6話 邂逅
何が、起きた……!?
今の今まで、俺はただ歩いていただけだ。下校中、途中で九条さんと別れて家に帰るために公園を突っ切ろうと……。
だが、何かに吹っ飛ばされた。
「くっ……」
あまりの勢いに、俺はかなりのスピードで転がる。
「ガッ…………はぁ、はぁ……」
…………ようやく止まった。多分だけど10mは転がったぞ。下が草原で助かった。これがコンクリートやアスファルトだったと思うと……ゾッとする。
いきなり何なんだよ! 訳が分からな――
「…………ッ!!」
――――痛い!
幸いにも血は出てないみたいだけど、痛すぎる。今まで感じたことのない痛みが背中に走る。転がりながら左腕も引きずって、そこも痛い……!
……クッソ、誰だ、こんなことする奴は。
一応は辺り見渡しながら歩いてたけど、誰もいなかったし、そもそも足音なんてさっきまで全くしなかったぞ。広い草原、砂利の道、誰かがいればまず気付く。それが年配や子ども、または同年代、誰であれ普通に気付く。
「ガバッ……! はぁ……はぁ……」
息が乱れる。上手く呼吸ができない。落ち着くのに時間がかかる。
いきなり誰だ? 不審者か。
……もしかして、あの殺人事件の犯人か!? そうだ、吹き飛ばされる前に聞こえたあの獣みたいな唸り声は何だ? 野良犬? 訳分からねぇ。
とりあえず無理にでも立たないと。現状の確認を……。
「いって……」
左腕を抑えながらなんとか立ち上がる。まぁ、もちろん痛みはある。ぶっちゃけるとめちゃくちゃ痛い。けど、少しなら動ける。骨は……大丈夫そう。
立ったからには、早くここから逃げないと。また襲われるかもしれない。
…………襲われる? 誰に? そうだ、まださっきの奴が近くにいるはずだ。あの殺人事件の犯人だとしても、せめて顔を確認しなければ。
そう思って、振り返るとそこには――――
「グルルルルル………」
また聞こえたあの唸り声と共に――――化け物がいた。
「な、何だ……こいつ……」
頭の理解が追いつかない。言葉を失う。
目の前の化け物をどう表現すればいいのか……狼みたいな風貌だが、サイズが俺の知ってる狼とかけ離れている。多分、俺と同じくらいの体躯がある。おかしくないか。大きくてせいぜい1mだろう。俺だって身長は174cmあるぞ。かなり高いとは言えないかもしれないが、やっぱりこの大きさは異常だ。
それに、この化け物の明確な輪郭がないようにも見える。何と言えばいいのか……常にぼやけているようにはっきりしない。全体的に黒く、暗い。まるで揺らめいている影のようだ。そんな真っ黒な風貌のなか、一際目立つように眼は紅く光っている。
四つん這いになっているが、前足の爪がとても鋭くも見える。いや、輪郭はぼやけているけど、それでもそのように見えてしまう。
「……ッ」
「ガルルルルッ……!!」
――――視線が合う。
この化け物が何を考え、俺をどう見てるのか分からないけど――敵意はかなり伝わってくる。その敵意はどこから来ている? こちとら初対面だぞ。
いや、意思すらあるのかも不明だ。ただ目の前の敵を殺るための機械にも見えてしまう。
何かを欲しがっているのではなく、邪魔だから、という理由で動いているようにも感じる。
例えば、人間からゴキブリを殺すみたいな。明確な理由などあるわけもない。でも、殺す。他の虫とは違う。ゴキブリだけ、人は確実に殺そうとする。
そんな感じのように思えてしまう。ダメだ、焦りすぎて自分でも何言ってるか分からない。
「――――――――」
…………それくらい、恐ろしく、不気味な存在だ。
逃げないといけない。――――分かっている。
頭では理解している。――――でも、背中を見せては危険すぎる。
俺はゆっくりとジリジリと後退する。家からけっこう離れることになるが、ここから離れることが先決だ。公園から離れたら追ってこないことに淡い期待を寄せて逃げる手段を取る。
化け物は俺を吹っ飛ばしてから動いていない。こちらを睨み、さっきから唸り声を上げているけど、何だ? 様子を見ているのか。尚更逃げの動作を見せるほうが危険かもしれない。ゆっくりと、ゆっくりと下がる。
「……はぁ……はぁ…………」
動悸が速くなる。冷や汗が止まらない。背中が冷たい。乱れすぎて息が整わない。
まだ化け物は動かない。何を見ているのか、何を考えているのか、何も感じないのか…………この化け物からは何も読み取れない。
「うっ」
後ろに下がっていると、足元がふらついてバランスを崩してしまう。
――――これはとうとうヤバい……! そう思ったけど、まだ化け物は動かない。
「ガルルルッ…………」
まだ唸り声をあげながらこっちを見ている。
何を考えているのだろうか……息が詰まる。緊張が解けない。
体制は整えた。このまま、公園から逃げられるか?
一度この化け物に吹っ飛ばされているのに襲ってこない。野良犬とかならまた突っ込んできそうだが……。
「――――――ッ」
この化け物のゆらゆらと揺れる影が、紅く光る眼が、鋭利そうな爪が……俺にとても恐怖を募らせる。
俺はどうすればいい? 本当にこのまま逃げきれるか? この化け物はもう襲ってこないのか? そもそもどうして俺に攻撃してきた? 敵意むき出しなのに、コイツは何がしたい? 何が目的だ? 昨日の犯人はお前なのか?
次々に湧き出る疑問に気を取られすぎた。だから、この異常事態でも俺はあることに気付かなかった。
――――え?
「足が……」
――――動かない?
さっきから後ろに下がっているとつもりだった。なのに、化け物との距離が変わっていない。あの化け物が動いていない……つまり、俺も動けて…………。
「……は?」
――――そして気付く。足元に何か絡みついていることに。
何だよ、これ……。意味が分からない。見たことないモノ。
パッと見、何か泥が俺の足に纏わりついているように見える。だけど、特に絡みついている感触がない。……いや、これ泥か? 泥というよりかはハッキリしない、揺れている影。この影、あの化け物の姿と似ている……? アレの一部なのか?
「クソっ」
感触がない。だけど、動けない。だから今まで気付けなかった。
頑張って足を動かしても、ここから1歩も動けない。離れることができない。
「……ハァ…………」
化け物は息を吐き出しながらジッとこちらを睨んでいる。しかし、さっきよりも、何も感じ取れなかった時よりも、明確な敵意を感じる。眼の光りがどんどん明るくなってくる。より鮮明な紅に染まる。
動けないなか、身構えていると、フッ……と纏わりついてた何かが消える。そう気付けたのは少しでも逃げようと後ろに体重をかけていたから。
咄嗟のことで、思わずバランスを崩す――――と同時に。
「ガ……ハッ……!」
思いきり化け物に体当りされた。
真正面から腹めがけて攻撃を喰らった。避けるなんてできない。
「くっ……」
マトモに腹に攻撃を貰い、さっきよりもかなりの勢いで転がってしまう。
しばらく転がりつつも、なんとか止まった。……いって! クッソが。最初攻撃されたときよりも転がったぞ。
「ゲボッ、ゲホッ……」
思わず咳き込む。
もうここにはいられない。すぐに逃げないと!
そう思って、立とうとしたけど。
「あれ……」
また倒れた。
全身に力が入らない。痛みで立てないわけではない。踏ん張ることができない。虚脱感が俺を襲う。
えっ……何だこれ。全身が気怠いのか? それとも貧血? いや、目の前の化け物から攻撃されたけど、特に血は流れていない。地面が草原なのが幸いした。ただ、逃げないといけないのに冗談抜きで立てない。それだけのこと。
おかしいだろ。なんでだ。ただの痛みだけなら無理矢理我慢すれば少しは動ける。そりゃ程度にもよると思うが。致命傷とかならまず無理だろう。
だけど、今回は違う。確かに痛みはある。別にそれが耐えられない痛みではない。もちろんアホみたいに痛いことに変わりはないが。それでも動ける……はずなのに、これっぽっちも動けない。こんなこと初めてだ。
倒れ込んだまま手で支えて起き上がろうとするが、やっぱりできない。そうこうしているとまたあの化け物が突っ込んでくるのに。
――――急げ、早く動け……!
「ガルルッ……!!」
視線を上げる。またこっちに来た。かなりのスピード。動けない俺は当然避けれるわけもない。
その鋭い爪が、何でも噛み砕きそうな牙が、俺の息の根を止めるために襲いかかる。
「…………ッ」
動けない俺に抵抗なんてできずに、ただ眼を閉じて終わりを待っていた。
脳裏に浮かぶのは、大地震と同じ記憶。全て失って、独り彷徨って、燃え盛り崩れてきた瓦礫が俺にぶつかる――はずだった。そこで俺の命も終わるはずだった。
そのはずなのに――――
「……………………え?」
化け物が俺の目の前で止まっている。まるであの時、瓦礫を吹き飛ばした時のように。
いや、止まっているというのは語弊がある。正確には、俺の目の前で何か壁ができている。直径2mくらいの薄い円形の蒼い壁。それに弾かれて進めないようだ。横に迂回しても、謎の壁が追尾して防いでいる。
何がどうなっている? ダメだ、脳の処理が追いつかない。目の前で色々なことが起きすぎている。俺が今まで生きてきた中で見たことのない光景ばかりだ。
俺が目前の光景に唖然としていると――――
『ほら。今ならアイツは君を追いかけてこれないよ。急いで離れなさい』
――――頭の中から、とても綺麗な女性の声が響いた。
これは既視感がある。昨日殺人現場を見に行った時に何か聞こえた。それと同じ声。
「え?」
だが、いきなりの出来事に頭がついてこないのも事実。地面に這いつくばったまま動くことができない。
『え? じゃない。少しは君のその気怠さを軽減したから、早く逃げなさい。自己紹介は後でするから』
ほ、ホントだ。痛みはあるし、まだ体が重いけどいつの間にか動けるようになっている。
謎の声の言う通りにしてここから急いで離れる。幸いにも、家の方向へと走れる。吹っ飛ばされたのが家への方角だった。そんなの気にする余裕なんてなかったからな。
「ハァ……ハァ…………」
普段しない全力疾走で公園を走り抜けた。2分で道路に出ると、もうあの化け物は追ってこなかった。……いや、もうそこにはあの化け物の跡形もなかった。
地の文が多いと書くのが大変
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