ルントゥの誓い
――恐ろしい夢を見ているようだ。
深更に昇る下弦の月は半ば以上に欠け、その輝きは星の明かりに溶けてしまうかのように細く、弱い。
王の夜伽に出たファラの帰りを待つルントゥは、窓から夜空を見上げながら、この月が欠け切ったときに、この夢は覚めるのだろうか、と考えていた。
あの日、ルントゥはムガマ・オ・トウリを犯すファラを見た。
聖妃にムガマ・オ・トウリと会うことを禁じられた夜、サタハからすべてを教えられたファラは、ルントゥの胸に縋りついて頼んだ。
「彼に会いたい――」
崩れ落ちそうな瞳で自分の胸に縋る少女の言葉に抗うことのできなかった彼女の罪は、満月の下で少年を組み敷く白い少女の姿となって、彼女の前に現れた。
あの翠緑苑の夜の暗闇の中、一人、自分の肩を抱いてムガマ・オ・トウリの訪れを待っていたファラを案じて、草葉の陰からその姿をそっと見守っていたルントゥは、そこでその光景を見た。
それは恐ろしい夢でいて――しかし、また美しい夢でもあった。
月の光の化身のように皎々と輝く肌膚が闇に立ち、翠緑苑の水緑の静謐を汚して、喜色に満ちた女の香りが甘く薫った。
その香りが自分の身の内からも漂うものであると気付いたとき、ルントゥに生まれた感情は嫉妬だった。どうしてあそこに組み敷かれているのが自分でないのか。そう思う自分への驚きも少女の美しさを見つめる内に、夢が矛盾を混ぜ溶かしていくように、やがてどこかへ消えていった。
「ファラーレ様……」
恐ろしくも美しい夢の中で、ルントゥは溺れていた。彼女が愛する美しき白い少女はときおりの気まぐれか、それとも自覚をしての飼い餌遣りか、やわい唇で彼女の首筋に口をつけ、耳をくすぐる甘い吐息でいつもそっと「ありがとう」と告げるのだ。
これは鎖だ。それを知ってルントゥは、望んでその鎖に繋がれる。なぜならそこにしか、彼女の喜びはないのだから。
「けれど――」
夢は目覚めるから夢なのだ。
王が帰還した。ムガマ・オ・トウリは雨雲の祭りを受け入れ、次の新月の日に二人の仲は引き裂かれる。
「そのとき、私のこの夢は――」
そこでトントンと部屋の戸が叩かれる音がした。ルントゥが驚いて戸を開けると、そこに手燭を持った女官が立っていた。金彩の刺繍を施したコルナから王付きの侍女とわかるその女官は、後ろに奴僕を従えていた。その奴僕の腕に少女が抱えられているのを見てルントゥは叫んだ。
「ファラーレ様!」
ぐったりとして動かないファラの首筋に、絞められたような赤い痣が浮いている。瞬間的に沸騰しそうになったルントゥの頭に、女官の落ち着いた声が届いた。
「手当てはしてあります。彼女には安静が必要です。寝台はどちらですか?」
ハッと冷静さを取り戻したルントゥは、二人を部屋に招き入れた。
寝台にファラを寝かしつけ、その息が穏やかなことを確認すると、幾分か心に余裕のできたルントゥは女官に訊ねた。
「どうしてこのようなことに……」
それに女官は表情のない声で答えた。
「王様のご意志です」
有無を言わせぬ言葉だった。王は絶対である。太陽の御子であり、この国の民を導く太陽の神の神託を受ける、絶対的な存在である。その王の意志であるならば、万民はそれに従うだけである。それがここ太陽の土地の理であり法であった。だが。
「そう……ですか」
飲み下せぬ感情がその声の中にあることに、ルントゥは驚いた。この感情の在り処を求めて、彼女は眠る少女の顔を見る。
燭台の灯りの影を帯び、欠けた月のように儚く佇む白皙の少女の寝顔。
そして、その首筋に走る赤い指の痕。
「では、あとは頼みましたよ」
女官とその奴僕が部屋を出ていく。残されたルントゥはその場に立ち尽くし、じっと眠る少女の顔を見続けた。
ルントゥは堪えていた。震える身体を抑えるように強く拳を握り締め、彼女は必死に沸き上がる感情を堪えていた。理性は警告を告げている。その感情は不敬であり、自分の身を危険に晒す。しかしそれを理解してなお、抑えがたい感情が彼女の心を焼くように激しく燃え上がっていた。
それは――憤怒。
「――ルントゥ?」
そこでファラの目がうっすらと開き、ぼんやりとした瞳がルントゥの姿を映した。
「ファラーレ様!」
飛び付くように顔を寄せたルントゥに、ファラは小さな微笑みを見せる。その微笑みに洗われるような救いを覚えると同時に、この尊く美しい少女を傷めつけた者への怒りがルントゥの身体の内で、より一層の熱を帯びて燃え上がった。
「どうして、どうしてこのようなことに――」
「ルントゥ」
泣きそうな声で問うルントゥの顔に、ファラの手がそっと伸びた。
夜に冷えた指の先が、ルントゥの上気した頬に触れる。その冷たい指は、彼女の激情を掴むようにその肌にぴたりと貼りついた。彼女に抗う術など何もなく、縋るように添えられた少女の白く愛おしい手に触れる。
そして、ファラの瞳がルントゥの瞳を覗き込んだ。
「お願い――」
吸い込むようにルントゥの顔を招き寄せて、その耳元で甘い吐息とともに囁かれたお願いに、彼女の心は畏れ、震え、惑い、そして――、
「――この身を捧げましても」
誓った。




