かれたら、答えに困るけれど……でも、あれがあるおかげで、村の人たちは『自分たちは守られている』って感じるんですって」
「形には意味があるんだ。理屈じゃない安心感、あるいは畏怖。それが人を動かすこともある。……それにしても寧音、バブルの頃の熱狂を覚えてるかい?」
「もちろん覚えているわ。特に印象に残ったのは、あの頃に読んだ英字新聞ね。結構冷めた視点で書かれていたのよ」
「あの時、世界は日本が『こうなる』なんて1ミリも予想していなかっただろうな。円高にのたうち回って、バブルで踊って、そのまま衰退するはずだった」
私は窓ガラスに指を触れた。冷たい感触が、この現実が夢ではないことを教えてくれる。
「俺たちが変えてしまったんだ。この景色も、リニアの轟音も。日本の未来まで。……正直に言うと、時々怖くなることがある。俺の手の中にある資産と、この巨大な『おもちゃ箱』が、本当に正しい未来に向かっているのかって」
すると、寧音が私の隣に寄り添い、その手を重ねてきた。高校1年生の最初の出会いから、ずっと隣にいてくれた温もりだ。
「藤一郎はいつも余計な苦労を自分から背負い込むのね。私はただ、あなたを信じて前に進むわ。……話は変わるけど、明後日の落成式、スティーブさんも来るって言ってたわよ? 永平寺の修行以来の『不立文字』を、リニアの開通式で披露するんだって張り切ってたわ」
「スティーブが?彼はまだそんなこと言ってるのか」
思わず吹き出した。バブルの狂乱も、その後の停滞も、この「豊臣グループ」の面々にはどこか他人事だったのかもしれない。竹中は相変わらず新しいプログラムの数式に没頭し、阿戸さんはそれを呆れながら支え、石田は体験こそが全てだと走り回っている。
「……まあいい。どんなに社会が変わっても、あいつらが変わらないなら、この『新・平城京』もしばらくは安泰だろう」
私は眼下の大和に灯りが灯るのを見届けた。
そうだ。あの主砲の中に花火を詰めて発射してもいいかもしれないな。
もしくは、マラソン大会のスタート地点にするか?スタートの号砲を主砲から行うというのは面白いかもしれない。
どんな活用方法があるか、楽しみに胸を膨らませながらそう思った。
2010年(平成22年)3月20日(土)
今日は豊臣グループの本社ビル落成式が行われ、同時にリニアなどの新規路線が開業を迎えるという記念日だ。
私は朝から大忙しだ。
五條駅にて一番列車を見送り、大和の第三砲塔前で記者会見を行ってから本社ビルでまた挨拶を行う予定だ。
その名古屋行きの一番列車には、スティーブやイーロン、ジェンスンといった豊臣グループ所属の経営者たちが乗り込み、子供のようにはしゃいでいるのが見えた。
私もあの中に加わりたいが、そうもいかない。
この日ばかりは政治家やメディアが嫌いだから、という理由で逃げるわけにはいかないのだった。
ともかく特別な晴れの日でもあるのだが、大和で行われた記者会見では、当然ながら「戦争を賛美しているのか?」とか、「死者への冒涜では?」といった、日本のメディアらしい質問が飛んだ。
私は後部第三砲塔の巨大な砲身を背に、マイクの前に立った。眼前にはテレビカメラが数十台、記者は200人を超えている。国内だけでなく、CNNやBBCのロゴも見えた。数日前にスティーブが「世界が注目している」と言っていたが、どうやら誇張ではなかったらしい。
「戦争を賛美しているのか、という質問についてお答えします」
私は一度、深く息を吸った。ここからが正念場だ。
「賛美などしていません。ただ……私が言いたいのは、この艦が存在したという事実を、なかったことにしてはならない、ということです。日本人は、戦争の道具が目の前から消えてなくなれば戦争が遠のくという誤った認識、私に言わせれば宗教に近い観念を持ち続けていますが、それは最終的に日本人の害になると思うのです」
フラッシュが一斉に焚かれる。
「大和は46センチ砲を持つ最大の戦艦として建造されました。そして沖縄に向かい、海に沈みました。3000名以上の乗組員が死んだ。その事実は変わらない。私が変えたのは、その『形』の使われ方だけです」
「しかし木下さん」と、前列の記者が手を挙げた。
護憲を標榜する新聞社の記者だった。細身で目が鋭く、怜悧な印象の男だった。
またこの新聞社かと辟易した。それは私が政治家だった前世と全く変わらない構図だった。自分たちこそ正義だと信じる者ほど厄介なものはない。戦前もまた、そうした新聞が世論を煽り、戦争への空気を作り上げた。
それでも私は何とか自分を落ち着かせて話を聞いた。
「軍国主義のシンボルを観光資源として利用することは、結果として戦争を美化することに繋がるのではありませんか?」
予想された質問だった。
この新聞社は昔から変わらない。
日本が何かに挑戦すれば危険だと言い、問題に直面すれば「日本は限界だ」と書き立てる。その一方で、何もしなかった結果については驚くほど口を閉ざし、自社にとって都合の悪い問題には決して触れようとしない。結局のところ、日本人の前向きな気持ちに水を差したいのではないか。そんな記事ばかりに見えてしまう。
未来を知る私だからこそ、なおさらそう感じるのかもしれない。
「それとこれとはまったく関係がありません。どう受け取るかは皆さんの判断に委ねます」
そう私は静かに返した。ここで終われば良かったが、この新聞社が気に入らないから、つい余計なことを言ってしまった。
「逆に少しお聞きしたいのですが、横須賀の『三笠』はどうなのでしょうか?あれは日露戦争で実際に戦った軍艦で、記念艦として保存されています。しかし現在、それを軍国主義の象徴として撤去せよという声はほとんどありません」
私は記者たち一人ひとりに視線を向け、続けた。
「なぜなら人々は歴史遺産として見ているからです。それに、真珠湾にはアリゾナ記念館があります。そしてその隣には日本の降伏文書調印の舞台となった戦艦ミズーリが係留されています」
私がそう言うと、それを受けて先ほどの記者が再び質問を始めたが、何だか嬉しそうにしていたのが気になった。
「つまり木下さんは、戦争兵器に魅力を感じることは問題ないとお考えですか?
戦争を思い出させること自体が、平和国家・日本にそぐわないように私たちには思えるのですが?」
私「たち」か。個人の意見を、あたかも世論全体であるかのように語るとは。そういえばこの新聞は私への批判記事を最初に書き始めた会社だと思い出した。
「戦争を思い出させることが平和国家にそぐわないというなら、呉の大和ミュージアムや知覧特攻平和会館も非難の対象でしょうか?また、広島の原爆ドームはどう説明されるのでしょうか?」
大阪城まで壊さねばならないのですか?と言いかけたがやめた。
しかし……三笠を持ち出さずに終わらせておけば良かったと思ったが、手遅れだった。
これでは話が大きくなって、揚げ足を取られる余地が広がってしまう。メディアはまた大騒ぎをして、世間からもバッシングを受けるだろう。しかし、もう止まらなかった。
「原爆ドームは核兵器の恐ろしさと、平和の大切さを伝えるための場所です。誰も『原爆を美化している』とは言わないし、ましてや『死者を使って観光ビジネスをしている』なんて言わない。大和もそれと同じです。違いがあるとすれば、あちらは破壊されたまま残されている。こちらは再び組み上げた、それだけのことです」
記者たちの空気が剣呑なものへと変わったように感じた。
私がそう感じているだけかもしれないが、少なくとも、歓迎される発言ではなかっただろう。
今にも「それは詭弁だ!」、「実際にこの船をかっこいいと思っている連中がいるじゃないか!」、「戦争の道具に憧れを抱かせること自体が犯罪行為だ!」と言い出しそうだと思った。
一方で私に質問した記者は黙り込んだが、満足そうな表情をしていた。
それを見て彼の目的に気づいた。
要するに私の反論を切り取って報道するのが目的なのだろう。だがもう遅かった。記者の意図に易々と乗り、私は素材を無償で提供したことになる。そして彼は目的を果たして生活の糧を得るということなのだろう。
悔しいが、メディアに勝つなんてまだ早いのが現実だった。
そして日本のメディアからは私に敵意のこもった視線が投げられたが、外国メディアから再び質問を希望する記者たちの手が挙がった。




