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Session.12 division Part.4



 放課後。

 林原 優は、己の運命の人だと寸分の疑いもなく確信した女性、大国 亜音と、さらにお近づきになろうと、懸命なる勇気を発揮した。


 授業が終わり、生徒達が各々教室から帰っていく中で、座っている彼女の隣へと立つ。

「そ……そのぉ。大国は、寮暮らしをしてるんだろ?」

「はい。そうです」

「それなら、少しの間、俺と、一緒に……ど、どっか行ってみないか」

 この一言のために、彼は、《Aランク保有者ホルダー》に楯突くのと同じように己を励起していた。

 が、いざアインが、「どっかって、どこへです?」と応えると、返答に困る。

「いやぁ、どこって言われても……」

 彼女を誘ってみたのはいいのだが、今まで極力真面目に生きてきた林原だ。異性に対する憧れはあろうとも、実際に“モノ”にしようなどとは考えたこともなく、どこに行って何をすれば女の子を喜ばせることができるかなど考えたこともなかった。

 食事でも、とか適当に提案すればいいのだが、もっといいことが何かあるのではないかと考えてしまう。緊張しているということもあって、結局、しばらくの間何も言わずに黙り込んでいるしかできなかった。

 こんなことなら、今日のところは一度行動を保留しじっくりと勉強しておくべきだった、と後悔する彼に対し、誘われる側のアインの方が案を出した。情けない話だ。

「……私は、まだこの辺りには来たばかりで。どこに何があるのかもよく分かっていないんです。折角だから、貴方にいろいろ案内してほしいんですが」

「あ……あぁ、そうだそうだ。そうだね」

 冷静に考えてみれば、お食事だ何だの前に大事なことがあったのだ。転校してきたばかりの彼女に、芦原界隈のことを教えてやらねばならない。ちょうどいいデートの“目的”ができたではないか。

 そして、そもそも拒まれたら元も子もないと考えていたのだが、その心配はないようだ。アインの方も、林原の誘いを快く受け入れてくれている。もしかしたら、向こうもこちらに気があるのではないか、というのは飛躍した考えだろうが……

 そんなことを考え、口元が緩むのを隠し切れない様子の林原。

「い、いよぉ~し。そんなら、さっそく行こうかぁ! この学校についてはまた明日、昼休みにでも案内してあげるよ。とりあえず今日のところは、校外についていろいろ見せてあげるからさ」

「はい」

 そう返事して、アインも席から立ち上がった。

 二人して教室を後にする中で、林原は、彼女との関係が少しずつ、しかし確実に親密になっていることに内心ほくそ笑んでいた。




    ※




 それから彼は、アインを葦原校外のいろいろな場所へと案内した。駅前のファミレス、映画館、隠れた場所にあるCDショップ――今では鳴らせることが一流大学の受験に合格するより困難ではないかというような骨董品レベルのレコードも売っている――、本屋、雑貨屋、洋服屋……には、正直女性の服のことなどさっぱり分からないから行っていない。その他諸々。

 ひとしきり案内している間に、時間も遅くなってきた。日が落ちているということは、大分長い間彼女を連れ歩いていたということだ。林原としては満ち足りた一時であったが、いつまでもこの喜びを享受しているわけにもいかない。そろそろ帰ることにした。


 葦原学園の敷地へと向かう大通りを、二人並んで歩く。さすがに手をつなぐようなことはできるわけがないし、一定の距離をおいている様などは実に余所余所しいものであるが、だからといって決して悪い雰囲気ではない。大通りの周辺には特に人が寄り付くような店舗もなく、人通りもまばら、というかほとんどない。少なくとも林原には、今この場には自分とアインの二人しかいないように思えた。

 と、そんな彼の視界の端にあるものが映った。

 葦原公園だ。高校生などが公園に寄りつくようなことはほとんどないが、小学生などはよくここで遊んでいるらしい。もっとも、夜中ともなればさすがに帰っているだろうが。


 夜の公園か……

 多分、この大通り同様、ほとんど誰も居ないのだろう。

 となれば、二人でいいムードの中に浸れるのではないだろうか。そんな考えが林原の脳裏を過ぎった。

 まだ寮の門限までは時間がある。そもそも、《保有者》には学園の校則などあってないようなものなのだ。門限など破って当たり前だ。ただ形式上そういうものが存在しているというだけだ。とはいえ、林原はその形式に律儀に従っているが。

 このまましばらく歩いていれば、十分かそこらで帰れる。少しぐらい、寄り道してもいいだろう。

 林原は、極力変な顔にならないように注意を払いつつアインの方へ向き、言った。

「ちょっと、公園で休憩していこうか」

 それにアインは、無言で頷いた。

 彼は、急にぎこちなくなってきた足取りでゆっくりと、彼女を連れて公園の中へと入っていった。


 日が落ちて夜になったとはいえ、芦原高の中庭と同じかそれ以上の広さの公園内は照明と月明かりに照らされ、暗さは感じなかった。特に遊具などがあるわけでもなく、小奇麗なベンチや水飲み場があるばかりの質素な様相ながらも、いくつもの植樹された常緑樹の葉が風に揺られる音が、どこか心地よかった。

 予想通り、良い感じの雰囲気だ。少しだけ不気味ではあるが。

 こんな状況になったからだろうか。林原は不意に、『これだとなんだか恋人みたいだ』だとか何とか、クサい台詞を吐いてみたくなった。もしこれでアインの方にそういう気がなければ、白い目で見られて、この恋も泡沫と消えるだけだろうが、不思議とそうはならないという確信があった。根拠はない。が、今こそこういう台詞を、なんなら『付き合ってくれ』とまで言うべきなのだと感じた。会って一日でそれはどうかとか知ったふうな口をきく輩もいるだろうが、そんなの知るか。チャンスに引っ張れるような後ろ髪はないのだ。

 今度は、勇気はそれほど必要なかった。林原は自分でも意外なほどにすんなりと口を開いた。

「な、なんか。こういう雰囲気だと……」




 しかし、最後まで言うことはできなかった。

 突然彼は、背後から後頭部を何者かに殴打された。かなりの衝撃が脳を揺さぶり、受け身も取れないまま前のめりに倒れ、地面に突っ伏した。

 だが、《Bランク保有者》は、中枢神経の構造も非保有者アン・ホルダーとは違う。ましてや、長い時をかけてそれに適応したのが林原だ。すぐに、自分の陥った状況を判断することができた。

 何者かに殴られた。しかもこの感触は、拳や足で殴打されたものではない。かなり硬い質感がした。木材か何かで叩きつけられたのだろう。

 武器、と見て間違いない。

 そして、そんなものを用意していることと、この遠慮の無い威力、そして意識が“トビ”そうになる程度の衝撃。

 おそらく相手は《Bランク騎士型ナイトタイプ》。そして、初めからこちらに暴行を加えるつもりでいた。


 そう結論を導き。咄嗟に背後へと振り向く林原の眼に、二つの人影が見えた。両方共黒い無地のシャツに紺のジーンズというどこかで適当に買ってきたような服装だ。フェイスマスクを被っており、個人を全く特定できない。両方の手にはバットが握られていた。

「……!!」

 改めて述べるが、林原は無闇に人に暴力を振るうつもりはない。だが、やられたらやられっぱなしというほどお人好しでもない。己の《因子ファクト》に適応する中で、自分なりの“喧嘩の仕方”というのを身に着けてきた。

 瞬時に身を翻して立ち上がりつつ、相手方に正面を向く。アインの様子を見たかったが、その余裕はなかった。謎の二人組から眼を離すことができない。


「な……何するんだ……」

 胸元がじわりと湿ってくるのを感じながら、林原は眼前の二人に問うた。向こうもまた、目に見えるほどに焦っていた。林原を不意打ちで殴打したものの、予想以上に堪えていないらしい、ということもある。だがそれ以上に、そもそも自分達がこんなことをしていることに焦っている。

 林原の問いに応えるその声は、うわずっていた。

「恨むんじゃ、な、ないぞ」

「お前にはちょっと、しばらく動けなくなる程度にボコられてもらう」

「……」

 まだわずかに頭が痛むが、現実をとにかく受け入れて冷静になることで、すぐに察しがついた。あの萎縮した様子と言葉尻から、容易に推測することもできた。

 覚悟を決め固く身構えつつ、林原は言い放つ。

「誰かに頼まれたのか? こうしろって」

 一体誰に?

 自分なりに、ではあるが、林原は人の恨みを買うような真似はしてない。こんな目に合う謂れはない。

 いや……一つだけ思い当たる節があった。ちょうど、今日起こった出来事だ。

「そうか……西条だな。あいつに強要されたのか」

 楯突こうとしたことへの報復を自らの手でなく、他人を使って果たそう、ということだ。

 図星を突かれたのか、二人組の内の一人が、バットをこちらに突きつけて叫んだ。

「うるせえ、誰も関係ねえ! あんたはあれこれ詮索せずにおとなしくやられてりゃいんだ!」

 下手に足がつくようなことになれば、後で西条に何をされるか分からない。それを恐れているのだろう。二人には最早、林原をリンチする以外の選択肢は頭に浮かんでいないようだった。恐怖というのは人の原動力にはなり得るが、正常な思考というものを削減させる。

 焦燥と不安を凶気に変えて、得物を握る二人の《保有者》が、こちらににじり寄ってくる。

 林原の胸中は、煮えたぎるようだった。怒りのために。

 これは、人間が行う中で最も卑劣な部類に入る行為だ。あの二人のことではない。他人を弄び、自分自身は何もしない、西条の傲慢さのことを言っている。

 林原は、あまり他人に憤りを感じるようなことはないが、今回だけは話が違った。もし自分が《Aランク》であるならば、今すぐにでもあの男を探しだして、顔面が変形するまで殴りたかった。

 だがそれはできないし、それ以前にまず、目の前の二人に対処しなければならなかった。

 やむを得まい。これは、正当防衛の範疇にはいるだろう。

 林原が、静かに言う。

「分かった、かかってこい。極力痛くないようになんとかしてやる。頭が冷めたら帰ってくれ。心配しなくても、生徒会に事情を話せば守ってくれる。西条については心配しなくても……」

 全て言い終える前に、振りぬかれたバットが眼前に迫ってきた。一切手加減していないということが、一目見ただけで分かる。明らかに、こちらの頬骨か何かを陥没させるつもりだ。

 が、“遅い”。林原にはかわせない速度ではなかった。

 すばやく一歩後ずさりして、バットのリーチから逃れる。続けざまにもう一人が縦に振りぬいてくるが、身を翻し回りこむようにその軌道をすり抜けつつ、柄を握る右手に裏拳を叩き込んだ。

「痛え!」

 骨が軋むような痛みに、フェイスマスクの男は右手はおろか無傷な左手まで開いて、早々にバットを手放してしまった。同時にそのバットを掴み後方に飛び退ることで距離を取る林原。


「まずは武器を奪う。君等、《保有者》になってどれぐらい経つ? 俺は七年だ。七年間、この力を上手く使いこなすために努力してきた。二人がかりでも、そう簡単に勝てるとは思うなよ」

 その台詞はどこか高慢なものであったが、彼だって少しぐらいは格好つけたいのだ。何よりこれは挑発でも煽り文句でもなく、事実と見て違いなかった。まだ一度の攻防しか交わしていないが、林原と向こうには、僅かな、しかし確実な実力の差というものがある。お互いにそれを実感しているはずだ。

 だが、その台詞を受けた二人の、フェイスマスク越しの眼。そこに一瞬だけ、言い様のない不気味な光が見えた。恐怖でも自棄でも絶望でもない。淀んでいるが、どこかポジティブな雰囲気があった。

「……うるせぇー!」

 二人が、再びこちらに突進してくる。一人が未だ健在のバットを振り回しつつ、その攻撃の合間に入り込むように、もう一人が拳を突き出してくる。二人がかりでの絶え間ない連撃だったが、林原はそれを紙一重のところで回避しつつ、時にはガードしてやりすごした。衝撃が骨にまで響かないように、的確に受け流している。

 そうして、時折出現する僅かな間隙を突き、相手の顔を交互に小突いていた。

 二人組が数度彼に殴りかかると、その顔がカウンターの衝撃でガクリと揺れる。そんなことが何度か繰り返された。


 やはり、実力差は大きい。こうやって繰り返しジャブを当てて顔を腫らしてやれば、その内向こうも諦めて帰ってくれるだろう。中々諦めないのなら、少し本気を出して気絶させればいい。向こうだって、自分達が西条の報復の代理を務めることができなくとも、それで自分達が奴に狙われるようなことはないと、分かっているはずなのだ。そのようなことを防ぐために生徒会は存在する。彼らを頼ればいい。

 突然殴られた時は何事かと思ったが、ひとまず、何とか事態を収拾させることができそうだ。

 二人組の攻撃をかわしつつ安堵した、次の瞬間だった。


「う……?」

 不意に背中に、何かが当たるような感触があった。

 先ほど後頭部を打ち据えた木製バットのような類ではなく、柔らかさのあるものだ。これは、手のひらか?

 相手は、二人ではなかった。隠れてもう一人いたということか。そいつが、残り二人にこちらが気を取られている隙に、背後から近づいてきたのだ。油断していた、全く気が付かなかった。まんまと奇襲されてしまった。

 だが、奇襲は成功したものの、何故殴りも蹴りもせず、ただ手のひらで触れるだけに留まっているのだ?

 その疑問は、瞬時に自己解決された。

 瞬間彼は、つま先から侵入した音速の寄生虫が、瞬時に脳にまで到達したかのように戦慄した。

 次に、その寄生虫は脳を食い破り神経を支配し、痛みのインパルスを全身へと送り込んだ。そう形容できるような激痛が全身を包み込んだ。

 身体の中心からビッグバンのごとく膨張した針の塊が身体を貫くような痛みはすぐに消えた。しかし、その後もあらゆる血管が引き裂かれたと錯覚するほどの痛みは持続していた。

 そして痛み以上に、身体が満足に動いてくれなくなった。四肢が痙攣し、立つことすらままならなくなる。

 “電流”を流された。そう判断できたのは、崩れるように倒れこみ、地面に突っ伏した後のことだった。さながら、スフィンクスが提示する問題における、“朝”の姿であった。今は夜だが。

 三人目の相手は、《魔導型エンチャントタイプ》だった。

 

 筋肉というのは、イオン化した物質が生み出す電気を原理として動く。そのため意図的に外部から電流を流すことで、膝蓋腱反射のように当人の意思と関係なく収縮させることもできる。その電流が大きすぎる場合、筋肉は本来の活動を阻害され、思うように収縮できなくなる。場合によっては、心臓――筋肉の塊だ――の拍動にも異常が発生し、心臓麻痺で死に至る。雷に直接打たれていない人が、倒れてそのまま亡くなるのは、そういう理由があるからだ。


 今、それが起きた。

 《魔導型》は自由に科学的なエネルギーを発生させることができる。当然電流もだ。《騎士型保有者》の筋肉を麻痺させるには手で触れてピンポイントに放電する必要があった。

 逆に言えば触れるだけで超人的な身体能力を持つ《騎士型》を無力化させることができるのだ。とはいえ、一対一ではまず触れられるわけがない。そうする前に持ち前の身体能力と反射神経で逃げられるからだ。

 だが、今回は別だった。同じ《Bランク》二人を囮に使うことで、この《魔導型保有者》は、まんまと敵の懐に飛び込むことができたのだ。


 なるほど、先の一瞬二人の《保有者》が見せた不気味な表情の裏には、そういう魂胆があったわけだ。そこまで思考できるあたり、どうやら脳まではイカれていないようだ。

 だが、林原がそれ以上の冷静な判断ができることは、なかった。

 再び後頭部に硬質な衝撃を受け、彼は地面を舐めた。バットで殴られたのだ。

「うが……ッ!」

 次に脇腹に誰かのつま先がめり込み、無理やり身体を仰向けに転がされた。大きく旋回した視界には、淀んで星も見えない夜空を遮る、三つのフェイスマスクがあった。顔は見えないが、その眼は笑っているように見えた。

「オラッ!」

 一人が唸りを上げて、靴底を無防備な腹へと叩きこむ。

「ぶ!! ぐ……!」

 胃液が逆流しそうになる。が、それを吐き出そうとする口を塞ぐように、今度は顔面を踏みつけられた。

 三人の《保有者》が次々と、林原を足蹴にする。時には振り下ろされたバットの硬さが、文字通り骨身に染みた。染みわたりすぎてふやけてしまいそうだ。

 三人は、気のふれたような叫び声を上げ、飽きることもなく林原を痛めつけ続けた。

「は、ハハハ!! 何が『そう簡単に勝てると思うな』だ! じゃあ今俺らは勝ってないとでも言うのかよ!」

「ムカツクんだよチクショオ! もう脅されたとか関係ねえ、俺達の意思でお前を“フクロ”にしてやっからよォ!」

「殺しゃしねえが、全身複雑骨折で、半年は動けねえようにしてやる……オラァー! 気分いいなァオラアァーーッ!!」


 これだ。林原は《保有者》のこういうところが心底嫌いだった。自分が同じ存在であることに嫌気がさす。

 連中は、他人のことなどロクに考えない。自分の享楽のためならなんだってする。リスクを負わずにそれができるというのなら、喜び勇んで人を殺すだろう。そんな下卑た欲望を水面下でセーブできているのは単に、臆病さだけは非保有者と変わらず持ち続けているからだ。他人を虐めたいが、逆に自分が痛めつけられるのが怖い。だが、その危険が消失した時、欲望のタガは外れる。

 強大な力を持ち過ぎた人間は、それと引き換えに人間らしさを失う。こんなことではいずれ自分達が社会を食いつぶすことになりかねないと、分かっていないのだ。


 などと、諦観的に考えている場合ではない。腕や足も幾度となく踏みつけられ、ヒビが入っているかもしれなかった。こんなことがこのまま続けば、間違いなく“折れる”。

 だが、だからといってどうすることもできない。身体は満足に動かないし、仮に筋肉が痙攣を止めたとしても、骨が軋んで畢竟ひっきょう同じことだろう。となれば、もうおとなしくされるがままでいるしかないのか。

 幸い殺しはしないと言っているし、こちらが相手を痛めつけたりしないで済むのなら、これはこれでいいかもしれない。西条のことは煮えたぎるほどにムカツクが。


「やめてください」


 不意に、声が聞こえた。どこか遠くの方で響くような小さな声であったが、確かに聞こえた。

 そう、これはアインの声だ。

 思い出した。彼女はこんなところにいてはいけない。蛮人と化した連中の近くにいては、何をされるか分からない。

 早く逃げろ。そう叫ぼうとするが、痛みのために声も満足に出ない。林原の願望も虚しく、彼女の声はむしろ近づいていた。

「やめてください」

 三人組にはその声は聞こえていないようだ。林原を袋叩きにするのに夢中で、神経の反応が鈍くなっているのだろう。

 そうだ、気づかれない今のうちに逃げろ。

 林原は、声が出なくとも、せめて脳内でそう念じ続けた。が、その心の声は、悲しくも彼女には伝わらなかった。


 あるいは、伝わっているからこそ……?


 突然、卵の殻を割る様子をサンプリングして大音量スピーカーで拡大したような音が鳴り、三人組の内の一人――おそらく《魔導型》だろう――の頭が、消えた。

 いや、消えたのではない。凄まじい勢いで揺さぶられたものだから、その振動の“ブレ”のせいで、消えたように見えただけだ。メールを受信した携帯電話がバイブレーションを止めるように、ピタリと静止した《魔導型》は、そのまま爆破解体される高層ビルとなって崩れて倒れた。そうして、そいつがいた位置に、取って代わるようにアインの姿があった。

 彼女は、顔の前に握りしめた右拳をかざしていた。さながら、『これで殴りましたよ』と誇示するように。


 林原を襲っていた足蹴の応酬が、止んだ。

 残った二人の《騎士型》は、見開かれた両眼から、貼り付けるようにアイン目掛けて視線を飛ばした。林原もまたそうだ。彼女の濁り淀んだ、その奥に一抹の清らかさを感じさせる瞳を、突き破らんばかりに見つめた。

 彼女が言う。

「博士……――お母さんからインプットされて(教えられて)、知っています。貴方達のような人を、“屑”と言うんだと」

 そうして、握られていた拳をゆっくりと開き、指先を揃え、拳法家のごとく手招きする。


「やめろ、と言っているのよ。代わりに私が相手をするから、かかってきなさい、屑共め」

 そう言って、彼女は微笑んだ。



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