23話 思い出したくない過去と忘れてはいけない過去
辺り一帯は火の海だった。
街は崩れ、瓦礫ばかり。燃え盛る街は混沌としている。
崩れた家からは助けて……と誰かの声が聞こえる。周囲は泣き声が絶えない。無事な人もケガを負い、火傷もしている。パニック状態だ。
消防隊員は消火活動を行い、できる限りの人を救おうとしていた。
もう亡くなった人もおり、亡骸を泣きながら抱きかかえている人もいた。
彼はそんな地獄を歩いていた。
なんてことのないごくごく普通の秋の朝――――突如として震度7の地震が天生市を襲った。それが始まりだった。
天生市は耐震化が進んでないような木造の家が多く、一瞬で砕け散った。
地震が発生した時刻は、そこに住んでいる母親が朝ご飯を作る時間。つまり、火やガスを使う時間帯だったのだ。料理をしたり、秋とはいえ肌寒い季節が続き、ストーブで暖を取ったりする家庭が多かった。
そのせいもあり、崩れた家屋には火が移り、大きな火災が天生市の一部を包んだ。
地震の規模も大きく、地下にある水道管が綺麗に破裂しており、水はすぐに使えなかった。なんと、完全に消化するためには半日以上の時間を要するほどだった。
そんな火の海の中、彼は独りで歩いていた。人の波に揺られ、ただただボーッと何も考えずに歩いていた。
彼の名前は――――□□葵。
彼が暮らしていた家も木造建築だった。当然、地震により家はあっという間に倒壊。
よくある一軒家に住んでおり、普段から一階で寝ていた彼は倒壊した家の下敷きになり、そこで彼の人生の幕が閉じる――――運命だった。
しかし、彼は生き延びた。
誰かが彼を助けてくれた。彼を愛してくれた人たちが彼を必死で逃してくれた。
そんな誰かは彼の代わりに下敷きになってしまい――――襲いかかる火の海に呑まれてしまった。
意外にも彼はそこで泣き叫ばなかったのだ。自分の目の前で、大切だった誰かを亡くしたのにも関わらず。……ただ、呆然と歩いた。生きる意味を見失い、訳も分からず、目前の情報を処理しきれず、ひたすら歩いていた。
途中、見知らぬ人が声をかけたが、その時の彼には声が全く届かなかった。声をかけた人たちも自分やその周りのことで手一杯で、それ以上深追いはしなかった。できなかった。
歩いている最中、一体何時間経った後だろうか、子供の足で何km歩いた頃だろうか。…………突如として、燃えた瓦礫が彼を殺すかのように落ちてきた――――が、彼は助かった。彼の知らない何かに救われた。
と、そこで彼はようやく足を止めた。尻もちをつき、ボーッと燃えている空を眺めているしばらく経つと、周りの人たちが彼に気付き始め、近くにある小学校まで運んでくれた。
避難所となった小学校では、あまりにも多くの人が押し寄せ、ごった返しとなり、パニック状態に陥っていた。彼は頬を深く切っており、そこだけ最低限の治療を受けた。といっても、傷口を軽く消毒し、ガーゼで傷を塞いだだけだが。そのせいで、彼には一生消えない傷跡が残ってしまうことになる。
そこからは、ひたすら体育館の端に座り込む日々だった。トイレに行きたくなったら、仮設トイレに行き、支給された毛布に包まってジッとしていた。夜には包まりながら寝て、朝には大人からおにぎりと水を貰う。それらをちょっとずつ消費し、あとは何をするわけでもなく、ただボーッとしていた。……何もしたくなかった。
周りはとても騒がしかった。それもそうだろう。天生市ではこんな災害は初めてなのだ。大人は慌ただしく移動し、子供や赤ん坊は慣れない状況に対して泣き喚く。相次ぐトラブルが続く。避難所運営はとてもじゃないけど、上手に事を運べていなかった。
そして、地震から1週間が過ぎたある日。避難所運営のボランティアをしていた1人の女性が彼の存在に気付く。
その彼女の名前は黒江奏。かなり陽気な性格をしており、わりと後先考えずに行動するタイプの人間だ。
夫である陽太郎と結婚して、3歳ほどの可愛い娘がいる、名前は凪という。そんなごくごくありふれた家庭。
幸運なことに家族共々無事であり、家に大きな被害はなかった。もちろん、家具などは多少なりと倒れたり、壊れたりはしたけれど、まだ比較的マシな部類に入るだろう。しかし、ライフラインはそんな簡単には復旧することなく、今の家で暮らすには困難な状況だった。
奏はある決断をする。それは夫と娘を天生市から離れた場所にある陽太郎の実家に預け、自分は天生市に居残る選択。
夫である陽太郎は反対したが、陽太郎には仕事がある。これから先どんな生活が待っているにしろ、お金がかかる。奏は陽太郎を何とか説得し、彼には仕事と娘の世話を集中してほしいと頼んだ。
そして、奏は家を守ると同時に、街の復旧を手伝おうと近所の小学校で避難所運営に乗り出した。
避難所運営当初は、多くの人が集まり、物資は不足し、トラブルは収まらない。彼女を含めた多くの人がボランティアとして率先と活動していたが、彼女の予想していた以上より過酷だった。
まだまだ問題は山積みだが、当初よりかはほんの少しは落ち着いたある日、奏はある少年の姿が眼に入った。
「……?」
少年は避難所である体育館の端っこに座っていた。時折寝ているときもあれば、起きてひたすらに慌ただしい体育館の風景を見ているように思えた。何か騒いだり、話したりするわけでもなく、恐ろしいくらいジーッとしていた。
まず、その少年は見覚えがなかった。黒江奏は自身の性格も相まってご近所付き合いはかなり得意な方だ。この辺りは小学校、中学校と避難所になる場所が多く、この小学校に集まっている人はほとんど黒江家の近所であり、顔見知りである。
それでも、その少年の風貌は遠くから見た限り、初めて見る子だった。そして、独りでいるのがとても気になった。
「ねぇ、あの子は誰? ずっと端っこで大人しくしてるけれど……」
避難所運営を一緒にしている人に訊ねる。
「……さあ? 分からないわぁ。ここでは見たことない子よね。どっかから逸れた子じゃないかしら。親御さんと連絡取ってあげたいけど、まだ電話線機能してないから……困ったわねぇ」
「だったらさ、直接聞いてみたら? 親御さんも心配だろうし」
「それにあの子全然喋らないのよ」
「へぇ……そうなんだ」
「ただでさえ、ゴタゴタしているから早めにどうにかしたいわ」
なるほど、と状況は理解できた。
「ところでさ、しばらくここから抜けていい? 夫たちも心配だし。一度様子見に行きたいの」
「え? ああ、もちろん良いわよ。黒江さん、今日までたくさん働いてくれたし、今はちょっとマシになったからね……。むしろ、しばらくはゆっくりしていて大丈夫よ。人もだいぶ集まってきたからね。ほら、早く旦那さんのところにでも行きなさい」
「ありがとね」
「えぇ。そもそも黒江さんの家庭、ここで避難生活しているわけでもないからねぇ」
「まあ、そうですね」
「あ、私物資の方に行ってくるわ」
訊ねた人にお礼を言う。その人はまたどこかへ手伝いに行った。
それから、彼女は彼の側まで歩み寄る。
彼と同じ目線まで屈み込み、視線を合わせる。すると――――
「……っ!」
彼女は思わず息を呑んだ。
とても驚くことに、彼の眼には光がなかった。とても濁っていた。まだ幼いながらこんな眼をしてしまうことに我がことのように心を痛めた。
しかし、彼女はすぐに心を落ち着かせ、彼に話しかける。
「ねぇ。君、お名前は何て言うの?」
「……………………葵」
「葵君かぁ。よろしくね。私は、奏っていうの」
「…………」
「それで、ご両親は?」
「……………………」
彼は首を横に振るだけ。
「うん……そっか」
彼女は悲しそうに目を伏せる。彼はこの年で重たい、残酷な真実を背負ったいるのだ。それを今ここで理解した。
もう一度彼の眼を見る。やはり、彼の眼は濁っており、生気はない。まるで、生きる意味が見出だせない……そんな気さえする。
「――――……よしっ」
彼女はある決心をする。
迷いはあった。それは第三者からしたら無謀なことだと思うだろう。ある人には笑われて、ある人には、ただいなる迷惑をかけるだろう。それは決して良いことばかりではないだろう。苦難な道が待ち受けているに違いない。それが幸福になるとは限らない。それが正解とは思わない。もっと良い道があるに違いない。
しかし、彼女は決めたのだ。それでも、選ぶと決めたのだ。決めたのならば、後は気にせず進むだけ。もう迷いなんてものは存在しない。
そして、黒江奏は葵に精一杯手を伸ばし――――――――




