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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第四章
83/515

 自室に戻り、今日は皆が戻るまで、待機することとなった。

 とはいえ、明日も仕事はある。俺はサヤが寝ていた様に、長椅子で仮眠だ。

 寝室でぐっすり休む気にはなれないよな。

 日中休んでいたギルは、寝ずの番をする。ハインには、今夜は部屋で眠る様にと言ったのだが、聞き入れてはくれなかった。

 その為、俺が横になる長椅子の足元に、蹲るようにして目を閉じている。


 今……どの辺りだ……?

 サヤとマルは、黒幕の元に到着したかな……。エゴンの方は、どうなってる?

 まだ出かけて一時間も経っていないのに、気になって仕方がない。


「……寝なくて良いのか?」


 寝返りばかりしているからだろう、ギルがそう声をかけて来た。


「寝れない……」

「それだけ心配すんなら、なんで止めなかったんだよ。

 いつもなら、お前の方が煩く言うだろうに、引き止めもせず送り出しやがって……」


 向かいの長椅子で本の頁を捲りつつ、ムスッとした顔のギルが言う。

 俺がサヤを引き止めなかったことを、怒っている様子だ。そんな彼に、俺は事情を説明することにした。


「サヤに念を押されたんだよ。

 一度くらい、反対なしで、行って来いと背中を押して下さいませんか……って。

 危険は承知です。私は頼りないですか?……って。

 サヤは、俺が反対したって聞かないのも分かってる。

 安全な場所にいて欲しいと思ってるのは俺の我儘で……サヤを頼りないと思ってるわけじゃない……。

 だから、今回は希望通りに、送り出すことにしたんだ」


 まあ……それでも手放しに送り出せはしなかったけど……正直、ここに残っていたって危険度は変わらないしな……。

 いつ兇手が襲ってくるかも分からない状態だ。正直、どちらの方がより危険か考えたら、選べなかった。ならば、サヤの希望通りにするか……と、消極的に決意したのだ。


 とはいえ、目の届く場所に居ないことの恐怖たるや……。しかも、異母様方がご不在とはいえ、本館だ。

 万が一を考えたら、きりがない。

 髪も眼も隠し、声まで変えているのだからと、何度自分に言い聞かせていることか。

 それに、もう一つ、彼女が行くのを許したのには理由があった。

 サヤには何か、思惑がある様に思えたのだ。


 少し、空気が違ったんだよな……。獣人とは何かと、俺に聞いた時のサヤが。

 終始、とても真剣だった。獣人が人から生まれると言った時、少しだけ視線が鋭くなった。

 キョウケンビョウという病の話をしてくれた時、違和感を感じた。

 サヤは、結構吟味して、口を開く。

 曖昧な考えを、あんな風に口にするのは珍しいんだ。彼女は情報の重みを知っている。

 この世界の(ことわり)とは違う、サヤの世界の理を持ち込むことの危険を。

 そんな彼女が、可能性の段階の話を、口にしたのだ。

 病の可能性を考えていないわけではないと思う。

 けれど、あの時のサヤは、多分、病のことではない、別の何かに思考が向いていた。

 しかし、俺が態度を変えたから……慌ててしまったんだと思う。ハインを疑っているわけじゃないと、俺に弁明する為に、あの話をせざるを得なかったのではと思ったのだ。そして、サヤの考えていたことは、その中途半端な話を引き換えにしてでも、まだ口には出来ないと判断された。


 彼女は、何を飲み込んだのだろう……。気になるけれど、今は待つしかない。

 ああ、だけどそんなことより、今はどうか、無事で……ちゃんと戻って来てくれ……。


「……お前、死にそうな顔になってるぞ」

「そう言うギルだって結構なものだよ。

 ……サヤに何かあったらと思うと、どうしたって……でも……」


 サヤにはサヤの考えがあって、やるべきと思うことがあって、それは俺たちの為にすることなのだ。

 彼女が頑張るのは、全部俺たちの為……疑いようもなく、そう確信できてしまうくらい、彼女を見て来た。なのに、その足を引っ張るような俺の我儘を、押し付けられない。

 それに、止めて聞いてくれるなら、俺は今、サヤとこうして、時を共有してはいないだろう。彼女を遠ざけ、日々に追われ、疲弊していると思う。

 兇手(きょうしゅ)の存在に気付かず過ごし、あっさりと隙を突かれて、殺されているかもしれない。

 ハインが獣人であることも知らず、生涯を終えている自分を想像すると、なんだか笑えてしまうよな。

 うん……今の俺はサヤのおかげでここにあるんだ。


「なぁギル、俺、サヤに出逢わなければ、もうそう長く、この世にはいなかったんじゃないかなって、そんな風に思うんだよ」


 夜の長い時間、暇つぶしの一環にするつもりで、そう口にしたら、酷く慌てさせてしまった。


「え、縁起でもないこと言うなよ⁉︎」

「いや、サヤが来る前の、俺の延長を考えるとさ、不思議とそれしか導き出せない気がしないか?」

「和やかに話す内容じゃねぇよ……やめてくれ」


 血の気の引いた顔で、冗談でも言うなと叱られた。険しい表情で俺を見ている。

 心配性だな。そうなってないから、こうして話せるんだよ?

 それに、何言ってるんだって笑い飛ばせないあたり、ギルだって、どこかでそう考えてたんだろ?

 顔を合わせる度に、お前の眉間にもシワが増えてた……。気付いてたよ。その原因が俺だってことも。だけど遠慮すればするほど、お前もハインも踏み込んでくるから、今まで以上に背負いこもうとするから、結局俺は、今を維持することが一番最善だと、そう思ってたんだ。


「出来るだけ、お前たちに迷惑掛けないようにしたかった。

あの状況をできる限り続けて、近いどこかで、俺の人生が終わることが、一番最善だと……。

別に、死のうと思ってたわけじゃないんだ。ただ、なんとなく、そうあれば良いと……それが一番、誰も困らない気がしてた。

 今考えると傲慢だな。俺が逝った後のことは、何も考えてなかったんだから」


 俺という害さえ取り除かれれば、ギルやハインは大丈夫だと、勝手に考えてた。

 領地のことも、村のみんなのことも、全部無責任に、放り捨てるつもりでいた。自分が終われば関係無いだなんて、本当に傲慢だよな。


「余裕が無かったといえばそれまでだけど……俺はたんに諦めてたんだと思うよ。先を今より良くすることなんて出来ないと思い込んで。俺は何も出来ないのだと、言い訳してた。

 何も出来ないなら何もしなくていい……ふふ、そんなわけがないよな。

 ギルの言ってた通りだ。もっと、足掻かなきゃならなかったんだ……」


 望み、足掻けば奪われる。そう思い込まされていた。

 何度間違えば覚えるのかと、あと何人必要だと、そう問われ、それをただ真に受けていた。

 体の良い言い訳だ。結局俺は、疑うことすら諦めて、考えることを放棄していた。その方が楽だと、それを選んでいたんだ。


「……まあ、それに気付いたなら、間に合ったんじゃねぇの?

 死ぬ前に理解してくれて何よりだ」


 ギルが言う。

 呆れましたと顔に書いてある。俺の馬鹿さ加減にたいしてだろう。

 分かっているか? そんな馬鹿な俺を踏み留まらせてくれていたのは、お前たちなんだ。

 サヤが来て俺の人生は変わったよ。

 だけど、俺をそこまで繋ぎ止めていてくれたのは、二人なんだよ。


「……ハインにも、そう思える日が来るだろうか……。

 俺は九年、救われてたよ、二人に。

 ハインにも……生きていたいと思える日が来ると良い。

 その為に、俺に出来ることを、探さなきゃな」


 今日までずっと、支えてもらっていたのだから、今度は俺が、ハインの支えになってやりたい。

 そのつもりで言ったのだが……。


「お前は、ハインを必要だって、思ってやってりゃいいんだ」


 そう返されてしまった。


「手のかかる主人でいろ。そうすりゃ死んでられない」

「……それ、今まで俺が、凄い手のかかる主人だったって意味か……」

「自覚あるだろ?」


 え……いやまぁ……、うん。…………自覚はあるな……。


「いいんだよ。それだけで。

 こいつに必要なのは生きる意味なんだから。お前がこれからもそうでありゃいいんだ」


 パタンと本を閉じて、ギルが席を立つ。


「ちょい、用足しに行ってくる。お前は?」

「とくに。いってらっしゃい」

「彷徨くなよ。ちゃんと部屋に居ろ」


 釘を刺してから、ギルは部屋を出て行った。

 眠るハインと、二人残された俺も席を立つ。お茶でも飲もう。そう思って、戸棚に足を向けた。

 湯呑に茶を注ぎ、ギルの分も用意しておくかと、もう一つ湯呑を取り出す。

 話をして少し時間が稼げたかな……そろそろ予定の半分ほどの時間が過ぎたはず。

 そう思いつつ、湯呑のお茶を飲み干すと、首すじにひやりと夜風を感じた気がした。

 あれ……窓は閉め……っ!


 危険だと意識するより身体が動く。

 振り返らず、斜め前に身を投げ出した。

 視界の端に見えたのは黒い装束に包まれた左足。そして湯呑の割れる音。床を転がって、身を起こす隙をなんとしてでも捻り出そうと思ったのだが、その時間はハインが雄叫びと共に作り出してくれた。


「貴様アアァァ‼︎」


 兇手は慌てた様に振り返る。長椅子の足元に蹲っていたハインは気付かれていなかったらしい。

 抜刀したハインが斬りかかる。しかし、窓辺から次の影が踊り込んで来た。更にもう一人。


「ギル‼︎」


 聞こえるかどうか分からないが、叫ぶ。

 腰の短剣を引き抜くが、兇手は小剣が二人。ハインが襲いかかった一人目は短剣だった。

 できればそいつを回して欲しかったな……小剣相手は無理だ。


「お逃げ下さい‼︎」


 またハインが叫ぶ。こちらに来ようとしているが、短剣使いが隙を作らない。

 遅れて現れた二人は、ハインを無視して俺一択の様子だ。


「ハイン、無茶するな!」


 防御をかなぐり捨てて攻撃を繰り出すハインに釘を刺す。

 言っとくが、お前が死ねば、俺の命は次の一瞬で散るぞ。三人相手は無理だしな。


「ギルが戻るまでだ」


 時間を稼げば大丈夫。せいぜい一、二分持ち堪えれば良い。

 そう言外に言い、俺は短剣を構えた。

 次の瞬間、振り下ろされた小剣を、左に傾いでかわす。左半歩移動。反対側に回り込もうとする二人目を牽制しつつ、もう一度振るわれた一人目の小剣を、一歩下がりかわす。二人目がまた回り込もうとするので、そちらに攻撃する素振りを見せると、二人目は足を止め、一人目が背後を取ろうと逆側に回り込む為動く。その隙に、攻撃は捨て、一気に間を駆け抜けた。

 ハインから離れ、扉に向かう様に動いていたから、逆側は想定外だったろ? 走りつつ腰帯から小刀を引き抜く。

 まともに相手をする気は無い。握力不足だから、耐えられるのはせいぜい三撃。

 閉まる扉を開けて逃げるような隙は作れないから、生き延びるのを最優先する。

 小剣二人に向き直りつつ、投擲。ハイン相手の短剣使いの、腰付近に刺さる。一瞬硬直し、次の瞬間半ば首を斬られ、崩れた。

 ごめんな……。だが、俺も死ねないんだ。

 剣の血を払ったハインが、眼をギラつかせてこちらに目標を切り替え、


「殺す……」


 血を浴びてまだらに染まった姿で、俺の横をすり抜けざまそう吐くのが聞こえた。


「一人でいい」


 もう一人は俺が引っ掛けとく。

 ハインの斬撃を小剣で受ける兇手。

 もう一人の前に、俺も立つ。


「なんで……戦えないんじゃ……」


 どこか焦燥に駆られた、焦りを含んだ声。

 顔は仮面で隠されているけれど、それでも分かる。


「戦えないよ」


 剣がまともに握れないのに、剣を持つ奴を相手に出来るわけがない。

 だから、時間を稼ぐ術を、徹底的に鍛えただけ。

 俺が出来ることは、受けることと、仕掛けることが合わせて三撃程度。これでは、仕留められてせいぜい一人。身を守ることは難しい。

 兇手が動く。突き出される刃を、横に逃げる。そのまま返す刀で横薙ぎが来た。短剣で受けつつ、反動でより遠くへ逃げるが、指が痺れた。重い、三撃は無理だな。次が最後。

 三本の指で支える短剣は、ただ受けることもままならない。受け流してもこのざまだ。だけど、もう俺たちの勝ちだよ。

 もぎ取られる勢いで扉が開き、走りこんで来たギルは抜刀済み。

 微塵の迷いも無かった。俺と兇手の間に割り込むなり、振るわれた小剣が、兇手の小剣を弾き飛ばすと、一瞬で引き戻されて斬り上げる。

 腕が飛んだ。

 そしてガラ空きになった胴体に、とどめ。


「……レイ、怪我は」

「無い。大丈夫だよ」


 ごめんな……。こうなる前に、かたをつけたかったけれど、間が悪かったな。

 最後の一人も、ハインの手によりこと切れた。

 兇手という生き方を、望んだわけではないかもしれないのに……この生き方しか、選べなかったのかもしれないのに……。

 その日俺たちは、人生で初めて、三つの命を摘み取った。



 ◆



 もう狙われることもないと思うのだが、雇われた兇手の人数を正確に把握しているわけでもないので、まあ警戒は続けるしかない。

 とはいえ、酷いことになってしまった部屋に居続ける気力も湧かず、俺たちは血に汚れた衣服を着替え、執務室に移動した。


「そろそろかな……戻ってくるの」

「そうだな。まあ、本館が大騒ぎになってる様子もねぇし、大丈夫だろう」

「明日のことを考えると、気が滅入るな……彼らを埋葬してやらないとならないし……」

「襲撃を受けたと、正直に言うだけです。

 こちらに非は無い。死体の処理も、任せれば良いのです」


 不機嫌そうなハインに苦笑する。

 だけど、いつもの調子が戻ったようで、気持ちが少し救われた。


「ありがとうハイン。正直、生きた心地がしなかったよ。居てくれなかったら詰みだったな」

「何を言うかと思えば……。

 とても、冷静であったように見受けられましたが」

「どうだか。今になって震えが止まらないしなぁ」


 生きた心地がしなかったのは本当だ。

ただ、考えることを放棄した瞬間死ぬだろうと分かっていたから、生き残る為に気合いで頭を使ったというだけだ。

 そういう意味で、冷静だったと言われれば、そうなのかもしれない。

 にしても……マジで震えが止まらない。奥歯を噛み締めている所為か、顎が痛くなってきた。


「すまん。俺が部屋を離れた所為だな……」

「こればかりは仕方がないことさ。それに、ギルと一緒に用を足しに行ってたら、暗闇で襲撃されてた可能性も高い。その場合、もっと不利だったろうし、運が良かったんじゃない?」


 そんな風に話をしていたら、訪を問うこともなく執務室の扉が開き、俺たちは飛び上がった。

 気配が無かったのだ。

 また襲撃かと思ったら、飛び込んで来た黒装束は泣きそうな顔のサヤで、そのまま俺に、飛びつき……というか押し倒された。長椅子に座ってなかったら後頭部強打だ。頭は座褥(クッション)で守られた。


「怪我は⁉︎」

「な、無いよ。サヤ、ちょ、落ち着いて……」

「かんにん、私ほんま、肝心な時に、何の役にも立たへん……かんにん、ほんま、かんにんな!」

「大丈夫だから、誰も、怪我してないよ。サヤ、ほら起きて、ちゃんと見て。大丈夫だから!」


 力の強い彼女を自力で引き剥がすのは無理だ。なのに、ぐいぐいと体が押し付けられるから、俺は気が狂うかと思った。

だって、普段感じない膨らみの感触が……補整着を身に付けていないからもう直で……しかも、普段なら抱き締めたってくっつかない部分まで密着するのだ。上に乗られているから当たり前なんだけど。

 サヤの全身が柔らかい……そして首元にサヤの頭が擦り付けられていて、サヤの良い香りまでする。うあああぁぁ、待って待って、もうほんとヤバイから!


「サヤくん、レイ様が絞め殺されそうに見えるんだけど、とどめを刺す気なのかな? それとも真面目に襲ってるの?」


 遅れて入って来た女装マルが至極真面目な様子でそう言う。

 その言葉でハッとなったサヤは、慌てて身を起こし、押し倒され、サヤの腕の中に居心地悪げにしている俺を見て、真っ赤になった。いやちょっと、そこまで反応されるとこっちが何かやらかしたみたいな気分になるんだけど……。


「あ、あああぁぁ、かんにん! ほんま、そんなつもりやのうて、私っ」

「分かってる、分かってるから落ち着いて、まず、深呼吸! それでその、降りてくれると助かる。極力、早く」

 そうしてる間に、ぞろぞろと黒装束たちが続き入室して来て、俺を押し倒すサヤを見て「ほぅ」とか「あらぁ」とか言うものだから、サヤは更に慌て、混乱に突入した。

 より真っ赤になって硬直してしまい、自分が何をすれば良いのか分からなくなっている様子だ。頬に手を当てたまま、泣きそうだ。そこに、ギルがやって来て、ひょいとサヤを抱き上げた。

 そのまま俺の足元、長椅子の空いた場所に下ろす。

 ポンポンと頭を叩きつつ、言い聞かせた。


「大丈夫だ。誰も怪我してないし、無事だっつってんだろ? ほら、深呼吸!

 それより俺たちは、お前らの首尾がどうだったかの方が気になる。怪我は。みんな無事か?」


 瞳を覗き込むようにして、サヤに問う。

 サヤは、ギルに言われた通り、深く息を吸って、吐いた。ぽろりと涙が溢れる。


「ぶ、無事、です。みんな、ちゃんと、戻りました。エゴンさんも、ご無事、です」

「今、空き部屋に放り込んでますよぅ。護衛付きで」

「そうか。じゃあ、大成功だよな、お互い」


 そう言って笑う。するとサヤは、今度はギルの首にかじりついた。


「ああもう、泣くな。お前はお前の仕事をしただけだろ」

「せやけど、生きた心地がしいひんかった。血の匂いがするて、胡桃さんが……私、みんなに何かあったらて思うたら、もう、もう…………!」

「あのなぁ……これでも俺たち、そこそこやれるんだっつーの。心配しすぎだ」


 お前と比べりゃ見劣りするけどなぁ。と言うギルに、サヤは首を振る。


「……なぁんか、主従関係って、感じじゃないわよねぇ、ここの人たち。

 なんかもう、家族? 兄弟?」


 サヤの様子に、それを見守っていた胡桃さんが、苦笑気味に笑って言う。


「ああ、まぁ近いですかねぇ。サヤはともかく、他の面々は、学舎でも、ほぼ生活を共にしてるようなものでしたし」


 マルもそんな風に相槌を打つ。

 サヤを宥めるギルの所に、ハインが、人数分の湯呑を運んで来た。

 盆ごと小机に置き、一つだけを手に取り、サヤに差し出す。


「サヤ、疲れているとは思いますが、もう暫くすると朝の賄いを作りに行かなくてはなりません。

 そのあと、レイシール様のお部屋を大掃除することになるので、休めるのは今だけです。時間が来れば起こしますから、とにかく今は……」

「ハインさん!」


 お茶が溢れた。床と、ハインの手を濡らす。

 けれど、ハインは動かなかったし、怒らなかった。

 困った顔で、腰にしがみつくサヤを見下ろす。

 どうして良いか分からないと、その顔には書いてあった。


「サヤ……皆、無事ですから」

「はい」

「そのようにせずとも、大丈夫ですから」

「はい」

「………………気が済んだら、離してください」

「はい」


 あ、諦めた。

 溜息を吐き、動けず、濡れた手で、湯呑を持ったまま。逆の手がサヤの頭を撫でた。

 そのぎこちない動作。ハインは、優しくすることに、慣れてないから。


「ほんと、兄妹みたいねぇ、貴方たちぃ」


 ちょっと何か含んだ様な言い方だったが、胡桃さんは笑った。

 悪い気はしないわぁと、そう言って。



 ◆



 夜の明けぬうちに、胡桃さんたちはセイバーンを離れた。

 小一時間だけ仮眠を取ったサヤも、すぐ身支度を済ませ、賄いを作りに行った。

 日が昇ってすぐ、別館には衛兵が呼ばれ、検分や聞き取り、死体の運び出しに時間を取られたのだが、何故襲撃の後直ぐ、連絡を寄越さなかったのかと訝しむ衛兵に、ハインがいつも以上に剣呑な顔で「そんな余裕があるとでも?」と、凄む。


「人手不足なのですよ。この襲撃も、護衛の一人が用足しに行った隙をつかれたのです。

 レイシール様をお守りする身としては、わざわざ報告に人を一人使う気になりませんね。

 それでも直ぐに連絡をよこせと言うなら、次からはそうしましょう。

 で? 万が一、レイシール様に何かあった場合、どなたが責任を取って下さるので?」


 当然、返事を返す者はいなかった。まあ、こっちも夜襲に出てたから連絡に行けませんでしたとは言えないから、上手く誤魔化せて良かったよ。


 襲撃は押し込み強盗の仕業ということで落ち着いた。兇手では? という疑いは、見ないことにした様だ。執事との交渉? 恐喝? も、上手くいったということなので、これ以上ことを荒立てる必要もなく、その結論を受け入れる。

 その代わり、屍三体を引き取りたいと申し出た。

 何の為に? と聞かれたのだが、いや、弔う為だよと伝えたら、余計腑に落ちない顔をされた。


「命を狙って来た相手をですか?」

「死ねばただの躯だ。もう悪さもしないのだから、弔ったところで害にはならないだろう?」


 打ち捨てたら山犬や狼を呼びかねないしと言うと、一応は納得してくれた。


 こちらの襲撃は、どうやら知られずに済んでいる様子だ。もしくは、同じ輩に襲われたと考えたのかもしれない。

こちらは撃退したけれど、あちらはまんまとやられたわけだ。口外はしにくいな。

 エゴンは元から伏せられていたろうから、姿を消したことを誰も言及しなかった。

 エゴンも、胡桃さんたちと共にセイバーンを離れている。ここに置いておくのは色々とやばい。メバックの、商業会館に匿ってもらう手筈をマルが調えていたので、今頃はもう到着していることだろう。

 事情は語って聞かせ、落ち着いたというか……もう色々気力が尽きた様子だったので、しばらくは大人しくしていると思う。

 ウーヴェには、朝のうちに父親の無事を知らせたのだが、父と共に行くより、工事の手伝いを優先すると言われた。

 事後処理があり、作業に手が回せない俺たちを、気遣っての発言だと思う。正直ありがたかった。親子の再会を先延ばしにさせるのは申し訳なかったのだが「もう、再会は無いと覚悟していましたから……数日会えないくらい、なんてこともありません」と、そう言った。


 昼。サヤはまた、賄い作りに行った。

 引き取った屍は焼かれ、共同墓地に埋葬する。村外れの焼き場は、襲撃を受けたさらに先にある為、俺は出向くことが出来なかった。万が一があるからと、止められてしまったのだ。

 なので、昼食前のひと時に、墓地への埋葬から参加することとなった。

大きな共同墓地の石碑の下に、村人らとともに眠ることになるから、寂しくはないだろう。

サヤから、手向けの野花を託されていたので、それを供える。

 通常は、石碑に名と、没した日を刻むのだが、彼らの名が分からない……どうしたものかと悩んでいたら、マルが「髪の色を名の代わりに刻みましょう」と言ったので、その様に処理することにする。


「兇手は、名を捨てます。だから、彼らも多分、名はありませんよ」


 そう言われ、あぁと、気付く。

 胡桃さん、名ではないのだ。胡桃色の髪だから、胡桃さん。

 なら、草と呼ばれていたのは、草色の髪の、彼だ。


「兇手は自身の名を名乗りません。いつも偽名ですからねぇ。使わないから捨てるのだそうで。

 ……良い名だったんですけどねぇ」


 それが、胡桃さんについで言っているのだということは、すぐに分かった。

 胡桃さんの名を知っているマル。それはつまり、彼女が兇手となる前からの、知り合いだということ。


「同郷なんですよねぇ。

 あそこは寒さが厳しくて、冬の間、食料が手に入りにくい。

 胡桃は、冬山でも獲物を狩ることのできる、狩猟の民の出です。

 いつも毛皮をまとった珍妙な一団なんですよぅ。なにせ、頭は獣の頭蓋で作った、頭巾を被ってましてね。その実態は……ふふ、なんだと思います?」


 答えは、出てるようなものだな……。


「とはいえ、胡桃ほど顕著に、特徴の出ている者は珍しい。大抵は、もう少し人に近いですよ。

 彼女はきっと、先祖返りなんでしょう。獣化なんて、今は殆ど、できる者はいないそうですし。

 勿体無いですよねぇ……あんなに美しいのに。

 四本足の頃の彼女は、そりゃあ凛々しく、美しかったんですよ。

 彼女も、身を晒しさえしなければ、人としていられたんですけどねぇ」


 何があったのかは、語らなかった。けれど、狩猟の民であることを辞め、兇手となるしかなかったのだろう。あの姿は、どうあっても人では通せない。


 …………何故、獣人は、悪魔の使徒となったのだろう……。

 何故、獣人は、人と共に生きられないのだろう……。


 知られさえしなければ、人でいられるのに。


「マル……近いうち、また胡桃さんに、会えるかな?」


 そう聞くと、気が向けば、あちらから来るんじゃないですか?という返事があった。


「レイ様のこと、気に入ってはいるようですよ。

 胡桃の獣化を見ても、態度を変えませんでしたし。

 サヤくんの同行を許したことで、彼女らを使い捨てにする様な使い方を、する気が無いことも、証明できましたし。

 サヤくんがレイ様方にとって大切な存在であることも、理解してましたしね。

 なにより、貴方はハインを重用してますからねぇ。

 ハインが獣人と知りつつあの態度なレイ様には、好感を覚えたことでしょう」


 ……なんか、全部、マルの手の内って気がするのは……気の所為じゃないんだろうなぁ。

 けれど、マルはよくやってくれてる。

 自分の思惑も何かしら含んでいるのだろうけれど、別にそれが嫌でもないし。

 そう思ったので、懐から小箱を取り出す。


「マル、君にこれを受け取って欲しいと思うんだけど」

「はい?」


 銀と青玉で作られた襟飾(えりかざり)。マルのものは、開いた本の意匠だ。

 正直、これ以外の形を思い付かなかった。

 俺の手の中の飾りを見たマルが、困った顔をする。


「レイ様……僕、商業会館に籍を置いてるんですけど?」

「分かってる。でも、俺がマルをどう思ってるかって部分は、これで証明したかったんだ。

 身の保証にも使えるんだろう?保険だと思って持っててくれないか」


 差し出したそれを、まじまじと見て、こてんと首を傾げる。

 まだ何か問題があるのか?


「……後で取り下げたりとか、渡す相手が間違ってたとか、ありませんよね?」

「俺をなんだと思ってるの……。そこまで間が抜けてるつもりはないよ。

 それに、これはマルの為の意匠なんだから。マルが受け取らないなら、誰の手にも渡らない」


 俺の机の中で埃を被ることになるだけだ。

 マルが、やっと俺の手の上の、飾りを指で摘まみ上げる。


「僕、結構自分勝手すると思うんですけど……本当に大丈夫です?」

「それも含めてる。マルの勝手も、嫌じゃないよ。ちょっと色々、忍耐を問われると思うけど、そこは俺が努力するよ。

 マルとだって、結構な時間を共に過ごしている。マルがどんな人かも、分かってるつもりだけど……まぁ、まだ知らない部分は沢山あるんだろうなぁ。

 けど、ハインにもそんな部分はあったんだし、気にしない」

「ほんと、計り知れない胆力の持ち主ですね、レイ様」


 マジですかぁ。と、呟く。

 嫌なら、拒否する権利もあるんだよ?と、言うと、慌ててそれを懐にしまった。


「貰っちゃいますからね?後悔しても知りませんよ?」

「しつこい。しない」

「じゃあ、レイ様の部下だと名乗りたい時は、これ、使わせてもらいます」

「うん。よろしく。あまり、危ないことを勝手にするなよ?」

「そこはお約束出来かねますねぇ」


 埋葬を見届けてから、護衛としてついて来ていた、ハインとギルの所に戻る。

 少し離れた、見晴らしの良い場所から、全体を警戒していたのだ。

 それにしても……ハイン、帰ったら絶対に休憩させないとな。ギルやサヤより休んでないのは確実なのに、譲らないんだから……。


「さぁて、じゃあ、戻ったらエゴンの処理ですねぇ」


 馬車に乗り込むと、マルがそう言った。

 動き出す馬車に揺られつつ「うん」と、相槌を打つ。


「ジェスルとの関わりを伏せる為、エゴンに全責任を取らせます。財産も没収。

 その代わり、命は取らない……で、良いのですね?正直、斬ってやるべきだと思うんですが」

「今までの横領金額が、ギリギリ賄える財、ちゃんとあるんだろう?

 メバックから立ち退き。職も失うことになる。しかも全財産没収。充分な制裁じゃないか?」

「違います。切って捨ててやるのが、慈悲だし妥当だと言ってるんですよ。

 ウーヴェの枷でしかないですし、穀潰しですよ。人の怨みも多く買っている。

 裏切りや情報の漏洩……危険を抱えることにもなります。それでも生かしておくのです?」

「……うん。それだけの罪だ。死んで償える内容ではない。だろ?」


 そう言ったのだが、ギルも、マルも渋面だ。

 俺が、罪に対しての罰として、エゴンを殺さないのではないと、知っているから。

 せっかく生きて帰れたのだから、死なせたくない。親子の時間を、大切にしてほしい。

 死んでしまっては、後悔も、何もない。苦しさが残るだけだ。

 でも、生きていれば、時が解決するものもある。


「まぁ、レイ様がそれで良いなら、良いんですけどねぇ。

 結構な資金調達ができますし、僕的には恨みもありませんし。

 それで落とし所を調節しますけど……」


 またハインが納得しないんでしょうねぇ……と、呟く。

 今御者をしているハインは多分、ものすごく怖い顔をしていると思う。小窓を開けているので、話は聞こえているだろうしな。


「メバックを離れれば、親子で生活するくらい、なんとかなると思うよ。ウーヴェは優秀だし」

「あいつ、金貸しに向いてねぇし、嫌ってたし、ある意味良かったかもな」


 そんな風に話しながら、帰路についた。

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