腐乱王モック=フラン
モック=フランは今日も今日とて、気に入りのガワを肌身離さず身につけている。何時でも何処でも。モック=フランは、ガワと良い香り無しではいられないのだ。
完璧な手入れを欠かさない麗しきガワを纏ったモック=フランは、下穿きとシャツの上にガウンを羽織り、自室で寛いでいた。色とりどりの可愛らしい泡がいくつも浮かんでいる。ダンスを踊るようにふわふわと漂っている。
床には毛足の長い深紅の絨毯が敷かれていて、歩けば靴底が炎に舐められているようである。白い大理石の壁には、花や動物をあしらった象嵌細工が施されており、それらは野生の営み通りに生き生きと躍動している。バルコニーへ通じる二つのフランス窓の間にある暖炉のなかで、炎がその輝きを七色に変え火花を弾いた。
ボルドーレッドの三人掛けスペンサーローズソファーに、ゆったりと腰かけたモック=フランは、ワイングラスに湛えられた黒い液体を転がした。炭を水に溶いたものだ。消臭効果がある。だが、即効ではないようだ。服用を始めてから、月が三度生まれ変わったが、まだ、モック=フランの饐えた体臭に変化はない。
臭いは、モック=フランにとって、頭の痛い問題だ。醜い姿は、ガワを被れば良い。ナルキッソスのガワを身にまとえば、さっきまで阿鼻叫喚で逃げ惑っていた連中が、ころりと態度を一変させて擦り寄って来る。
しかし臭いは誤魔化せない。
部屋のあちこちに「香る泡」をいくつ浮かべても、腐敗臭を隠しきることは難しい。香水の小瓶を空けても、隠しきれない。
偉大なる王、モック=フラン。群雄割拠の「裏側の世界」において、大いなる力と知恵をもち、悠久の時を生き続ける大長老。月夜に振りまく恐怖ならば、彼に敵うものはない。
恐怖の王のおぞましき雄姿を一目でも見れば、皆が怯えて跪く。
素晴らしき、恐怖の支配者。裏側の世界を手に入れた。そんな彼に、儘ならないことがあるなんて、誰にも想像もつかないだろう。
モック=フランはそっと瞼を閉じる。裏側にはりついているのは、憎らしい男の美貌だ。
不死王、ボンレス=ミャオ。裏側の世界中が彼を慕っていた。清く正しく美しい支配者は、裏側の世界の誇りだった。
誰もが、ボンレス=ミャオを愛していた。モック=フランを除いては。
モック=フランは賢明なので、敬意を払うふりをしていたが、本当はボンレス=ミャオのことが大嫌いだった。綺麗な微笑みを見ると、胸が悪くなり、腐乱した粘液を巻き散らしたくなる。
ボンレス=ミャオは特別な存在だ。特別に生れついた。世界は彼に不死という、特別な贈り物を授けていた。さらに、敵を打ち滅ぼす力を。さらにさらに、美しい容姿と清廉潔白の精神まで。
ボンレス=ミャオはめきめきと頭角をあらわした。かつて、裏側の世界は切り分けられていた。細切れの世界をそれぞれの「王と女王」たちが支配し、互いに目を光らせながら、歪な均衡を保っていたのである。
ボンレス=ミャオは、そんな世界に疑問をもった。細切れの世界と王たちの横暴を、ボンレス=ミャオの高潔な精神が許さなかったのだ。
ボンレス=ミャオは立ち上がった。王と女王たちに挑んだ。最後まで己を貫きとおし散った者、ボンレス=ミャオに感化され、王位を譲ったもの。改心したもの。ボンレス=ミャオに魅了され、骨抜きにされたもの。理由はさまざまだったが、強い王が、女王が、次々とボンレス=ミャオに敗れ去った。
結局、領地と支配を守り通したのは、忘却の雪原の女王だけだった。忘却の雪原は死んだ土地であり、そこに住まう者など、女王の他には誰もいなかったから、目溢しされたのだ。
モック=フランもまた、領地と支配を手放した。しかし、他の愚かしい王とは違う。モック=フランは戦わなかったのだ。
モック=フランは強い。ボンレス=ミャオのような、思い上がった若造になんて負けない。
しかし、甚だ遺憾であるが、勝つ確証もなかったのである。
ボンレス=ミャオは何人かの強い女王を誑し込み、従えている。頭が空っぽな王を洗脳し、味方につけている。多勢に無勢だ。モック=フランは危険な賭けはしない。無血開城を決意せざるを得なかったのだ。心の中で血の涙を流しながら。
円満を装いながら、モック=フランの腐った腸は煮えたぎっていた。
遠い昔、モック=フランは美しく清らかな体と引き換えに、大いなる力を得た。何かを得る為には、何かを代償にしなければならない。その真理を教えたのは、無慈悲な世界と、冷酷な女王だった。
モック=フランは力を得る為に、多大な犠牲を払った。肉体が腐り爛れる苦痛と絶望に耐え抜き、乗り越えたからこそ、今のモック=フランがある。一度は死に臨んだのだ。しかし、モック=フランは死を超越し、最強の権能を手に入れた。
世界の真理は残酷だ。そんな世界の真理を、軽々と飛び越えてしまうボンレス=ミャオの存在は、あってはならないものだった。
モック=フランは待った。そうして、待ちに待った時機がおとずれた。ボンレス=ミャオを斃し、簒奪に成功し、モック=フランはほぼ統一された裏側の世界の王になったのだ。ボンレス=ミャオを取り逃がしてしまったのは不覚だったが、それほど大きな問題でもないだろう。骨の髄まで腐り果てた敗者など、恐れるに足りない。
モック=フランの策略により、ボンレス=ミャオは力の殆どを失い、裏側の世界に追われる身となった。落ちぶれた男に、今更、何が出来よう。急がずとも良い。じっくりと時間をかけて追い詰め、血祭りにあげ、永遠に続く苦痛と屈辱を味わわせてやればいい。
モック=フランは軽く頭をふり、呼び鈴を鳴らした。
程なくして聞こえてくる、節度を保ったドア・ノックにモック=フランは端的に応じる。呼び出しに従い、老執事が入室して来た。
モック=フランは滑らかなマホガニー材のソファーヘッドに施された精緻な彫刻を指先でなぞり、竹炭水を煽った。
「外出の支度を」
「かしこまりました」
有能な老執事は短い言葉とさりげない態度から主人の望み的確に読み取る。素早く一礼すると、老齢を感じさせずてきぱきと動いた。老執事は責任をもって管理している衣裳箪笥から燕尾服の一式を取り出す。モック=フランはやおら立ち上がると、ガウンとシャツを脱ぎ捨てた。老執事が恭しく広げたブラウスに袖を通し、ソファーに腰を下ろす。跪いた老執事が差し出すスラックスに足を通す間にブラウスのボタンをとめる。ブラウスの裾をスラックスに入れてホックを留め、ジッパーを上げる。立ち上がり、背後に回った老執事によってベストを着せられる。姿見の前に移動し、ブラウスの襟を持ち上げ蝶ネクタイを通し、形を整えた。上着を重ね、老執事に手渡された櫛で金髪を整える。
鏡に映り込むのは、非の打ちどころのない、麗しき貴公子の風貌だ。甘く垂れた物憂げな双眸に見入られて魅入られない女は、忘却の雪原に引き籠る、陰気な女王くらいのものだろう。
モック=フランの周りをくるりと回り身支度を完成させた老執事は、鏡に映らない位置で静かに控えている。
モック=フランが手を振り「もう良い」と合図をだすと、老執事は静かに下がり、ローテーブルの上に置かれたデカンターを片付け始めた。まるで空気のように、当たり前にそこにいることを意識させない。出来るだけ目立たず効果的に仕えるのが良い使用人の嗜みであり、彼はモック=フランに仕える優秀な使用人たちすべての見本となるにふさわしい働きが出来る。
老執事は、モック=フランに仕える全ての使用人を統率し、朝食、昼食、お茶、夕食の給仕をし、それぞれの食事の準備も監督し、食料の備えを確認するばかりではなく、家計を管理する重大な責任を担っている。モック=フランが孵化するずっと前から、この家に仕えてきたこの古株は、申し分ない性格であり、家事に関して経験豊富で、柔らかい物腰と落ち着いた態度で主人を支えてきた。彼の働きは、家庭全体を居心地良く楽しいものにすることに多大に貢献している。
モック=フランは洗面所へ赴いた。表側の世界から取り寄せさせた、炭入り歯磨き粉で念入りに歯を磨き、口腔が焼ける強烈な洗口液で口をすすぐ。涙目になって洗面所を出ると、老執事は片付けを終えていた。デカンターをワゴンに載せ老執事が部屋を辞した後、モック=フランはおもむろに化粧台の前に立つ。一番上の抽斗を引き、目隠しの仕切りを外す。隠されているのは、香水の小瓶だ。甘ったるい花の香りのフレグランスである。中身が空になるまでポンプを押しつづけ、首筋に香らせる。
念入りに香水を振っていると、ずかずかと横柄な足音が近づいてくる。よくしつけられた使用人たちの、存在を限りなく無にして主に奉仕するという奥ゆかしさとは真逆だ。「この俺様が訪ねてくださるなんて、光栄だろう!」という自己愛と主張の塊がどんどん接近してくる。気の毒な老執事が必死に制止をかけ、辛うじて闖入者に先んじて主人の部屋のドアをノックする。モック=フランは執事が身を呈してつくった僅かな時間に気力をふるいおこした。
「なんだ」と応えるや否や、扉が破裂するように開いた。
「ありがたく思えよ、腐乱ジジイ! このニック=ショック様が、加齢臭通りこして死臭がプンプンする死に損いに会うために、わざわざ来てやったんだぜ! オイオイオイ! 天井見上げてる場合じゃねェだろ! ありがたいことに、目の前にはあのニック=ショック様がいらっしゃるんだぜ? 一秒を惜しんで、その腐った目玉にこのハンサムを焼きつけねぇでどうするよ!?」
「やれやれ……お前という奴は、どうしてこうもタイミングが悪いのだ。怒りも呆れも通り越して、たいしたものだと感心してしまうわい」
なめされたようにかたく浅黒い肌に包まれた、雄偉な体躯を見せびらかすように、大ぶりな挙動で肩を竦める若者の名はニック=ショック。あきれが礼に来る自惚れ屋で、なんでもかんでも都合よく解釈してしまえる、ある意味では稀有な才能の持ち主である。
本来ならば、この騒々しくも忌々しい若造が、気安く気まぐれにモック=フランを訪ねてくることなど断じて許されることではないのだが、嘆かわしいことに、血は水よりも濃く、そのつながりは王ですら無碍に出来ないものなのだ。
ニック=ショックはモック=フランの甥にあたる。末の妹の息子だ。
モック=フランには数え切れないほどの兄弟がいた。その中で生存競争を勝ち残り、立派な成体となれたのは、十人だけである。
末の妹は、モック=フランが巣立ちした後に生まれた。年の離れた妹だ。それなりに気にかけ、世話を焼いたような気もするが、昔の話だ。ろくに覚えてもいない。
ただし、妹の子育ての仕方に多大な問題があったことはよくわかる。この愚かな甥を見れば。
幸運にも、悪食の才に恵まれていなければ、モック=フランはニック=ショックを自らの汚点と見なし、ここまで育つ前に、速やかに排除したことだろう。
ニック=ショックに背を向けたまま、うんざりと天を仰ぐモック=フラン。彼の言葉の、都合のよいところだけを切り取って、ニック=ショックが両腕を広げた。
「珍しいじゃねぇの、あんたがこの俺の素晴らしさを素直に認めるなんてよ。俺のなにをそこまで褒め称えてやがるのか知らねェが、まァ、いい。俺でさえこの俺様の何処までも広がる無限の可能性を把握しきれねェくらいだ。ふっ、たまにマジで怖くなるぜ。俺様は、いったい何処までいっちまうんだか」
「いっそ、いきつくところまで逝ってしまうがいい」
「ハッ! いきつくところまでって、何言ってんだか! この俺にかかれば、限界なんてさ、ブルってハダシで何処までも逃げちまうぜ! っていうか、俺って存在がもう、限界超えちゃってんの。ピリオドの向こうの俺? みたいな? ンン、よくわかんねェけど、つまりニック=ショック様は、サイコーでサイキョーってことだ! ンなこともわからねぇなんて、脳みそまで腐っちまったのか?」
戯言を恥ずかしげもなく大声でまくし立てるな、と怒鳴りつけてやりたくなるが、モック=フランはぐっと我慢する。激情にかられては、自らの品位を落とし、老執事たちに負担をかけることになる。軽挙妄動は当主として控えるべきだ。
モック=フランは深呼吸をした。直視したら腹がたつだけなので、後は振り返らすに、ひとつ咳払いをして言う。
「話と気は済んだかね? それでは、そろそろお引き取り願おうか。生憎、吾輩はお前と違って暇ではないのだよ」
「ハァ? 何言っちゃってんの? 俺に暇なんざ、あるわきゃねぇだろ! 裏側で抱かれたい男ナンバー1のこの俺が、ここでこうしてる間に、一体何人の女の子が切なさに身もだえてると思ってんだか。ちったぁ責任感じろ! そんでもって、誠心誠意、この俺様のお相手をしろッつぅの!」
ニック=ショックは頭の痛くなるヘリクツをこねて、憤然と歩み寄って来る。三本指が肩にかけられそうになるのを察して、モック=フランは先手を打って振り返った。ニック=ショックの深紅の瞳の中央で、細長い瞳孔が心臓のように脈打っている。目を血走らせて、額を押し付けるようにして凄むニック=ショックが鬱陶しいので、モック=フランはさっと身を引いた。踵を鳴らして窓辺に移動する。
ニック=ショックにはうんざりだ。この愚かな子供は、特別な才能に恵まれたうえに、苦労を知らずに甘やかされて育った。モック=フランが大嫌いなタイプだ。この阿呆面の下に、モック=フランとつながる尊い血が流れていなければ、それに何より、悪食の才能に利用価値と危険性がなければ、今すぐにでも始末してしまいたい。
せめて、ニック=ショックに人並みの知性があれば良かった。これほど邪険に扱われているにも関わらず、自分が煙たがられているという事実に、ニック=ショックは一向に気がつこうとしない。
鴨の雛のようについてこようとするニック=ショックを牽制する意味で、そっけなく「掛けたまえ」と席をすすめた。すると、頭の出来がかわいそうなニック=ショックは、歓迎されたと勘違いしたのだろう「へへへっ」と得意そうに笑い、ソファーにどすんと腰かけた。窓ガラスに映り込んだ満足そうなしたり顔をやぶにらみ、水死体の生首でも仕込んでおけばよかったと舌うちして、モック=フランは言った。
「そうかねそうだろう羨ましいよ、お前は実に幸せな奴だ。お前のようには、死んでもなりたくないがな。それで? 要件があるのならば手短に済ませろ」
「アアン? って、オイオイ、俺様としたことが、まだマジでヤベェ本題に入ってなかったのかよ。あんた、話反らしすぎだろ。ったく、俺様を独り占めにしたいって気持ちは、わかるけどさァ」
「冗談はお前がこの世に生まれたことだけにしておけ」
独り占めしたいどころか、釘締めしてもう二度と会わずに住むようにしてやりたいくらいだ。モック=フランのつれない仕向けに鶏冠を立てるかと思われたニック=ショックだったが、意想外に余裕をもってにやりと笑うと、がっしりとした顎を撫でた。
「その言い種。あんたって、マジでちっとも変わらねぇなァ」
知ったような口を利かれて虫酸が走る。貴様に何がわかる、と言ってやりたい。しかし、言うだけ無駄だろう。
案の定、ニック=ショックはこの調子だ。
「そんなこと言っちゃってぇ、いいのかァ? せっかく、いいもん持ってきてやったのになァ?」
鬼の首を獲ったように勝ち誇られ、苛立ちのあまり、モック=フランの毛穴から瘴気が噴出する。瘴気はまだらな紫の霧となり、瞬く間に部屋を満たしたが、ニック=ショックは気にした素振りもなく、ソファーをカウチのようにしてそっくりかえり、意気揚々と顎を上げた。その手がひらひらと振っているのは、分厚い紙の束。
「コレだよ、コレ。あんたがずーっと探してた、骨なし野郎の手がかりだ」
モック=フランは呆気にとられて、ついニック=ショックを振り返ってしまった。
モック=フランの関心をひくことが出来て、ニック=ショックは得意そうに、ぺろりと薄い唇を舐め上げる。先の割れた長い舌が、血を舐めとるような執拗さで唇をたどる。突き出した親指を飾る漆黒の爪が、くるくると円を描いた。
「さァて、どうする、腐乱ジジイ? あんたがどうしてもってお願いするんなら、また手を貸してやってもいいんだぜ?」
モック=フランは「誰が」と毒づいた。ニック=ショックの手など、借りるものか。絶対にごめんこうむる。このバカには、簡単な使い物ひとつ任せられない。
だからと言って、無視を決め込んでも、しゃしゃり出てくるので困りものだ。ボンレス=ミャオとその愛人をとらえる絶好の機会に乱入して、台無しにした前科もある。
ニック=ショックの助力などいらない。しかし、手がかりは必要だ。だから、モック=フランは振り向きざまに、金剛石のように固い拳を、馴れ馴れしく傍に寄ってきたニック=ショックの横面に叩き込んだ。
したたかに殴られたニック=ショックは、大理石の壁を幾枚も突き破り、屋敷から追い出された。行きとは違う穴を新たに穿ちながら、怒り狂ったニック=ショックが駆け戻って来るまでの間に、モック=フランはニック=ショックが持参した手がかりとやらを改めた。
そうしてそこに描かれたものを見て、怒髪天をついた。
「なにしやがる、脳みそにウジでも湧いてやがんのか、ど腐れジジイ!」
怒りに我を忘れたモック=フランは、不覚にもニック=ショックの拳を顔面にもらってしまった。それでもどうにか足を踏ん張り、その場に踏みとどまる。よろめき一歩退いたように見せかけて、とび跳ねた膝をニック=ショックの鳩尾に突き立てる。屈強な腹筋の鎧が軋み、膝頭がしっかりと刺さった。
「えぇい、黙れ黙れ黙れぇい! 誰が腐れジジイじゃい! 誰が二目と見られぬおぞましい腐乱の化け物じゃい! よくもこの吾輩をコケにしてくれたな!」
「うぐッ……くっそ、俺はそこまで酷ぇことはいってねぇ! ソレ描いたのは、俺じゃねぇもん、リサだ!」
ニック=ショックはえづいたが、モック=フランの襟をはなさない。石頭で渾身の頭突きをお見舞いしてきた。モック=フランは眩んだけれど、逸れた首を揺り返しで戻す。かっと口を大きく開け、腹の底からこみあげる瘴気を吐きかけた。顔に腐食の吐息を吹き掛けられ、ニック=ショックたまらず拘束を解き、顔面を両手で覆ってもんどりうつ。モック=フランはそのすきに跳躍し、ニック=ショックの肩を踏みつけた。
「リサァ!? ボンレス=ミャオの愛人の!?」
ニック=ショックの、剥きだしの頭蓋骨の上で再生していく筋繊維が絡み合い、笑顔らしきものがこねあげられる。
「そうだよ、長い黒髪で青い目をした、可愛いリサだよ! まァ、次に会ったときには、骨なし野郎の愛人から、俺の愛人に鞍替えさせる予定……つぅか確定だけどな!」
かくかくと顎の骨が鳴り、咽頭が青白く発火した。熱線がほとばしる。モック=フランは可能な限り身を捩ったが、左のひじから先を消し飛ばされた。
モック=フランの肌はどす黒く塗りつぶされ、総身がめきめきと音を立てて膨張する。体中を瘴気がめぐり、膨れ上がっていく。モック=フランの怒声が、裏側の世界を揺るがした。
「いや、違うな! このモック=フランを愚弄した愚かな女など、冥府の王の愛人がお似合いだ!」