50 羽衣さん頑張る1
俺は花音にペットボトルを渡しながら、ベンチの隣に腰を下ろした。
「弥美ちゃんを勧誘しているWINGSってサークルだけど。いい噂は聞かないね」
弥美の自宅を訪れてから一週間。
彼女の欠席は続き、相変わらず連絡が取れない状況が続いていた。
昼休み、花音に呼び出された俺は気もそぞろにお茶をあおった。
「で、どんなサークルなんだ?」
「ここいらの大学生が中心のイベントサークルね。まあ、高校生とかにも手を広げてるみたい」
イベントサークルか。
なんというか、大学生が集まってクラブでパーティーをする貧弱なイメージしかない。
「末端はただのパリピなんだけど、上の連中はちょっときな臭いわ。被害を受けて泣き寝入りしている娘も多いみたい」
怖い。きっと緑色に光るお酒とか飲まされるんだろう。
なんかあれって絵の具みたいな味がしそうだし。
「しかし、ただのサークルが何でそんなに好き放題やってるんだ?」
「人が集まるだけで、それなりの金額が動くのよ。お金が動けば人が動く」
花音の説明は続いた。
つまり、会費やパーティー券でお金をネズミ講のごとく集めるピラミッド構造が完成していて、皆、少しでも上に行こうと群がっているのだ。
「3年生の阿久津って人は結構有名みたい。高校生で唯一、幹部入りしてるって」
「つまり、それだけお金を集めてるのか?」
「ま、彼の場合お金よりも女かな。女子高生を勧誘するには同じ高校生ってね」
いいのか、それ。
「需要と供給、大半は望んで参加しているから口は挟めないわね」
確かにそうだ。
弥美がそんな連中と本当に付き合いたいと思っているなら何も言えない。
だが、本当に彼女は――
「おー、やってるねー。景気はどうよ」
軽く逆立てた茶色の髪に黄ブチの眼鏡、胸元のタイを緩めたチャラい男子生徒が気やすく声を掛けてきた。
立て込んでるところに誰だこいつ。
「あ、ごめん。俺達ちょっと真面目な話をしてますから」
「冗談キツイぜ。俺だよ、俺」
茶髪の男は俺と花音の間に無遠慮に座る。
……おいおい、いくらなんでも馴れ馴れしいだろ。
花音も目を丸くして驚いている。
だが、こいつの声には聞き覚えが。
「――お前ひょっとして朔太郎?」
朔太郎、何があった。いやマジで。
「おいおい。朝からこの格好だっただろう」
「いや、見慣れん奴がいるなーって」
「あんた今日休みだと思ってた」
「またまた、冗談キツイぞ」
おい、冗談じゃないぞ?
「お前、筒井に近付いてWINGSの情報を仕入れるんじゃなかったか?」
「それがな。筒井の奴、話してみると中々気のいい奴でな。美容院も紹介で安くしてくれたんだ」
なんか普通に仲良くなってるぞ。
「で、何か情報はあるのか」
「うむ、WINGSの中でも貢献度で順列があるみたいでな。上の連中がイベントの企画や運営を独占しているんだ」
「はあ、そんなものなのか」
「つまり、末端の筒井は大したことは知らないんだ」
そんなことドヤ顔で言われても。
「ま、まあ彼と仲良くしとけば何かしら情報は入ってくるかもだし」
呆れる俺に花音がフォローを入れる。
「今日は筒井の誘いでカラオケ合コンだ。二人も行くか?」
「い、いや、私は遠慮しとく」
「俺もだ。何と言うか、頑張ってな……」
「おう、任せとけ。それじゃ、またな」
鼻歌混じりで立ち去る朔太郎。
「人って……簡単に染まっちゃうんだね」
朔太郎の後ろを姿を見送りながら、花音がしみじみと呟いた。
おそらく回想で幼稚園からの思い出が走馬灯のように流れているのだろう。
俺の脳裏に流れているのはエンディングテーマの盛り上がりどころ、朔太郎が青空でほほ笑んでいるシーンだ。
「……そうだな。俺達のところに戻ってきたときには温かく迎えてやろうぜ」
◇
部室のデッキで猫の顔マッサージをしながら、俺はしとしと降り続く雨音に耳を傾けていた。
「癒されるなあ……」
このまま、猫をいじるだけの簡単なお仕事に就けないだろうか。
それなら給料安くても文句は言わないし、サービス残業も厭わない。
俺が今後のキャリアパスについて考えていると、スカートを押さえながら羽衣先輩が隣に座った。
「ユート、久しいな。最近どうしてた?」
「ええ、ちょっと忙しくて」
忙しいと言っても地味な作業ではあるが。
アカウントを作りまくってはSNSでWINGSのタグを頼りにひたすら書き込みのチェックをしているのだ。
よく使うイベント会場、種類、頻度、メンバー等。
断片的な情報を必死に繋ぎ合わせているところだ。
「なにか、私に黙っていることは無いか?」
「え? 先輩にですか」
先輩の言葉に俺は心当たりを考える。ひょっとして、あれか。
「すいません。駄目と言われた猫へのオヤツを、一回だけ」
「え、ずるい! 私だって我慢――」
言いかけた羽衣先輩はコホンと可愛らしく咳ばらいをする。
「いや、そうじゃない」
じゃあなんだ。
こっそり猫を部屋の中に入れたことか。
まさか、置きっぱなしだった先輩のマントの匂いをこっそり嗅いだことがばれたのか?!
「あ、あれはほんの出来心で――」
「濡葉弥美のこと、お前達だけでコソコソ何かやっているだろう」
なんだそっちか。
俺は胸を撫で下ろす。
「……それはそうと。出来心とは何の話だ?」
「そんなこと言いましたっけ? ほら先輩、猫を撫でてあげてください」
羽衣先輩が猫に気を取られている内に、俺は言葉を選びつつ、ここ最近の弥美を取り巻く状況を説明した。
「少しは先生から聞いてたが。なるほど、そんなことになっていたのか」
と、目の前に飛び出してきた一人の男子生徒。
猫をこねくり回していた先輩から小さな悲鳴が上がる―――