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多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第三章
48/515

夜市

 広場に近付くにつれ、喧騒が大きくなる。

 親子連れや、夫婦なのか、恋人同士なのか……連れ立って歩く姿が増えてきて、篝火が焚かれた広場を目指して進む。

 まだ十代前半のように見える少年が数人、横をすり抜けていって、先の雑踏に消えていく。

 学舎にいた頃、王都の夜祭に、あんな風にして駆けていったことを思い出す。俺と、ギルと、ハイン。そして、学舎の友人たちと……。

 あそこを去ってから、皆の名を思い出さないよう、極力考えないできた。

 俺と関わるのは良くないことのように思えたから。いつか罰が、友にも手を伸ばすと思ったから。……いや、あれは多分言い訳で、自分の意思で手放したと思うために、俺は彼らを捨てたのだ。

 ハインとギルは傍にいてくれた……だからそれで充分だと……他は要らないと言い聞かせて。

 なくしてしまった友を、失くなったことにしたのはどうやら自分だったと、今になってようやっと気付いた。サヤに言われて、俺はやっとそれを認めたのだ。


「どうかしましたか?」


 俺の横を歩いていたサヤが、俺にそう声を掛けてきた。

 どうやら笑っていたらしい。

 思い出していたのだ、いつぞやの夜祭の時のこと……。


「うん。学舎にいた頃のことを思い出したんだよ。

 王都の夜祭にね、友人たちと行ったことがあったなって……。ギルとハインと、あとは……クリスタ様と、ルオード様、ユーズ様と……テイク、シザーもいたなぁ。

 クリスタ様があんな風に走って、ユーズ様に怒られたんだよな……体調管理する気が無いなら帰れって。ルオード様が、まあまあって取り成してたんだけど……その後ろでクリスタ様は、舌を出して、まるで反省してなくて……。結局最後はユーズ様が背負って帰られたんだったなって」


 生成りの短衣に水色の袴、薄茶の腰帯を纏うサヤが、俺を見上げて微笑んだ。

 紫紺の鬘に少し、違和感を感じる。けれど、笑顔の眩しさは損なわれたりしない。質素な色合いの衣装も、サヤをくすませたりなどしないのだ。


「クリスタ様は、アギーのご子息様なんだ。ルオード様とユーズ様は、クリスタ様の従者。とはいっても、二人とも子爵家の貴族なんだけどね。

 アギーは子沢山の公爵家なんだよ。御兄弟が多くて……クリスタ様は……真ん中くらい? 十何番目かのお子だったと思う。

 生まれつきの体質で、お身体が強くないんだ。

 二週間以上前から体調管理を徹底して、なんとか夜祭に行くことを承諾してもらえて、やっと出歩けると思ったのに、グダグダ小言が五月蝿いって怒って喧嘩して……ふふ。で、負ぶわれて帰る背中でも、ごめんなさいって殊勝な声音で言っているのに、顔は不貞腐れてて……。でもユーズ様は、それで許しちゃうんだよ。仕方ないですねって」


 俺の横で、手が触れるか触れないか、ギリギリの位置を歩くサヤ。

 ルオード様とユーズ様は、出世されて近衛になられたと聞いた。

 クリスタ様は、お身体のこともあるし、アギー領に戻られているかもしれない……もしくは、王都で文官でもしてるかな……彼の方の気性じゃ、似合わないにも程があるけど。


「テイクは鼻が効くんだよ。

 彼の鼻で美味いと判断した食べ物は大抵美味いんだ。料理人の息子なのに何故か学舎にいてね。

 世界放浪、食べ歩きの旅に出たいから入ったって言うんだ。護身術も語学も学べて、地理、歴史にも詳しくなれるからって。それで、世界中のものを食べて研究して、世界一の料理人になるのだって言ってた。

 ハインもね、彼だけは、邪険にしないんだ。仲の良い素振りは全然しないのだけどね、一目置いてるんだよ。テイクの料理とか、テイクに食べさせる自分の料理とかには、物凄く目をギラギラさせてさ、で、テイクが怖いって俺に泣きつくんだ」


 話しているうちに、広場に入った。篝火の数が増え、少し暑い。広場に二重の円を描くように、屋台が出ていて、背中合わせになるように設置されているので、全ての屋台を巡るためには四週する必要がある。まずは広場の外縁をゆっくりと歩きながら、俺は視線を巡らせた。


「シザーは……ほとんど喋らないんだ。目も糸みたいに細くて、開いてるんだか閉じてるんだか、分からない。

 ギルなみに体格が良くて、肌が黒くて、南の方の異国の血が流れてるって言ってた。セイバーンにいるんだけどね……。ずっと南の、小さな町の衛兵の子なんだ。

 どうしてるかな……もう卒業したよなぁ……あ、俺より一つ下の学年だったんだ。

 すごく温和なんだけど、肌の色を揶揄われるのだけは嫌いで、怒ると、目がうっすら開くんだよね……物凄い、怖いんだ。喋らないから余計怖い」


 そして俺が知る中では、シザーが一番強かった。

 まるで筋肉の質が違うのだ。身体能力が軒並み高く、学年内どころか、学舎内で一二を争う程に強かったと思う。指に障害が残り、剣を握れなくなった俺に、根気よく短剣の扱いを教えてくれたのは、ギルとシザーだったな……。面倒見の良い、優しい奴だった。


「懐かしい……なんか久しぶりに思い出した……。っあ、ごめんっ。俺の話ばっかりしてた」

「ううん。なんや、凄い楽しい。

 レイが学舎の時のこと話してくれたん……初めてやね」

「……日々に追われて、時間が無かったもんな……」


 思い出してはいけないものだったから……きっと辛くなると思っていたから……。

 でも、今俺は、少しの苦しさと、沢山の喜びを感じている。

 彼らと共に過ごした時間は、俺の人生の中で、辛くも苦しくもない、幸せなひとときだった。

 そして、もしかしたら、まだ繋がっているかもしれない……そんな幸せと。

 忘れようとしていた俺を、みんなが許してくれるなら……。


「……あの頃は、屋台といえば揚げ芋だったんだけどな……。あ、丁度あそこにあるし、買ってみよう。サヤも食べる?」

「揚げたお芋……すぐお腹いっぱいにならへん?」

「そう?じゃあ、二人で分けて食べる?」


 何気にそう聞くと、さやがきゅっと口を閉じ、若干恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。学舎では、友人同士で普通にそうしていたから気にしていなかったが、サヤの様子に慌てて今の無し! と、言おうとした。

 けど、サヤがその前に、コクリと頷く。


「……おおきに」


 ありがとうって、言うってことは……だ、大丈夫なんだよな?


「ちょっと待ってて」


 サヤを道の端に残し、屋台に足を向ける。串に刺さった揚げ芋一本を購入し、ついでに、隣の店で腸詰めも買った。これも定番だったんだ。

 サヤの元に戻り、揚げ芋を持ってもらい、腸詰めに巻かれた萵苣を千切ってから、腸詰めの先の方に巻く。反り返っているそれを、逆向きに折ると、子気味良い音を立てて、腸詰めが割れた。


「これも、半分。

 腸詰めって、普段あまり食べないんだけど……屋台で売られてると、やたら美味そうに見えるんだよ」


 そう言って差し出すと、サヤは可笑しそうに笑い、受け取ってくれる。


「パリパリの皮が、ものすごう、美味しそうやわ」

「あー、確かに。ちょっと焼き過ぎなくらいが美味いよな」


 串に刺さった揚げ芋は四つで、これもはじめの二つを口で引き抜き、残りを串ごとサヤに渡す。サヤは串の両端を持って横から芋を齧って食べる。その姿がなんとも愛らしい。

 腸詰めの油で少し手が汚れてしまったが、サヤが手拭いを差し出してくれたので、礼を言って手を拭いた。


「やっぱり、国が違うと、様変わりするんやねぇ。

 私の国では、揚げ芋は細長く切って揚げる。串に刺さんと、紙の器に入れてある。

 反対に、腸詰めは串に刺して売ってはるんよ」

「へー、サヤの国の屋台なら、定番は何?」

「うーん……わたあめ……? 砂糖を熱で溶かして、雲みたいにふわふわになったんを棒に絡め取る」

「なにそれ……魔法?」

「そんなわけあらへんやん? 熱で溶けた砂糖を風で巻き上げるとな、空気中で冷えて、また砂糖に戻る。そないにしたら、細い糸みたいになってるの」

「へええぇ、凄い。見てみたいな。他には、どんなのがある?」

「焼きとうもろこし。湯掻いてあるのに、牛酪と醤油を塗って……醤油って、分かる?」

「調味料なんだよな? どんなもの?」

「大豆を湯掻いて発酵させたのを絞った汁?」

「………大豆で調味料って、聞いたことないよ……」


 他愛ない話をしながら広場を歩き、気になるものがあれば買って、分けて食べた。小物を売る屋台を冷やかし、遊戯場で的当てをし、ただ話しながら歩く。

 サヤは終始和かにしていて、俺の話に優しい微笑みを絶やさなかった。たまにサヤを見る男の視線が気になりはしたが、サヤが意に介さない様子なので、とりあえず流しておく。

 人が多く、一度サヤの肩に人がぶつかりそうになったため、サヤを俺の右側に移動させた以外は、恙無く過ごせていた。

 喉が渇いて、飲み物を買おうと屋台を覗くと、サヤは炭酸の果汁割りを注文したのでびっくりした。それ、美味しい? 俺はなんか苦手なんだけど……。だけどサヤは、とても美味だと言う。

 サヤの国にも炭酸の飲み物は多くあり、好きだったのだそう。なんだか意外だ……。


 広場を一周して回るだけで、結構疲れた。

 篝火が暑いし、人も多いし、夜とはいえ汗を掻く。ちょっと休憩しようということで、広場から伸びる路地の一つに入る。どことなく、サヤが疲れているように見えたのだ。こんな人混みを、長時間歩き回ったら疲れるよな。路地の壁に凭れ掛かって、行き交う人々を見つめる。


「けっこう腹が、ふくれたな……」

「何種類食べたやろ……六つ? せやけど最後は、甘いものが欲しいかも」

「ええっ、腹一杯って言ってるのに甘いもの?」

「屋台、甘いもの全然あらへんかったもん。私は京都ではな、お祭りの最後は五平餅を絶対に食べるの。わらび餅でも、大判焼きでも、ベビーカステラでも、なんでもええけど……お祭りの最後は甘いものやの。なんや違うと、落ち着かへん……」


 そんな風に言い、口を尖らせるサヤ。

 その仕草がとても幼げで、なんだか近しく感じて、つい口元が綻ぶ。

 我儘を言っている風なのも、甘えられているようで心地が良かった。


「サヤの国は、甘いものが豊富なんだな。屋台でも甘いものが沢山あるんだ。

 うーん、甘いもの……」


 何かあったかな?

 記憶の中を探り、そういえば、揚げ麺麭の屋台は甘いなと気付く。

 麺麭に砂糖をまぶしてあるのはあまり好きじゃない。だからさっき素通りしたのだ。


「ちょっとそこで待ってて。すぐそこだから、買ってくる」

「えっ、私も……」

「大丈夫。ほんの、二、三軒先だから。サヤは休憩してて」


 そう言い置いて、路地にサヤを残し、俺は喧騒の中に戻った。

 なんだか、身が軽い。サヤと二人だからなのかな。いつも肩の上にのし掛かっている、重りが無い。

 街人のような服装をし、髪を隠し、サヤと楽しむ夜市。

 買ったものを、半分に分けて食べて……なんだか……そう、まるでそこらを歩いている、恋人たちのようだ。

 …………こっ……っ⁉︎


「……違う……そういうんじゃ、ない」


 つい、そう例えてしまっただけだ。サヤは夜市が初めてで、買ったものを分けて食べるのは、友人だから。学舎でも、みんなでそうやっていたんだ。だから、そういうんじゃ、ない。……なに頭沸かしてるんだ俺……。

 少し後ろめたい気持ちになってしまいつつ、揚げ麺麭を購入し、踵を返す。

 うーん……見事に砂糖でザラザラしている……これもやはり、半分なんだろうか……。

 そんな風に考えながら、視線の先の路地を見て、息を飲む。

 サヤの周りに、男が三人。壁を背に、サヤが立っている!


「サヤ!」


 まだ視界の先で、手のひら程の大きさでしかないサヤに向かって言う。

 サヤなら聞こえる。そして俺もサヤに向かって走った。

 ハッとしたサヤがこちらを見て、それにつられた男らもこちらを見る。その隙にサヤは、男らの横をすり抜けようとし、そのうち一人の手が、サヤの腕を掴んだ。その間に、俺も人をかき分け、サヤの元に駆けつける。


「俺の連れなのでね、離してやってくれないか」


 サヤの腕をつかむ男の、その前に立って、俺はそいつの目を見据えた。


「あー? 俺ら、この子が体調悪そうなんで、面倒見てやっただけなんだぜ?

 なのに、あんた何、そのツラ。随分険悪な顔じゃねぇ?」

「手を離してやってくれ。震えているのに、気付いていないわけではないだろう?

 その子は、君らほど気安く人に、触れて欲しいたちではないんだ」

「はぁ?」

「……なんかこいつ、スカした喋り方がムカつくな……」


 失敗だ。サヤを一人にするなと、ギルに言われていたのに……祭りに浮かれてこのざまだ。

 サヤを見ると、泣きそうな青い顔。先程も、きっと足に力が入らず、走れなかったのだと結論を出す。見ていても分かるほどに震えているのは、何か、サヤの嫌なことを、言われるなり、されるなり、したのかもしれない。

 サヤを囲む男らは、俺と同じくらいか、少し下。背は、俺の方が少し高い。

 そして何処となく漂う酒気……。まあ、目の前の三人からだろう。酔っ払いか……。

 俺に、サヤを庇いつつ戦えるほどの実力は無い。なら、ことを荒立てずに済ますには、どうすれば良いだろう……。


「面倒を見て頂いたなら礼をいう。

 ……そして、今なら不敬も咎めまい。その手を退けと、私に何度も言わせるな」


 帽子に手を掛けながら、敢えて高圧的に口をきくことにした。

 一歩前に踏み出し、篝火の側から路地の暗がりへ。あまり目立ちたくない。

 帽子を取ると、中に仕舞い込んでいた髪が転がり出てきて、俺の左肩から胸元に、結わえられた銀の束が垂れてくる。


「もう一度言わねばならんか? 手を退け。其の者に触れるな」

「きっ…………貴族、様……⁉︎」


 サヤの手を握る男が、一瞬ひるんだ隙をついて、サヤが手を振りほどいた。

 そして俺の方に伸ばしたその手を取り、引き寄せる。抱き止めるとサヤの瞳が、安堵に溶け出しそうになる。


「大事ないか」

「は、はい……」


 涙目で震えるサヤを背に回して、もう一度目の前の男を見る。

 男らは暑さからではなさそうな汗を掻きつつ、一歩身を引いた。


「せっかくの夜市なのでな。場を白けさせるようなことは、出来るならばせずにおきたい。

 何か、今日の行いに申し開きがあると言うのなら、バート商会に来るが良い。

 私の特徴を言えば、取り次げる様にしておこう。この髪を……覚えておけ」


 そう言って髪の束を指で摘み、チラつかせてから手を払う。

 行け。と、貴族がよくやる身振りなのだが、実はやってみたのは初めてだった。

 それを合図に、男らはさっと路地の暗がりに逃げ込んでいく。


 しばらく見送って、更に戻ってこないか確認したのち、俺は盛大に溜息を吐いた。


「サヤ、ホントごめん……。怖い思いをさせた上に、買ったはずの揚げ麺麭も、何処かに落としてきたっぽい……」


 いつの間にか、両手が空になっていたのだ。

 何のためにここを離れたんだか分からない。本当に俺、なにやってるんだ……。


「ええ、よ。い、今は、食べれる、感じや、ない、し」


 震えるサヤが、俺の背中で、中衣を握りしめて、そう言う。

 腰をひねってサヤに手を差し出すと、サヤがその手を取ったので、そのまま引き寄せて抱きしめる。

  冷水を浴びた様にガクガクと、震えるサヤに、申し訳なさが募る。

 ここまで震えるサヤは、赤い礼服を着た、あの時以来……。相当な恐怖だったのだろう。


「嫌なこと、された……?」

「だ、だいじょう、ぶや。近くに来るまで、気い付かんとおった、私も悪い。

 浮かれて……意識して、へんかったん……。こそこそ、言うてた、嫌な話を、聞いてしもたし……気持ち悪く、なっただけや……。

  耳、便利やけど、こんな時、あかんな……」


 サヤに聞こえない様に行われた会話が、サヤには聞こえていた。それがサヤを、こんな風にする内容だったのかと見当をつける。その上で絡まれ、囲まれてしまって、逃げられなかったのか……。


「かんにん……役に立たへん……。護衛や、のに……。やっぱり、男装が、ええ……。お、落ち着く。嫌な視線も、なくなる、し」


 サヤの言葉に、まさかずっと、嫌な視線や、言葉を浴びていたのではと気付く。

 気付かないでいたのではなく、沢山のそれに疲弊して、集中が保てなくなっていたのでは?

 楽しそうに笑っていたけれど、ずっと、我慢して……っ。


「サヤ……今日はもう戻ろうか……」


 これ以上辛い思いをさせたくなくて、そう言うとサヤは弾かれたように顔を上げた。


「か、かんにん……折角、楽しぃしとるのに、私……」


 泣きそうな顔に、胸が苦しくなる。サヤはきっと俺のために我慢していたのだ。俺が楽しめるように、息抜きができるようにと、耐えていたのだ。

 そんなことにも気付かずに、俺はただ一人浮かれていた。ギルの忠告を、きちんと理解していなかった。

 そんな風に俺を大切にしようとするサヤに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「ううん。俺はもう充分楽しめたよ。夜市、久しぶりだったし。

 まるで普通の街人みたいな心地を味わえた。

 こういうのも、たまには良いなと思うけど……俺は、サヤと部屋で、のんびり話をするのも好きだよ。その方が、落ち着く」


 そう言って微笑むと、サヤが眉の下がった顔で、キュッと口を引き締めた。

 俺がサヤに気を使っていると、思っているのかもしれない。

 だから、サヤの頭を肩に引き寄せて、背中をポンポンと叩く。

 心配しないで。本当にそう思うんだ。サヤと一緒に過ごせるなら、俺はなんだって良いんだから。


「次に街を歩く時は、男装が良いかな。綺麗なサヤは、ギルの所だけにしよう。

 そうすれば、俺も周りの視線にヤキモキしないで済む」


 野卑たことを言ったり、無体なことを望んだり、不埒な目をサヤに向けるような奴らに、綺麗なサヤは見せたくない。


 黒髪のサヤは男装するしかない。

 それはサヤにとって寛げないことだと思っていたけれど……人より耳の良いサヤにとっては、そうではないのかもしれない……。

 本来なら、聞こえないものが聞こえてしまうサヤにとって、女性の装いでいることが、辛いこともあるだなんて、考えてもみなかった……。

 そんな風に、思慮の足りなかった自分に溜息を吐くと、サヤが身を固めた。

 あれ? どうかしたのかな……震えは……収まってきてるみたいだけど……?

 顔を覗き込もうとしたけれど、何故か俯いて見せようとしない。

 だけどサヤの手は、俺の胸元で服を握ったまま、身を離す素振りもみせない。俺を怖いと感じている訳じゃなさそうだな……。というか、俺の胸に頭を押し付けて顔を隠している様に見えるんだけど……。


「どうしたの、大丈夫?」

「う、うん、なんでもあらへん……。レイって、結構、天然さんなんかな……」

「テンネンサン?……なんて意味?」

「そ、その…………それよりっ、さ、さっきからな、広場の方から、声が……レイ、髪隠さへんと、人が……」


 髪⁉︎

 忘れてた‼︎

 帽子、帽子はどこに⁉︎ 周りを見渡すと、少し離れた場所に投げ捨ててある。

 慌てて帽子を取りに行き、結わえた髪を中に押し込んだ。


「み、見られた?」

「大丈夫や、思う。貴族がどうこう言うてる声は、せえへんよ」

「はああぁぁ、良かった……もうこんな場所で貴族ってバレたら周り中が興醒めするとこだった……」

「そんな、大変なん?」

「大変だよ! 視界に入る人全員が頭下げて直立してるんだよ。しかも声掛けなきゃずっとそのままだ。吊し上げられてるようなもんだよ!

 その後もずっとそこらへんに貴族がお忍びで来てやしないかってギスギスした雰囲気なんだ。まったく、全然、楽しめない。夜市の初日でそんなことになったら三日ともそんなだよ、最悪だよ。あああぁぁ、考えただけでも足が震えてきそう……」


 ちなみに経験済みだ。バレたのは俺じゃなかったけど。

 忍ぶんなら徹底して忍んで来いよってギルがマジギレしてた。

 俺がそんな風に肝を冷やしていたら、暫く呆気にとられていたサヤが、ぷっと、吹き出す。


「レイ、いっつもなんや、委員長みたいやのに」


 はい? イインチョウとはなんですか。

 小首を傾げる俺に、サヤは堪えきれぬと言わんばかり、くっくと声を殺して笑う。


「ううん、なんでもない。

 なんや、大人っぽくないレイが、ええなって。いっつもそうしてたらええのに」


 口元に手を当てて、笑うサヤが、なんか今までに無いあけすけな笑い方で、ドキッとした。

 アミ神の様な、柔らかい微笑みではなく、サヤが普通に、何の気負いも考えもなく、ただ可笑しくて笑ったのだ。

 しばらくその笑い顔に見惚れていた。そして、ただ見つめる俺に気付いたサヤが、顔を赤らめて視線を逸らす。

 可愛かった。

 何をしてても綺麗だし、可愛いと思っていたけれど、屈託無い笑顔のサヤは、殊の外可愛かった。どうして今、俺の腕の中にいないんだと思ってしまうほど、抱きしめたい衝動に駆られた。けれどそれは圧し殺す。

 サヤの気持ちの安寧のためじゃない接触だから。

 サヤが不安にならないように。それだけ意識すればいい。口角を上げて、笑みを浮かべ、言うべきことだけを口にする。


「戻ろう、サヤ。帰ってゆっくり、お茶でもしよう」

「はい……」


 路地を出て、広場の外縁を歩く。

 屋台から離れたこちら側は、比較的人も少ない。俺の耳に聞こえるのはただの喧騒。けれど、今サヤにはどのように聞こえているのだろう……。サヤを苦しめるものでなければ良いのだけど……。

 少しでもサヤの不安を取り除けたら……そう思ったので、サヤの手を握り引き寄せる。連れ合いがいると思えば、無遠慮な視線も少しは減るかもしれない。

 広場を出ると、人も一気にまばらになる。

 子供を抱えた親子連れや、寄り添った老夫婦。そんな中に紛れて、足を進める。


「ありがとうございました。夜市、楽しかったです」

「そうか、良かった……また来よう。今度は、気兼ねしなくて良い格好で」


 お祭りの終了とともに、サヤが仕事の口調に戻る。

 そして俺も、明日のことを意識して、気持ちを切り替える。

 氾濫対策。明日の再決でどうなるか……。

 結果待ちというのは、落ち着かないな。

次の更新は来週日曜日です。


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