表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
多難領主と椿の精  作者: 春紫苑
第二章
34/515

萵苣…チシャ(レタス)

 そのあとも、いくつかの屋台を見て回り、軽食を買い食いしたりした。

 売られている食べ物や飲み物は総じて四半銅貨で購入できる。計算の練習にはならないが、物の物価を知るには良いだろう。

焼いた腸詰めを萵苣で巻いたものを、サヤはいたく気に入ったようだった。食べられる包み紙なんて、凄い。と、感動してくれたのだが、なんで萵苣(チシャ)(レタス)で感動するんだ……意味が分からねぇ……。どこにでもあるし、どこでも使ってるだろうが……。

 軽食を出す屋台では、大抵萵苣が、水を張った桶に株ごと突っ込まれているのだ。


 他にも沢山覗いた。多く見て回ったのは、やはり装飾品や生地の店だった。

 品質の良いも悪いもごちゃ混ぜで、たまに、あまり質の良くない店にも立ち寄り、中の品物を確認させたのだが、サヤの審美眼は結構確かだった。

 そして、サヤはごちゃごちゃしたものがお好みではないらしい。

 大抵選ぶのは、簡素な意匠のもので、そのかわり品質の良いものだったのだ。

 直感で選んでるようにしか見えないんだがなあ……。

 サヤは、物の良し悪しを見分ける為の知識や経験も豊富であるのかもしれない。

 まったく、計り知れない奴だ。レイが執着してないなら、ほんと、欲しかった。


 広場を一回りした後、軽食の屋台が集まる区画で、戦利品の確認と休憩を取ることにした。

 椅子と机が置かれた空間があり、金を出せば席を購入できる。

 机の上に購入したものを置き、注文した飲み物を口にする。俺は香草茶で、サヤは果汁を炭酸で割ったものだった。炭酸にも物怖じしない……と。これ、舌が痺れるとか、涙が出るとか言って、結構飲むやつ少ないんだけどな……。


「おおむね、物の価値基準ってのが見えたと思うんだが、どうだ?」


 聞くと、サヤはコクリと頷く。

 あの後にもいくつか購入したのだが、結局サヤは、余計な買い物……というものをしなかった。

 サヤが購入したのは、革の短靴が一足、短剣が一本。その短剣を足に縛る革帯が一本だ。

 サヤは、靴の中に仕込んでおく短剣を持っていなかったのだ。

 あの野郎どもめ……本っ当に……気がまわらねぇにも程があるな……。従者の基本装備にすら意識がいってないとは……。

 ハインは知っている筈だが、自分が持っているから良いか。とか、サヤは無手だから必要無いか。くらいに考えているのだろう。

 他の貴族との交流がほぼ無いあの二人であるから、近年の常識とか、流行りとか、まったく頭に入ってない可能性も高いな……。

 ……待てよ……まさか、印についても知らない……なんてことないよな?

 ハインは装飾品に興味無いだろうし、レイ以外に仕える気すら無いから気にしてなかったんだが……サヤには必要な手段だと思う。一回確認しとく方が良いな。


 俺がそんな風に雑多なことを考えながら茶を飲んでいると、サヤがじっと、俺を見ていた。

 因みに、視線はそこら中から刺さってくるので、普段はあまり気にしない。気にしてるときりがないのだ。

 広場を巡るうちに、随分と俺にも慣れてくれたようだ。はじめはそもそも視線も合わなかったからな。

 なんか用か? と、視線をやると、サヤが少し、外套の頭巾をずらし、俺に目が見えるように調整してから口を開く。


「いえ……、ありがとうございます。とても、勉強になりました。

 ここに連れて来てもらって、本当に良かったなって、思います」

「気分悪くなったりはしてないか? それだけが、ちょっと心配だったんだが……」

「はい、大丈夫です。

 前回はお騒がせしてしまったんですけど……普段は、そんなに崩れたりしないんですよ?

 あの時は……こちらに来たばかりというのもあって……気が張ってたのだと思います。

 あれ以来、あんなふうに体調を崩したりは、してません」

「そうか。なら、良かった」


 俺が笑うと、サヤも微笑んだ。

 どこか離れた場所から、キャー! と、女性の声が耳に届く。

 サヤがそれに苦笑し、俺は溜息を吐いた。

 女といるんだから、控えてくれりゃ良いのにな……。

 屋台を見て回る間も、視線は常に感じていた。日常のことなのだが、一人でない時は、やはり気を使ってほしいものだと思ってしまう。

 こんな時、ハインの仏頂面は便利だな。俺が不機嫌な顔しても大して変化無いんだよな……。あと、レイと一緒だと視線の集まり具合は跳ね上がるが、大抵の女は遠巻きになる。あいつは案外、虫除けに便利な男なのだ。男に見えない美女顔だからな。背が伸びてしまう前はマジで美少女でしかなかったし。

 サヤも、顔を晒せば注目を集めるに違いない。髪の色が特殊なこともあるが、サヤには独特の華があると思う。美しいのだが、ギラギラしてないというか、ゴテゴテしてないというか……。

 この社会の美意識からは対照的な美だと思うのだ。

 花でいうなら、薔薇ではないく、百合。

 輝く太陽ではなく、月明かりに照らされる泉の水面のような……そんな感じだ。

 おっと、サヤをほったらかしにして思考に没頭していた。この機会だ、サヤの人となりをもっと知っておきたい。何か話しをしよう。

 うーん……とはいえ、サヤと共有できるネタなど限られるしな……。


「それにしてもなぁ。ハインが声出して笑うって……九年つるんで初めて見た」


 とりあえず、先程とても衝撃的だったことを話題にしてみる。

 サヤはそれにうっすら微笑んだ。


「料理をしていると、結構笑ってらっしゃいますよ?

 声を出してというのは、私も初めてでしたけど、鼻歌を歌ってらっしゃったりしますし」


 更に衝撃的な話をされてしまった。


「ハインが⁈……うわぁ、想像できねぇ……ていうか怖っ!

 なんだよクソッ……あいつ、俺の前にいる時は、常になんかご立腹中って感じだぞ」


 この九年ほぼずっとそうだぞ⁉︎

 まあ正直、出会い頭から最悪だったろうし、今更態度を改められても気持ち悪い以外の何者でもない気もするが……。

 俺の反応に、サヤは口元に手を当てて、くすくすと笑った。

 サヤが、ハインを悪く思っていないのは、その態度で充分伝わる。あの誤解の権化みたいなハインをよくもまあ、怖がらずにいられたと思う。このことだけで何度でも感動できるな。


「照れてらっしゃるのだと思うんですけど……。ハインさんって、天邪鬼ですよね?

 セイバーンにいても、ハインさん、結構ちょくちょく、ギルさんの名前を口にされるんですよ? 頼りにしているのに……それを言うのは嫌なんですねきっと。

 私の国では、ツンドラっていうのがあるんですけど、ハインさんは正に典型的です」


 ツンドラ……また、意味の読めない言葉……。

 説明を求めると、ツンドラとは、ツンツンしていてドライ。という言葉を略したものらしい。とげとげしている上に無味乾燥な態度……野良猫のような気質を言うのだそうな。

 おお、確かに。

 うまい表現だな。成る程、野良猫か。だが、それなら野良猫っぽいとすればすむんじゃないのか? サヤの世界はなんだか色々まどろっこしいな……。

 もう一度サヤに視線をやると、なにやら微笑ましそうに見られている。サヤはもう、俺を相手に恐怖を感じている風ではなかった。

 机に頬杖ついて、じっくり見にいくと、少し身を引いた。

 怖がっている様子はない……。なら、まあいいか、このままで。


「サヤは、レイにいつ、呼び捨てにするようにって、言われたんだ?」

「つい、先日ですよ。河川敷の話をお伝えした後……。きっと、私の様子を見て、気にして下さってたんでしょうね……。魘されているのを、起こしに行った時に……そう言われたんです」


 若干、眉毛が下がった。

 レイの話題は、軽率だったかな……。けとまあ、聞いてしまったものは仕方がない。そのまま聞く体制で待つと、サヤは話を続けてくれた。


「レイは、私と対等な立場で話をしようと、してくれたんだと思います。

 自分も呼び捨てにしてるんだから、私もしろって、ちょっと強引でしたけど」

「…………レイが、強引?」

「さん付けしたら、レイって、訂正されて、くん付けは、なんか違和感あるから嫌って」


 案外、我が儘さんですよねと、サヤが笑う。

 我が儘というかなんというか……甘えてる? サヤに随分と、心を許しているように感じた。それこそ、俺たちにだってあいつは……甘えるなんてことはほぼ、無い。


「…………想像できねぇ……普段のレイは、強引って、まず無いぞ?

 よっぽど、サヤに気を許してんのか……サヤは、信頼されてるな」

「えっ……そ、そんなことは……無いと思いますよ?」


 慌てて手を振って否定するサヤ。そんな様子が微笑ましい。

 俺たちの知らないレイ、俺の知らないハイン。それを知っているサヤという存在を、とても有り難いと思った。

 あの二人が、いままで見せなかった部分を出せる相手がサヤであるというなら、それはとても良いことのように思えた。一生懸命すぎて、自分たちのことを置き去りにしすぎるあいつらを、サヤが上手く調整してくれるようになると良いんだが……。

 内心そんなことを考えていると、


「あの……ハインさんは、レイのこと、レイシール様としか、呼びませんよね……」


 少し、遠慮がちにだが、そう聞いてきた。

 ちゃんと見てるよなぁ……。良い子だ、ほんと。


「ああ……ハインは、レイの友人にはならないって、自分で誓いを立ててるんだ。

 あいつも、こうと決めたら頑なだからな……」


 頬杖を止め、腕を組み座り直す。

 サヤには言っても良いよな。自然とそう思えた。

 この短時間だが俺も随分と、サヤに気を許してしまったような気がする。なんだろうな、サヤは、それをさせてしまう雰囲気がある。


「サヤは……レイの右手の傷を知ってるか?」

「はい…。指の傷ですよね? 中指と、薬指にある……。怪我をして、少し不自由になったって、伺ってます」

「あれともう一つな、右の脇腹にも傷があるんだ。

 ハインが……レイを刺したんだよな。出会って間もない頃」

「えっ⁉」


 うん、流石に驚くよな。あれだけレイシール様レイシール様ってべったりなハインが、初めはそんなだなんて。それがあった所為で尚更ってことなんだが。


「ハインが孤児だというのも……聞いてるんだな……。

 レイが拾ったんだよ。動けなくなるくらいの無体を働かれて、道に転がってたハインを、寮に連れ帰って看病したんだ。

 ハインに無体を働いたのは、貴族だったらしくてな……それをレイが拾うんだから、おかしな話だろ?

 ハインからしたら、新しい貴族に拉致られたくらいのもんだったんだろう。疑心暗鬼にかられて、刺しちまったんだよ。

 腹の傷は、手で庇ったから、大事に至らなかったが、指の方には、障害が残った……。

 だからあいつは、レイの手足になるって誓いを立ててるんだ。たとえレイが望んでも、同じ場所には並ばないって。

 過剰すぎるって、散々言ってるんだけどな。ハインは、自分の命はレイのものなんだと決めちまってるから、こっちが何言っても聞く耳を持たない。

 ややこしいだろあいつら。主従揃って」


 だが、ハインをそうしてしまったのは俺だ。

 お前の所為だと、責めてしまったから……。

 けどまあ、普段はあの態度だからな……。それを匂わせるような事は一切無い。

 今は本心からレイに心酔しているのも分かってる。

 けどもう少し、力を抜いてくれても良いんじゃないかと、思うのだ。


 俺の話を聞いたサヤは、目を閉じて何かを考えていた。


「それだけのことがあったのに……レイとハインさんと、ギルさんは……今みたいな信頼関係を築けたんですね……。凄いです」


 そんな風に言う。なんかむず痒い……。

 そういうサヤも、凄いと思うがな……。たったこれだけの期間で、あの二人の信頼を得てるなんて、誰が考えつくものか。


「レイが、呼び捨てにするのを、自分から許した相手は、学舎を出てからは一人もいない……。

 サヤは、特別だぞ。

 二年前から、人と深く関わることを、辞めてしまってたのにな……。

 レイは、サヤのことが、大切なんだ。だからあんなこと言ったんだ。

 あれはレイの本心じゃない。本当は、ずっと側にいてほしいと、思ってる」


 できるなら、本当にずっと、側にいてやってほしい……。

 だが、それは言えない。それはサヤに、全てを捨てさせることだ。

 だから、この話は続けてはいけない。すぐにレイの話にすり替える。


「学舎では、まだマシだったんだぞ? 仮面貼り付けてんのかってくらい無表情だったのが、だんだん笑ったり、拗ねたりするようになって……少しずつだけど、実家の呪縛から、解き放たれてきてたんだ。

 ハインを助けたのだって、レイの意思だった……。

 俺が卒業する年には、自分のやりたいことを、語ってくれた。

 自分で動くことを、始めてたんだぞ?

 なのに……。

 二年前は、ほんと……俺もヘコんだ。

 アミ神の采配を疑った。あんたはレイが可愛くないのかって、文句言ってやりたい気分だった。

 帰らせたくなかった……また壊れちまいそうで……。なのに、レイのやつは俺に一言も無しに帰りやがった。

 ハインに知らせを貰ってなければ、俺は知らないままだった……。

 おおかた、自分に関わり続けると、罰が及ぶかもしれないって、考えたんだろうが……。

 薄情だよな。少しくらい、こっちを信頼して、預けてくれりゃいいのにな。

 だけどあいつは………周りを巻き込みたくないばかりに、切り捨てるんだ……。

 こっちの意向くらい、確認してほしいよ。俺はそんなもんで、縁を切る気なんて、更々無かったのに」


 俺の話に、サヤはこくりと、頷く。そして、小さな声で付け足す。

「守ってもらいたいんじゃ、ないのに……」と。


 そうだな。身を削ってまで、守ってほしくない。

 友情ってのは、一方的なもんじゃねぇだろ? って、言ってやりたい。

 お前が俺たちを大切に思ってくれると同じだけ、俺たちもお前が大切なんだと、分かってほしい。

 お前が思っているほど、お前は無価値じゃない。他の何を捨ててでも、失いたくないと思うほど、お前は必要な存在なんだぞ。そう伝えたい。

 今のあいつには重すぎるし、理解できないことなんだろうけどな……。


「さてと。そろそろ戻るか?

 通貨については理解できたろうし」


 気分転換にも、なったろう。

 サヤは、「はい」と、返事をしたが、ふと、思いついたような顔をした。


「あの、もう一つ、ギルさんにお願いしたいことが、あるんですけど……良いでしょうか」

「ん?」

「私、文字を覚えたいと思うのですけど、教科書とか、参考書とか、そういったものはあるのでしょうか?」

「文字……。それも当然、教えられてないんだな……」


 俺が溜息とともにこぼした言葉に、サヤは苦笑で返す。


「本当に、時間が無かったんですよ。

 まずは収穫を終えてしまわないと、村の人たちが安心できなかったんです。

 レイが言ってました。畑も、家も、収入も失くすなんて事態にしてはいけないって。

 収穫が終わったから、少しゆとりが出来ました。今のうちに、憶えれたらなって、思うので」


 言葉は同じなのに、文字は全然違うんですよね。と、屋台の看板を眺めながらサヤが言う。


「ああ……文字の一覧でも書けばいいのか?それなら別に、帰ってすぐ用意してやれるが……。

 結構な文字数だぞ?」

「え?何文字ですか?」

「百二十文字だったかな」

「ああ、それくらいなら全然、大丈夫です」


 私の国の文字より断然少ないですよ。と、サヤは言った。

 サヤの国の文字は何文字なのか聞いてみる。すると、サヤはちょっと困った顔をした。


「一生かけても憶えきれないと思うんですよね……。五万文字超えるそうです」


 そう……そうってなんだ。全文字数の把握すらできてないってことなのか?


「お前の国って……計り知れないな……」



 ◆



 バート商会に帰り、サヤには購入したものを片付けてくるように伝え、俺は一足先に応接室に戻った。

 ハインは、先ほどサヤの使っていた執務机を、利用している最中だった。顔を上げず、報告を寄越す。


「レイシール様はまだなんの音沙汰も無しですよ」

「まあそうだよな。反応があるのは明日以降か……」

「そうでしょうね……。一日で持ち直せば良いのですが……。

 大店会議もありますし、雨季もあります。あまり崩れていられる状態でもないです。

 レイシール様のことですから、必要最低限だけ取り繕って出て来られますよ」

「……それはそれで、なんか、可哀想でならねぇな……」


 気分が滅入っても、死にそうなほど辛くても、やるべきことを放棄して苦悩してられるほど、レイは単純にできていない。

 ハインの言う通り、必要最低限だけ取り繕って、顔に無機質な笑顔を貼り付けて、出てくるのだろう……。


「なあ……、レイが出て来たら、サヤはどうするんだ。

 今まで通り従者見習いをさせておくのか? それとも、顔を合わさないよう、配慮しておくべきなのか……?」


 必要最低限だけ取り繕ってる状態のレイには、少しの刺激も均衡を崩す切っ掛けになってしまう可能性が高い。

 俺がそう聞くと、ハインは書いていた書類を片付け始める。


「そんなこと、私にだって判断つきかねますよ。

 サヤを見るだけで精神の安定が崩れる可能性も高いですが、サヤが居ないことで不安を掻き立ててしまう可能性だってあるでしょう。

 ただ、マルとの交渉の席も、大店会議も、サヤ抜きで行える気がしません。

 レイシール様は、何故この段階で、サヤを突き放そうとされたのか……」

「…………そんなこと考えてられないくらい、気持ちの制御がきかなかったってことだろ……。

 じゃあ、レイが辛いかどうか考えてる余裕もねぇな。サヤを同行する前提にするしかないってことだ」

「そうですね。

 ところで、サヤはどうでしたか?姿が見えませんが」


 書類を片付け終えたハインが、そう言って席を立ち、こちらに来る。

 俺は長椅子に移動して、ハインもそちらに促した。


「今、戦利品を部屋に持ち帰らせてる。

 ……なんていうか、あの娘はよく分からねぇな。分からんというか、計り知れない?

 良いものを見慣れているのか、審美眼は結構確かだった。その割に、華美なものには興味が無い。美しいと認識はしているんだか、価値をそこに見出してない感じだな。

 通貨も、位を一回伝えただけで理解しちまって……屋台の買い物も、つり銭の計算すら勝手にこなした。

 そのくせ、腸詰めが萵苣で巻いてあるだけで感動してるし……」


 俺の報告に、ハインはどことなく、口元を緩ませる。

 今まであまり、したことがない表情に、俺はまたむずりと、胸の奥がむず痒くなる感じがした。

 笑うまでいかねぇけど、少し和んだって顔だよな……。

 なんというか、サヤは本当に、人の懐に入り込むのに長けてるというか……警戒感を抱かせない。凝り固まったハインの表情すら動かし、動くことを拒否したレイの気持ちすら震わすのだ。相当だよな、これは。

 今だって、本来ならハインは、レイのことが心配すぎて、こんな顔してられないはずだ……。


「私は今更驚ききませんよ。あの娘が計り知れないのは、初日から嫌という程実感しましたからね。

 計り知れないのがサヤらしいと思えてしまう。

 ……サヤは、落ち着いた様でしたか」


 こうやって、サヤの心配をする……。レイ以外に、気を配るなんてな……。


「大丈夫じゃねぇか?

 レイの事情は、ちゃんと理解してくれた様だし、まだ周りを見てられる余裕を持ってる。

 ……なんつうか……あの娘は、芯がしっかりしてる感じがするし」


 下手したら、お前らより頑丈かもな。

 内心そんな風に思う。

 ハインがレイを刺した話の感想が、信頼関係を築けたことへの賞賛だったしな。

 酷いとか、痛かったでしょうねとか、そんな表面的な答えじゃなく、今の俺たちの関係を認めてもらえた様で、妙に気持ちが揺さぶられてしまった。

 本来なら、貴族と、町人と、孤児だ。接点なんて無い。こんな風に、仲間だと思えること自体が奇跡なんだよな。ハインが孤児だということも、口外していないのは、それをよく思わない人間の方が、圧倒的に多いからだ。言わなきゃ誰も、ハインが孤児だなんて思わないのだから。

 サヤは、それを知っても、そんなこと位に解さない。態度も変わらなかったのだろう。そうやって、二人の気持ちを得たのだと思う。


「お前は何してたんだ?」

「大店会議の下準備ですよ。ワドル師に、土嚢(どのう)は麻袋が金額的にも、強度的にも最有力という報告を頂きましたから、商業会館に取り寄せておいて頂こうかと。

 相当数必要でしょうしね。ざっくりとした計算でも、二万枚程は必要となりました。

 一度にそれだけは揃わないでしょうから」


 二万枚発注って……麻袋であっても結構なものだぞ?


「まだ決定もしてないのに、良いのか?」

「決定するでしょう。他の手段は今までやって、意味を成さなかったのですよ?それをまた繰り返す必要は無い。

 一度は試してみなければ、良し悪しも分かりませんから、まずは一度、試すことになると思いますよ」


 大店会議で主に会議の進行をしていくのはハインになるだろう。

 だから、こいつがそう言うからには、その流れになるように話を持っていくということだ。


「それよりも、まずはマルですよ。

 あれを引き込むのが一番問題だ。土嚢や河川敷は魅力的な情報だと思うのですが、もっとこう……餌を与えて手懐ける方が、簡単なんですがね。

 何か良い餌がないものか……」

「大抵のことを知ってるあいつにそんな手軽な餌があるかよ。

 サヤの知識くらいのもんだぞ、あいつが知らないことなんて……」

「サヤの知識はできる限り与えたくありません。サヤの負担になる。そして将来の我々の負担です」

「だよなぁ……」


 サヤに教えてもらった料理の知識を与えるしかないですかね……など呟くハイン。

 それは、最悪の選択だと思う。料理の知識は金を積む奴が多そうだ。危険すぎる。

 ……サヤの料理か……やはり美味いのかな……。


「美味いのか、サヤの国の料理は」

「奇天烈で美味です。なぜそのような方法が編み出されたのか、不可思議でなりません」

「奇天烈……ってのは、どういう意味だ? 料理だろ? 食えるもん調理するんだろ?」

「言いません」


 くっそ……。そうやって隠されると気になるんだよな……。

 こいつが美味って言うからには美味いんだろうし……こっそりサヤに頼んでみるか?

 俺たちがそんな愚にもつかない話しをしていると、サヤが部屋から戻ってきた。


「レイシール様のお部屋、物音一つしなかったです……」


 片付けのついでに、部屋の様子を伺ったのだろう。少し、沈んだ感じでそう言った。

 部屋が隣だと、やはり気になるよな……。


「大丈夫ですよ。明日か、遅くても明後日には、出てこられます。

 サヤ、辛いとは思うのですが……レイシール様がどのような態度でも、暫く耐えて頂きたいのです。

 きっと、不安定な状態が続くと思うのですよ。

 あの方は、他に当たるようなことは無いのですが、逆に自分を追い詰めていくように見えるので……見るに耐えないと思うのですが……それでも耐えるしかないのです。

 もし難しいようなら、私の方に報告して下さい。なんとかしますから」

「はい……。

 なにも、しない方が、良いのですよね……。はい、畏まりました」


 納得はできていないと思う。

 だがサヤは、そう言って頷いた。

 その顔は先程までの、朗らかなサヤではなくて、俺はサヤの気持ちを切り替えるために、声を掛けた。


「サヤ、じゃあ、約束した文字の一覧、あれをするか。

 紙に書き出せばそれでいいか?」

「あっ、待って下さい。

 百二十文字って、一音一文字ってことですよね。それなら、文字と一緒に発音をして頂けたら、私の国の文字がどれにあたるか嵌め込めると思うんです」

「ふーん……よく分からんが……じゃあどうすればいいか教えてくれ」

「はい。……あの、色インク……じゃ、なくて。色のついた墨って、あるのですか?とても高価だったりするのでしょうか?」

「んー?ある。うちはよく使うから、好きに使って良い。何色いるんだ?」

「何色もあるんですか……。とりあえず、赤色?だけ、お借りしたいです」


 ワドが色墨を準備する間、サヤが、紙に定規で線を引いていく。

 その辺の扱いも手馴れたものだ。

 縦に五、横に十の枠を作り、その端に、用意された赤墨で小さく文字を記していく。

 そんな紙を三枚用意してから、サヤは席を俺に譲る


「では『あ』の文字をここにお願いします。

 ここは縦に、あ、い、う、え、おです」


 なにやら順番も決まってるようだ…。

 とりあえず、言われた通りに記していく。

 つまり、この赤で書かれた文字がサヤの国の文字の、同じ音に当たるものなのだろう。

 たまに空白を挟みつつ、言われた音を言われた所に記していく。

 そうしていくうちに、枠は二枚目まで埋まり、三枚目を少しだけ埋めた。


「有難うございます。

 まだ書き出していない音はあるでしょうか」

「んー……全部書いた……か?」

「抜けてます。ツァ、ツゥ、ツォの音が無いです。

 ヴァや、ヴォの音の列も無いのでは?」

「順番がバラバラだと拾いにくいな……でもまあ、これで全部か」


 一応思いつく限り書き出すと、百二十文字弱となった。

 なんか忘れてたりしないよな……まあ、そうであっても後で書き足せば良いか。

 その一覧を、サヤは大事そうに受け取る。


「ありがとうございます。

 セイバーンに戻れたら……書類仕事もお手伝いします。

 それまでに、覚えておきますね」


 そう言いサヤは、書き上げた表に視線を落とした。

 とても嬉しそうに、眺めている……。

 あ、思い出した。サヤの意匠代を決めなければ。


「サヤ、後は意匠代だ。ものの物価は理解したろ。意匠代だが、俺は金貨五枚を希望する。

 お前の希望は幾らだ」

「え?広場でお買い物したので充分です」

「五枚に足りて無いだろうが⁉︎」

「じゃあ、文字を教えて頂いたぶんを足します」

「足りるか!そんなの銅貨一枚にもならねぇ!」


 俺とサヤのやり取りを、ハインが不思議そうに眺め、口を開いた。


「おや、随分と、親しくなれたようで」


 その言葉に俺が詰まると、サヤが少し微笑んで「はい」と、答える。

 ……なんかむず痒い。恋愛対象でない女性というのは、俺には希少だ。まあ、いることはいるが……あの人とは全然違うしな。

 どことなく、ルーシー感覚で扱っていたのだが、マズかったろうか……。

 そんな俺の内心を他所に、さやは顎に指を当て、こてんと首を傾げたあの愛らしい仕草で逡巡している。


「ギルさん、意匠代……という、抽象的なものにつける値段というのは、まだよく分かりません。

 私の図にそれほど価値があると思えませんし、そもそも、あの図は私の案ではありません。私の世界にあるものです。そこにお金を貰って良いのでしょうか……」

「お前しか持ってないものである事に変わりはない。

 お前の案でなかろうが、これが有効だと判断して、その図を記したんだろ。用途に沿った案だったから、俺は買うと決めた。金を出すと言ってるのは俺なんだから、貰え。あとな、こういうものは、要らなくても受け取れ。金で解決したと思わせておく方が、良い場合も多々あるんだぞ」


 なんでも良いから受け取れよ。

 この世界に一人で来て、頼る身内も居ないのだから、金は幾らあっても良い筈だ。

 そう言うわけにはいかなかったから、世間の常識を持ち出したのだが、何故だ……サヤがまた、例のキラキラした目を向けて来た。

 俺がビビって一歩引くと、両手を胸の前に組んで、そのキラキラの目で言うのだ。


「ギルさんって……かっこいいですよね。

 レイシール様が、ギルさんを慕う理由が、よく分かりました」


 な、なん……っ⁉︎

 かっこいいは聞き慣れてる。けれど、サヤの言うそれは、俺の普段聞き慣れたものとは違う響きだった。

 見た目について言ってるんじゃない。それはサヤの顔でよく分かる。

 見た目に関しては聞き慣れているが、そうでないのは慣れてない。おかげで顔が一気に熱くなった。


「おや、聞き慣れてるでしょうに」

「うるせぇ!」


 意地の悪い顔で、棘を刺してくるハインを怒鳴りつけ、俺は頭を掻きむしった。

 ああもう、なんか、やりにくいな!

 サヤは、不可解な娘だ。思いもよらないことを言ってくる。なんか他の娘と、見ている所が違う。感じていることが違う。この社会で好まれる娘とは程遠く違うが、そこが変に目を惹く。

 やばい。こいつは女の格好ではない方がいい。男装すべきだ。女だと思うと、変に意識してしまいそうだ!


「とにかく、金貨五枚!もうそれで良いな⁉︎」


 この話は終わりだ!俺の気が変になっちまう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ