人望
首の皮が一枚繋がった。
明日の再決定。まあ、先延ばしになった程度ではあるが、それでも一応、繋がったのだ。
とはいえ、俺はちょっと気落ちしていた。
最後に手を挙げた後継二人……俺、二人の意見に介入してしまったのだろうか……言わないと言ったって、俺が何を望んでるかなんて明々白々だったのだから。
退室する一同を見送りつつ、そんな風に考えてしまう。
最後の会話が全く関係なかったとは、思えないのだ。あの二人と話し、あの二人が賛成票を挙げた。その事が引っ掛かってしまう。
かといって、あの時あれ以上何を言えたのかと考えると……思い浮かばない。
頬杖ついて溜息を溢していると、サヤが「お疲れ様でした」と声を掛けて来た。
「お疲れの所、申し訳ないのですけれど、商業会館のレブロン様が、お待ちです」
「ああ、そうだった。ありがとう、行くよ」
サヤに促され、会議室を退室して、斜め向かいの部屋に案内される。
ここは確か、同じく商談用の、小部屋であった筈だ。
サヤが扉を開けると、レブロンとマルが何か雑談を交わしていたのだが、立ち上がって礼の体制になる。良い、顔を上げてくれと声を掛け、席に着いた。レブロンとマルも、自身の席に座り直す。
「レブロン、わざわざ済まない。待たせてしまったか?」
「いえいえ、私も案内されたばかりです。マルの件でのお話だと伺いましたが、会議の席でもお伝えした通りの契約を交わしております。わざわざ宜しいのですよ?」
「それなんだがな……。私はそのような契約が交わされていたのを、先程初めて聞いた。
どういう事だ、マル。まずそちらから説明してくれ」
半眼でそう聞くと、えーっ、と、嫌そうな顔をされた。
駄目だ。誤魔化されないからな。
先程も、なんだか言いたくなさそうにしてたし、何か良からぬ理由が隠れているのではと、勘ぐってしまう。言うまで引き下がるつもりはないと見据えていると、仕方ないと諦めたのか、渋々といった風に、口を開いた。
「あのですねぇ。僕は、レイ様が思ってるよりは、レイ様に感謝してるんですよ」
「……は?」
全く理由になってないことを言うので、つい棘のある言い方で聞き返した。
その俺に、今度はマルが半眼になった。そしてまた、要領を得ないことを聞くのだ。
「僕、何年学舎にいたと思います?」
マルって、幾つだったかな……。確か、三十路よりは手前だったような……?
俺に質問したくせに、マルは俺より先に、答えをあっさり口にした。
「十八年です。必ずと言っていいほど留年しましたからねぇ。同じことを複数回学べば、当然成績も優秀です。武術は二年やっても、全然でしたけどねぇ」
答えさせる気が無いなら聞くなと言いたい……。
それに、お前のはそれで得られた成績じゃないだろ……座学は常にほぼ満点じゃないか、どの年も。
そう思うが、マルの話はまだ続くようなので、とりあえず黙っておく。
「その間にねぇ、レイ様ほど、僕に関わった人はいないですよ。
どちらかというと、僕は最初、倦厭してたんです。貴方のこと。
ごちゃごちゃした貴族の厄介ごとには関わりたくなかったし……」
言葉を濁したのは、俺の境遇を誤魔化す為だろう。
だけど、関わりたくなかったというのは少し、びっくりした。まさかそんな風に、思っていたなんて……俺は、マルに余計なことをしてたのか……?
つい眉が下がってしまう俺に、マルが溜息をつく。
「そんな顔しないで下さいよ。感謝してるって言ったじゃないですか。
初めはそうでしたけど、途中からはそんな風に思ってませんでしたって。
とにかくね、レイ様は、十八年いた中で、誰よりも一番僕と関わって下さったんですよ。僕がどんな風でも、普通に受け入れてくれたでしょう?
意味の分からないことを言っても、奇行に走っても、全然気にしない。その後も普通に、接して下さるんです。
ほんと、凄い胆力だと思いますよ。家族だって、たまに、僕にお手上げなんですからねぇ」
ちょっと頭が緩いのかなって思っちゃいましたよ。そう言って肩を竦める。褒めたいのか、貶したいのか、分からない。
その横で、レブロンはニコニコと俺たちを見比べていた。
「だから、レイ様にここを紹介された時、恩を返すのに丁度良いかなって思ったんです。
しかも僕にとって最高の仕事場だ。更に恩が上塗りされちゃいました。
なので、レイ様の為に働こうかなって。
僕が思うに、貴方は多分、このままでは済まないですよ。男爵家の次男坊、妾の子で日陰者。そんな立場で終われるはずがありません。
レイ様は優秀です。学術的な意味で言ってるんじゃないですよ?
卒業資格は得られませんでしたけど、あと半月あそこに居れば、貴方は絶対に、お声を掛けられていた。そんな方がここで燻ってていいわけ……」
「ちょっ、お、落ち着けマル、なんか、変なこと言ってるよ! お声なんて、掛かるわけないだろ?」
マルが奇怪な発言を始めたので慌てて止める。
そんな恥ずかしい勘違いよしてくれ。お声が掛かるなんて、あるわけないじゃないか。俺の成績は至って平凡だったぞ。
そんな俺に対し、マルはあえて不敬にも、言葉を遮ってきた。
「掛かってますよ。僕が保証します。貴方を一番知らないのはレイ様自身ですよ」
呆れた風にため息をつきつつ言うマルに、サヤがこてんと首を傾げる。
「…………あの、お声が掛かるとは?」
「ああ、学舎はねぇ、立身出世の場なんですよ。
お声が掛かるというのは、王族の目に留まり、引き抜かれることです。
この方は自分を知りませんからね。もしくは凄まじく高望みです。結構な高成績を凡庸と言い、自分の優秀さを認めないんですよ」
肩を竦めてそんな風にいうマルに、俺は顔面に血が上ってくるのを自覚する。恥ずかしい勘違いを、サヤに話さないでくれ!
「万年首位を独走してた奴に言われたくないな! 俺みたいな成績なんてゴロついてる!」
「はぁー、これだから……。そりゃね、レイ様くらいの成績の人は、それなりに居ましたよ。貴方は二年も若かったけれど、どうせそのことは考慮しないんでしょう?
僕の言う優秀は、学業だけじゃないですよ。人望です。そして、人を繋ぐ技術です。
貴方は優秀ですよ。なんで貴方が挟まると身分関係なく人が繋がるんですかねぇ、不思議です」
僕も繋がれちゃってんですけど、手管は解析できてません。と、マルは言う。
俺は、その辺にものを手当たり次第放り投げたい衝動にかられた。居た堪れないというのはこのことだ!
俺が何かしてたか⁉︎ いや、してない! 皆と同じように学業に励み、日々を過ごしていただけだ。そりゃ、仇名は奇姫だったが、それは孤児を拾ったり、町人とつるんだり、貴族らしからぬ行動が多かったからだ。
それ以外は極々普通に、日々を過ごしていただけだぞ⁉︎
「そもそもね、レイ様が学舎を去った後、どれ程の貴族や町人が涙に濡れたと思ってるんですか。
貴方が決めたことだからと、言い含めて落ち着かせるのに苦労したんですよ。
ちょっかい出すなって、クリスタ様が一喝しなければ、暴走してるのが何人もいましたよ絶対」
初めて聞かされたことに、唖然とした。
え? なんで? なんで涙に濡れるの、なんで暴走するの? 意味が分からないって。
俺は別に、そんな風に思ってもらえるような何かを、した覚えなんて無い。
そんな俺の態度に、マルはまた溜息をつくのだ。
「ほらねぇ、無自覚なんですよ。
簡潔に説明しますとね、レイ様は人たらしなんです。かなりの。しかも保護欲を唆るんです。ものすごくタチが悪いんですよ。
そんなのに僕は膨大な恩を感じてるんです。どうやって返せばいいんでしょう。とりあえず紹介して頂いた仕事を全力でこなしつつ、なかなか人に頼ろうとしない、貴方の貴重なお願い事に、答えていくしか無いかなと思ったんですよ。だから、その様な契約をしました。レイ様が僕を必要とする時が来れば、それを最優先にすると、決めてたんです」
「なんで? お前今までそんな素振りなんて……」
欠片だって見せやしなかった……。
そう呟く俺に、見せるわけないでしょと、怯えつつマルは言う。
「そんなことしたら、ハインの独占欲刺激してろくなことになりませんよ。
消されますよ、ええ。自信もって言い切りますよ。ハインに消されます!
あれはギルだから均衡を保ててるだけですよ」
「ええっ? そんなにヤバいか⁉︎」
「ハインはヤバイですよ。むしろ何故ハインと普通に接してられるんですかね貴方は。
その辺も含めて、僕は貴方をかなり評価してるんですよ。
あ、これぶっちゃけたの内緒にして下さいよ。二人とも居ないなんて滅多にないから言ったんです。女中の貴女もね……組合長もですよ当然」
挙動不審気味に言うマルに、レブロンは「はいはい。重々承知してますよ」とニコニコ温和な笑顔で答える。
そして、会話が途切れたのを見計らって言葉を添えた。
「そんなわけでしてね。マルクスはうちの仕事をきちんとこなしてくれてますし、それが出来るならばいくらだってうちを空けてもらっても大丈夫なんですよ。
その辺の匙加減はマルクスに任せますので、ご子息様はご子息様側の都合で、マルクスを使っていただいて構いません。給与も、マルクスが仕事をこなせているなら発生して当然ですから、気にされなくても結構です」
「あ……いや……何か、思わぬ手間を掛けさせてしまっていた様で……すまないな」
「いえいえ、何も掛かっておりません。むしろ、本当に助かってるのですよ。有り難い限りです。マルクスのお陰でうちは回っている様なものなのでね。
それに、何も言わずとも引き戻せるのにそれをせず、こうしてこちらとの都合を考えてくださる。それがどれ程有り難いことか。本当にご子息様は、人たらしだと思いますよ」
えええぇぇぇ⁉︎
赤面する俺に、レブロンは人好きのする笑顔で「良い意味ですよ」と付け足す。
な、なんか……変なこと言われすぎて、何をどう考えれば良いのか、分からなくなってきた……。
マルを借り受けるための話し合いの席はそんな感じのまま、なし崩しで終了した。
頭を抱える俺に、サヤはただ、いつもの柔らかい笑みを向けていた。
◆
マルを問い詰める予定がまさかの大告白になってしまった……。
なんだか、想定していなかったことを次々聞かされた……なんなんだ。
マルはもう暫く、レブロンと共に今後の仕事との兼ね合いについて話し合っていくそうだ。
サヤと共に応接室に戻ると、ギルとハインが先に戻っていて、サヤはきちんと、ハインに報告していたようで、お帰りなさいませと迎えられる。
「どうでしたか」
「どうもこうも……会議で言ってた通りの契約がされていた……。
マルは今からも、商業会館の仕事をしつつ、水害対策の指揮も取っていくみたいなんだけど……大丈夫なのかな……主に体調。ほんと、大丈夫なのかな……」
マルは虚弱なのだ。
地元では生きていけないと言われる程なのに。
俺がそんな風に思い悩んでいると、サヤがこてんと首を傾げて聞いてくる。
「マルさんは、何か大きな病でもお持ちなんですか?」
「ん? いや、そういうのじゃないよ。
元々あまり頑丈じゃないんだ。人という生物のなかで、最弱に生まれたと言って良い。
更に運動全般が苦手で体力がつかない。食事を平気で抜くから更に耐力が保てない。そしてなによりもとにかく、生きていくための意識が極端に少なすぎるんだよ。なんかもう、人としてどうなのってぐらい希薄なんだ。
一回、在学中にマルの体力診断をやったことがあるんだけど、五歳児並って結果が出たんだ。
正直、五歳児と勝負しても負けそうな気がするけど……。走ったら三十歩も進まず息を切らすよ」
「はあ……徹底的に、身体を怠けさせてきてるって感じなんですね」
「運動にとことん向かないのですよ。あれに体力をつけるのは無理です。だから一生虚弱で通すのだと思いますよ」
「だなぁ……。学舎でも結構色々試したんだけどな、全然駄目だったし」
挑戦はしたんだ。うん。マルが人並みに生活できる様にって。だけど本人にやる気が無いし、徹底的に適性が無いし、ほんと駄目だった……。
「まあ、今回は本人がやる気を出してるんですから、ほっとけば良いんじゃないですか?
必要に駆られれば体力がつくかもしれませんよ」
「甘いものを、差し入れする様にします? 考えることの足しになるって分かって頂けたと思うので、今までよりは食べて下さるんじゃないでしょうか」
「そんな心配より先に、明日の再決の問題を考えろよ……。このままじゃあ、河川敷、できねぇんだぞ?」
う……あえて見ないふりしてたのに……。
ギルの指摘に、一同揃って渋面になる。
考えろって言われても……考えてどうこうできるものでもないしなぁ……。
正直、会議を始めてしまった以上、言うべきこと、やるべき事はもう無い。領民の意思を尊重しようと思うならば、放置しておくしかないのが現実だ。
もしくは、今日出た意見に対しての打開策を提案するか……。だが、反対のための反対意見の打開策って……思い付ける気がしないな。
「先程サヤに報告を受けたのだけど、根回しがあったみたいだ。
川の氾濫対策が利益になる人間なんて、いないと思うのにな……何故だろう。反対数を増やしたい者の目的はなんだと思う?」
「氾濫を防ぐことが不利益になる者ならいますよ。土建組合や職人組合は、氾濫の後始末で結構潤うのでしょうし。……なのに何故あの土建組合後継は賛成票を上げたのでしょうね」
「土嚢が気になって仕方ねぇんだろ。すげぇ食いついてたし」
「反対を上げている者の中心は、やはりあの三人なのでしょうが……利益を得られる職業でない者ばかりですしね…そこが妙に、引っかかります……」
麦商も、清酒組合も、川の氾濫で稼げる立場にはいない。両替商にしたって、今はもう悪事の手を潰されてしまっているのだしな。
もしエゴンが何か考えていたのだとしたら、ウーヴェが挙手するのもおかしい。それさえ無ければ、土嚢を使った水害対策は反対で成立できていたのだ。
「まさかの、ウーヴェに助けられたな……」
「そもそも、あの親子があの場に居なければ、反対票の半分以上はありませんでしたよ」
まだ根に持ってるのか……。不機嫌そうなハインの言葉に苦笑するしかない。
それはそうかもしれないが、俺は待つと決めたのだ。ウーヴェが何かしら言ってくるか、エゴンがどうにも言い逃れしようのない証拠が転がり込んでくるなんて事がない限りは、処罰するつもりは無い。
「なるようになるさ。とりあえず俺たちの考えられることは、メバック以外の場所で資金調達ができないかを、考えることかな」
今のままでは、反対多数で決定する可能性が高い。ならば、メバックで得る水害対策費で、去年までと同じ対応をしつつ、土嚢に割くぶんの資金を別で工面したい。
サヤやマルに聞いたところ、去年通りの壁の外側に、土嚢を積むだけでも今までより随分マシだと言われたのだ。河川敷に改良することはできないが、氾濫はできるだけ抑えたい。
「王都に、新しい水害対策として売り込むことはできねぇかな……」
「そのようなもの、実績が伴わなければ無理に決まっているでしょう」
「うーん……募金を募るとか?あとは……軍隊に売り込むかですね」
「ぐ、軍隊⁉︎」
サヤの口からとんでもない発言が出た。
聞き返した俺に、サヤは「遠距離攻撃を防ぐのに適してますから」と答える。
あ……ああ、そうか。サヤの国では、軍隊がこの技を有しているのだよな……。なら軍事にも使うのか……というか、本来はそのために軍が習得してるのだよな。びっくりしてしまった。
「つってもな……今のとこ、隣国とは諍いも無いし……使うか?」
「それ以前に、時間が足りないな……。連絡を取っているうちに、雨季が終わってしまう」
「そうですか……」
シュンとするサヤに、でも、来年以降の為には良い意見だと思う。ありがとうと伝えた。
時間を掛けられるなら、他領や国から資金を獲得できるということだ。これは意味がある。
とにかく今の問題は、時間が無いということなのだ。
難しいな、新たな資金調達……。俺の財では賄えないかな……。そんな風に考えつつハインを見ると「却下です」と、何も言わずに拒否された。読まれていたらしい……。だけど…なぁ……。
「…………名前を伏せて、常識に則った金額で寄付までなら認めます」
あ、譲歩はしてくれるんだ。
少しでも資金と実績が欲しいから、それは助かる。じゃあ俺からも少し出そう。
「あの……私の世界の話になるのですけれど……ローマという、古代の国では、道に名を付けることが、資産家のステータスだったんですけど、それは使えないでしょうか…」
サヤからまた提案があった。
また意味が分からない事ではあるのだが、サヤが言うのだから、きっと何かしら有効だと判断したに違いない。皆の視線がサヤに集中する。
「えっと、ステータス……っていうのは、なんて意味?」
「社会的身分、名声ですね。道を作る資金を提供すれば、未来永劫道に名が残るので、かなり名誉なことであったみたいなんです。今も名の残っている道がありますよ。二千年経ってますけど」
「うわー……二千年……」
「あー……貴族はそういうの好きそうだけどなぁ。……セイバーンの田舎道に名を残したい奴、いるか?」
「そうだよなぁ……」
むしろ名を残したとして、憶えていてもらえるのか、甚だ疑問だ。
腕を組んで悩む俺たちに、サヤは顎に指を当てて、ウンウンと何かを考えている。
名前……しるくろーど……てつがくのみち……などと、何かブツブツ呟いていたが、暫くして顔を上げた。
「道に名をつける栄誉と言う意味では、なにも本人の名前でなくても良いと思うんです。
例えば、私の世界には名のついた道は沢山ありますよ。哲学の道とか、絹の道とか、道の成り立ちに由来する名が付けられるんです。
こんなのはどうでしよう?道の始まりに石碑を置き、出資した人たちの名を刻んで、その記念に残すんです。
道に名前をつけるほどのインパクトはありませんけれど、石碑ですからずっと残りますし、これも結構、名声を得たい方には魅力的ではないかと。
……あっ、インパクトというのは、強い印象、影響みたいなものです」
「それの方が利用できそうではあるな……とはいえ……さっきと同じ答えに戻るんだが、田舎道の名付けに、一体誰が出資してくれるかって話だ……」
ギルが唸るが、俺はサヤの案に、何かが引っかかった。
土嚢を使った氾濫対策は例のない新しい方法だ。前例が無い、さっき散々そう言われた。
前例…前例…前代未聞……前人未到……つまり未開の地に足を踏み入れるということ。
それは偉業だ。誰もが成してないことを、初めて行うこと。
セイバーンの川の氾濫は長々と続く問題だ。それなりに、国内に周知された災害だ。
初めて土嚢を使った水害対策を行い、それに成功したとなれば、国の歴史に刻めるほどには偉業を成したと言える筈だ。
何故なら、自然災害に立ち向かい、勝ちを得た者はいない。その大きな事業に、関わっていたと主張できるのだ。
今まで何十年と、どうしようもなかった川の氾濫。セイバーンの名物とも言えるこれを、駆逐したとしたら……。その一番はじめの例となれるなら、その名声はセイバーンだけには留まらないだろう。
その、初めてのことに絡めて道に名を付け、そこに石碑を建て、出資した者として名を残す……。うん。価値はある気がする。しかも、膨大な金額を一人で出すのではなく、連名としてできるわけだ。
うーん……これは、使えそうな気がする……。しかしどちらかというと、土嚢を使った水害対策を成功させた後、河川敷を作る時にこそ、有効なのではないか。
「……水害対策費用を、半分にできるかもな………」
「お、考え付いたか?」
言葉にしたつもりは無かったのだが、溢れていたようだ。
ギルの問いに、顔を上げると、なぜか全員が俺を注視してた。……言わなきゃダメな雰囲気だな…。
「う……ん。サヤの言う、道に名をつけると言う方法を使って、メバックに借りる資金は前半の、氾濫を抑える、土嚢を使った水害対策のみに絞るというのは、どうかな。
その上で、次の工事について周知し、道に名を残す権利を付けて、寄付を募るんだ。
どうせ、河川敷作りに着工出来るのは、氾濫を抑えた後だ。時間はある。
そして、返す必要のない金だ。新たに税をかける必要が無い。払いたい者だけ出資するのだから、不満も少ないと思う」
「ああ、そりゃ、集まるなら有意義だな〜。二年分をひねり出さなくて良くなるなら、賛成票に傾く奴も居そうだ。
……しかし……出資を募るためには周知が必要だよな。そこに結構な金と、時間が掛かるんじゃないのか?
それと、結局メバックでそれをしても、あまり集まる気はしねぇぞ? 組合や大店は、もう前半部分に金を出してる」
「うん。だからね、幅広く出資を募る方が良いと思うんだ。セイバーン領内全体か、もしくは…他領も含める。他領には、新しい水害対策を少額で試せるようなものだ。宣伝費用は…出資してもらえると見越して組み込むか、自腹を切るかだな。
前例があれば、動き易くなる……。まあ、こちらは余計、失敗が許されなくなるんだけど……」
「とはいえ……土嚢を使った氾濫対策が行えないことには、河川敷は夢の話ですよね……」
サヤの言葉に、現実を思い出した。一同揃って溜息をつく。
「良いですねそれ。じゃあ、その方向で動いておきましょうか」
あ?
急に割って入った声に横を見ると、いつの間にやらマルが帰ってきていた。
もう済んだとばかりに上着を脱いで、整えられていた髪型もボサボサに戻っている。
「いつ帰ってたんだ?」
「道に名を残す云々って辺りからですよぅ。
それ良いですよ。使えます。僕の目的にも有効利用できそうだし。いやぁ、またサヤくんの案ですか? サヤくんはほんと、救世主だねぇ」
一人で勝手に納得してる。
俺たちはお互い顔を見合わせて、肩を竦めた。マルが何を考えているのか、見当がつかないからだ。
「まあ、マルが総指揮なんだし、使えそうだと思うなら、使えば良いと思うけど…」
「えっ? 本当ですか? 後で無かったことにしないで下さいよ? 使いますからね?」
「…………そんな風に念を押されると……嫌な予感しかしないんだけど……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。レイ様にとっても、悪い事じゃない筈です。いや、むしろレイ様の為にもすべきですよ。
うふふふん。大船に乗ったつもりでいて下さい。僕、ちょっと手紙書いてきますね。
あ、明日の再決定ですけど、水害対策費は半分になるって話で大丈夫です。前年同様一年分です。この提案で賛成票を稼げるように作戦を練っておいてくださいね。そこさえ突破すれば、あとは大船に乗ったつもりでいてくださって構いませんから。
あと宣伝費用は僕が自腹を切っておきますよ。ほんの手紙、数通ですから、安いもんです。
それじゃ、僕行きますね。ちょっと集中するので立ち入り禁止です」
なんか興奮している様子で捲し立てて、さっさと退室しようとするマルの襟首をひっ摑んだ。
「こら。夕食は食べなきゃ駄目だ。頭を働かせたいんだろう?」
「……そうでした。
仕方ないなぁ。じゃあ、夕食の時は呼びに来てもらって大丈夫ですよ」
サヤの話は役に立っている様だ。夕食を確約できた…。
にしても……一体何をしようというのか……何か、胸騒ぎがする……不安だ。
次の更新は来週日曜日です。




