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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第四章
79/515

純血

 叫んだのは反射だった。


「サヤ! 止めて‼︎」


 俺が右手に持っていた小刀。小さな痛みが走り、手の中にあった感覚を消失した瞬間に、叫んでいた。

 ハインがそれを、己に突き刺す前に止めてくれ‼︎

 サヤは即座に反応してくれた。俺とハインの間にある僅かな隙間に、下から上へ、風が舞い上がり、次の瞬間、トッと、天井で音がして、ハインが手を押さえて呻く。


「馬鹿!」


 流石に我慢出来なかった。怒りに任せてハインを怒鳴りつけてしまう。

 襟首を掴んで引き寄せ、右手で頬を張った。

 それでもまだ、腰の剣に手を伸ばそうとする。

 聞きやしない。なら、実力行使で止める。

 そのまま頭に右腕を回した。更に腰にも左腕を回して、力を入れる。ギルと同じようにすればいいんだ。あれは抜け出せなくて、結構困る。


「この程度のことが、お前が死ぬ理由になると思ってるなら、怒るぞ!」


 ハインが身動き出来ないように、きつく抱き締めた。俺の腕ごとじゃなきゃ、首なんてかっ切れないように。やるんならそのつもりで来い!

 警戒したのだが、ハインはもう、抵抗しなかった。

 腕の中のハインが、ガチガチに身を強張らせているのが、腕から伝わってくる。

 怖がっている? 何をだ。俺をってことなのか?

 俺は、獣人という存在について、知識を掘り起こしにかかった。

 獣人は、災厄の象徴だ。

 今はもう、殆ど見かけることはない。

 二千年前の大災厄を引き起こしたとされる、滅ぼされた存在。

 その時、人も滅びかけた……。文明も何もかも、白紙に戻されたと言われている。

 滅ぼされた獣人が、何故まだ居るのか。

 彼らは人の中に、災いの種を残した……人から生まれるのだ。


 ハインは、災いの種か。

 それを、知られたくなかったのか。

 なんて馬鹿らしい……そんな、神話みたいな昔話を真に受けて、お前を疎むとでも思ったのか?

 そんなことで、俺たちの九年が、偽りだと考えるとでも?

 だけど……九年、ひた隠しにしてきた彼の傷口を、俺は今、無理矢理抉っている……。


「知られたくないことを、聞いてしまってごめん……。でも、俺は、お前のこと知らないままでいるより、この方が良かったと思う。

 もう、隠すな。俺は、お前がなんだって関係ない。ハインはハインだろ。俺は、九年共に過ごした、お前が好きなんだよ」


 ずっと俺を支えてきてくれた。俺の過去を聞いても、こ揺るぎもしなかった。お前くらい、俺を分かって、支えてくれる奴には、もう絶対出会わない。

 死のうだなんて、しないでくれ。お前がいなくなったら、俺はきっと、心が欠けてしまう。


「私は、貴方をこんなものに、関わらせたくないんです……」

「俺はお前に関わりたい」

「貴方はまだ懲りもせず、これ以上妙なものを、背負い込む気なのですか……」

「妙なものって何だよ……。俺は、妙なものを背負った覚えは、全く無い」

「妙なものだらけでしょう。私に、サヤに、マルですよ」


 獣人に、異界人に、変人か。そう考えると確かになかなか壮観だな。ギルは……あ、拾われたのは俺の方になるのか。


「兇手に関わるだけに飽き足らず、獣人にまで関わって、貴方はどうなりたいんです……。

 獣人が、何を招いて、何故恐れられてるか……知らない訳ではないでしょうに……。

 貴方の手の自由を、私は奪った。だから、償いの為だけに、生きているんです。なのに、私の所為で、貴方がこれまで以上の鎖に繋がれるなら、私がここにいる意味は無いでしょうに」

「お前の居ることに意味なんて、初めから求めてないだろ!」


 そもそも俺は、お前を手の代わりだなんて、思ったことは一度だって無い!

 お前は俺を、友にはしてくれなかった。

 けどそのかわりに、俺を主人にしてくれたんじゃ、ないのか?

 ただ手の代わりだけのつもりで、ずっと九年も、俺のところに居たっていうのか?


「意味が無いのに、獣人と関わるなんて、どんな酔狂ですか」

「貴方が関わらせたくないって思ってるのはぁ、獣人じゃなくてぇ、狂信者の方なんじゃなぁい?」


 交渉役の口出しに、ハインがビクリと反応する。

 狂信者……?

 答えを求めて視線をやると、交渉役は腕を組んで立ち、俺たちを見据えていた。


「だってねぇ、貴方くらい血が薄かったら普通ぅ、本人すら気付かないで、人として生活してるもんよぉ。

 ちょっと感情に流されがちだからぁ、喧嘩っ早かったり、酒に溺れたりして、周りとの軋轢は生みやすいんだけどねぇ。

 貴方、自分が獣人だってこと、疑ってないってことはぁ……番号持ちでしょぉ?」


 ハインの足から、力が抜けた。

 けれど、崩折れる前に、ハインの背後から伸びてきた、もう少し大きな手が、俺たちを支える。


「いい加減にしとけよ……。これ以上、こいつを攻め立てんな」


 ギルだ。

 ハインをいとも簡単に、ひょいと担ぎ上げてしまう。

 横抱きにされたハインが、とっさに暴れようとするが、慣れたギルはがっちり固めて抵抗を許さない。


「もう腹括った。俺も聞く。全部聞く。

 俺だってな、お前はもう切っても切り離せねぇって思ってんだよ。レイだけじゃない。お前ももう、俺の血肉になってんだ。今更お前だけこそげ落とすなんざ、無理だからな!」

「っ、いいから離せ‼︎」

「離して下さいってお願いしやがれ‼︎」


 いつもの喧嘩腰なやりとりが始まり、普段なら呆れるのに、それが妙に嬉しい。

 ほら、知ったところで、何も変わらない。

 疑問は山と出て来たけれど、今は良い。ハインを失わないで済むなら、それ以外は後回しできる程度の、瑣末ごとだ。

 それよりも、ハインを獣人だと、言い当てた彼女。

 マルは当事者同士にしか分からないと言った。なら……。


「貴女も、獣人ですか」

「勿論そうよぉ。あたしは、その坊やよりずっと、血が濃いけどねぇ」


 交渉役が、そう言って初めて、目深に被ったままだった頭巾を外す。

 短く刈られた胡桃色の髪と、菫色の瞳が露わになった。面立ちは、美しいというよりは、妖艶で、どこか猛々しさというか、生命力の様なものを感じさせる。結構年上に見えるが、女性の年齢はよく分からない。

 外套を外すと、肉感的な肢体も露わになった。筋肉質でガッチリとしているが、女性としての特徴も顕著だ。視線のやり場に困るほどに。片足だけが、異質ではあったけれど。

 と……、髪の毛の一部が、ひくりと蠢く。そしてそれは、驚くことに立ち上がった。

 耳だ……。人のものではない……犬か、狼か、狐か……そんな感じの耳。

 そして、本来あるべき場所に、人の耳は無い……。


 俺は、マルを見た。

 視線が合うと、彼はニコリと笑った。


「マルの望んでいたものは、得られたの?」


 そう問うと、何故か不満げな顔をされた。


「ちょっとレイ様……彼女の特徴を見て言うことはそれだけですか」

「特に言うことは無い。獣人がどういったものか、俺もハイン以外を知らないんだから、答えようもないと思うよ。強いて言えっていうなら、ハインは普通の耳だな。くらいかな」

「ええぇ、無反応って初めてだわぁ。興味を持つとか、怖がるとか、嫌悪感を露わにするとかぁ、もうちょっと何かあっても良いんじゃないのぉ?」


 何故か交渉役にも不満を述べられた。

 何かって言われてもな……。

 本当に、何も無いのだ。誰が獣人であったからって、それがなんだというのか。


「今更というか……。俺は、獣人より余程あり得ないものを、もう知っているし……。獣人がこの世に存在してることは知っているから、生きていれば遭遇することもあるだろう。くらいの感覚ですよ。

 それから……何も知らないままに、何かを決め付けたくもない。だから、今、俺の感想は保留にして下さい」


 この瞬間に知った事実だけで、ハインに烙印を押す様な真似は許さない。俺たちがどうやって過ごしてきたかを、知りもしない者たちに、好き勝手言われたくないのだ。そしてそれは、彼女だって一緒だろろうとも、思った。

 すぐ傍で、未だ警戒を解かず、集中しているサヤを見る。

 本来なら、出会わなかった娘だ。獣人なんかよりも、余程あり得ない存在。

 俺の考えていることを、マルは察してくれた様子だ。

 やれやれと言った風に、溜息を吐き、苦笑した。


「そういえばそうですね。獣人より余程あり得ない者に、レイ様は遭遇してますからねぇ」


 そうだよ。そしてそんな者に、俺は心を奪われてるんだ。


「ハインが獣人だからといって、俺は何も困りませんし、変わりません。

 貴女が獣人であることも同様ですよ。

 さぁ、気が済んだなら、取引の話をしませんか。貴女の名を教えて下さい」

「ご子息様と、商人さんの心構えは聞いたわぁ。けれど、そちらのお嬢ちゃんは、大丈夫なのぉ?」


 坊やからご子息様に格上げされたな……。まあ、呼ばれ方なんて、なんだって良いのだけど。

 交渉役の質問に、俺はサヤを見る。

 彼女は、未だ警戒を解こうとしてはいなかったが、俺が名を呼ぶと、眉の寄った、困り顔をした。


「あの…………そもそも私、ジュウジンというのを存じ上げません」

「あっ……」


 そ、そういえばそうだ。

 サヤには宗教絡みのことは、表面的なことしか伝えていなかった。

 サヤがたまに話してくれる、サヤの世界の話にも、獣人は出てこなかった。つまり、居ないということなんだな。

 サヤの言葉に、交渉役はこの日一番、呆気にとられた顔をした。ポカンと口を開き、明らかに自失している。うん……まあ……この世に獣人を知らない人が存在するなんて、普通考え付かない……。


「えっと……何をどこから説明すべきかな……。うーん……いや、下手に話すと夜が明ける気がするな……」

「マルクス、この娘、獣人を知らないって、どういうことぉ?」

「あはは、サヤは遠い海の果てにある島国の出身なんですよ。前人未到、未開の地ですからねぇ」

「どこの野蛮人よぉ〜」


 どこか憤慨した様子の交渉役に、マルはまあまあと、宥める様に言った。

 貴女にとっても、良い出会いとなるかもしれないんですよぅ。と、悪戯の成功した子供の様な顔をする。そして、おもむろに問うた。


「貴女が来てくれる機会があれば、必ず確認しようと思ってたことが、さっき一つ叶ったんですよ。

 貴女は先程、彼女の匂い、ちょっと変って、言いましたよねぇ?」

「言ったわよぉ、蛮族の血の匂いなわけぇ?」

「いいえ、純血の匂いだと思うんです。

 とはいえ。確信持って言い切る為には、サヤくんに交配、出産して頂かないといけないんですけどねぇ」


 こっ、交配⁉︎ しゅっ……しゅっさ……っ‼︎⁉︎⁉︎⁇

 っておまっ、お前なに口にしてるんだ⁉︎


「彼女に獣人の血が流れていない可能性は、ずっと前から考えていました。

 サヤくんの話を聞く中で、彼女の住んで居た場所に、獣人が居ないことは知ってましたからねぇ。

 だから、我々と匂いが違うかどうか、一度確認して頂きたいと、常々思ってたんですよ。

 ただ、サヤくんの場合、前提条件が沿っていない可能性もあります。

 本当に人の純血種かどうかを確認しようと思うと、そこら辺の誰かと交配して頂いて、生まれた子の匂いが我々と同様であるかどうかを確認……い、痛い痛い痛いです!」

「貴方ぁ、女性に交配だの出産だの軽々しく言ってるんじゃないわよぅ⁉︎ 無神経にもほどがあるって前々から言ってるでしょぉ⁉︎」

「だってそうしないと確認しようがないんですよ!」

「この変態! 奇人‼︎ そこら辺の誰か、とか。よくそんな言葉口にしたわぁ!」

「えええぇぇ、好きに選べば良いんですよ? できれば複数と交配して頂ければ、血の濃度についても研究でき……まっ、ちょっ……し、死にますよ? 僕……」

「死んだらぁ?」


 ギリギリと首を締め上げられるマル。けれど止める気はしない。サヤに対する暴言の数々は酷すぎた。反省してくれ。

 サヤはというと、交配とか生まれた子の血とか、危険な単語の応酬が恐ろしかったのだろう、見事に怯えてしまっていた。

 大丈夫、絶対にそんな酷いことはさせないからと、言って宥めるが、俺にもビクッとしたから少々傷付く……。すぐ謝ってくれたけど……。

 とにかく、話の収拾が全くつかないし、どんどん脱線していっている気がする。

 一旦話を戻そう。そう思った時、「いてっ!」と、ギルが呻き、慌ててそちらに視線をやったら、ギルの腕から逃れたハインが、立ち上がっていた。


「マル…………どういうことですか……。

 サヤには獣人の血が流れていない? その言い様では、そこらじゅうに、獣人の血が流れている者が居ると、聞こえるのですが?」


 ギラギラと、燃える様に揺らめく眼光。

 ハインの鬼気迫る様子に息を呑むが、ハインの言葉も気になった。

 先程は、交配や出産という言葉に気を取られていたけれど、確かに……。

 そのハインの様子に、交渉役とマルは、顔を見合わせる。マルの首から手を離した交渉役が、ハインの言葉に答えを返した。


「ひとつ、良いことを教えてあげるわぁ。

 貴方の知ってる話が、全部じゃ、ないってことよぅ。

 そもそも、本当かどうかも怪しいわぁ。

 あいつら狂ってるんだから、まともなこと言ってやしないのよぅ。

 ねぇ、坊や。死ぬかどうかは、全部を知ってから考えても、良いんじゃなぁい?

 あたしもねぇ、本当はもういいやって思ってたのよぅ。でも、知っちゃったら、馬鹿らしくなっちゃったのよねぇ」


 棒をくくりつけた片足を、自嘲気味に見下ろして言う。


「まあ、その辺はおいおい、お話ししますよ。

 その為にも、まずは目の前の問題を解決し、時間を確保しなくては。結構大仰な話になりますからねぇ」

「あのなぁ……兇手と取引するって話に横槍入れて、散々引っ掻き回してんのは、お前だ!

 お前の言う『必要なこと』はもう済んだんだな⁉︎ ならややこしい話は後だ!

 ハイン、てめぇもだこの馬鹿! 次にあんな真似しやがったら容赦しねぇからな!」

「ふん……何が出来ると言うのですか」

「ほぉ……反省無しか……。ならサヤに拘束してもらってから、お前の耳元でずっとお前への愛を囁いてやろう……」

「⁉︎……お前、変態か⁉︎」

「女を口説く時の様にやってやろう! お前が自死する気が起きなくなるまで懇々と、語ってやるぞ‼︎」


 目の据わったギルに、ハインが慄く。

 ハイン、ギルも相当怒ってるんだって理解しろ。俺も怒ってるからね。なんなら参戦するぞ。

 言いたくないことを黙っているのは良い。俺だってそうしてる。けど、とりあえず死んで終わりにする様な考えに走ったことには、本当に怒っているんだ。


「後で、説明してくれるんだな?

 なら、とりあえずは、些細な問題から解決して、時間を確保しよう」

「兇手に狙われるのが些細ですか。さすがレイ様。胆力ありますねぇ」


 のほほんと言われ、イラっとした。

 あのね……兇手が些細なことになる様な話をぶち込んできたのは、誰⁉︎


「実際ややこしいんだよ!

 とりあえず解決できる目処が立ってるものからさっさと終わらせる!

 でないと、いくらだって問題が積み重なりそうだろ⁉︎」


 そもそも俺は、兇手を忍に出来ないかって話をしたかった筈なのに!

 獣人とか狂信者とか純血とか! 気になって仕方がないのに保留にしなきゃいけないとか‼︎

 氾濫の問題に集中したい時なのにあああぁぁぁもう!


「ですよねぇ。レイ様の歯車、見事に噛み合ってしまった様子ですからねぇ。

 じゃ、サヤくん。お茶にしましょう。さっきのクッキーというの、僕、食べたいです」


 陽気なマルの様子に、俺は頭を抱えた。

 ハインのことを、知れたのは良かったと思う……思うけどな、これだけごっちゃごちゃにしといて全く意に介していない。

 いや……分かってたことだマルはこういう奴だって。沢山のことをいっぺんに考えてる変人だ。こいつに舵取りを任せると、こうなる。

 まあしかし、良い勉強になったと思おう。そして、こっちがどれだけ混乱してても、こいつにはちゃんと状況把握が出来てるのだ。だから、慌てないし、動じない。俺に必要なのは、マルがきちんと物事を進め、結論に至るまで保つ、忍耐力だ。

 自分にそう言い聞かせてから、顔を上げた。

 よし。じゃあ始めるか。


「サヤ。獣人については、後でゆっくり教えるから、しばらく我慢しておいてくれ。

 ハイン。俺は、兇手と取引する。そう決めた。お前が関わらせたくないと思っているものも、お前に関わることなら、お前が嫌がっても、俺たちは関わるから。そこはもう覚悟してもらうしかないからな」

「……賢明な判断とは思えません」

「賢明に考えてお前を失うなら、そんなもの、糞食らえだって言ってるんだ」


 一応釘を刺しておいてから、俺は交渉役に向き直った。


「じゃあ、お願いします」

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