裏技
沈黙が続いた。
ルオード様は、表情を固め、ただ俺を見ている。
俺もルオード様を見つめていた。こちらから視線を逸らすつもりは無かった。
虚言は色々吐いたが、主張が間違っている気はしていない。
サヤがただ、クリスタ様を思いやって、知識を晒したことは疑いようがないし、クリスタ様の体質が病だろうが、呪いだろうが、どうだっていいというのも本心だった。
俺は、ここでサヤが口にしたこと全てにおいて、自身の利益の為の発言はないと断言できる。だから見て貰えば良いと思った。見ていれば、サヤがただ優しいということが、ちゃんと見える。そう思ったのだ。
「斬るのは、君からなのか」
「ええ。責任は私の元にありますから。ああ、マルはお咎めなしでお願いします。
サヤの知識を、サヤからだと言って提案したところで、まともに取り合ってもらえないと思いましたから、マルに身代わりをお願いしたのです。学舎主席の肩書きはやはり有効ですね。誰もが彼の案だと疑いもしませんでしたから」
「我々も、見事に踊らされたわけか」
「言っておきますが、あれは確かに素晴らしいものですよ。
マルもそれを認めたから、この様な役を引き受けてくれたのです。
それとも、マルではなく、サヤの知識だと知ってしまったら、価値が違ってくるのですか?」
俺の挑発に、ルオード様の眼光が鋭くなる。
が、腰の辺りにあるサヤの手が、キュッと握られ、小さく俺を叩き、抗議しているのが分かって、つい苦笑が漏れてしまった。
ん。ガラにもないことをしているとは思う。けれど、マルではなく、サヤなら価値が下がると思うような方ではないと知っているから、こうして釘を刺してるんだ。この方は、きっとちゃんと評価しようとされる。サヤを疑ったからといって、それで目が曇ったりはしない。そんな方だ。だけど、さっきの言い方は俺もちょっとカチンときたんだ。嫌味くらい許してくれ。
「……そこまで覚悟をしていると言うなら、そうさせてもらおう。
土嚢の有用性を見極める任務と共に、その子供も見極めさせてもらう。
だが、信頼のおけない者を、クリスタ様に近づける気持ちは無い。クリスタ様は、館の方に滞在させて頂く」
あ、それなら家具の手配もないし、丁度良い。ていうか、むしろ嬉しい。そう思ったのだが、何故かサヤが、抗議の声を挟んでくる。
「あの、それは、いけません。
あっ、その……ほ、本館では、理由無しに、壁紙や、帳を、クリスタ様用に調整しては、下さらないと思うのです……。その……失礼がない様に、対処はされるでしょう。けれど、それは、クリスタ様には、色々な意味で、負担になるかと……。
あの、ここは、レイシール様が全ての裁量を、されております。
た、例えば……帷を取り替えたり、壁紙を塗り替えることも、許して頂けるかと、思うのです……」
サヤの言葉に、ルオード様の表情が、また険しくなった。
しかし、震えながらもサヤは、言葉を止めない。
「私を、見極めるなら……私の言うことが、どう作用するか、見極める、ことも、必要かと、存じます。
それで、クリスタ様の、負担が減るならば、重畳。増えるならば、私が、怪しいと、その結論を、出すのが、早まるだけでしょう?」
もう本当に……この子はどこまでもブレない……この状況で、まだクリスタ様の心配か。
ここまで言うからには、ちゃんと考えがあるのだろう……ならいい、どうせ引かないのだろうしな。
「ええ。壁を塗ろうが、床を塗ろうが構いません。
クリスタ様の負担は少ない方が良い。どうせ無理を押してここに来るのでしょうし……。来たは良いけれど、寝込んで過ごすだけだなんて、嫌ですから」
ただでさえ彼の方は強引だ。無理を押し通す。しかも、自分にもそれをするからたちが悪い。
身体は悲鳴を上げているのに引き下がらないとか、本当やめてほしいと思う。見ているこっちも、辛いのだ。
「私は極力、クリスタ様に、近寄らない様に、致しますから……」
「……情報を伏せられていたのは、弱みを晒さない為なのですよね?
ならば接触する人間も、少ない方が良いのでは?」
サヤの言葉を、俺からも援護しておく。
実際、本館に滞在することになれば、クリスタ様はきっと、弱味を見せようとはしないだろう。例え、陽の光が苦手だと知られていようとも、陽の下で平気そうに過ごすくらいの見得は切ってしまう方だ。
ここならば、使用人の目もないし、近衛の出入りもある。クリスタ様の不安要素は俺たちだけだと、そう匂わせておいた。
「……分かった。ならば、そうしよう」
ルオード様も、折れることにしたらしい。
背中越しに、サヤがホッと息を吐く。
「レイシール……君が学友とて、私はそれを考慮しない」
「重々承知しております。どうぞお好きな様に、ご見聞下さい」
最後にそんな言葉を交わし、ルオード様は踵を返した。そのまま執務室を退室し、パタンと扉が閉じられる。そして執務室は、俺とサヤだけになった。
……はぁ……疲れた。
意味分かんない……なんでルオード様は、あんな風にこじれたんだ……。
「ごめんサヤ……色々と、嫌だったろ……」
「いえ、私が失言してしまったのが、そもそもの、原因です……」
サヤの隣に腰を下ろすと、思いの外、自分が疲れていると分かった。頭が重い……。
ルオード様が感情を露わに、声を荒げる姿など、久しぶりに見た。
何が原因だ。クリスタ様の、伏せてあった情報をサヤが知っていた。それはまあ、驚くだろう。そしてクリスタ様の体質を、病だと言った。……そう思いたくなかったのだとしても、だからって、サヤを疑うとか、悪魔の使徒とか、荒唐無稽すぎるし、飛躍し過ぎだ。
考えろ、なんだ。サヤを必要以上に警戒する理由……何かある筈だ……。
「あの、申し訳、ありませんでした。
私、注意されていたのに……口にする前に、レイシール様に、確認すべきでしたのに……。私の所為で、変な疑いまで招いて、ほんと……」
額を抑え悩む俺に、何を思ったか、サヤが落ち込んだ顔で謝罪してきて、俺は思考を一度中断することにした。
そんな顔しなくて良い。別にサヤの所為だとは、思っていないから。
サヤの頭にポンと手をやって撫でつつ、違うよと言っておく。
「あれは、俺の責任だよ。俺が注意しておくべきことだった。
それに、クリスタ様の来訪は、ほんと突発的だった。対処出来ないのは、ある程度仕方がない。それよりも、今はサヤの方が気になる」
震えてるのだ。これはもうルカのことばかりじゃないだろう。明らかに、ルオード様とのやりとりが怖かったんだ。こっちにおいでと促して、サヤを暫く抱き締める。
あんな風に殺気を向けられたり、あらぬ疑いをかけられれば、やはり怖いだろうと思う。犯罪を犯してもいないのに、罪人扱いされたようなものだ。しかも、ただ優しさ故の行動を疑われてしまったのだから。
悪魔の使徒か……サヤはそんなものじゃない。けれど、異界の人間だ。この事実は絶対に伏せなければならない。
ということは、このサヤを、ありのまま受け入れてもらう必要があるということだ。
子供が知っているにはおかしい知識量……か。それは確かにそうなんだけど……サヤは、本当は十六歳だって言ったところで、やっぱりその知識量は異常なわけで……。サヤの強さだって、異界からこちらに来た所為で身についたものもあるとはいえ、その実力自体は、サヤ自身が磨き上げたものだし……。でも、それをそのまま言ったところで、やはり説得力には欠けるよなぁ。
サヤがただ優しい性質なのだというのは、見ていればすぐに分かることだと思うが、知識量と強さに関しては、どう納得させたものか……。
そんな風に考えつつ、サヤを腕の中に収めていたのだけれど、程なくすると、あの……と、サヤの声。
「もう、大丈夫ですから……」
そう?確かに震えは、随分治ったように思うけど……。
「サヤ、顔が赤い。本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
「ちょっと、逃げない。熱を確認するから」
この時期は、気温と湿気が不安定で、蒸したり暑かったり、かと思えば冷たい強風が吹き荒れたりで、よく体調を崩すんだ。気候の不安定さに、人も脆くなる。悪魔に付け入られやすくなる時期なのだが……サヤの国では、こんな時期の病を、どんな風に考えるのだろうな。
サヤを逃さないよう肩を掴んだまま、襟元から首筋に手を当てる。
「……?……熱ってわけじゃなさそうだな……けど、やはり少し横になっておく方が……」
「い、いいえ! 大丈夫です! それよりも、発注書とか、ギルさんへの手紙だとかを処理してしまいましょう!」
「今日はもう無理だよ。明日朝一で早馬を出すしかないから、今慌てても仕方がないし……」
「でも、用意しておきましょう。夕刻以降は近衛隊の方の到着や、もしかしたら、異母様のご帰還も、あるかもしれません」
サヤの言葉に、それもそうだと、俺たちは明日以降の準備を進めることにした。
それが終われば、なんならハインと合流して、掃除の手伝いをしても良い。
ついでに、先程のことを報告する必要もあるしな。
お互い執務机に向かい、それぞれの作業を始める。
暫くして、ちらりとサヤを見ると、顔の赤みは引いたように見えた。大丈夫そう……かな? ああ、ひっついたから、暑かっただけかもな。今更それを思いついてしまった。
……あ、だとしたら俺、サヤにベタベタしすぎたか……いや、でも不埒なこと考えて抱きしめたわけじゃない。サヤが震えていたからだし……サヤも嫌悪感を感じてる風ではなかったから……だ、大丈夫だよな? って駄目だ。集中! まず手元の仕事を片付けろ、俺。
ギル宛に、クリスタ様がどうやらここにいらっしゃる気でいることや、客間を増やすから、家具を至急用意して、送って欲しい旨を綴る。クリスタ様の部屋はある程度の高級家具を見繕わなければならない。出来合いのものがあれば良いのだけれど……。無ければ、早めに連絡してくれとも記しておく。その時は、本館の客間から家具を借りるしかない。異母様が無駄に贅を凝らしてるから、どの部屋でも対応可能なくらいの家具があるだろうし。
アギー公爵家とは、二年前の俺が兄上に斬られた事件があるから、あちらもあまり関わりたくないと思う筈。
だから、家具だけ渡して関わらなくて済むなら、それに越したことはないと、考えてくれれば良いのだけれど……。
……異母様……か。
もうすぐ、お戻りになられるのだよな……。
土嚢壁を見た異母様が、どう思われるか……それを考えると、胃を掴まれたような心地になる。
異母様の意思を蔑ろにした上に、河川敷を作っていくことまで決めている。きっと彼の方は、矜持を傷つけられたと思うだろう。父上の許可がなければ、何も出来ないはずの俺が、父上を通り越して、更に上から支持を取り付けた形になったのだから。
多数の貴族の支持に加え、王族の後継、姫様の支持まで得てしまった。もう、俺たちの主張以上の、理に適った正当な理由無しに、反対など出来ない。
……俺の立ち位置を、フェルドナレンの中に作る……か。
今になってやっと分かった。周りの視線がこちらを向くことで、異母様が俺に手出ししにくい環境を作るって意味だったか。
土嚢壁という目新しいもので興味を引き、河川敷で更に視線を集める。同じような水害は、どんな地域にも少なからずあるだろうから、全く興味を持たないなんて領地は、きっと皆無だし、しかも軍事面にも利用出来るという、別の切り口まで用意した。食いつかないでおく理由を探す方が難しい。
とはいえ本来なら、どれほど興味があろうと、他領の運営には口を挟む余地が無い。しかし俺たちは、そこに支援金を募るという形で、許可を出した。
それはつまり、貴族としては、なんの権利も持たない俺が、他領の、複数の貴族から支持を得るという、裏技みたいな後ろ盾を作り、行動を起こせる立ち位置を作り上げたということだ。
成人前の、後継でもない妾腹二子が、とんでもない手段で我を通したということ。
前代未聞なその所業が、更に人の興味を引くだろうことは、疑いを挟む余地もない。
金を出した貴族は、金を出す以上、経過にも目をやっているだろう。当然、情報を集める。治水に成功を収めたとなれば、更に注目を集めることになる。セイバーンに関わろうする貴族も増えるだろう。
そうなれば、俺は、確かに、レイシール・ハツェン・セイバーンという名を、フェルドナレンに知らしめることになる。
今更ながら、頭が痛い……。マルの打つ手は半端ないな……。
異母様の怒りは、俺が一手に引き受ける腹積りでいたのだけれど、マルはそれすら回避する手を打った。
これでは、俺を非難することもできやしない。
姫様のことは、クリスタ様経由の、俺の伝手だとマルは言ったけれど、きっとこれを元から狙っていたのだと思う。繋がりがあることも知っていて、クリスタ様が興味を持つような、それを上に回す気になる様な嘆願を、用意した筈だ。確かに最高の一手なのだろうけれど……それが怖い。
異母様の怒りを、俺から逸らしてしまったら、それがどこに向くことになるのか……。
……サヤは、大丈夫なのか……。
襟飾りがあるから、引き抜くという手は使えない。俺の配下である以上、無理な命令も扱いも、出来ないと思うが……あの方がそれくらいのことで、引き下がるとは思えない。
俺を屈服させる為に、酷い手段を選ぶ可能性は、大きい。しかし……行動できない。外の目がこちらを向いている。一部隊とはいえ、近衛がここに滞在するのだから。
本当に、これで良かったのか……?
マルめ……きっと俺がこんな風に、悩んでしまうと思ったから、ギリギリまで伏せてたんだな、絶対そうだ。
しかも近衛部隊が居る所為で、姫様からの支持を疑いようがないし、下手な言葉も吐けなければ、行動も出来ない。俺にも、俺の配下にも手出しが出来ない。
発散できないまま、溜まりに溜まった怒りの処理は、どうなる……。
館の使用人らが心配だった。前から、何かあった場合のしわ寄せが、そちらに向かう傾向が強い。
立場の弱い俺には、彼らを守る手立てが無い……。
彼らだって領民なのに……ユミルの様に、家庭の事情で仕方なく関わっている者だって、きっと少なからず居るというのに……。
「レイシール様、確認をお願いしてもよろしいですか?」
サヤの声で、我に返った。
書類を手にしたサヤが、席を立つところで、慌てて「ああ」と、返事を返す。
書類を受け取り、目を通して、問題が無いことを確認する。
これも明日、早馬でメバックに送ることになるから、そのまま受け取った。
「レイシール様の方は……?」
「あ、あぁ、今から帷の件について書こうとしてたんだけど、どういったものをお願いすれば良いんだ?」
「あ、それは…クリスタ様の客間となるお部屋を、見てからです。
窓の大きさや必要枚数を、確認しないといけないので。
あの、宜しければ、それは私の方で、記しましょうか?」
そうか、そうだな。
書類を見る限り、サヤの文字は、もう充分な上達ぶりだ。貴族宛の手紙でないなら、これだけ書ければ問題無い。……ちょっと前に、拙い文字の手紙を、もらったばかりなのになぁ。
「凄いなぁ、サヤは」
「えっ?なんです?急に……」
つい零した言葉に、サヤが不思議そうに首を傾げる。
「ひと月も経ってないからね、サヤがこの国の文字を知ってから。
なのに……もう当たり前みたいに、文字が書ける」
「ただ異国の言葉なら、こんなに簡単ではなかったと思いますよ。
この文字は……私の言葉のまま、別の形を覚えるだけですから。
平仮名や片仮名と同じ、違う書き方の文字が一つ増えるだけって感覚だったからですよ。
それならもう、慣れるだけですから」
なんでもないことの様にサヤは言い、にこりと笑った。
だけど、そんな筈は無いと、俺は知っている。
この国の識字率は、決して高くない。日常的に、文字を視界に入れて生活していても、ただ日常を過ごすだけでは身につかないのだ。実際に、館の使用人の中にすら、文字を書けない者は多い。自分や家族の名前と、生活に関わることだけ分かっていれば、生活は出来るのだから。
そうだ……サヤの凄さは、こんな所なんだ。
書ける様になるまで、努力をした。けれどそれを、当然のことに、していること。
サヤは、サヤの世界でも、こんな風に一生懸命、頑張ったのだと思う。
沢山の知識を吸収し、武術を身につけた。
両親とは離れ、祖母と二人の生活だったと言っていた。人手が少ないから、サヤはなんでもしなければならなかった筈だ。だからこそ、料理も、掃除も、なんだって自分で出来る様になったのだと思う。
この子は、日常的に、努力してるんだ。当たり前みたいに言うけど、それだけのことをしてる。
やっぱりサヤは、凄いんだ。
「サヤを見てると、なんだか元気をもらえるよ。俺も頑張んなきゃなぁ」
うん。俺も、頑張らなきゃ。
ただ心配するだけじゃダメだ。悩むだけじゃ、何にもならない。
もう、歯車は動き出しているんだ。今更、起こったことをどうこうなんて出来やしない。
なら、何かあった場合に、俺が出来ることを全力で、やるだけだ。
立場が弱いから何も出来ない。それは言い訳だ。
だってマルは、貴族でもない、特別な役職についているわけでもない。なのに俺のやりたいと言ったことを、こんな風に形にしたのだ。
なら俺は、俺の望みを形にしてくれた彼らに報いなきゃ、俺の役割を、きちんとこなさなきゃ。
そして、領主一族の責任を、忘れないこと。何が出来るか分からないけれど、俺の出来ることで、領民を守る。それだけだよな。
「さて、元気も出たことだし、まだ時間は少しあるかな。クリスタ様のお部屋の窓を、確認しに行こう」
「はいっ」
悩むくらいなら、動こう。出来ることを全部やればいい。
ただ、それだけのことだ。




