閑話 ディート
「なんか凄く、楽しかったなぁ。久しぶりに息抜きが出来た気分だ」
食事処からの帰り道、昼食を終えた近衛の一人に護衛をしてもらいながら、俺たちは話に花を咲かせていた。
食事処では、ルオード様に、今までの食事を作っていた料理人を紹介した。
つまり、ユミルとカーリンなのだが、村人が交代で作ってたんですよと言った時の顔は見ものだったな。茫然自失といった感じだった。
そして、この村の、氾濫対策という事業を行うにあたり、色々と新しいことを模索して行くつもりでいるのだという話を、それとなく話した。
支援金を募り、河川敷を作って行くのだとしても、支援金だけでは足りない可能性が高い、大規模な工事となる予定だから。
その為、資金を運用し、増やす必要があるのだと、肩の怪我の為、熱を出し療養中のマルに変わって伝えたのだ。
工事に必ず必要なものを中心に、新しい企画、新しい商品、新しい人材の育成など、幅広く手を伸ばすことになる。
ただし、失敗するわけにはいかない。それなりに重圧はあるのだが、この事業を成功させる為だ。やれると思ったことはなんだってやってみるつもりだ。
さしあたり、この食事処では、料理人や村人同士が料理の情報を共有しあって、新しい料理を模索していくことにした。上手くやれば、同じ料理の腕を持った料理人が、複数誕生することになるし、新しい料理だって増える。
あまりに型破りな方法なので、きちんと結果が出るかが不安ではあるのだけど。
話すうちに、ルオード様は、眉間のシワを深くしていったわけだけれど、最後に大きく息を吐いて、
「君は、随分と変わったな」
と、言った。
「委細承知。ただし、姫には伝える。報告は私の義務だ」
「畏まりました。運営の仕方、共有した料理の作り方を資料として提出することも可能ですので、必要なら仰って下さい」
「…………そこまでするのか…………」
ルオード様が頭を抱えた姿を見たのは初めてだ。
クリスタ様に振り回されても、常に冷静な方だったからな。
「ところで、食事処で供給する食事の量ですが、賄いだけというのは、あの場所を使う以上、考えた方が良さそうですね」
ハインが、ふと思い立ったように口にする。やっぱりそう思うか。そうだよな。
「ああ、案外覗きに来てる人が居たよな。俺に関わること事態を避けられるかと思ってたんだが……ちょっと意外だった」
そうなんだ。
案外村に住む者たちが見に来てたんだよなぁ。
いつから食事が出来るようになるのかと聞かれている近衛までいたのだ。慌ててまだ試験営業だと伝えたのだけれど、凄く残念そうにされた。
「作る食事の量を増やして、村の者にも提供する方が良いのかな……。
しかし、何食作るかという問題がな……。
賄い作りは作る分量が定まっていたから、費用を必要分だけに絞ることが出来たけど、不特定多数にとなると、うーん……」
「天候や内容によって偏りが出るかもしれませんからね」
「そういえば、マルに、食事の時間が同時にならない弊害についても言われたんだよな。
近衛の方々も、仕事の形式上、交代で食事をすることになるだろうし、誰が食べて誰がまだか、管理しにくいって。
そうなると、下手に村人に提供してると、後で足りないなんて話にもなりそうだし……ちょっとそれはなぁ……」
ああそういえば、あの時は、効率化民族に相談しようって結論で、保留されたんだ。
効率化民族……つまりサヤな訳だが……。
「サヤ、何か良い方法ってあるだろうか」
「そうですね。私の国では、食券を発行して食数管理をしている店がありましたよ」
即答で返って来た…………。
一秒たりとも悩まなかったな……流石効率化民族。ありとあらゆる部分の効率化は既に検討済みか。
「詳しく教えてもらえるか?」
「はい。まあ、難しいものではないですよ。
あらかじめ、提供する日時、内容を定めた食券を販売するんです。
その券の売れた数だけ食事を作り、提供します。お金だけ払って食べずにいる人なんて、そうそう居ないでしょう?」
「確かに!」
「店に来た人は、券を店員に渡し、食事を受け取るんです。前もってお金を貰っているので、安全性も高いですし、品も決まっているので下準備を進めておけます。だから、お店の回転率も若干上がるのではないでしょうか。
券との引き換えとなるので、渡し間違いや、渡しそびれといった失敗もしにくいですし」
「券を持っていない者には食事を売らぬのか。へぇ……よく出来ている」
近衛の方の相づちが入った。
ちらりと視線をやると、爽やかな長髪の美丈夫だ。
長髪って、成人前……か? 成人前から職務についている人って、珍しいな。自分以外では初めて見た。
つい口から出てしまったらしく、口を押さえて「失礼」と、謝罪を述べられた。いいえ、お気になさらず。と、かえしておく。
「仕入れの日から逆算して、数日前に食券を発行しておくのが無難でしょうか……。
売れ行きがある程度好調で、売上の見込みが立つようならば、何食作ると決めて、その分を後から販売しても良いと思います」
「券を偽装したりはされないのですか」
「印を押すとか、木片に刻むとか、偽装しにくい方法はいくらでもあります」
「よし。じゃあ、マルにもその案、相談してみるか」
サヤの国で使われている手法なら、実用性は高い。まず通るだろう。そう思いつつ、近衛の方の前では話を流しておくことにした。
館に戻ってくると、ハインが持って帰った昼食をマルへ提供しに行く。作りたてだから、温め直す必要も無い。
マルは現在、肩の傷が熱を持ってしまい、床に伏せっている。
そして今日は午前のうちから食事処に赴いていたので、今からが日常業務となるのだ。
執務室に向かおうとすると、近衛の方に呼び止められた。
「交代が来るまで、護衛の任を続行させて頂きますが、同室は控えた方が良いでしょうか? それならば部屋の前で待機致します」
仕事内容を見ても良いのか、問題があるようなら外で任務にあたる。と、気を使ってくださった様子だ。今から行うのは日常の業務だし、見せられない書類は後回しにすれば良い。見られて困るものは無い筈だ。
「構いません。中へどうぞ。
それから、近衛の方に畏まった口調で接せられるのは居心地が悪い……私は成人前の若輩者ですし……貴方よりも年下だと思いますから」
丁寧な口調に尻込みしてしまうので、どうか普通に喋って欲しいと、お願いしてみたのだが、
「御子息殿はおいくつですか」
「十八です」
「ああ、では辛うじて、私の方が年上なのか」
近衛の偉丈夫はそう言って、微笑んだ。
改めて見ると、青紫色の髪に、茶褐色の瞳。凛々しく整った顔立ちの方だ。
近衛の方って……なんか総じて見目の良い方が多い気がしているのは、気のせいなのか?
「では、お言葉に甘えて。
俺は十九。一つじゃあ、大した差じゃない。それに、御子息殿は数年領主代行を務めていると伺っている。敬うのは当然と思うが……居心地の悪さは、俺も日々感じることが多いことなので、気持ちは分かるから、お互い、口調は普段通りにするということで如何だろう。
ああ、俺はディートフリート・アウレール・ヴァイデンフェラー。貴殿と同じく男爵家の出だ。同格で、跡取りでもないから、それが一番自然と思うが、如何?」
そんな風に提案されてしまった。
まあ、俺としては別に、構わないが……。良いんだろうか。出身が同格だろうが、彼は近衛。その位だけで俺よりよほど敬われなきゃならないのだが……。
「ああ、三ヶ月後の成人までは、仮隊員だ。今回の抜擢は、貴殿と出自、年が近いから、貴殿の負担にならぬだろうと、抜擢された。一番下っ端の雑用要員だから、遠征に出られて感謝してるくらいだ、気にするな」
爽やかにそう言われてしまった。
クリスティーナ王女……なんて気配りの行き届いた方なんだ……普通、そんな細やかなことまで配慮しないと思う。たかだか男爵家の、しかも氾濫対策なんて瑣末ごとに。
「姫様は、素晴らしい方ですね。お会いしたこともない俺に、そんな細やかなことまで……」
「ああ、美しくて聡明で、素晴らしい方だ。少々跳ねっ返りだけどな」
片目を瞑って、そんな風に茶目っ気たっぷりで言われてしまった。ふ、不敬にならないのか? 俺には怖くて無理だ……。
「俺は姫に、貴殿の人となりを見てきてくれとも言われてる。
だから、上部より、普段の貴殿を見たい」
「……承知しました。
じゃあ、普段通りさせてもらいます。俺のことは名で……レイと呼んで下さい」
「ああ、レイ殿、俺もディートで頼む」
なんか妙なことになったなぁ……。
内心そう思ったものの、近衛の中に、気さくに接して良いと言ってくれる人がいたことは嬉しい。正直に、人となりを見ると宣言した、裏表の無い態度にも好感が持てた。
どうせルオード様にも見られているのだから、今更何人増えたって構わない。そう思ったので、了承しておいた。
ついでに従者のサヤと、先程まで居たのがハインだと紹介しておく。
ぺこりとお辞儀をするサヤに、黒髪は初めて見たなと感心しきりに、ディート殿は言った。
「私の国では、珍しくもない色なのですが、この辺りにはあまりいらっしゃらない様ですね」
「異国の者か。先程の話も感心した。貴殿は商家の出か?」
「いえ。ごく普通の一般家庭です」
「……その割に、色々と、物知りなのだな」
「学友に、商家の者もおりましたし……」
言葉を濁し、微笑むサヤ。
学舎の様なものに通っていたのだということは、それなりの良家だろうと、ディート殿は見当をつけた様子だ。
「そうか。では貴殿も、俺のことはディートと呼んでくれ。俺もサヤと呼ばせてもらう」
「従者の私が? 良いのでしょうか……」
「良い。家名で呼ばれるのは好かんのだ。長いんでな」
そんな風に肩を竦めた。愛嬌のある方だな。サヤもくすくすと笑う。
「ではディート様。何かございましたら仰ってください」
「お。そうか、ならな……」
サヤは、用があれば言って下さいとか、そういった意味で発言したのだと思う。
だがディート殿は、それに気付かなかったか、あえて気付かないふりをしたのか、ズバリと切り込んできたのだ。
「その年で結構な手練れだ。
どういった修練を積めば、そんな風になる」
「……どう、いった……?」
サヤもびっくりして、言い淀んでしまった。
答えるのは簡単だ。同じことをルオード様にも問われている。ディート殿は、何かを勘ぐってる風ではなく、とてもあっさりとした雰囲気だったのだが、つい俺の方が、過剰反応をしてしまった。
「サヤは、幼い頃に無体を働かれたことがある! 身を守る為に身につけた武術だ、努力の賜物であって……」
「お。そうなのか。だが、そんな、気持ちだけの問題じゃない。
凄いよ。俺が凄いと思う相手はそういやしない。あの時……騎士らに剣を向けられてた時、お前、不思議なことをしたろう。どうやった。俺はあの時、背後からすら、お前を攻める手立てが浮かばなかった」
いつの、何を言っているのか。それでやっと分かった。二日前の、マルを背に庇い、本気を出すと、宣言した時のことだ。
確かにあの時、闘気が爆発的に広がって、まるで攻められる気がしなかった。
だがサヤは、意味が分からないといった風に、こてんと首を傾げてしまったのだ。
「私、何か特別なことを、やってましたか?」
………………え?
「やったろう⁉︎ 二日前の、あの時だぞ?」
「はい、いつの何について仰ってるのかは、理解したのですが……私があの時意識したことといえば、視野を、個を見ることから広を見ることに、切り替えたくらいで……別段何も」
心底不思議そうに、ディート殿を見上げて言うのだ。
「はぁ? 個から広? それはどういう……?」
「視野の切り替えです。人は普段、意識しない時は、注視したいもの一点を見ますよね?
あの時は多数を相手にしなければならなかったので、全体的な把握ができる様、視野全体に意識を散らせたんです。
でもこれは別段……特別なことでもないと思うのですが……」
「視野全体を?……こうか?」
「全体をぼんやり認識する感じです。ディート様なら、動くものがあれば、間合いや相手の動きは感覚で、身体が反応するのではないですか?」
「そうだな、確かに……手練れを相手にする場合特に、感覚だな」
「ええ。どうせ見て動いてないので、視界にあれば感覚で反応出来ます。慣れると、視界の少し外くらいは、雰囲気で察することが出来るというか」
「ああ、成る程」
何が成る程⁉︎
達人同士の会話なのだろうか、これは……。
凄く納得した雰囲気のディート殿が「有難う、練習してみる」「お役に立てたなら、良かったです」と、言葉を交わす。
…………納得してくれたなら良いか。
「あ、申し訳ありません。業務に取り掛かります」
「ああ、俺も邪魔立てしてすまなかった」
そこからは、交代の近衛が来るまで、終始無言だった。
ディート殿は護衛ついでに練習をしているのか、たまにゆらりと、気配が動く。しかし本人は扉横に直立したままなのだ。なんか、気持ち悪いなぁ……意識だけが動き回ってるみたいで。
サヤはそんなディート殿を気にするでもなく、作業をしている。彼女の場合、あんな風に気配が動くことも、日常茶飯事なのだろうか……。
交代の近衛がやって来る頃には、俺の精神は結構消耗していた。
動く気配が、気になって仕方がなかったんだ……。
「うーん……結構難しいな。
ちょっと意識し忘れると、すぐに普段の視野になってしまう」
「慣れの問題です。
短時間出来るだけでも、結構価値はあると思いますよ」
「ふーん……まあ、良いことが聞けた。また良かったら教えてくれ」
「私でお役に立つことがあれば」
にこやかに笑ったディート殿は、俺に視線を向ける。
「レイ殿も、素養はあると思う。俺の気配に結構反応していた」
俺が、帯剣していないことを、言っているのだなとすぐに気付く。
だがこればっかりはね。今更だ。
「俺は、右手が少し不自由なんです。剣を握って振ることが、出来ませんから……」
「それも伺っている。だが、剣を振ることに拘るのは貴族だけだ。
俺は、なんであれ、自身を磨くことに意味はあると思う。実際、何かやってるんだろう? 剣を捨てたにしては、こなれている」
驚いてしまった。
貴族出身の方に、そんなことを言われたのは初めてだったのだ。
まさか近衛の方の口から、剣に拘るのは貴族だけだなんて発言が出て来るとは……。
俺の表情に、だいたい察してくれた様子で、ディート殿は肩を竦める。
「だってな。立ち位置に高低差が出来ただけで、剣はあっという間に不利になる。
剣しか出来ないんじゃ、不利だろ」
ルオード様には、あまり良い顔をされないがな。と、そんな風に笑うのだ。
「俺は、努力すること自体の価値を知ってる。
レイ殿が、もう少し上を目指したいと言うなら、ここにいる間は付き合える。よければ声を掛けてくれ」
そう言って、手を振って部屋を後にした。交代に来た近衛の方が、苦笑している。あの方の発言が破天荒なのは、今に始まった事ではないらしい。
成人前で、本音を隠しもせず、それでも近衛になることを約束されている、男爵家出身者。
異色だ……。あんな人も、居るんだなぁ……。




