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水嶺のフィラメント  作者: 朧 月夜
◇ 第二章 ◇ 
9/20

[9]隠された道

 アンとメティアが船上で大騒ぎしていた少し前──水車小屋にて置き手紙を見つけた兵士二人は、王女の足取りが掴めぬまま、ひとまず空き家に戻っていた。


「まさか姫さまが居なくなるだなんて……」


 侍従二名・兵士五名、そしてパニとフォルテの計九名は、誰からともなく呟いたきり言葉を失ってしまう。


 王女に約束させられた三十分後、パン屋の店主に案内された二人は、慌てて小屋内部を捜索した。もちろん書き置きを見つけたのち、船がなくなっていることにも気付いて速攻川下の探索も行なったが、辺りは既に暗く、(あし)も高く伸びていて見通せなかったのだ。そうでなくとも王宮は逆方向の川上に在る。二人は船で逃亡したと見せかけるため、(もやい)を解いて船を放流しただけ、実際には陸路で王宮を目指したのかも知れない……そうとも考えてみたが、追いつくにはとうに時間が経ち過ぎていた。


「これはどうしたものか……姫さまがもし王宮へ乗り込んだとなれば、やはり我々も……」

「……」


 侍従や兵たちが口々に意見を言い合う中、フォルテだけは珍しく唇を噛み締めたまま、何も言葉を発さずにいた。隣に座ったパニも、そんなフォルテが語り出すのを待つように、心配そうに横顔を見詰めている。


 フォルテはずっと考えていた。姫が何を想って動き出したのかを。一昨日夜から王宮の地下牢に囚われていた兵士六名。その捕縛者は依然判っていないが、おそらくヒュードル候の一派である可能性は高い。兵たちがレインに救われたのは本日真昼のことだったという。それまでの間、彼らは特に尋問されることもなく、目隠しと猿轡(さるぐつわ)をされたままずっと拘束されていたそうだ。なのに彼らに扮した六人はどうやって知り得たのか、パン屋の店主と約束した場所に現れ、更に隠密(おんみつ)行動をしていたレインにアンの潜伏先までも知らせていた。


 以上の情報から、敵は以前から王女の居場所もレインの動きも把握していたことが(うかが)える。そしてこの空き家に全員が集まることも既に知っていたのだろう。レインは彼らに出会った際、此処への地図を手渡しているのだから。だがレインもそれに気付いたからこそ、兵たちを助けに王宮へ向かってくれた。全てが筒抜けであると承知した上で、レインが集合場所を変更しなかったのは、敵が動くつもりのないことを示唆(しさ)しているということか? もしくは変更したところで、きっと情報は漏洩(ろうえい)する──そう判断したからなのか? どちらにしても何の動きも見せない敵の存在に、隠した心の内側でフォルテは酷く焦燥した。


 ──姫さまが水車小屋から消えたのは、これらのことが起因しているに違いない。けれど姫さまがレインさまの言いつけを守らずに、一転行動し始めた理由とは一体──?


 自分の持ち()(カード)だけでは、姫の真意を計り切れない。見えないカードがあと数枚、きっとまだある筈なのだ。ギュッと握り締めていた王女の書き置きを広げ、今一度目を通す。けれど其処から感じられるものは、アンの必死な想いしかなかった。


 ──必死……そう姫さまには、王宮に向かわざるを得ない深刻な事情が出来てしまった。だからわたくしも……今は混乱なんてしている場合じゃないわ。


「……あの、やっぱり、計画を続けましょう」


 男たちの喧騒(けんそう)を一瞬にして消し去ったのは、フォルテの冷静な一言だった。


「いやっ、しかし……姫さまを置いてきぼりにすることなどっ!」


 水車小屋を訪ねた兵士の一人が叫んだが、


「ええ、ですからそちらは例外的に、お二人には姫さまの元へ向かっていただきます。ですがわたくしたちは北境からナフィルへ……それが姫さまの願いですから」


 フォルテは自分の両手の指を絡め、祈るように立ち上がった。王女の置き手紙には全員でナフィルへ戻るようにとあったが、そちらに関しては不躾(ぶしつけ)ながら却下だ。当初のレインの計画を遂行(すいこう)することとする。


 フォルテが王女の安否を案じない訳はない。何も分からぬ状態のまま離ればなれでいたことなど、何者かによって幼い姫が連れ去られた「あの時」以外有り得なかったのだから。出来ることなら一刻も早く王宮へ駆けつけたいくらいだった。けれど自分や侍従が後を追ったところで、どう役に立てるというのか? 何が出来るというのか? ただの足手まといになるだけだ。それよりもいち早く母国に戻り、状況を(ただ)ちに国王に伝え、援軍を送ってもらう方がずっと良い。


 いえ……それに、そもそもそうよ──万が一にも姫さまがパン屋から消えたことをまだ悟られていないとすれば。北路で越境を試みる自分たちに、上手いこと敵の注意を引きつけられるやも。パニを姫さまだと思わせるレインさまの作戦は、まだまだ功を奏する可能性が高いのかも知れない──そういう考え方も出来るのだと思い直すと、フォルテの心に更なる勇気が(みなぎ)った。


「姫さまはとあるルートを利用して、リムナトの王宮へ向かったと思われます。ですがその(みち)はわたくし共では見つけることは出来ません。お二人は街道を上って忍び込んでください。但し飽くまでも姫さまの邪魔にはなりませぬよう。姫さまの行動は、きっとお考えがあってのことでございますから」

「わ、分かった……」


 其処に居る全員がたじろいたまま(うなず)いてしまうほど、フォルテの面差しと口調には強い意志が見えた。それはきっとフォルテと王女の間にある深い信頼から生まれた絆だ。


 フォルテはアンが幼少に迷い込んだあの洞窟を知っていた。中心は鉄格子に(はば)まれて、ナフィルからリムナト側へ行くことは出来ないが、湖畔に隠された入り口が二手に分かれ、王宮に繋がっていることをアンから聞かされた記憶がある。


 ──姫さまはおそらくあの入口へ向かうために船を使われた。そして其処から王宮へ……あぁ、どうか、どうか。姫さまとレインさまを必ずやお守りください、天にまします我らの神よ──


 見上げる男たちの真中で、フォルテは組んだままの両手を天に掲げた。天井にぶら下げられた仄かな照明が、まるで小さな太陽のようにその拳へ光を注ぐ。


 「この輝きが姫さまに届きますように」と、願い閉ざした瞼の裏側には、アンの眩しい微笑みを浮かべながら──。




 ◆ ◆ ◆




「……あ、止めて、メティア。確かこの辺りだわ……」


 湖畔まで川を下りきった二人の船は、アンの記憶を頼りに岸へと着けられた。(ひら)けた視界には月明かりに照らし出された紺色の湖面が、金色の波紋を幾筋にも描いている。


「え? ちょっと、アン。ドコに行くんだよ?」


 アンは船を降りたが、その美しい湖を(かえり)みることはなかった。彼女が瞳を向ける方角には、鬱蒼(うっそう)とした森が広がっていた。


「路はこの繁みの中にある筈なの。そう……此処だわ。そう! 間違いない」


 黒く巨大な木立を貫きながら、少々興奮気味に声を上げる。夜に訪れたことは一度もないが、背の高い木々の作り出すシルエットは昔見上げた風景そのままの姿だ。


 吸い込まれるように進んだ森の奥には、一角切り(ひら)かれたような小さな広場があった。その真ん中にまるで腰掛けるために(しつら)えたみたいな三本の切株を見つける。キョロキョロと辺りを見回しながら後をついて来たメティアは、突然立ち止まったアンに驚いて、慌てて急ブレーキを掛けていた。


「ああ~~ビックリしたっ!」

「え? あ、ごめんなさい。この切株の向こうに秘密の扉がある筈なの。今でもちゃんと残っていてくれると良いのだけど……」


 再び歩を進め、切株の端を横切る。アンとレインの二人があの地下洞ではなく、初めて格子に(はば)まれることなく相対(あいたい)したのは、アンが八歳・レインが十歳の頃だ。場所はリムナトの王宮だった。以前からリムナトに行ってみたいとせがんできた幼い娘に、とうとう父王が根負けをして、外遊の際にようやく同行を許され、共にリムナト王家を訪れた時であった。


 宮殿に通されたアンは国王の招きに感謝すべく、王女らしくドレスを両手で摘まみ、床に視線を落として優雅に会釈をした。おしゃまな挨拶を述べたアンは、それからゆっくりと(こうべ)を上げた。その先に立つ優しそうな王の隣、温かなレインの眼差しと自分の瞳が合わさった刹那、時が止まったように身動き出来なくなったあの感覚は、今でも不思議と忘れていない。


 薄暗い洞窟で語らうレインには、いつでも柔らかい天使のようなまばゆさがあったが、煌びやかな謁見(えっけん)の間を背景にしたレインは、まさしく凛々しい王子の風格を(まと)っていた。


 どんなにか喜びを全身で表したかったか知れないが、周囲に二人が既知の間柄であることは悟られてはいけない。アンは子供心にあの地下洞での経緯(いきさつ)を口外すべきでないと知っていた。「あの時」のフォルテには興奮気味に語ったが、嬉しそうな幼き姫を見て、「これは姫さまとわたくしめだけの秘密にいたしましょう」とフォルテが提案を持ちかけたからだ。同年代の友に恵まれず退屈な日々を過ごしてきた王女を想っての、優しい侍女からの献言であった。


 だから自分を連れ立った黒い影のことも、以降頻繁にレインと落ち合ってきたことも、アンはフォルテ以外の誰にも明かさずにいた。知られればきっと洞窟への立ち入りを禁じられてしまう。それを幼いアンも理解して、五年もの間レインとフォルテと共に秘密を守り通してきたのだった。


 幸い年齢が近いこともあり、国王同士の会談の間、レインはアンに王宮を案内するように言い付けられて、二人はついに公での自由な時間を得た。その時王宮の地下からこっそり導かれたのがこの森だ。ナフィルと同じく石壁に触れるや回転し、その向こうには同じように地下道が続いていた。二手に分かれる三叉路が現れたことだけが、ナフィルのそれとは違っている。レインが選んだ左路はやがて上り坂となり、再び突き当たった壁を回転させれば、この森のこの広場に辿り着けるのであった。


 アンはナフィルにはない瑞々(みずみず)しい森と、豊富な水量を(たた)える湖の広さに感動した。二人は湖畔を駆けまわり、岸辺で水遊びをし、この広場で一休みをした。あの鉄格子に邪魔されずレインの傍に居られることが、これほど嬉しく楽しいひとときになるとは! きっとそうであろうと予測はしていても、実感はそれを遥かに上回るものだった。


 両端の切株にそれぞれ腰掛け、真ん中の切株にはポケットに隠してきた異国の菓子を広げる。遠く南国より訪れた大臣からの戴き物である。リムナトの菓子に比べてねっとりとした強い甘さに、驚いたレインのまん丸い瞳をふと思い出した。切り抜かれた空から注ぐ月光に照らされた切株は、アンの心に眠る想い出を呼び覚ましたようだった。


「扉は此処よ、メティア」

「え?」


 広場の中心に位置していた切り株から更に進み、再び繁った木立(こだち)に分け入った其処には、ひときわ大きな樹木が一本立ちはだかっていた。幹の太さは大人五人が手を繋いでも、一周出来そうにもない巨木だ。その樹を指し示して振り返ったアンに、メティアは再び仰天の声を上げた。


「いやっ、扉って……ただの大木じゃないか!」


 オイルランプを近付けてみても、何の変哲もある様子はない。


()えないけれど此処にあるのよ……理由は分からないのだけど、レインとあたしだけが開くことが出来るの。ナフィルとリムナトの王宮から地下道に入るための石壁もそう。フォルテが触れても壁は回転しなかったから、この扉もきっと他の人には開けられないわ」

「それじゃ、あたいもなのかな……」


 恐る恐る赤い指先を樹皮に触れさせたが、確かにメティアには一切の反応も見せない。それを認めてアンは目配せを送り、同じ場所に自分の掌を優しく当てた。と途端ギシギシと(きし)む音が鳴り響き、四角く切り取られたような幹の一部が、その中心を軸にして縦に九十度回転した。


「うわぉ! なにコレ!?」


 幹の内部はくねっていて、ランプを差し入れても見通せないが、ずっと奥まで続いていそうな雰囲気だ。


「誰かが細工したカラクリなのかも知れないけれど……仕組みは全く分からないわ。第一レインとあたししか発動することが出来ないなんて、一体何が原動力になっているのか……」

「う~ん?」


 メティアも同調して腕を組み、思考を巡らせるように首を(かし)げた──もちろん脳内には何のヒラメキも浮かんでいないのだが──そんなやり取りも数秒、急いで扉の向こうに足を踏み入れる。数歩先から地面が(くだ)っているのを感じた。側面に手を添えながら、見えない樹洞を王宮目指して二人は静かに進んでいった。




 ◆ ◆ ◆




 一方空き家に(つど)った面々も支度を整え、まもなく出発しようという頃合いであった。


「では、参りましょう、姫さま」

「は、はい」


 差し出された侍女の掌に、パニならぬ「姫さま」は緊張気味に自身の手を乗せた。導かれるようにしずしずと戸口を目指す。アンの旅支度を(まと)ったその身は、リムナト国民が愛用するベージュの外套(マント)に包まれている。フードを深く被ってはいるが、メティアが用意した黒く長い義髪で念入りに短い茶髪を隠していた。


 パン屋を訪れた兵士二人は既に王宮へ向かったので、一行はパニとフォルテ、更に侍従二名に兵士三名の計七名だ。北境のルーポワ検問所では、メティアがアンに話したリーフも待っている。彼はルーポワ出身であるので、検問所を容易に通過する(すべ)も心得ているという。パニにとっては兄貴分、メティアにとっては一つ年下の弟分といった立ち位置の青年である。


 空き家を一歩外に出れば、街灯に照らされたあちらこちらで、自分をアピールする娼婦のなまめかしい声やら、酔いの回った男共が値踏みするいやらしい声が飛び交っている。一行はそんな猥雑(わいざつ)な光を浴びぬよう物陰を辿りながら、やがて郊外へ抜けた。あとは真っ直ぐルーポワとの国境へ向けて山道を登るのみである。


「……姫、さま……」


 兵士と侍従に挟まれた列の中で、フォルテは来た道を一度だけ振り返った。

 黒々とした遠望に一点、きら星の如く輝く王宮を見下ろした瞳は、薄っすら水の膜に覆われていた──。




◆次回の更新は三月十五日の予定です。

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