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49 濡葉弥美の闇





 弥美の家は最寄りから電車で3駅。

 静かな新興住宅地の一角だ。



 夕方だというのに不思議なほど人気の無い道を歩きながら、時折頬に当たる雨粒の冷たさを感じていた。


 陽が傾くとまだ少し冷える。

 雨足が強まりだしたので折りたたみ傘を開く。



 間もなくスマホが目的地への到着を告げた。


 見れば表札にNUREBAの文字。

 ここが弥美の家か。


 住宅地の中、目立たない普通の二階建てだ。

 駐車場に車は無く、人の気配も無い。


 チャイムを鳴らしたが、返事は無い。


 しばらく待ってからもう一度鳴らす。


 3度目、俺が手を伸ばすと、二階のカーテンがゆらりと揺れた。


 もう一度チャイムを鳴らそうか迷いだしたころ、インターホンからサアッと雑音が聞こえた。

 俺は咳払いをして話しかける。


「すいません。私、弥美さんの友人の笹川といいます。弥美さんはご在宅ですか」


 無言。

 

 しかしインターホンはまだ繋がっている。

 俺はもう一度話しかける。


「あの私、弥美さんの友人で」

『……何しに来たの?』


 抑揚のない弥美の声。

 俺は一瞬くじけそうになったが、心を奮い立たせて言葉を継いだ。


「最近、休んでいたから心配で。具合はどうだ?」

『ご心配おかけしました。大丈夫ですので、お引き取り下さい』


 拒絶。


 壁の存在を感じた俺は考えるより先に声を上げた。


「待って! 君と話がしたい」

『私の方は話は無いです』

「切らないで!」


『近所迷惑なので大きな声、出さないで』

「俺、今まで君ときちんと話をしてこなかった。だから、一度ちゃんと話がしたい」


 続く沈黙。


『……今、出ます』


 インターホンの切れる音がブツリと響く。


 玄関の前で待っていると、扉がドアチェーンを掛けたまま小さく開く。


 隙間から、弥美の姿が見える。

 ボサボサの髪と虚ろな瞳が暗い部屋の中に浮かび上がる。


「……何の用ですか?」

「急に来てごめん。学校に来てないから心配でさ」


「悠斗さんも知ってますよね。私の悪い噂」

「まあ、一応。大丈夫、噂なんて信じてないから」



「本当なんです」



 弥美は押し殺した声でもう一度、本当なんですと繰り返した。


「私、前の学校で騒ぎを起こして、いられなくなって。それで転校してきたんです」

「そうなんだ。ごめん、嫌なこと思い出させて」

「私、こうと思うとどうしても気持ちが抑えられなくて」


 弥美の肩が震えだす。


 固く握られた拳が血の気が引いて白くなっているのが分かる。


「クラスのみんなだって私のこと面白がっているだけで、誰も分かってくれないし、誰も助けてくれない」

「そんなこと無いって。花音も朔太郎も先生も凄く心配しているぞ」



「……悠斗さんは?」



「え? もちろん俺も心配――」


 弥美の瞳が瞬時に赤く燃え上がる。

 俺の言葉を遮り、弥美は金切り声を上げた。


「分かっています、悠斗さんが私のこと避けているのは! 中途半端に同情するのはやめてください!」


 俺は思わず言葉を失う。


 彼女を避けていたのは確かだ。

 同情、と言われればそうかもしれない。


 答えの出せない俺の前で、弥美の瞳から涙がこぼれ落ちる。


「なんで、なんで私……」


 押し殺した鳴き声が、悲壮な嗚咽に変わっていく。


 俺はただそれを聞くしかできない。


 どのくらい時間が経っただろう。

 泣き疲れ、時折しゃくり上げる弥美に俺は静かに語りかける。


「なあ、一つ聞きたいんだけど。転校初日、なんで俺に声をかけたんだ?」



「分からないんです」



「え。分からない?」

「何故だったか、分からないんです。悠斗さんなら私のこと分かってくれそうだって。私を否定しないって。一緒にいてくれるって思ったんです」


 そう言うと弥美は黙り続けた。



「……弥美に話さないといけないことがある。最後まで聞いてくれ」


 彼女は空洞のような瞳で俺を見返した。


「会ったばかりの弥美に声を掛けてもらったり、羽衣先輩や葉世里がやけに簡単に俺との距離を詰めてきたり、俺にとってはありえないことが沢山起きているんだ」


 前の学校で起こったことは俺にどうこうできることではない。


「信じてもらえないかもしれないんだけど、その直前に占い師から買ったお守りのせいかもしれないんだ」


 だが、この学校で起きたことはきっと俺のせいだ。

 このお守りが無ければ弥美も自分を押さえて、平穏な生活を送れていたかもしれない。


「お守り……?」

「占い師が言うには、それを持っていれば自分の内面や中身が女性に伝わるらしくて。初対面の相手にも親友や幼馴染みたいに自分の中身を知ってもらえるらしいんだ」


 お守り、占い師、不思議な力、か。


 弥美には俺はどんな間抜けに見えているだろう。

 思わず自嘲気味に唇をゆがめる。


「……ずっと半信半疑だったんだけど、これだけ色々なことが起こると信じざるを得なくて。それで、弥美に俺との距離を勘違いさせちゃったんなら責任は俺にあると思うんだ。だから、俺は――」


 勢いよくチェーンを外す音。


 飛び出してきた弥美は思い切り俺の頬を叩いた。


「……ごめん、いきなりこんなこと言われても困るよな」



「信じます」



「え?」

「言いましたよね。あなたの言うことは何でも信じるって」


 そんなこと言われたことは無いが、多分、彼女にはそんなことは関係ないのだろう。

 弥美は俺に詰め寄ると両手で胸倉を掴む。


「あなたの言うことなら、なんだって信じます! 不思議なお守りだろうと世界の終わりだろうと全部全部!」


 再び、弥美の身体から感情があふれ出す。


「弥美、ちょ、ちょっと落ち着こうか」

「私が何を怒ってるのか分かりますか?」

「え? えーと、その」


 難問だ。正直良く分からない。


「あの、せめてヒント――」

「私の気持ちを疑われたのを怒ってるんです! 魔法だろうと洗脳だろうと、私の気持ちだってことに変わりはありません!」


 弥美は俺を突き飛ばし、足を踏み鳴らす。


「悠斗さん、そんな風に思ってたんですね! 私のこと、そんな風に!」


「だから、少し落ち着いて」

「帰って! 話なんてしたく無い!」


 これ以上は無理だ。

 一旦出直した方が良いだろう。


 諦めて俺が帰ろうとしたその矢先、弥美の瞳に怯えの色が浮かんだ。


「弥美、あなたこんなところでなにしてるの」


 突然聞こえた冷たい声。


 振り向いた俺は一瞬、弥美がもう一人いるのかと驚く。

 よく見れば年齢がずっと上の大人の女性。


 言うまでもない。

 この美女は弥美の母だ。


「あの、僕、弥美さんの友人で笹川といいます。今日はお見舞いに来たところで」


 彼女は俺に目もくれず、固まる弥美を冷たく見下ろした。


「そうなの? 弥美」


 先程までの激情はどこかに消え、弥美は萎れた花のようにうなだれた。


「あ、はい……。でも」


 弥美の母親は呆れたように弥美の姿を眺める。


「なに、その恰好。みっともない」


 弥美の顔は青ざめ、小刻みに震え出す。

 そんな弥美の姿に母親の侮蔑の表情はさらに深まる。


「弥美、あなたは家に入ってなさい」

「お母さん、私……」

「入ってなさい」


 有無を言わせぬ口調。

 弥美は静かに家に入る。


 俺はいたたまれずに立ち去ろうとしたが、母親の視線は今度は俺を捉えた。


 身が固まる俺を値踏みするように眺める。


「笹川さんでしたっけ。お見舞いに来てくれて、ありがとうね」

「あ、いえ。却ってなにかお邪魔だったみたいで」



「そうね」



「え」


 余りの言葉に俺は耳を疑った。いやまあ、俺がそう言ったんだけど。


「あなた、今日はもう帰りなさい」


 既に俺への興味を失ったようだ。

 彼女は玄関の扉に手をかけた。


「今日だけじゃないわ、うちにはもう構わないで」

「あの、でも」

「次は警察呼びますから」



 俺を見もせずに言い残すと、眼前で玄関の扉が閉まった。



           ◇


 

 頬を冷たい雨粒が叩く。



 一つ。


 

 二つ。




 五つを数えた頃、ふと気付く。

 弥美の家先に傘を忘れてきたようだ。


 取りに戻る勇気は無い。



 弥美と母親。

 二人を思いながら、俺は雨の中を歩く。



 俺は幼い頃に両親を亡くしている。


 それでも俺は独りではなかった。

 桃子さんがいつも一緒にいたし、花音も当然のようにしょっちゅう家にいた。


 いつからか、桃子さんにばれないように布団の中で泣くのが上手になった頃。


 両親の面影が自分の中から薄れているのに気付いた。


 


 ―――濡葉弥美。


 彼女は親も一緒に居て、独りではなかった。


 でも彼女は独りだったのだろう。


 家族と一緒に居ても、きっと彼女は独りだったのだ。


 いまでもきっと、誰にも知られずにどこかで涙を流しているのだ、

 いまでもきっと、家族に囲まれて、独りなのだ。


 

 ……雨足が強まってきた。

 雫が額を伝って顔に流れてくる。



 ―――ただの俺の妄想なのかもしれない。


 勝手に彼女に自分を重ねて、ストーリーを作っているだけかもしれない。



 脳裏に弥美の怯えた瞳が浮かんで、消えた。


 俺が何をすればいいのか。



 ではなく――何をしたいのか。


 


 俺の気持ちは決まった、




 ……弥美を独りにはしない。




全57話、ハッピーエンドで完結です。

もうしばらくお付き合いください。

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