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水嶺のフィラメント  作者: 朧 月夜
◇ 第二章 ◇ 
10/20

[10]揺らいだ刻(とき)

 樹洞はやがて岩肌の質感に変わり、琥珀色の壁面は徐々に小さな光を散りばめ始めた。どうやら輝石の(たぐい)が混ざった石窟のようだ。オイルランプの炎に点火されたかのように、近くの粒から明滅し、行く先へ向けて波及してゆく。次第に明るさは増して、気付けばランプは不要なほど二人を照らしてくれていた。


「不思議な地下道だわね」


 吹き消した灯具をプラプラと振り回しつつも、メティアは歩みの速さを緩めることはなかった。アンのあの時の表情を思い出せば、おのずとレインが何かしらの危機に直面していることには想像が及ぶ。詳しい説明はされずとも、それだけはしっかりと気付いていたし、心の内をなかなか語ろうとしないアンを、問い詰める気持ちも今は生まれなかった。


「そうね。ナフィルの地下道から洞窟までも此処と同じ状態よ。……あ、ほら見て。二又に分かれるのはあそこ。この道を左へ行けば、レインと出逢った洞窟があるわ。リムナトの王宮はこっちよ」


 アンの指差した前方は、言われた通り二手に分かれていた。洞窟への分かれ道を通り過ぎるまで、アンの双眸(そうぼう)はずっと其処から逸らされることはなかったが、何故だかその歩みは(かせ)にでも()められてしまったかの如く、急激に鈍くなり始めた。横目に映っていた艶のある黒髪に白い頬、朝露に濡れた薔薇の(つぼみ)のような唇が視界から消えたのを、さすがにメティアも見逃すことはない。


「……あー、えっとさ……あたいの名前が国の名を意味してるのは気付いたんだろ? アンの名前もナフィルに(ゆかり)があるのか?」


 メティアはスピードを少々緩め、前方を向いたまま唐突な質問をした。本来ならアンがいきなり勢いを失った核心に触れたいところであったが、敢えて話題を変えたのも、引きずられるように後をついて来るアンを、むやみやたらと振り返りはしなかったのも、きっとメティアならではの優しさであったのだろう。


「あ……やっぱり、メティアの名前は『流れ星』を意味しているのね?」


 沈黙から目覚めた後ろからの返しに、無言で相槌を打つメティア。


 アンが『流れ星』から気付いたのは風の民との繋がりではなく、生まれた地フランベルジェとの由縁だ。風の如く自由に巡る彗星ではあるが、元来『燃える星』という意味から名付けられたに違いない。「炎の国」と呼ばれるフランベルジェにちなんだ名だ。


 「水の国」リムナト、「砂の国」ナフィル、「森の国」ルーポワ──以上の四国に生まれた民は、自国を称える名を持つ者が多い。事実レインも遠い西の国で使われる「雨」を意味した「レイン」、ヒュードル候の名も異国の言葉で「水」を意味する「ヒュドール」から授けられたという。フォルテのように国名とは関係を持たない名前もそれなりに存在するが、おそらくパニも何処かの国の言語では「風」を意味する名であるのだろう。


「そうね……もしかしたら、そうなのかも知れないわ」

「え?」


 アンシェルヌという名が「砂」を意味するのか? 意外にも曖昧な王女の応えに、メティアはつと振り向いた。


「あたしの名前は、母が付けてくれたものなの。でもこの名が持つ意味を誰にも明かすことなく、母は天に召されてしまったから」

「そ、っか……」


 残念ながら王女の元気を取り戻せる話題ではなかったようだ。メティアは再び前を歩きながら「失敗だったかー」と心の中で苦笑した。







 それからまもなくして彼女らの行く手を(はば)んだのは、幹の扉ではなく煉瓦で出来た明らかに人工の壁面であった。


「なんだ……王宮への入口はまだまだ先だろ? またアンが触れたら壁が回るのか?」


 触れても押しても何の反応も見せない壁から半回転して、メティアがアンの表情を(うかが)う。も、アンの唇からは驚きの答えが返ってきた。


「ええ、これもあたしが触れれば回転する筈よ。その奥はもう王宮だから、此処からは慎重に行きましょう。長い地下道を五分も登れば王宮の中心に辿り着くわ」

「え? い、いやっココから五分!? ……あれだけ船で下ったのに、そんなに近い訳ないだろ!?」


 レインとアンだけが扉を(ひら)けることだけでも驚きだと言うのに、信じられないことばかりが続いて、とうとうメティアの頭も混濁した。湖畔に辿り着くまでの船旅は、少なくとも三十分は掛かった筈なのだ。川を流れる速度は明らかに今歩いてきたスピードよりも(まさ)っていた。王宮は水車小屋よりも川上にあると言われたのに、あの巨木から十分も経たない内に、王宮の入口までこうも早く到着出来る理由は全く理解不能であった。


「実際リムナトとナフィルの王宮は何十キロも離れているのに、レインとあたしは地下道に入れば、いつでも容易に落ち合うことが出来たの。扉の内側では何かが違うのかも知れないわ……そう考えることしか、頭と心を整理する方法は見つからなかった」

「違うって……そんなっ、魔法でも掛かってるっていうのか!? んなこと信じられないって!!」


 ナフィルの王宮は背後に山並みを従えるが如く、リムナトとの国境近くに建造されているが、対してリムナト王宮は国土のほぼ中心に位置している。幾ら東に面した湖畔の入口を利用しても、子供の脚で国境まで出向くのには無理がある。アンの言う「何かが違う」のでなければ確かに何の説明もつかないが、「ハイそうですか」と簡単に納得するには余りに突拍子もない話であった。


「ねぇ……メティア」

「ああ?」


 混乱が治まらず目を()いたままのメティアの横顔に、アンは質問の答えを返すことなくその名を呼んだ。


「あたし……此処にいるのも、外へ出るのも……本当は怖い、の」

「え? あ……」


 寂しそうに消えゆく小さな声に、ふと迷宮から引き戻された。メティアの視界に入ったアンの眼差しは、自分の足先を見詰めるように俯いていた。ずっと沈んだ気持ちを此処まではどうにか抑えてきただけなのかも知れない。突如として不安や戸惑いを露わにしたような王女の様子に、メティアも思わず二の句を途切れさせる。


「この空間の不思議なところは距離感だけじゃないの。時間もそう……此処で何時間を過ごしても、地上に戻った時には一秒も進んでいなかった……まるで時が止まったように。……だから」

「だから……?」


 メティアはたった一度、気持ちを切り替えるように大きく深呼吸をして、もはや驚くことなどやめてしまおうと決意した。いちいち驚いては身がもたないと思ったことと、驚いていてはアンの深層が汲み取れないと感じたからだ。この摩訶不思議な空間にいることも、此処から出ていくことも怖いとアンは言う。一刻も早くレインの元へと駆けつけたい想いで選んだ道を、どうして(おそ)れる理由があるというのだろう?


「──此処にいる間、一切時間は進まない。でも……レインとあたしだけは動くことが出来るの。だからあたしが此処へ踏み入ったことで時が止まったのを合図に、彼はいつもあたしに会いに来てくれた。だけどレインに万が一何かが……起きていたとしたら。あたしが此処にいるのに彼がこのまま来ないとしたら……」

「アン……」


 レインとアンしか動けない時の(まにま)。アンが此処にいると分かれば、レインは直ちに合流しようと試みるだろう。なのにレインが現れないとなれば……彼の身に不穏な事態が起きたとみるしかない。現にこの空間に入って既に十五分は過ぎた筈だ。しかし愕然としたメティアの向こうに立ちはだかる壁は、一向に動く気配を見せなかった。


 そしてよしんばそのような状況にあるのであれば──アンが外へ出た途端、その状況は進行する──それはきっと、好転よりも悪化を示唆しているものと思われた。


 目の前でうな垂れる王女の様子に、メティアは掛けてやれる言葉も見つからないまま時を止めた。アンはきっと、時間さえ止めればレインを助けられるものと、その一心でこの洞窟に足を踏み入れたに違いない。けれど一本道の向こうからレインが現れることはなかった。進むにつれ渦巻いてゆく懸念に徐々に押し潰され、王宮の入口に辿り着いた頃には、心の底に残されていた僅かな希望はついに干上がってしまった。


 立ち尽くしたまま微動だにしないアンを見据え、メティアは垂らした拳をグッと握り締めた。口元もヘの字に引き締め、それからズイと一歩を近付く。


「じゃあ……ナニか? アンはココにいる間にレインが来なければ、レインはもう死んじまったと思うのか? 死んじまったならもうどうなってもいい、そういうことなのか!?」

「そ、んなつもりじゃ……」


 メティアの凄んだ声と迫った影に、アンはたじろいて一歩を引こうとした。が、怒りに震わされたような両肩が上がったかと思うや否や、それを一気に落としたメティアは両掌を勢い良くアンの両頬に当てて、必死な表情で続きをまくし立てた。

 パンと破裂音が一つ、洞内に小さく響き渡る。


「い、や……違う。んな縁起の悪いことなんて考えんな! レインは時が止まったのをこれ幸いと、王宮で上手く立ち回ってるに決まってる! アンが信じてやらなくてどうすんだよ!! レインは、ちゃんと、無事だって!!」

「あ……」


 噛みつきそうな迫力で声を張ったメティアの瞳は、(くじ)けそうなアンの弱々しい瞳を睨みつけていた。まるでアンの時までも止められてしまったように、刹那呼吸が出来なくなる。(まなこ)を覆い尽くしていた淀んだ(もや)は、鋭く貫かれて一瞬にして晴れた。今は心配に溺れている場合ではない。先の展開を怖れている場合ではない。もしも彼の「今」が悪化を辿っているのなら、其処から彼を救い出さねばならない。


「ごめんなさい、メティア」


 頬を覆う温かいメティアの手の甲を、冷たいアンの掌が包み込む。


「ココは「ごめん」じゃなくて「ありがとう」だろ? アン」


 そのまま両手で王女の頬をムニッとつねり、メティアはニヤッと笑ってみせた。

 どうやらこの王女を元気づけられるのは、優しい慰めや同調などではなく、力強くかまされた挑発や一発(・・)のようだ。


「はりはとぅ~メフィ、ア……い、いひゃいっ!」


 ──ありがとう、メティア。


 どんなに恐怖しようとも、二人の時間は流れゆく。

 見えない足枷(あしかせ)に囚われていたアンの身体が一歩を踏み出した。メティアのぬくもりで熱を帯びた掌をそっと、ざらつく煉瓦の壁に当てる。

 もはやその手は震えることなどなかった。

 低音の唸りを(とどろ)かせ、ゆっくりと「境界」は開かれた。







 壁面と化していた扉が回転し、やがて向こう側が鮮明になった。

 こちら側と同じく明度は低い。扉に比べて一回りほど道幅も天井も広がったが、アンの話した通りしばらくは煉瓦積みの通路が続いているだけに見えた。

 先にアンが扉を抜けたが、周りには特に動く物が存在しなかったため、時が止まっていたことも動き出したことも見た目には分からない。しかしメティアはその身を移した瞬間、ふいに匂いが変わったことに気付いた。それはふと風が吹き始めた時のような、淀んだ空気が流れ出した匂いに似ていた。


「で? 上階に着いたらドコへ行く? レインの部屋か?」


 洞窟内とは違って速足となったアンを追い掛けながら、メティアはその背に問い掛けた。

 幸い宮内の誰とも会わずには済んでいるが、あいにくレインの姿も見つからない。三~四人ほどがやっと並んで歩けるほどの一本道だ。此処でリムナトの「敵」側とご対面というのは、是非とも願い下げたい出逢いである。


「メティアの言う通り、レインが時の止まっている間も探りを入れていたなら、自分の部屋にはもういないと思うわ。そうね……政府のお仲間と一緒であれば、議会場の隣にある待合室で秘密の会合が行なわれている筈だけれど……時が動き出すまで其処に留まっているかしら? 最も有力なのはヒュードル侯の周辺、ということになるわね」

「一番お目に掛かりたくない奴の所ってことか」


 前方を向いたままのアンには見えないが、メティアが鼻で(わら)ったことは感じられた。こうなればもう野となれ山となれ、その命をレインとアンに預けたつもりなのかも知れない。背中に触れるメティアの気は、緊張感に纏われつつも何処か達観した趣を発していた。


 地下道はやがてもう一回り道幅を広げ、両側に木造の扉が均等に現れ始めた。メティアがおっかなびっくりドアノブを回してみるも、鍵が掛かっているのだろう、どの部屋も開く様子はない。人の気配も感じられないので、おそらくは倉庫か貯蔵庫といった(たぐい)のものと思われた。


 洞窟との境界から三分ほど登り、そろそろ道のりの三分の二を過ぎようという頃、今度は前方右手に奥まった暗がりが見つかった。アンの記憶にも合致する分かれ道ではあるが、その先には進んだ覚えがなく、何があるのかレインに尋ねたかどうかもぼんやりとしたままである。その入口へ辿り着いてまもなく、ふいに奥からカツカツと響く足音が近付いてきた。アンとメティアは一瞬にして身をすくめ息を殺す。すがりつくべく壁に貼りついたものの、辺りに隠れられる物影は一つもない。「どうする!?」とお互いの瞳をかち合わせたが、二人が出した結論は、足音の(ぬし)がこちらに気付かず地上へ向かってくれるか、もしくはその主がレインでありますようにと祈ること以外、他に可能な策は見つけられなかった。しかしアンはハナから気付いている。この足音はレインのそれとは違うものだと。


「いいか、アン? 振り向かれたらあたいが一気に襲い掛かる。その隙を見てアンは地下道を上がるんだ。決して振り返らずに駆け抜けなよ」


 メティアはアンを追い越して屈み込み、首だけを後ろへ反らせてそう言い聞かせた。その手には既に(ふところ)から取り出した金色の短剣が握られている。アンは瞬間何かを言いかけたが、真剣なメティアの表情にやむをえず無言で頷いた。


 こちらと違って気配を消す必要もないからなのか、足音は異様に辺りに響き渡った。先に広がった音が次の音を取り込むように反響し共鳴し、ついには分岐にてカツンとひときわ大きな音を立てたその時、


「其処にいるのは誰だ」


 低い声が二人へ問い掛ける前に、長い剣の尖端がメティアの鼻先を照準に捉える。


「くそっ──」


 ──万事休す──!


 衝動的に振り上げた短剣は、鋭い切っ先に弾かれてしまった。慌てて二人がもたげた視界には、もはや(はやて)のような剣(さば)きの白い残像しか見えなかった──。




 ◆ ◆ ◆




「良かった……ここまで来ればもうすぐですね!」


 パニは丘の頂上で一息をつき、遠くに見える小さな灯りに瞳を輝かせた。「あれが北の検問所だよ」と兵士の一人に告げられたからだ。まもなくリーフと合流出来るかと思えば心も弾む。幾ら頼れる大人たちと同行しているとはいえ、風の民の「旅」から独り外れて行動するのは、まだ十三歳のパニには心細いところがあった。


「でもルーポワから直接国境越えなんて出来るのですか? ナフィルって普通リムナトに入らないと行けない筈ですよね?」


 フォルテから差し出されたバケットをかじりながら、パニは屈伸を始めた兵士の一人に問い掛けた。

 森の国ルーポワはリムナトの北、砂の国ナフィルは東に位置しているため、実際二国はリムナトから北東の地で国境を共有している。しかしルーポワの東部では深い森が行く手を阻み、その先はナフィルに近付くにつれ荒野となるが、途中底の見えぬほどの断崖が来る者を拒んでいる。あの森と谷を越えようなどという物好きは、およそ自殺志願者以外現れることはないだろう。


「まあね。世の中ではそれが通説だが、実際には先人の切り開いた道というのがない訳でもないんだよ。但しかなり厳しい越境となるがね。ルーポワの街へ向かう途中、小さな隠し坑道があるらしいんだ。そのトンネルをくぐり抜けると、ルーポワの南東、リムナトとの地を分かつ高い峰の尾根に出る。其処から細い崖路(ほきじ)をひたすら南東へ進めば……いつかナフィルの北部に辿り着けるっていう噂だ」

「あくまでも「噂」だけなんですね……」


 少々こめかみを引きつらせながら、パニは微かに苦笑した。

 それからバケットを食べきった掌に、今度は小さなカップが載せられた。まだ幾分冷たい水が水筒から注がれて、パニは無意識にコクリと一口喉を潤したが、と同時に「あれ?」と思う。


「あ、フォルテさん。ボクの世話なんていいですから、フォルテさんも休んでください」


 目の前でかいがいしく動き回るフォルテに気付いて声を掛ける。束の間の休息、皆それぞれ自身のために時間を費やしているというのに、フォルテだけはパニのため・兵士や侍従のために食糧や水を配るなど(せわ)しくしたままだ。


「大丈夫だよ。フォルテのことは気にしなくていい」

「え?」


 隣に腰を落ち着かせた侍従が、パニの肩に手を置いた。驚いて見返した侍従の横顔は、少々笑いを(こら)えるような、それでいて哀れみを含んだような、どこかシンパシーを感じさせる口元でフォルテを見詰めていた。


「動いていないといられないのさ。姫さまのことが心配で心配で」

「あ……」


 突如いなくなった王女を置き去りに帰国を決めたフォルテの今は、どれだけ傷心の至りであるか。兵士と侍従の間を行ったり来たり、献身するフォルテの背中をパニも同じ眼差しで見詰めた。


「……はい」


 ──身代わりの姫さまをしっかりと演じよう。


 パニの心の空間に一陣、力強い風が吹き抜けた──。




◆次回の更新は三月十八日の予定です。

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