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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第四章
80/515

命令

「私のことは、胡桃と呼んでちょうだいな。あたしたちは、豺狼(さいろう)組と名乗ってる。受けた仕事は必ずこなすし、約定が破られない限り、こちらから破りはしない。その代わり、いくら金を積まれても、信用出来ない相手とは取引しないのよぉ」


 棒を括り付けられた左脚を投げ出すようにして長椅子座り、交渉役はそう言った。


「今回は、マルクスのこともあるし、彼の上役ですものねぇ。

 マルクスが、今までの借り、全部チャラにして良いって言うしぃ、一度限りの約定を、許してあげる。貴方とは、この一回限りの縁にしてあげるわぁ」


 それは言外に、一度だけ、良いように使われてやる。そして関わったことは忘れてやる。と、言われたことになる。あり得ないような破格の待遇だ。マルの貸しが、それだけ大きく、信頼を得ているということかもしれないが。

 しかし、一度限りの関係を望んでいない俺は、首を振る。


「いえ…。そのつもりはありません。

 貴女方と取引をする。それは、俺の一生を賭けるという意味ですよ」


 俺の言葉に、胡桃さんは目を眇め、値踏みする様に俺を見た。


「貴方みたいな人は、あまり裏と関わらない方が、身の為だと思うけどぉ?」


 そんな軽いものじゃない。そう言われているのは分かる。けれど……ハインのこともある以上、俺は彼女との縁を、なんとしてでも繋げたいと考えていた。

 獣人は、孤立する。人より身体能力が高く、頑強だと言われているが、気が荒く、人を傷つけることも厭わないとされる。その為恐れられ、何もしないうちから、石もて追われることもあると聞くのだ。

 ハインがどう思っていようと、獣人だと知った以上、同族との縁は持っていた方が良い気がした。九年間俺たちと共にあったということは、ハインには同族との接点が無いということだ。特にこいつは、自分個人の時間というのを、全くと言って良いほど持っていなかったのだから。

 それに、押し付けるつもりはないが、人の命を断つことを糧とするしかない。という兇手の生き方に、選択肢を……という気持ちも、捨てたくなかった。


「裏社会と関わる気は、確かにあまり、ありません……。ですから貴女方に、こちら側に来て頂きたいと、思ってるのですが」

「マルクス、この坊や、何を言ってるのぉ?」


 あ、坊やに戻った……。

 ふざけたことを言っていると思われたかな。

 けれど、戯言(ざれごと)を言っているわけではないので、分かってもらえるまで話をするしかない。

 と、そこでマルが、助け舟を出してくれた。


「胡桃、レイ様はね、まだこの大陸に無い、新しい役割を、貴女方に担ってほしいと思ってるんですよ。『兇手(きょうしゅ)』ではなく『(しのび)』を所望しているのです。

 あ、今回の依頼も、殺しではありません。それどころかねぇ、貴女方との約定も、人を殺すことを求めない。に、すると仰ってます」

「はぁ? この坊やも変人なのぉ? 兇手に人殺しさせなかったら、何させるのよぅ」

「ですから『忍』を、してもらうのですよ?」

「だから『忍』って何よぅ」


 気心知れた馴れ合いみたいな会話だ……。間延びした口調も相まって、胡桃さんが兇手ということを忘れてしまいそうになるな。

 心なしか、ギルとハインも緊張感を削がれた様で、嫌そうな顔をしている。

 サヤはせっせとお茶を配り、お茶菓子を配り、甲斐甲斐しく働いてくれていた。


「んふふ、サヤくんの国にある役職です。今から説明しますね」


 まず、胡桃さんに『忍』というものについて説明することとなった。

 諜報活動を主に行う集団であり、そのためにありとあらゆる手段を駆使するということをだ。

「それって、マルクスがあたしたちにさせてること、そのままなんじゃないのぉ?」と、聞く彼女に「極めて似ていますね」と、マルも答える。


「情報を持ち帰ることが最優先事項です。

敵地に潜入するなど、過酷な任務もありますが、とにかくその場に溶け込み、より多く情報を得るために技術を駆使します。

貴女方くらい手練れで、僕の依頼に慣れているなら、造作もないことだと思うのですが」

「まぁ、随分と煽ててくれるのねぇ。で、今回は、どんな情報を得て来れば良いのかしらぁ?」

「今回の情報は人型をしてますね。本館に軟禁されているエゴンです」

「ええっ⁉︎」

「あ、これ美味ですね。サヤくん、干し果実入りのクッキーおかわりください」

「……貴方、いつの間にそんな、食い意地張った奴になったのぉ?」


 どこか緊張感に欠けた会話だ……。

 植物みたいに、水と光で生きていけたらって言ってたのにぃ……と、呆れ顔の彼女であったが、マルの摘んでいたと同じ、干し果実入りクッキーを口に運んで、あら。と、口元に手をやった。そのまま無言で食べ続ける。

 その間に、口を空にしたマルが、また言葉を紡ぐ。


「そりゃぁ、今までと全く同じではありえませんよ。

忍はとても高度な技術を有する必要のある集団です。間者であり、狩人であり、斥候であるのですから。

ああ、時には影武者であったりもする様です。サヤの国では、一種の英雄ですらあるそうですよ」

「……麺麭(パン)じゃないのねぇこれ。確かに美味。草が入れ込んでたのはこれなのねぇ」

「ちょっと胡桃……聞いてます? 食い意地はってるのはどっちですか。あと、草が気に入ってるのはラングドシャです。これじゃありません」

「マル……脱線しかけてるから、話を戻すよ」


 さっきからチラチラ出てくる『草』というのが気になるけれど……話を進めないと、朝を迎えてしまいそうだ。

 俺はマルの代わりに、今回の依頼内容を話すことにした。

 俺が命を狙われていて、その狙っている張本人が、本館にいること。

 領民を一人掴まれていて、今のままだと全てがその領民の所為にされ、逃げられてしまう可能性が高いこと。

 相手がジェスル領出身の使用人である為、殺生ごとは大問題になること。

 今回の依頼は、囚われた領民を、秘密裏に奪い返して来て欲しい。一人の死人も出さずに。出来るならば、誰にも気付かれずに。という内容であること。


「貴方……今の内容、相当無茶苦茶だって自覚してるぅ?

 そもそも、坊やを狙っている奴を放置して、領民だけ助け出してどうするっていうのぉ?

 しかもその領民って、坊やにとってなんの得にもならない相手よねぇ」

「得どころか……害でしかありませんのに……」


 心底嫌そうに、ハインが剣呑な顔で呟きを零す。

 けれど、ウーヴェの父親だ。ウーヴェの為にも、助け出せるならばそうしてやりたい。それに、罪を償わせるにしても、命を失ってしまってからでは遅いのだ。


「エゴンは軟禁状態だと、マルに聞いてます。

 それはつまり、俺がエゴンをどうこうしようなどとは考えまい。という風に、相手は思っているということですよね。なら、助け出す隙はあると思うのですが」

「……まあ、坊やがそれで良いなら、こちらはそれに従うだけよぉ」

「有難うございます!」


 承諾を得られたことに礼を言うと、何故か不可解そうな顔をされた。

 あ、エゴンを助け出して、黒幕を放置することの意味を、説明していないからかもしれない。

 慌てて事情を説明する。


「黒幕はジェスルの者ですから……。下手に手出し出来ません。

 俺は、妾の子ですし、後ろ盾も持ちませんから」

「そうよねぇ……下手に殺したら、貴方が殺ったんじゃないとしても、貴方の所為になりそうよぇ」


 面倒臭いわぁと、眉をひそめる胡桃さん。


「とまあ、ここまではレイ様の依頼ですね。

 次は僕のです。同時進行でお願いしたいのですが」


 そこにマルが口を挟み、更に嫌そうな顔になった。


「何人必要なのよぅ……」

「そうですねぇ……レイ様の方は四人……。僕の方は、僕を同行させて、二人かな?」

「えええぇぇ、貴方はお荷物以上のお荷物よぉ〜」

「ちょっと待って。マルの方の話は俺も聞いてない。ちゃんと説明してくれ」


 俺がそう口を挟むと、マルも嫌そうな顔になった。


「説明は良いですけど……文句は受け付けないですよ? これ以上の策はないと思ってるんですから」


 マルの導き出した、今回の落とし所。それはこんな感じだ。

 今回の黒幕は、異母様の使用人の一人。留守の本館を任されている、執事だ。

 どうやら、異母様の立場と、留守を任されていることを利用し、横領を繰り返しているのだという。

 そしてそれ以外にも、見つけた情報が幾つかあるのだそうだが「これはお教え出来ません。ジェスル伯爵絡みのものもあるので、万が一の時の為、知らない方が良いでしょう」と、言われてしまった。

 なので今回の作戦は、その執事のもとに不法侵入し、横領とそのネタで脅しをかけ、手を引かせるというものだった。

 執事を押さえている隙に、エゴンの身も別働隊の手により確保してしまうそうだ。


「レイシール様の命を狙った不届き者を、生かしておくと言うのですか!」

「その方が得策だよ。レイ様の立場を悪くしたくないでしょう?」


 激昂するハインに、マルはしらっとそう答える。


「今回はそれで良かったとしても、もしまた命を狙ってきたらどうするのです⁉︎ 生かしておくのは危険です‼︎」

「そんな気が起きない様にするから大丈夫。二度と歯向かう気にならない様、脅し尽くしますよぅ。

 それでね、その執事くんには、魔女の、身中の虫になって頂こうと思ってるんですよ。

 魔女やジェスルの情報をこちらに流して頂くのに、とても良い立ち位置の方なので」


 怒れるハインをそよ風の様に流して、俺にそんな風に言うから呆れてしまった。


「なって頂くって……そんな簡単そうに……」

「簡単ですよ。得意ですから。反抗する気なんて起きないよう躾けますから、任せて下さい」


 ものすごく、活き活きとした顔で、マルが自身の薄い胸をドンと叩く。

 いや……得意なのは知ってるよ……。学舎でマルに心を抉られた相手がどれだけ居ると思っているの……。

 討議の授業が崩壊したのは、一度や二度じゃない……。

 マルは、学舎で鬼役を禁じられている。それは練習しなくて良い。それ以上どこに行き着くつもりなのかと、教師まで泣かせているのだ。


「同情したくなってくるな……自業自得だけどよ……」

「少し溜飲が下がりました。存分に苦しめてやれば良いと思います。死ぬ方が楽なくらいに」

「問題は、そこまでどうやって、マルクスを運ぶかでしょぉ? 運動神経皆無なんだからぁ」


 うん。それは確かに問題だ。

 正直、不可能だとすら思う。マルの運動能力は五歳児並なのだ。そのくせ図体は大人だからな。


「……あの、それでしたら、私がマルさんのお仕事に同行すればどうですか?

 マルさんくらいなら、私、苦もなく運べるので」


 それまで黙って話を聞くことに徹していたサヤが、不意に挙手して、そんな風に言いだし、俺は慌てた。

 えっ、だっ、だって運ぶとなると……触れなきゃダメだよ?


「いえ……マルさんにも、そちらの不快感はありませんから……。

 先程みたいな発言さえ、控えて頂ければ……」


 若干視線を逸らして、言いにくそうに言う。


「背負子を使って背負えば、直接触れる必要も無いです。

 それに最近、ギルさんも大丈夫になりましたし……ハインさんも、多分、もう大丈夫じゃないかと思うんです。だからマルさんも……」

「サヤ……無理はしなくて良いんだよ⁉︎ 体調を崩す場合もある。本館に侵入した上で、そんなことになってしまったら……っ!」


 必死で止めるが、大丈夫ですよと微笑まれてしまう。

 頼って下さいと言ったじゃないですかと、その目が俺に訴えているのだが、格段に危険度の跳ね上がる今回の事に、サヤを関わらせるのは躊躇われた。それに、侵入する場所は本館なのだ。顔を知られているサヤが、万が一見破られたらと思うと、身の毛がよだつ。

 俺の反応をどう思ったのか、胡桃さんが眉をひそめて、サヤに問う。


「貴女……その華奢な腕で、マルとはいえ、成人男子一人担げると思ってるのぉ?」

「ええ、担げます。ギルさんでも大丈夫です」

「あはは、サヤくん、寝台だって一人で担いで歩けますもんねぇ」


 マルの発言に、信じられないわぁと、胡桃さん。


「本気で言ってるぅ? 獣人だって、結構難儀するわよぅ?」


 サヤは、胡桃さんを見据えてきっぱり、出来ます。と、言い切った。


「確信を持てることしか出来るとは言いません。

 それよりも、マルさんが直接交渉に行く弊害の方が心配です。

 私を含め、顔や声を知られてしまうのは、良くないのじゃ、ないでしょうか?」

「ああ、その辺はねぇ、兇手の道具に都合の良いものが色々有りますから、適当に誤魔化せますよぅ」


 サヤくんが出来るというなら、お願いしてみませんか。と、マルが言う。


「し、しかしだな、兇手でもないサヤが、兇手についていけるのか?

 確かにサヤの身体能力は凄まじいが……更にマルを担いで行くってのは……」

「ギルさん、忍がどういったものかを、一番知っているのは私です。

 胡桃さんたちに、忍について伝える為にも、私が同行した方が良い様に思います。

 それに私、人を殺めず無力化するには、適してますよ。私の武術も、忍向きだと思うんです」

「だが! 同行する兇手は、初対面になるんだぞ? サヤの性別はもう知られているのに……」


 ギルも止めに入ってくれたが、それでもサヤは引かない。

 だから俺は、最後の言い訳を口にしたのだが……。


「じゃあ、マルの組は、マル以外女で編成するわぁ」


 胡桃さんにそう口を挟まれ、言い返せなくなった……。


「そうですね。黒幕の元へは、素早さ重視で、小柄なもの中心の編成にしようと思ってましたので、丁度良いですねぇ。

 あ、獣人でなくて構いませんよ。命のやり取りはしませんし、いざとなればサヤくんがなんとかしてくれるでしょうし」

「それじゃあ、サヤが危険の矢面に立つことになんだろうが!」

「やだなぁ、ギル、過保護になりすぎですよ?

 サヤくんが本館の騎士や衛兵に遅れをとるとでも思っているのですか? 正直、十人が束になって掛かってきても、いなせそうな気がするんですけどね」

「実力でいやぁ、そうだろうよ! けどな、サヤは! ……サヤは……」


 その先を、口にすることが出来ず、ギルは言い淀んだ。

 サヤは異界の少女で、ここのことには関わる必要が無い。そして、もう怪我をさせる様なことには、首を突っ込ませたくない。

 そんなギルの心情は、表情で充分伝わるが、サヤの秘密を、口にするわけにはいかない。

 俺も、サヤを本館に乗り込ませたくなかった。

 俺にとって本館は、恐ろしい場所だ。過去の、思い出したくない記憶が、ありとあらゆる場所に刻まれている。そんな所にサヤが赴くということに、気持ちが拒否反応を示す。

 しかし、サヤがこんな風に何かを言い出した時、俺の意見が通った試しはない。

 彼女が自分で、自分が適していると言う時は、確かにその通りなのだと思うのだ。


「エゴンの方は、主力を突っ込めば良いですよ。抵抗されてもあれなんで、痺れさせて担いでくれば良いです。少々雑に扱っても、文句は言いませんから、やり易い様にどうぞ」

「エゴンねぇ……あいつ担ぐのは大変だわぁ」

「ここ数日の環境で、若干でも痩せてくれてると良いですねぇ」


 俺たちが口を挟みあぐねているうちに、俺たちの気持ちなどそっちのけで、サヤの同行は半ば決定して、話が先に進んでしまった。

 そんな俺たちの様子に、サヤはやはり「大丈夫ですから」と、微笑み、引く言葉は口にしなかった。


「まあ良いわぁ。本館の客間に軟禁って話だったしぃ、さして手間ではないものねぇ。

 死人は出しちゃ駄目だとしても、逃げ切るために、少々手傷を負わせるくらいは、許してくれるのよねぇ?」

「はい。けれど、誰も傷付けず、目にも触れずにエゴンの確保を成功させたなら、報酬を倍額にしますよぅ」

「ふふふ、気前が良いじゃなぁい?」

「そりゃあ、忍の初陣ですからねぇ、圧倒的な実力というのを示して欲しいわけですよ」

「じゃあ、連携の為にも、お嬢ちゃんの身体能力とやらを、一度確認させてもらわないとねぇ」

「彼女は特別な勇者ですよ。ほんと凄いので、びっくりしないで下さいね?」

「そんなに期待値上げて、良いのかしらぁ?」


 そこからはもう、ほぼ二人の独壇場だった。

 何故か本館の間取りまで把握しているマルが、それを図に書き、エゴンの居場所に目星を付ける。警備の場所や交代の時間帯をまで細かく把握しており、いつの間にそこまで調べてあったのかと驚嘆した。そして、侵入、脱出経路をいく通りか決定。黒幕の元へ出向く側にも、同じようなやり取りがされた。

 その話の間、胡桃さんの目はギラギラと光を帯びている様で、その目をハインでもよく見かけていたなと思い至る。感情が高ぶっているときのハインの目は、よくギラついていた……。


 思い返せば、確かにハインは、獣人の特徴を有していた。

 細身のわりに、筋肉質だし……冷静な口調で誤魔化し、感情を押し殺しているけれど、結構直情だ。そういえば、従者となった当初は、よくキレて乱闘騒ぎを起こしていた。

 鈍かったんだな、俺たち……。ハインが何かなんて、そんなこと、考えることもしなかった。

 気付かないまま、ハインを傷付けていたことも、あるかもしれない……。


「後はあれですね。兇手の豺狼(さいろう)組ではなく、忍としての仕事となるのですから、別の呼び名を考えないと。

 サヤくんに聞きましたけど、忍も流派ごとに呼び名があったそうですよ。風魔、霧隠、猿飛。かっこいいですよねぇ。何か良いの、思い付きませんか?」

「呼び名って……それ、今決めなきゃ駄目なことかよ……」

「当然ですよ。名乗りますから」

「何故名乗る⁉︎」

「宣伝しないと」

「マルさん、渡来語で『(きょ)』のことを『ホロウ』と言うんです。それから、漢字で吠える狼と書いても、ホロウと読めるので、こちらでどうですか」


 サヤが、マルの作った本館の間取り図の端に『吠狼』と書き込んだ。

「どこの文字よぅ?」と、首を傾げる胡桃さんにたいし、マルはその文字を気に入った様子だ。


「良いですねぇ! 吠える狼ですか。胡桃らしさがあって、とても気に入ったんですが、駄目ですか?」


 胡桃さんにそう聞く。


「……あのねぇ、私はまだ、忍をやるだなんて、言ってないのよぅ?

 そもそも、坊やをまだ信用してないもの。今回は、当初通り、一度限りの縁。としてしか、受けないわぁ」


 マルが、俺にそれで良いかと問う視線を向けてきた。

 ……うん。今は、それも仕方がない。信頼を得る為に、まずは関わってもらわなきゃならない。


「そうですね。まずはレイ様を信用できるかどうか、判断する為に、この仕事を受けて下さい。今後のことは、この仕事が終わってからで良いですよ。で、『吠狼』で良いと思いませんか?」

「良いんじゃなぁい? 今回名乗るだけなんだしぃ」

「ふふふ、今回だけ……ねぇ。まあ、今はそのつもりでいてもらっても、構いません」


 上機嫌のマルに、胡桃さんは嫌そうな顔をした。

 そして、いつ実行に移すのかと問う。


「異母様方が戻られる前に決着を付けるべきですし、明日で良いなら明日」

「承知。嫌だわぁ、一日に二度も三本足になるのって疲れるのよねぇ」

「じゃあ、お詫びにこのクッキーあげましょうか?」

「……餌付けしないでよぅ……」


 そう言いつつ、手を差し出す胡桃さん。案外気に入っている様子だ。マルのクッキーを貰い、口に放り込んだ。

 そうして懐から大きめの風呂敷を取り出す。

 それを床に広げてから、外套をそこに放り投げる。更に、足の棒を括り付けていた紐を外しにかかる。

 棒は、真ん中から二つに分けられるようになっていて、分解され、長椅子の上に置かれた。右足のみの長靴を脱ぎ、その中に先程の棒が突っ込まれ、風呂敷の上に寝かされる。

 そして胡桃さんは立ち上がると、あろうことか、腰帯を外し、衣服を脱ぎ出したのだ。


「ちょっ、ちょっと待って下さい!何してるんですか⁉︎」

「獣人の獣人らしい所をお見せしようと思って」


 こちらの動揺など素知らぬ風に、細袴がすとんと床に落ち、途中から断たれた左太腿と、美しい曲線の右脚が露わになる。そして後ろにわさりと毛の束が現れた。尾だ。

 更に、纏っていた短衣を脱ぎ捨てると、彼女は肌着を纏っておらず、白い下着が目に飛び込んできて、俺はつい悲鳴を上げ、腕で目を隠した。横から同じくサヤの、「ひゃああぁ」という声が聞こえ、慌ててるのは俺だけじゃないなと、的外れな安堵感を覚える。


「初心だわねぇ。新鮮な反応で、なんだか面映ゆいわぁ。商人さんは見慣れてそうね」

「……仕事柄、よく目にするからな」

「ほら坊や、腕を外しなさいな。お嬢ちゃんも、滅多に見せやしないんだから、見ておく方がお得だわよぅ」


 ちらりと横を伺うと、両手で目元を隠していたサヤと視線が合った。

 どうしましょうと問う表情に、彼女が俺を軽蔑する素振りは無いなと判断する。それが正直、一番傷付く。

 見ろと言うのだし、見る……。そう決意の頷きをサヤに送り、二人で、意を決して視線を胡桃さんにやると、下着姿で腕を組み、笑っている彼女がこちらを見ていた。やはり目のやり場に困って、結局俺は、彼女の右脚に視線を落とす。……綺麗な曲線だけれど、傷の無数に付いた、脚だった。


「じゃ、刮目よぉ」


 そういった彼女が、膝をついて四つん這いになる。

 ただでさえ豊満な胸がそれはもう見事にゆっさりと揺れて、ゔあぁぁと、知らず、呻いてしまった。

 筋肉質な胡桃さんの肢体、全身に力を込めているのか、筋肉が盛り上がる。と、ギチ、とか、ゴリ……とかいう音がどこからか、聞こえてきて、それは直ぐ、胡桃さんからだと気付いた。

 そのままその音は続き、床に爪を立てるようにしていた胡桃さんの手の指が、何故か短くなっていることに目を疑った。

 指だけじゃない。肌の下で、何かが蠢いている……。

 そのうち毛穴という毛穴から、体毛が伸び始めた。

 それが全身を覆って行き、ゴリゴリギチギチという音と共に、胡桃さんの骨格自体が変形していく。

 正直、呼吸を忘れた。呆気にとられて、ただひたすら、見つめていた。

 時間にすれば、ほんの一分かそこらだと思う。そんな短い時を挟み、人型の胡桃さんは消失し、そこには巨体の狼が現れた。ゆったりと、寝そべった体制で。


 胡桃さんの髪の色と同じ、胡桃色の毛並みで、菫色の瞳の大狼……。人の時にあった白目の部分はほぼ無くなり、瞳全体が菫色だ。神々しさすら感じる程、立派な姿だった。

 すると、その狼が、のそりと起き上がる。当然左脚は無く、本来あるべき場所は空白。その大狼が、その辺に落下していた下着を咥え、ペイっと、風呂敷の上に投げた。


 ……なんか、感動が一瞬で薄らいだ……。

 凄く立派な姿なのに……。


「あっ、衣服を纏めてるんですね。私がやりますから!」


 同じく呆気にとられていたと思われるサヤが、慌ててそう言い、胡桃さんの下着を拾う。俺たちの視線を気にしたのか、自分の身体でそれを隠すようにしてたたみ、胡桃さんの脱ぎ捨てた衣服もたたんで、風呂敷の上に纏めた。

 すると、胡桃さんがサヤにすり寄り、首元を彼女の腰にグイグイと押し付ける。サヤはびくともしないが、俺だったら押し倒されてそうな力強さだ。


「えっ、あの……?」

「そうそう。その姿になると吠えるしかできないんだよねぇ。

 胡桃は多分、衣服を纏めて、首に括り付けて欲しいのだと思うよ」

「あっ、そうなんですね。畏まりました」


 言われた通り、風呂敷の端を織り込んで、細長くしてから、胡桃さんの首の上にそれを置く。しゃがみ込んで、覗き込むようにしながら、首の下を括り、苦しくありませんか?と、問うた。

 すると、ベロンと鼻先を舐められてしまう。


「ひゃあっ!」

「大丈夫らしいねぇ」

「そ、そうですか……びっくりしました……」


 そのまま胡桃さんは、のそりと歩き出す。

 扉の方に向かうので、サヤが慌てて先回りし、扉を開いた。

 外まで送る様だ。先導し、玄関も開けるつもりなのだと思う。

 部屋に残された俺たちは、ただ彼女らを見送り……沈黙が続いた。


「あ……あれ、あれ……な、なん…………」


 違った。喋らなかったんじゃなく、喋れなかった様だ。

 やっとのことでといった風に、ギルが言うが、言葉が言葉になっていない。

 生肝を抜かれたとは、今のギルの為にある言葉だな。

 ハインはというと、ギル以上に呆然としていた。

 理由は分からないが、ハインにとっても、獣化するというのは、特殊なことである様子だ。


「さあレイ様、狼の胡桃は如何でしたか?」


 またもやマルが、そんな風に問うてくる。

 如何って言われてもな……。


「神々しいとすら思ったのに……下着をペッてした辺りで、なんか冷めた」


 胡桃さん本人があまりに無頓着というか……。

 ああ、胡桃さんは狼でも胡桃さんなんだなぁと、納得したというか。

 彼女の人となりはまだあまり知らないけれど、なんか性格が現れていたというか……。


「ああでも……見れて良かったと思う。

 神話は所詮神話なんだと思ったよ。

 ハインだって胡桃さんだって、普通に話すし、気持ちが通じる。狼の彼女にだって、普通に意思があるのは感じれたし。なんだって大災厄は、あんな風に語られているのかな」


 首を傾げるしかない。

 そんな俺に、マルはケタケタと笑った。


「まあ、レイ様はそんな感じですよね。ほんと胆力があるというか、無頓着というか」


 彼女が獣化することに対して恐怖とかは無いんですか? と、そう問われ、ああ、そういえば恐怖は全く感じていなかったなと気付く。


「ていうかさ、あんな状況が目の前に急にあったら、びっくりするどころじゃないと思うんだよ」

「いや、びっくりしろよ!」

「……レイシール様は……サヤの時も的外れでしたよね……」


 ぽそりと呟かれたハインの言葉に、サヤの時? と、思い出す。

 あの時は……混乱したんだよ……。あんな光景じゃそれも仕方がないだろ?

 俺が当時を思い出し、濡れそぼったサヤの、透けた衣服なんかまで思い出してしまって赤くなっていると、サヤが戻ってきた。


「出発されました。

 気配も消えたので、外の方も戻られたのだと思います」


 そんな風に報告してくる。

 さて。じゃあ後は……。


「こんな遅い時間に申し訳ないんだけど、俺はもう少し、やることができた。

 ハイン以外は、一度退室してもらって構わないか」


 そう問うと、皆首肯してくれた。

 ギルが、少し心配そうにハインを見てから、マルにせっつかれて渋々廊下に足を向ける。

 夜番の準備をして参りますと、サヤも一礼して退室した。


「さてハイン。お前に渡したいものがある」


 皆が去ってから、一呼吸あけて、俺はそう口を開いた。

 叱責の類と思っていたのか、ハインが眉をひそめる。お前はどうせ、言ったって全然反省しないんだろうからな。俺はそんなことに労力を割く気はない。

 執務机に移動し、引き出しから小箱を取り出す。

 サヤが戻った日、ギルが持ってきてくれた小箱。それを開け、三つの中から一つを選ぶ。これは、ハインの為の意匠だ。


「これをお前に」


 銀で作られ、青玉で飾られたそれは、小さな盾の形。

 手のひらに乗せたそれを差し出した瞬間、ハインの顔は親の仇でも見るかのように、嫌悪に歪んだ。


「貴方は……まだそのような戯言を……!

 私は、それを受け取れる様な立場ではございません!」

「お前にこれを受け取って欲しいと思うのは、俺の自由だよな」

「言わなければ分かりませんか……? 私は、もう貴方の従者でもない……」

「俺がいつ、お前に従者を辞めてもいいなんて言った?」

「もう俺が獣だって分かったろうが!」

「言葉を喋って、二本の足で立って、服を着た獣か。ふざけるのも大概にしろ」

「ふざけてるのはレイシール様だ!」

「お前だよ! 獣人だったらなんだっていうんだ⁉︎ 俺はさっき、凄く悲しかったんだ、お前が俺の傍に居たのが、ただ手の代わりの為だけだったなんて言われて‼︎

 俺ははじめっから、一度だって、お前をそんな風に考えたことなんかない!」


 はじめのはじめから、俺は言った筈だ。気にしてないって。手の償いなんか必要無いって。

 お前の自由にして良いと言ったんだ。俺はお前に、縛られて欲しくなかったから。

 だって俺は、縛られる苦しみを知ってる。

 奪われる痛みを知ってる。

 手から何もかもがすり抜けていく絶望を知ってる。

 お前にそんな経験、してほしいなんて、思うわけがないじゃないか‼︎


「お前俺に、全てを捧げているって言ったよな。俺はお前を縛りたくなかったから、その言葉が本当は、嫌だった。けど……お前がそんな風に、俺と距離を取ろうとするなら、お前にそんな自由は与えてやらない……だってお前の命は、俺に捧げられてるんだからな‼︎

 命令だ! 俺から離れることは許さない、命を絶つことも許さない!

 これを受け取り、俺の従者であり続けろ‼︎ お前の自由は、俺が奪ってやる‼︎」


 盾の衿飾りを握った手で、ハインの胸をドンと突く。

 胸が苦しかった。命令は嫌いだ。命令をすると、人は仮面を被る。意に沿わないことを押し付けられても、笑顔で畏まりましたと言うのだ。

 その表情が、俺は怖い。本心と裏腹なことが透けて見えて、針を刺されているような心地になる。

 それが積もりに積もると、人は、壊れてしまうのだ。

 だけど……それでも俺は、ハインを失いたくない。


「……そんな顔して、言う言葉じゃ、ないでしょうに……」

「どんな顔してるって言うんだ」

「泣きそうな顔です。いい年した男が、恥ずかしげもなくする顔ですか」


 馬鹿だなこいつ。と、表情で示して、ハインが俺の手を取った。

 指を開かされ、中にあった飾りを見る。


「何故、盾なのですか……」


 お前は、俺の盾なのだと、思ったからだ。だけど、それは言ってやらない。


「俺は命令したよな。これを受け取れと」

「……そうですね。命じられました。貴方は俺の全てを自由にする権利がある」


 そんな権利、糞食らえだ。


「畏まりました。仰せのままに。

 レイシール様の傍を離れません。貴方に命じられぬ限り、自ら命を絶つこともしません。

 貴方の為に私はあります」


 飾りを受け取り、俺の手を取るハイン。首部を垂れて、恭順の意を示す様に、手のひらと、甲に、唇を落とし。


「俺の魂は、貴方に捧げておりますから」


忠実な家臣であるとでもいうように、頭を伏せる。

 けど、そんな風に顔を隠したってな、俺は誤魔化されない。

 棘が、胸に刺さる痛みを感じているから。

 お前は、畏まりましたと言いながら、そんな風に思っちゃいない。

 だけど俺だってな、ただ手をこまねいておくなんてしない。


「お前は俺に望めと言った。

 幸福になることを願うと言った。

 だから俺はお前を望む。九年前と一緒だな……俺は初めて、俺の意思でお前を拾ったんだ。

 だから、俺が持つ一つ目は、お前だ」


 釘を刺す。ハインが俺から離れられない様に、深く打ち込むのだ。


「お前が死ねば、俺の呪いは本物だな……。

 持ってはいけないということだ……」


 そうなれば、俺はもう何も望まない。お前の希望通りになど、なってやらない。

 お前が幸福にならないなら、どっちにしたって、そうなるのだから。


「……性格歪みましたね」

「お手本がそんな風だからな」


 簡単に死なせてなど、やるものか。

過ぎてしまった、ごめんなさい!

とりあえず次の更新も来週金曜日を予定しています。次は遅れないよう頑張ります。

サクサク進めると良いんだけど……相変わらず亀の歩みの文章出力です。

今回も読んで下さって、ありがとうございます!


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