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Session.15 Tribute to the Past Part.4

 目の前で繰り広げられる狂乱の事態。だが、御剣の心はそれどころではなかった。ふと隣に立つ前ヶ崎の方へと眼を向けたのは、完全に無意識のことであった。

 どうやら、彼女も同じらしい。強張った顔をして固まり、微動だにしない。前を見ているようだが、実際どこを見ているかは分からない。

 よくよく周囲を見回してみると、実験室内のほとんどの者が、こちらと同じような状態であると分かった。忙しなく周囲に眼を配せている者もいれば、落ち着きのない様子で貧乏揺すりをするような者もいたりと各々の動きは千差万別であったが、等しく確かなことは、皆一様に動揺しているということだった。


 周囲の空気が、変質しつつあった。それは単なる雰囲気の問題でしかないかもしれないが、それ以上の何かであるようにも感じられた。大多数の窒素と少数の酸素、それ以上に少数の二酸化炭素と、微細な粒子。それらが別の何かに置換され、自分達を包み込んでいる。そんな気分がした。

 その何かは原子レベルの粒となって毛穴どころか、細胞と細胞の隙間から体内へと入り込み、染みこんでいく。そして骨の髄から、細菌やウィルスに感染した箇所で炎症が起こるように、言い様のない力を沸き起こらせていた。

 目に見えない。あくまで想像の、あるいは妄想の範囲でしかないそのミクロの情景が、はっきりと網膜に映るようだった。それほどはっきりと、御剣は自らの身体に生じつつある異変を知覚していた。


 一体何が起こっているのか。それが、この場にいるほとんどの者で合致している思考であった。

 だがその答は、少し脳に血流を巡らせれば、察しがつく。

 《因子》だ。

 ついに、彼らがその姿を見せた。


 御剣には、見えた。

 数分――あるいは数秒前までは桜井 華織という人間であったモノ。そこから生え出てきた植物のような物体。その幹から、何かが煙のように噴き出てきた。煙というのも正しくはない。それほどに、薄ぼんやりとした、ガラスに張り付く埃のような光だった。

 それは見えざる風に吹かれてこちらへと近づいてきた。不定形なその姿を絶え間なく変えながら。

「……これが……君が?」

 うわ言のようにつぶやく御剣。やがて、その何かが目の前にまで近づいてくる。一瞬、徐々に変質していたその煙のような何かのシルエットが、人間のそれのように見えた。

「《因子》……」

 針金のような四肢の人間が、その細い腕を大きく広げ、こちらに抱きつこうとしているようだった。だが、それはただの錯覚なのかもしれない。不意にそう見えた一瞬の感覚が頭の中に根付き、先入観として確率されたからこそ『人の姿だ』と認識しているだけであって、真実は別に何の形でもない、ただのもやでしかないのだろう。

 だが、そう判断するだけの余裕も時間も、御剣にはなかった。人だと思ったその瞬間には、その何かは忽然と消え去ってしまったからだ。


「……」

 あの一瞬の光景は何だったのか。それを想像することもできなかった。

 身体の中で生じる違和感が、俄然強くなってきたからだ。身体の芯から、みるみる力が湧いてくる。このまま肉が膨れ上がって、身体が今の三倍ぐらいまで巨大になりそうだ。今すぐにでも全速力で辺り一帯を駆けまわって、天井を突き破らんほどに飛び上がりたい。そんな衝動に駆られるほどに、生命のエネルギーがオーバーヒートしようとしていた。自分が自分でなくなってしまいそうな気分だった。

 だが、この異常な事態が《因子》によるものであるとすぐに判断することができた御剣は、混乱と興奮の“るつぼ”に呑み込まれた他の被験者達よりかは、比較的冷静でいられた。


 だからこそ、人混みに起こる混乱の性質が、二種類あるのにも気がつくことができた。ひとつは、御剣が今感じているものと同じもの。もうひとつは、そもそも何が起こっているのかすら分からない、という混乱。

 被験者の中には、この体内から沸々と起こるエネルギーの奔流を、感じていない者がいるようだった。彼らと自分達の違いがなんなのかは想像できないが、おそらく、《因子》との接触ができなかったのだろう。

 そう。御剣達は間違いなく今、《因子》と接触した。


 だが、それでどうなる? これから一体、何が発生するのだ?

 《因子》と友達になる。自分にはそれができるし、今実際にできたということは分かる。だが、そのことによって何がどうなるのか。それは、御剣にとっても未知の領域だった。


 ふと、あの須藤という男の方をもう一度見てみる。

 彼は、依然怒っていた。怒り狂っていた。だがその怒りは、より静かに、かつ鋼鉄でも煮えて溶けるほどに熱くなっていた。彼からもまた、正体不明の力の発生を感じた。それは、彼の怒りに乗ってより増幅され、離れたところにいる御剣にも、肌で感じられるほどだった。

「草薙……! もっと、もっと早くこうしてやるべきだった。今行動したところでもう遅いが、どうしてもお前を……殺さなければ気が済まないッ!!」

 ゆっくりと歩を進め、草薙の方へと近づいていた。その歩みは、まるでロボットか何かのようにぎこちなかった。怒りのために全身の筋肉が強張りすぎて、思うように動かないのかもしれない。だが、薄く開いた双眸、若き教授を睨みつけるその眼光は落ち着いているようだった。ある一つの目的に完全に集中することができれば、人間はとことん冷静になれるのだ。誰かを殺す場合でも。

 須藤は、間違いなく草薙を殺そうとしていた。


 それを察したのか。ひとりの男が彼の前に駆け寄り、制止した。先ほど、草薙に対して気だるそうな口調で問いかけた男だ。その時と変わらない口調で、須藤を宥める。

「おいおいおいおいおぉいおい落ち着けって。教授さんの偉大なる実験がどんどん進んでる。もぉ~何が起こってるのかも分からねえ。まずはこれからどうなるのかを、落ち着いてじっくり見守ろうぜ。そんなカッカしてんなよ、大人しくしてようぜ」

 余計なことをするなら、お前も殺すぞ。そう言わんばかりの殺気立った顔で男を見返しながら、須藤、

「さっき、口を挟むなと、言ったのを、忘れたのか……! もうどうなったって構わねぇんだ、殺す人数が一人増えたって俺は構わんぞ……!!」

「お~おっかね」

 須藤の恫喝にも、男はまったくたじろぐ様子を見せなかった。むしろ、逆に調子にのって、須藤をからかうような態度を見せる。


 須藤の意思は冷静である。だがそれは、あくまで自分の判断をはっきりと確立できる、という意味での冷静さでしかない。一つの決心ができるという意味だ。その判断の正否は関係なかった。

 目の前にいるこのムカつく男を、頭蓋骨が陥没するまで殴るという行為を、これから自分がやるのだと認識できる。要するに、冷静に狂気を受け止めている、ということなのだ。


「……ッ!!」

 歯を食いしばり、右拳を引く須藤。

 だが、引こうと思った腕はビクとも動かなかった。いつの間にか、男がこちらの手首を掴んでいるのだ。がっしりと五本の指が食い込んで、離れない。鋼鉄の鎖に繋がれたように、こちらの腕の動きが封じられていた。

 引くことどころか、押すこともできない。いくらなんでも、力を込めて腕を動かせば、それに釣られて相手の腕も引っ張られるはずだ。だが、それがない。一体この男は、どれほどの力でこちらの手首を掴んでいるのだ。

 怒りだけが満ちていた須藤の胸中が始めて、困惑に揺らいだ。

 その一瞬の揺らぎのために彼は、眼前に迫り来る“それ”に気づくことができなかった。


 彼は突然、何かに殴られ、崩れるように床に倒れた。とてつもない衝撃だ。空気が圧縮されて爆ぜる音が耳鳴りとなって後を引き、脳髄がパニックを起こしそうだ。

「う……ぐっ!」

 突っ伏した姿勢になりながも、今しがた自分を打ち据えた何かの正体を確かめようと顔を上げる須藤。


 目の前に、一人の若い女が立っていた。何か長大な棒状の物を肩に担いでいる。その先端、頭より高い位置には、見るからに重厚そうな鉄塊がくっついていた。

 それは、ハンマー、あるいは槌だった。これを見た十人に十人がそう応えるだろう。

 呆れたような笑みを浮かべ須藤を見下ろしながら、その少女は言った。

「取り乱しちゃって、なっさけないなぁ~。ほら、一発ぶん殴られて、落ち着いた?」

「……っ」

 何も応えない。脳が揺さぶられたことにより無性に気分が悪くなってきたこともあるし、怒りのために、自分が何をされ、今どうなっているのかさえ、何を言われているのかさえよく分からなくなっていたのだ。ひとつの事柄に対してのみ冷静であることは、むしろ正常な状態よりも余程タチが悪い。

 身体の内から沸き起こってくる生命の力が、より一層強くなっている。さらに怒れと、泉のごとく噴出してくる。だが、今の一撃で神経もおかしくなってしまったのか、身体が思うように動いてくれなかった。本当ならこの女も、さっきの男も身体を真っ二つに引き裂いて殺してやりたかったが。


 その男……栗みたいと言えばみっともないが、実際栗のような頭をした男が、倒れている須藤の両脇を足で挟むような位置に立ち、そのまま屈んで彼の脇に腕を回した。羽交い締めにして、強引に立ち上がらせる。

「そうだぜぇ、落ち着けよ。あの姉ちゃんなら心配いらねぇーって! 俺達は段々と分かってきたぜ、お前だって、ちょいとクールダウンすればすぐに分かる。さっきの、え~っと……そこのチビのハンマー食らって頭ブッ飛んでねぇからよォ、おんなじはずなんだ、俺達とさァ」

「そういうこと~。で、あのお姉さんは、私達が手に入れたこのすンばらしい力を産み出すぅ――……なんて言えばいいんだ? えぇ~……そ! “お母さん”になったってわけ! 随分子沢山なお母さんだけど……」

 先ほどの少女が須藤の前に立ち、冗談交じりに軽く言った。その右手に持つハンマーの先が、ぶらりと床に向いている。どう考えても、最低で100kgは超えているであろうこの鉄塊を、彼女は片手で当然のように持っていた。それを可能とさせるのは、須藤の身から湧き出るその力と、同類のものだろう。《因子》より与えられた恩恵だ。

 突然、何かが燃えるようなボゥッ、という音と共に、ハンマーの先端が勢い良く回転し始めた。視神経までいかれてぼやけてしまった視界の中でも、それははっきりと見えた。鋼鉄のブロックを無造作にいくつも溶接したような見た目の鉄塊が、炎を吹き上げていた。それは、航空機のロケットエンジンから発せられる火のようにも見えた。実際、同じものであるようだった。このハンマーには、“ブースター”がついていたのだ。そこから発せられる推進力で、勢い良く回転している。まるでマーチで振るわれるタクトのようにクルクル回るハンマーの柄に併せて、少女の右手首もスナップをきかせていた。


 いつから彼女はこんな物を持っていたのだ? 実験が始まる前は、こんなどうあっても目立つような代物はどこにも見えなかった。ということは、実験が始まった後に手にとったということだ。

 さすがに、重武装を施したこの実験室であっても、人が持つためのハンマー。しかも、ロケットブースターを搭載したものなどはさすがに隠されてはいないだろう。

 となれば考えられることは最早ひとつしかなかった。

 《因子》。それがあの物騒な武器を生み出し、彼女に持たせた。


 こんなどうでもいいことを思考してしまうほどに、須藤の脳は正常な機能を喪失していた。だが、それでも、無秩序に現れるわけのわからない混濁した雑念を一瞬にして吹き飛ばすある意志があった。

 殺意と、意地だ。

 桜井を、彼女を何としても助ける。そのためにこの場にいる連中を一人残らず抹殺しなければならないのなら、喜んでそうしてやる。

 最早後戻りができないほどに、皮膚が真っ白に染まり変わり果てた姿になった彼女を救う手立てが本当にあるのか、ということは考えなかった。ただ、“ない”という結論にだけは行き着きたくなかった。徹底的に足掻いて足掻いて、彼女を元の姿に戻らせなければならない。


「は……な、せぇぇ……!!」

 須藤は、男の拘束から逃れようともがいた。溢れ出んばかりの生命の力を使って、筋肉を強張らせる。だが、これと同じものを男も手にしているのだ。力が同じである以上、頭のダメージにより充分に動けない須藤の方が、力負けしてしまっていた。

 男が、辟易したようにため息混じりに吐き捨てる。

「駄目だなこいつは……ムカつくからぶっ殺してやってもいいが、折角の《因子》仲間なんだし、かわいそーだからブチのめすだけにしとくか」

 それに応えるように、少女が、

「オッケェーイ!」と返事する。右腕を上にピンと伸ばし、ハンマーの先端もピンと上に掲げられた状態で静止した。

 それが、ゆっくりと床に向かって降りてくる。真横に近い向きになってから止まった。少女が両手で柄をしっかりと握りしめ、ハンマーを構えたのだ。須藤を殴るつもりだった。


「……お前ら……殺してやる……!」

 須藤には最早、呻くことすらできなかった。それでも、呻くことだけはやめなかった。

 何もかもが憎くなってきた。

 桜井は、こうなることが分かっていたのか。いや、分かっていなかっただろう。ただ、《因子》とかいうモノが持つ可能性と希望に引きつけられ、騙されてしまっただけだ。

 何が《因子》だ、革命だ。そんなものさえなければ、彼女があんな姿にならずに済んだのに。

 『貴方と離れたくない』といった彼女の顔が、脳裏に浮かぶ。こっちだって同じだ。こんな形で彼女と離れたくなかった。まだ、覚悟も決められていないのに。

 否、覚悟なんぞ決める必要もなかったのだ。本当は、当たり前のようにこの先も彼女と共に生きていけるはずだった。

 《因子》さえなければ……


「殺してやるぞォォーーーーッ!!」

 この場にいる、桜井を除く全ての者に対してか、あるいは、この状況で怒りを押し通すことさえできない自分に対してか。彼は絶叫した。それが、今この時における彼の最後の言葉――捨て台詞になった。


「いけーっ!!」

 少女の腕に力がこもると共に、ロケットブースターを噴射、ハンマーは、その重厚そうな見た目に反して弾丸のような速さで振りぬかれ、須藤の左頬を打ち据えた。

 人の背丈ほどの直径がある鋼鉄球がビルを解体しているような轟音が鳴り響き、須藤の身体は首が千切れ飛ぶのではないかと思えるほどに仰け反った。だが、拘束はとけない。羽交い締めのする男は両腕に力をいれて踏ん張り、その場に踏みとどまった。

「ふん……ぬぅーっ!!」

 さらにもう一撃、再度ブースターを噴射しつつ、逆方向から殴りつける。さながら“燕返し”だ。刀ではなく、ハンマーでそれをやった。

 一撃喰らった衝撃も止まない内の続けざまの殴打は、強烈だった。逆方向に仰け反るのと一緒に、脳細胞が数千個ほどどこかへと飛び散ったような気がした。


「ブッ! グァ……」

 二度目の轟音の後、須藤は男の腕に掴まれたまま、力なくうなだれた。足は体重を支えるだけの力を失い、男の腕が離れればすぐにでも倒れそうだった。

 大の大人一人分の体重を両腕に感じつつも、それを物ともしない己の腕力に感激しながら、栗のような頭の男が不敵に言う、

「そぉ~だそうだ。そうやって大人しくしてりゃあいいんだよ。死にゃしねぇから安心しな」

 そうして、意識があるのかどうかも分からない須藤の身体をゆっくりとその場に降ろす。


「いつか、必ず……全員、殺す……」

 その微かな声は聞こえなかった。意識が闇の内に消えていく前の、死にかけの虫が絞り出したような――そもそも本当に言ったのかどうかさえ疑わしいような大きさの声だったのだ、聞こえないのも当然のことだった。

 仰向けに寝かされた須藤はそのまま、虚ろな眼を瞼で覆い、気絶した。



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