覚悟
陽も陰り、夕闇が空を染める時刻となった。
間も無く夕飯なのだが、それまでの時間潰しに、サヤと手合わせをすることにした。
レイは部屋に篭ったままだし、サヤはそれを気にしている……。何かやらせていないと、サヤの間が持たないと思ったのだ。
場所は裏庭の端、普段俺が素振りをしている場所だ。
ハインはやって来なかった。
自室で書類仕事をこなしつつ、レイの様子を伺っておくらしい。
俺は全力を出すべく、運動しやすい服装に着替え、髪まで括り、準備万端で挑んだのだが……。
「くっそぅ……なんでだ。全然歯がたたねぇ……」
何度やっても地面に転がるのが俺だ!
今回など、木刀をやめて木槍で挑んだというのに、剣よりむしろ、さっさとやられてしまった……。
「槍の方が、間合いに入られてしまうとどうしようもなくなるんですよ。
槍は剣より重いですし、私はギルさんより軽量ですから、間合いの中に入る戦法になります。
懐に入ってしまえば、こちらの方が有利ですよ。
たぶん、短剣とかで相手される方が、私はやりにくい筈です」
「その間合いに、踏み込んで来られないように、しようと思ってたんだけどな!」
思ってたんだがサヤが身軽すぎる!「穂先しか刃が無いので避けやすいです」とか言いやがった! しかも一度なんか、俺が振るった木槍を足場にして後方に跳躍し、移動しやがった。人間離れしすぎだろ⁉︎
「あああくそ! 休憩だ! 息が整ったらもう一回だからな⁉︎」
木槍を投げ捨てて、俺は地面に転がる。
あたりはもう暗がりなのだが、ここには常に灯を置いている。
俺は転がりながら、次はサヤの言う通り、短刀を用意すべきか……いやしかし、なんか言われたままなのも癪に触る……などと考えていた。
それにしても、実力が違いすぎる……なんなんだこいつは。
普段あんなにおっとりふんわりしてるくせに、いざとなったら気迫も凄い。中身が入れ替わってるのかと思うほどに、普段のサヤとは違うのだ。
俺も結構自分の腕に自信を持っていただけに、ヘコむ……。女に太刀打ちできないなんて日が、来るとは思っていなかった……。
「先程は、私もどうしようかと思いました。
槍を足場にして逃げたのは、まぐれですよ。あれは破れかぶれだったんですけど、たまたま上手くいったんです」
「巫山戯んな。破れかぶれであんな動きされてたまるか!」
「ほんとですよ? 私も、私の世界では、こんなに身軽じゃなかったんですから。
ここの世界の私は、なんだかズルしてるみたいですよね。自分でも、ちょっと戸惑います」
そう言うサヤは、柔軟体操とやらをはじめていて、顔は地面を向いている。足を思い切り開脚し、体を倒す。これを丹念にしておかないと、動ける範囲が違ってくるそうだ。凄く柔らかいみたいだな……。それにしても、顔が見えないから、今、サヤがどんな表情をしているのかが見えない。俺は、今のサヤの言葉が、少し胸に引っかかった。
「お前がこっちに来て超人になったのだとしても、判断力や反射神経がよくなってるわけじゃねぇんだろ? じゃあやっぱりサヤの実力じゃねぇか……。お前の世界は、女でも身を守る術をここまで磨く必要があるほど、治安が悪いのか? なんで武器の鍛錬をしてないんだ。刃物持ってる方が格段に有利だろ、本来は」
なんで素手なんだよほんと……意味分かんねぇ……そう思ったのだが。
「私の国は、銃刀法違反というのがあって、護身のためにだとしても、刃物を持ち歩く人なんていないんです」
という、更に意味の分からない返事が返って来た。
ええ? 衛兵すら武装しないってことなのか?
「この世界の衛兵にあたる人たちは、私の世界では警察官といいますけど、その職の方も刃物で武装したりしません。
銃という飛び道具を所持してますけど、それもまず使いません。身の危険が迫っても、使えない場合が多いみたいです。
通常は、警棒という……棍棒の一種が武器の代わりでしょうか」
「……刃物を振り回すような悪人はいないってことか?」
「います。それでたくさんの人が傷ついたりもします。
でも……基本的に、平和な国だと、言われています。一億二千万人の人口で、無差別に人が殺傷されるような事件が起こるのは年に数回程度。細かい物は数えきれませんが、それでも、世界で有数の、治安の良い国として知られています。
人が善人であることが前提といいますか……夜中に女性が一人歩きしているのも普通です。ここの世界よりは、きっと安全な国だと思います」
サヤの話に、俺は口を噤んだ。
サヤは、無体を働かれかけた経験があり、男が怖いのだと、レイに聞いている。
そんなに安全な世界なら、無体を働かれそうになたというのは……かなり特殊な事例なのではないだろうか……?
皆が平和で安全だと思っている世界で、安全ではなかったサヤは、結構心細い思いをしていたのではないか……。ふと、そう思った。
言うなれば、ありえないとされることに、遭遇してしまったということなのだ。
当然周りにとっては平和な世界。サヤだけが、そこで孤立していたことになる……。
だからサヤは、自分の身を守る術を、身につける必要に駆られた……そういうことなのか?
「大きな戦争の後、武術をすることに制約が掛かった時期もあったそうですし、その辺も影響しているのかもしれません。そんなわけで、武器を持って武装という自衛手段を取れない社会なので、素手の格闘技というのが多数あるんです。少林寺拳法、空手、柔道、合気道……他にもありますよ。
勿論、剣道や薙刀……槍の一種ですね。弓道など、武器を扱う武術もありますけれど、護身術というよりは、自己鍛錬、精神修養の意味合いが強いと思います」
サヤは、気にした風でもなく、自分の世界の話を続けている。
話に区切りがついたところで、俺はこの話を打ち切ることにした。
「成る程……武器の扱いを習わなかった理由は分かった。
持てないんじゃ、どうしようもねぇよな」
この話は、させるべきじゃないなと、思ったのだ。
サヤの辛い記憶に直結することなのだ。下手をしたら、体調を崩すかもしれない。
レイが引きこもってるのに、サヤまで体調を崩すなんてことになっては言い訳もできない。
「さて、息も整ったし、もうひと勝負するか。
あー……サヤは、短剣で攻撃してもらった方が、修練になるのか?
剣や槍じゃ、あまりお前の修練になってないように思うんだよ。実力差がありすぎて。
お前は、こうして欲しいみたいなのはないか?」
正直認めたくないが、俺は確実にサヤに数段実力が劣る。
これじゃ、俺が鍛えてもらってるようなもんだ。
だが、サヤはそんなことはないと首を振る。
「修練になっていないってことは、無いですよ?
私の世界では、基本が素手対素手での攻防だったので、武器を相手にすること自体が良い練習です。
でも……できるなら、本物の刃物を相手にしたいです」
……………………なん、で⁉︎
呆気にとられてしまい、返す言葉のない俺に、サヤは柔軟体操は続けつつ、顔だけ上げた。
「私、実際に刃物を相手にした経験がありません。
ですけど、この世界にいる以上……そしてレイシール様の従者を続けようと思う以上、その練習をしておくべきだと思うんです。
なので、是非、お願いします」
柔軟体操を終えたサヤが立ち上がる。
顔がマジだ。真剣だ。本気で希望している……。
俺は両手を振って、全力で拒否を示した。無理無理無理!
「無理! お、俺の実力じゃ、お前相手に手加減なんて出来ねぇぞ⁉︎
万が一怪我でもしたら……どうするんだよ⁉︎」
サヤは、そんな俺の拒否に、こてんと首を傾げる、あの愛らしい仕草で反論してきた。
「でも、刃物を相手にするには、練習が必要です。
私……もしかしたら、実際の刃物を相手にすると、体が動かないかもしれません。
木剣や模擬刀では、まだ緊張感が足りないんです。一生懸命集中してるんですけど……やっぱり、当たっても斬れないって分かってるから、どうも、真剣になりきれなくて……。
だけど、レイシール様に刃物を向けてくる人は、レイシール様を害する気で来るってことですよね。その時になって、体が動かないのでは、どうしようもないです」
眉毛を下げて、そう言うのだ。
俺は頭を掻き毟りたくなった。そりゃ、サヤの言うことが正しいのは分かる。分かるが……。
「いや、それはそうだけどな……その時はハインが相手するだろ⁉︎
なんでサヤが矢面に立とうとするんだ!」
「私もハインさんと同じ、従者じゃないですか。見習いですけど。
それに、ハインさんより私が強いのなら、それは私の役割でなきゃ、いけないと思います」
「お前な……根本的に、間違ってるだろ⁉︎ お前は女! ハインは男だろ。女がなんで矢面に立とうとするんだって話だろ⁉︎」
「私はここで、男装して過ごすんですよ? なら、その役割が私に来るのは当然じゃないですか」
「う……っ……そう言うなら、お前は子供! ハインは大人‼︎ 子供はすっこんでろ!」
「そんな言い方無いと思います。たかだか五歳差ですよ? それに私、本気です。
ここで、レイシール様の従者をするって決まった時、それも覚悟しました。
それに……本当なら、私はこの世界に一人で放り出されてたはずなんです。そうであったなら、生き方に選り好みなんて出来なかったはずです」
その言葉に、俺はもう、なんと答えて良いか分からなかった。
従者をするって決まった時、それも覚悟したって……あの時のサヤは、いつもの、おっとりふんわりの雰囲気だったように記憶している。
模擬刀を持った俺を相手に挑み、あっさり勝った。剣を持っている相手に怖くないのかと、レイが聞いて、危険を見極めれば大丈夫というようなことを、サヤが答えていた気がする。
護衛をするというサヤと、それをさせると言うレイに、本気で言ってんのかと怒ったはずだ。
実力は確かに認めたが、男の視線を怖いと言うサヤにそれができるのかと、そう言った覚えがある。あの時もう、覚悟を決めてたって⁉︎
俺はてっきり、護衛がどういったものかも、意識していないのだとばかり……。
軽く考え、危険だということに気付いていないのだとばかり……。
気付いてなかったのは、俺の方だったのか。
「傷が残るような、怪我をすることも、あるんだぞ?
怪我で済めばいい。命に関わることだって……」
「勿論、心得ています。……そのつもりです。
けれど、命に関わる身の危険を、まだ私は体感したことがないので……気持ちだけではダメなんです。本物にしなきゃ、いけないと思うんですよ」
口元に微笑みすら浮かべて言う。
俺は商業広場で「守ってもらいたいんじゃ、ないのに……」と、呟いたサヤの本心を、今ようやっと、知ったのだ。
「レイシール様は、安全な場所で恙無く過ごすようにと言いました。
私にとってはそれが、ここに残り、生活するということです。
でも私は、レイシール様のお側にいたいんです。なら、覚悟を示さなきゃ、ちゃんとできるって証明しなきゃ、駄目でしょう?
だから、お願いします。
心配して下さるのは、本当に有難いんですけど……自分自身で決めたことですから、大丈夫ですよ」
私、守られるんじゃなくて、守りたいですからと、サヤが言う。
この気持ちを、なんて表現すればいい?
俺は、言葉が無かった。
サヤは芯のある、見た目よりずっとしっかりした子だと思っていた。
だが……見誤っていた気がする。
そんなものじゃない……この子は、宝石だ。
自らを研磨し、輝く宝石だった。
「あっ、けれど私、ハインさんの剣を折ってしまったんです!
一番高い剣や、大切な剣は使わないでいただけると嬉しいかなって……。
勿論、折るつもりは無いんですけど! 勢い余ってしまうといけないので……。
はっ、そうだ。意匠代で剣を購入して頂く方が良いかも……。いっそのこと、剣を折る練習をした方が有効かも⁉︎」
最後の方のサヤは、今までのサヤに戻っていた。
おっとりとして、ふわふわ優しげなサヤだ。言っていることも若干おかしい……。
これはアレか。俺に選択権は無いのか。なんかもう、サヤの為には真剣で稽古をするしかない感じになっている。それをしなければ、サヤの決意を踏みにじることになってしまう。
俺は髪を括っていることも忘れて頭を掻きむしった。
女に刃物を向けるなんてのは、俺の流儀じゃねぇんだよ……。いくらサヤが強かろうが、女は女だろ。
けれど男装して過ごすということは、女だからという配慮なんて無い。サヤの言うことの方が、正しいのだと思う。
そして、子供であろうが、従者である以上、主人を守るのも勤めなのだ……。
だが…………。
傷が残ってしまったら……それはもう、別の意味で責任問題だろ…………。
「……俺は今、レイの気持ちが心底分かった気がするんだが……」
好きな女が危険に晒されるのを、耐えろと言われれば、無理だ。
あいつなら尚更無理だ。それくらいなら、自分を差し出す方が楽だと思う。
しかもサヤは、こうして自分で危険に、飛び込んで行こうとしやがる……そりゃ、安全な場所に置いておこうと思うわな……。
けれど、サヤはそんなのを望んでいない。俺やレイが思うよりずっと、覚悟を決めていた。ただ置いておかれるような女じゃない。こいつは、異界の女なんだ……。
「この世界って、女性が戦うのは相当な例外なんですね?
でも、私の世界では、そこまで例外ではないですよ。
それに、逆に考えてください。私だって……私を庇って、他の人が傷つくなんて嫌です。
守るべきはレイシール様でしょう? 私はそのお荷物になりたくないです」
ハインさんに、私も、レイシール様も守るって無理ですよ。と、そう言われ、あいつはそうなれば、レイを優先するしかないのだと気付き、俺はもう、サヤに完敗するしかなかった。
圧倒的に正しい……サヤは刃物を相手に戦う腕を持っている。あとは場数、経験なのだ。
サヤの安全のためにも、レイの安全のためにも、ハインの心労を減らすためにも、サヤは剣を相手にでも戦えるよう鍛錬しておくべきなのだ。
あああぁぁぁ、説得されちまってる……最悪だ。
「…………分かった。でも今日は無理。俺が覚悟を決める時間をくれ。明日は……相手してやる」
「本当ですか⁉︎ 有難うございます!」
サヤは嬉しそうだが、俺は全く、嬉しくない!
なんて厄介な女に惚れやがったんだと、俺は胸中で、レイに悪態をついた。
もう今日の鍛錬は終わりだ……無理。
◆
「それで、明日は真剣で修練することになったのですか」
「心底嫌だ」
深夜。
結局レイは一度も部屋を出てこず、レイの隣の部屋では、サヤがもう休んでいる。
俺はハインを呼び出し、俺の部屋で状況報告をしつつ、愚痴をこぼしていた。
今までなら、ハインの部屋に俺が出向いていたのだが、隣接する部屋では、サヤに聞こえてしまうということでこうなった。
「何が悲しくて、女に刃物向けなきゃならねぇんだぁ……。
万が一傷でも付けちまったら……傷が残るような事態になったら……」
「サヤはそれも覚悟してると思いますが」
「覚悟の問題じゃねぇんだよ! 俺が嫌なんだ‼︎」
項垂れる俺に、ハインは腕を組んで他人事のような顔だ。
お前はサヤが心配にならねぇのかと睨み付けると、そんなもの、したって仕方がないとでも言うような顔で俺に言う。
「サヤは天涯孤独です。頼れる者はいない。ならば自分のことは自分で決めるべきでしょう。
……自分で決めるべきですよ」
天涯孤独の身の上である、ハインがそう言う。
誰かに委ねるべきではないのだと。
それは確かに重みのある言葉で、俺は口を噤むしかない。
だが……女に刃物を向けるってのは……。
「貴方がそれほど嫌なら、私が変わりましょうか。
サヤにとっては、私より貴方の方が鍛錬になるのでしょうが、できないなら仕方がありません」
どうせセイバーンに戻れば、私しか相手がいないのですし。と、こちらを見る。
それ……俺に喧嘩売ってんのか?
「違います。
私は正攻法では戦いませんから、サヤに傷がつく可能性は跳ね上がりますよ。
まあ、サヤの武術がどういったものかは、まだ把握しきれていませんが、一般的に卑怯だとされる手段は、相手の意表をつくから、そう言われるのです。当然、危険度も高い。
だからまずは、貴方で経験を積む方が良い。と、思うのですけどね。
サヤを生傷だらけにしたくないなら……ですが」
「お前……サヤにまであの戦い方か…………」
「それはそうでしょう。私の実力では、そうでもしなければレイシール様を守れません。
手段を選んでいる場合ではないのですよ」
言うことは分かるけどな。練習の時くらいまともにやれ……。
そう思うのだが、卑怯な手段も駆使すること自体が、ハインにとっての修練なのだろう。
合理主義だから、どちらかの特にしかならないような時間の使い方はしないよな……。
じゃあやっぱり、俺が相手するしかねぇじゃん……。
「サヤに経験を積ませることは、最終的にサヤを守りますよ。
サヤに配慮できる貴方と修練するのと、いきなり殺す気でかかってくる悪漢を相手にするのと、どちらが良いかなど、考えるまでもないでしょう。
あの娘は、ちゃんと自分の今後を考えて、必要だと思うことを求めているのです。
付き合ってやらねば男が廃るのでは?」
「お前は良いよな。何でもかんでも合理的に処理できて。
俺は、姫を護る為に騎士になるって、安直に考えて学舎に行ったような人間なのな。
女を守るってのが身に染み込んでんの」
「じゃあ男装して貰えば良いでしょう」
「見た目の問題じゃねぇ!」
責任の問題なんだ‼︎
いつも通りの半分喧嘩なやり取りをして、俺がハインを部屋から叩き出してその日は終わった。
だが結局、決めるのは俺ではなく、サヤだったのだ。サヤは自分で動く。あいつはどこまでも型にはまらない、異界の女なのだ。
次の更新は日曜日です。
なんとなく、出来る限り、2話ずつ更新していけたらなと思う、今日この頃。
もう数話したら、またレイシール目線に戻るかなと思います。




