Session.12 division Part.3
林原とアインのやり取りに対し、今がどのような時間軸なのかは記す必要はない。それなりに近い時期、というだけで充分だろう。
星原 遥に勝利した、その日の放課後。
あんな約束断ってしまえばよかったのだが、何故だか御剣は了承してしまい、星原を連れ駅前のフェミレスへとやってきた。彼女に800円もするチョコパフェを奢ってやるためだ。
が、しかし、本当にタダで奢ってやるというのも癪に障る。ついでなので、こちらからいろいろ聞きたいことを聞いておくことにした。
四人がけのテーブルで向かい合う御剣と星原。さらに彼の隣にはあやめ、頭上にはロニーがいた。
星原はと言うと、サイコキネシスを使い手も使わず起用にスプーンを動かし、パフェを口に運んでいた。
「んぐ……んぐ」
座席にふんぞり返って、スプーンだけが勝手に動いている。彼女自身の身体で動いている部位は、咀嚼している口元だけだ。傍から見れば異常な光景であったが、《因子》の存在が蔓延した現代日本においてはそう珍しいことではないし、そもそも見てくるような“傍”もないのだ。
今自分がこうやってパフェを食っていることをさも当然のことのように黙々と口を動かしている星原には、さすがの御剣も辟易とした。
「その……な。人様のものの食べ方にまで文句言いたくはないけど……あんた俺を殺そうとした上にそんなものまで奢ってもらってるんだぞ? もうちょっと慎みってものはないのか」
それを聞いて、星原は少しだけビクリとし、眼を丸くした。
「んぐ!」
スプーンを咥えたまま、応える。
「い、いやぁ、すごいおいしいもんだからつい自分の立場も忘れて……ごめんねぇ~」
と言いつつも、ふんぞり返って黙々と食い続けるスタンスは崩さない。なんとも面の皮の厚い奴だ。
まぁ、それならそれでいい。その代わりこちらの質問には応えてもらおう。
御剣はテーブルの上に両肘をつき両手を組み合わせ、単刀直入に切り出した。
重要な話だ。友野達にはついてこないように言ってある。こっそり店内に入られたりしないよう、わざわざ柳沢と霧島に外で巡視してもらっているほどだ。
「あんたに依頼を出してきた奴……《先導会》の人間だろ」
星原はまた、スプーンを咥えたまま応えた。彼女が声を発するのに応じて、持ち手がカクカクと揺れる。
「そうだよ、なんで知ってるの?」
「以前柳沢が俺に勝負を仕掛けてきたんだが、その時も“そいつ”から依頼を受けていた。柳沢の前にも、同じ奴から依頼を受けたであろう生徒からも襲われた。となりゃ、今度もそうだろうと思ってな」
「へぇ~。案外モテモテなんだねぇ御剣くーん」
「そりゃあこの顔だからな」
「言うほどじゃなくない?」
「言うほどじゃない」星原はともかく、あやめまで即答した。
「……まぁそれはそれとして、星原よ、あんたももう、こっちの事情に足を踏み込んでる。氷山の一角を掴んでるんだ。こうなったら、水面下に隠れているその全容もみぃんな引きずり出さなきゃならんだろう……一つ、大事な話をするぞ」
御剣としては、星原に、《先導会》の幹部とやらに謎の依頼を受けた、ということだけしか分からない状態でいつまでもいられるのは気の毒だと思った。なので自身の戦いを、彼女にも知ってもらおうというのだ。その方が、ある種では彼女にとって気の毒かもしれないが。
御剣は、己の知ることを大まかに説明した。《因子人》のこと。《先導会》のこと。
御剣以上にヘラヘラした顔が似合う星原であっても、この話を聞けば眉をひそめる。パフェを食べるのは止めないが。
「……うそじゃあーん」
それが第一声だった。次に、あることに気がつく。
「……ってことは、私にあのメールを寄越したのは、その《因子人》とやらってことなの? 邪魔者を始末するために?」
「そういうことだな」
「マジでぇ~……わたし化け物の片棒担がされてたってことぉ~?」
「そう、それだよ。連中は俺を始末しようと躍起になってる。《因子人》が仕掛けてくるなら、いくらでも相手してやるさ。けど、それ以外の、普通の人間までヤツらは巻き込んでいる。依頼を出してる張本人が……事態の黒幕がいるはずなんだ。いち早くそいつをブッ殺したい」
ブッ殺す。
軽々しく発せられたその言葉に、その字面以上の重苦しい気が纒われているのを感じ、星原は冷や汗をかくような気分になった。パフェのアイスで身体が冷えたというわけではないだろう。
彼女が問う。
「ブッ殺すったって、まずどこにいるか分からなんじゃないの?」
「確かにそうだ。だが、ひとつだけ見当が付いている……そいつはおそらく葦原の生徒だ」
「え?」
「どうして」これには、あやめも聞き返した。
「俺を殺しにかかるなら、わざわざ葦原の生徒でなくてもいい。《先導会》の幹部ってんなら、データベースから有能な《保有者》をスカウトするぐらい簡単だろう。だが、そいつは三回連続で葦原の生徒をこっちに寄越してきた。学校に意識が向きやすいんだろう。となれば、あそこの関係者であるのはほぼ確実だろうし、あそこには《保有者》の教師は少ないから、自ずと確率は生徒の方に絞られてくる」
正直言って、この推論には願望的な部分も含まれている。葦原の生徒でなければ、それこそ正体を突き止めることなど無理の一言だからだ。とはいえ、それを踏まえても決して支離滅裂な考えではないはずだ。
あやめとしては、その推論を戦々恐々と聞くばかりだった。
分かっていたことではあるが、芦原高にまで《因子人》の活動範囲は広がっているのだ。もしかしたら、今日自分の視界を通り過ぎていった何人もの生徒の中に、《因子人》がいるかもしれない。そいつこそ、裏から御剣を始末しようとしている奴なのかもしれない。
そう考えると、悪寒がしてくる。
御剣が星原に聞く。
「けど、残念ながら情報はそれだけだ。あんたには何か心当たりはないか?」
と聞かれても、星原も困る。御剣に心当たりがないものが、自分にあるわけがない。
「うぅ~む……んなこと言われても……」
が、ふとあることを思いついた。
「あー。でも、わざわざ他人を使ってるってことは、目に見えて悪いことしてるような奴じゃないってことだね。目立たないようにコソコソしてるはずだよ。それに、《Aランク》でないっていう可能性も大きいね。自分に実力があるなら、それこそ邪魔者は自分で排除するでしょ」
「なるほど……そうなると、結構特定できるかもしれないな」
そうつぶやいてから、御剣は星原の顔を凝視した。無言のまま、ただまっすぐに視線だけを送る。その視線に射抜かれた星原は、苦笑いして当惑した。
「えぇ~、っと……言いたいことは分かるよ。わたしに、バレないようにこそっと調査しとけって言うんでしょ?」
「そうだ。俺を殺すつもりで仕掛けてきたんだぜ? 今頃仕返しで生命がなくなってるかもしれないところを、許すどころかそんなモンまで奢ってやったんだ。ちょっとぐらい手伝ってくれよ……まぁ、危ない目に会うのが嫌っていうなら、仕方ないかもしれんけどよ」
最後の言葉は、話術の世界でよくある“押して駄目なら”という奴ではない。それなりにではあるが、星原の身を案じているのだ。《因子人》は危険な存在だ。《Bランク》ほどでは、《保有者》であっても対抗できないような存在なのだ。
普通ならこんな頼みはあっさり断るのが星原なのだが、今は話が違う。御剣の語る《因子人》という存在は脅威的に感じる。どうにかしなければ、いずれ何かの拍子にこちらも狙われるかもしれない。それならば、御剣達の後ろ盾があるうちにこちらから行動を起こす方が、むしろ安全なのではないかとも思えた。まぁ、連中の尻尾を掴もうとする以上、ヘマをした時の危険さは馬鹿にならないが、それでもだ。
それに、御剣は今こうやってチョコパフェを奢ってくれている。こちらが上手く働けば、なんなら週に一度ぐらいのペースで奢れと言っても承認されるのではないか?
そんな現金な欲望の方が、脳内で繰り広げられるリスクマネジメントよりも遥かに有意義な理由になると思えた。そういう単純な頭をしているのが星原だ。ずっと、難しいことは考えずに生きてきたのだから。
彼女は御剣の頼みに、快く応じた。
「しょおがない! 分かった、わたしなりに調べてみよう」
「二つ返事だな、いいのかよ」
「もっとも、当然のことだけど、わたしのペースでね。貴方が『明日までにターゲットの正体を突き止めといて、よろしくゥ』とか言うなら、こっちは協力はやめる」
「そうか。まぁ、こっちから頼んでるし、ある程度のわがままは聞き入れるよ」
それを聞きながら、星原はテーブルに肘をついて手の上に顎を乗せた。ようやく手を動かしてくれたが、スプーンには触りもしない。
「あの柳沢君と霧島さんも探してるんでしょ? いざとなったらあの二人になんとかしてもらう……けどさ、そもそも見つけられるかどうかも分かんないよ~。ある程度絞れたって言っても、葦原の《保有者》はただでさえ他人を信用してない奴も多いんだし、こっちが探りを入れられる余地があるかどうかも分からないよ」
その言葉には、御剣も頷くしかなかった。
「そうなんだよな。見つけ出してブッ殺すとは言っても、目星すらついてないのが現状なんだ。今のところはどうしようもないのかもしれないな……」
が、どうしようもない今この時にも、また“奴”は新しい刺客を選定している最中かもしれない。明日にでも、御剣を新たな刺客が襲うというのもあり得る話だ。今回はあっさり終わってくれたが、柳沢レベルの敵が続けざまに来れば、ジリ貧になってしまう。いずれ潰されてしまうだろう。
そういう危機感も感じないほど脳天気ではない。
場に、重苦しい空気が漂う。神妙な顔をしているのは御剣とあやめの二人だけだったが。その状況を破ったのは、脳天気どころか脳が空っぽになっているような、ロニーの言葉だった。
「いいじゃん別にい~っ」
「……は?」
「いやさ、今は向こうの好きにやらせるしかないってことでしょ。だったらさ、どうぞ好きなようにやらせてやればいいんだよ」
「ロニー? それって……」あやめが聞き返す。彼女もいつの間にやら、ロニーのことを呼び捨てにするようになっていた。
「どんどん刺客がやってくるなら、その刺客を徹底的に返り討ちにしてやればいい。そんで、そこらの馬の骨を寄越したぐらいじゃこちとらは殺れない、って。それを教えてやればいい。そうすれば、シビレを切らして向こうからノコノコ顔を出してくれるさ。その時に……“これ”すりゃいいんだよ」
親指で首を掻っ切るような仕草を見せる。
単純明快で、あまりにも向こう見ずな話だ。相手がシビレを切らすまで、どれだけ待てばいいのか分からない。一人倒せばいいのか? あるいは葦原高の《保有者》を全員相手にしたってまだ出てこないかもしれない。正直あまり賢いやり方とは言えなかった。
だが、“らしい”やり方だ。と思った。
あやめはすでに、御剣達の流儀に、文字通り流されつつあるのかもしれなかった。
吹っ切れたように、御剣が大口を開けて笑った。
「はっはっは! なぁるほどなるほどねェー、名案! ナイスアイディィーア!」
スプーンを咥えたままきょとんとしている星原を余所に、彼は続ける。
「どうせ俺たちゃ血気盛んで、喧嘩しかできないようなろくでなしなんだ。だったら、その唯一の取り柄を存分に活かそうじゃないか。探りは依然入れつつ、連中の攻勢を真っ向から受けてやる。徹底抗戦だ!」
「そうこなくっちゃねー!」ロニーが続く。
それに星原が、パフェのアイスよりも冷めた声で、
「徹底抗戦だか何だか知らないけど、わたしはあんまり巻き込まないでよ」
「約束はできない。でも、例え巻き込まれたとしても、痛い目には合わせないさ。それこそ生命をかけて、危険からは守ってやる……それは約束する」
その言葉は勿論、星原だけではなくあやめ達に対してのものでもある。
あやめは彼のこの言葉を、根拠もなく信じていた。正直今日も星原の釘弾に巻き込まれそうにはなったが、実際巻き込まれてはいない。もし避難するのが遅れたとしても、彼ならきっと、自分がダメージを受けるのを覚悟で守ってくれただろう。
あの日……初めて《因子人》という脅威を知り、そして彼の戦いを知った日から、ずっとそうだった。こちらが危ない時には、御剣はいつだって来てくれるはずだ。
星原が、今度は両肘をついて両手で顎を支えながら、にやにや笑って応えた。
「かっこいいこと言ってくれるじゃない。御剣君ってちょっと怖いし同じ人間とは思えないけど、基本的に好きだよ、わたし」
「好き……」
あやめは数秒の間ぼーっとした顔で固まった後、隣に座る御剣の肩をぽんぽんと忙しくなく叩いた。
「ホラホラ、御剣君ホラ、好きだって。チャンスだよ、くっついちゃいなよ」
「は?」何を藪から棒に、とでも言いたげな顔をする御剣。
星原の方も、あまりに急なものだから、あやめの頭がおかしくなったのかと思ったが、すぐに先ほど以上ににやけ面に変わった。
「えぇ? なに、彼女になれって? あぁそれもいいかもねぇ。わたしの《因子》にすぐに負けるような奴はとてもじゃないけど“男”に見えなかったんだよね。そういう意味では、御剣君って“そういう対象”としては初めての~……――ってやつ? あ、何だろ。ホントに段々胸がドキドキしてきた、なんだろこれ。よくよく見たら顔も中々……」
心なしか、顔が少し紅潮しているように見える。
まさかの展開だ。さっきまで敵同士で、ビービー泣かせてやった相手が、彼女になるのもいいかもとか言っている。そのお相手である御剣もさすがに戸惑った様子で、頭をかいていた。
「は……はぁ」
とはいえ、まんざらでもない様子だ。
「な、なんでいきなりそんな事を言うんだ?」とあやめに聞く。
それにあやめは、鉄面皮で返した。
「別にぃ。ただ、早く私が千代ちゃん達にからかわれないようになりたいってだけですぅ」
「……どういうこと?」
朴念仁なのか、あるいは面白がってそのフリをしているのかは知らないが、不思議そうに眼を点にする御剣。彼と違い、間違いなくあやめの言葉の意味を分かっているであろうロニーが、乗っかってきた。
「さぁ~、どういうことだろ。ちょっと本人による解説が欲しいな」
「やだよ!」
なんであれ、星原が御剣をもらってくれるなら大いに結構だ。これで自分が彼の彼女だなんだとはやし立てられることもなくなる。また別のベクトルで厄介なことにはなりそうだが、それについては今は考えない。
あんな男のことなど、別にどうでもいいのだ。
だが、今のあやめには、それが自分の本心だと確信することができなかった。
御剣は変な奴だ。時々、《因子人》を殺すことに快感でも感じているのではないかと、狂気のようなものを垣間見せることもある。彼の生きている場所は、あやめには到底足を踏み入れることができない世界だ。
それでも、最近彼女は、そういった御剣の奇怪な部分よりも、彼の彼たり得る魅力というものを意識している気がする。今日だって、立花がわざわざ自分を御剣と二人にしたことに、感謝などしていなかったとは言い切れない。
本当のところ、自分は御剣のことをどう思っているのだろうか……
その解答もでないまま、星原がチョコパフェを食べ終わった。今後の方針についてももう話すべきこともないので、ファミレスを出て行くことにする。
自動ドアをくぐってすぐの歩道で、阿頼耶と柳沢が待っていた。
開口一番、柳沢が、
「どうだった。女の子二人ハベラせてご飯食べた感想は。君も罪な人だね」
それには、あやめが真っ先に返した。
「そういうんじゃないよ」
続けて、阿頼耶。
「で、これから……どうする?」
主語を欠いた言葉だったが、意味は伝わる。御剣がそれに応える。
「決めたよ。徹底抗戦だ。俺を狙ってる不届きモンの正体に目処もたたない以上、ヤツが送ってくる“鉄砲玉”をみんな叩き落とす。そうして、ヤツが自ら出てくるのを待つ。あんたらには迷惑をかけるな」
柳沢が肩をすくめる。
「迷惑ねぇ……強くもない奴ばっかり相手にするとなると、確かに迷惑かな」
「貴方は……どうするの」阿頼耶が星原に聞く。
「え? わたし?」
御剣に協力するかどうか、ということだ。すでに柳沢と阿頼耶は、戦闘においても彼にトコトン付き合うことに決めている。星原も、御剣抹殺の依頼主を探るぐらいなら構わないと応えたところだが、戦闘となるとどうだろうか。
御剣が言う。
「お世辞と受け取ってくれて構わんけど、あんたにはあの釘の弾丸もあるし、何よりあの“へんちくりん空間”は中々脅威的だ。サイコキネシスも、範囲こそ狭いが強力だし。あんたの《因子》は、俺ができないことをいくつもできる。使い勝手の良さに関しては、こっちが及びも付かないレベルなんだ。手伝ってくれるなら、頼もしいことこの上なくて感激しちゃうんだけどぉ~……」
それを聞いた星原は、一瞬固まった後、心底嬉しそうに破顔した。こちらから言っててなんだが、単純な奴だ。御剣の肩をポンポンと叩きながら、声を弾ませる。
「あらやだ、ンもぉ~、人をおだてるの上手っ! 分かった分かった、雨が降ろうが槍が降ろうがレーザー光線が降ろうが、貴方に付き合うよ!」
「おぉ~サンキューベリーマァァ~ッチ!」
「イッツマァイプレジャァァ~~!」
「……」
あの二人、結構気が合いそうだ。本当に付き合ってしまえばいいのに、とあやめは思った。御剣の傍らで、ロニーが“ヤバそう”な顔をしているが。
ひとまず、いつまでもここでくっちゃべっているわけにもいかない。まだ日は暮れていないが、もう夏も近いという時期なのだから日没は遅いものだ。もうそろそろ夜、というような時間帯になっている。
「さーて、帰るか」
御剣がそう言い。葦原学園の敷地へと歩き始めようとした。
その時だ。
突然彼が、右こめかみのすぐ傍で、右手を握った。何かを掴むような仕草だ。あまりに急なことだったが、あやめには何をしたのか、すぐに分かった。なんせ、今日の昼休みに同じようなものを見たところなのだ。
御剣は瞬時に右を向き、ロニーに呼びかけた。
「おい、分かるか?」
「いや。気配は感じるけど、どいつなのか特定できない。《因子人》なのは確かだよ。だとすると中々強かなヤツみたいね。身の隠し方を心得ている……ま! わたしほどじゃないけどぉ~!」
あやめも、御剣と同じ方に視線を向ける。
歩道には、この時間帯の駅前ということもあって、多くの人々がひしめき合うように歩いていた。学校の昼休みよりも、さらに視界に映る人の“密度”が多い。釘なんぞ飛ばせば、まず誰かに刺さりそうなほどだ。だが、地面に倒れたり、血を吹き出すような人は見えない。喧騒が沸き起こることもなく、夜の街は変わらぬ姿を見せている。
柳沢も阿頼耶も、何が起こったのかすぐに察したようだ。柳沢に至っては、御剣のこめかみめがけて迫る“それ”を、一瞬だが視認することもできた。星原だけが何が何だか分からない様子だったが、数秒置くことで、分かってきたようだ。
「もしかして、わたしの真似事でもされた?」
それに御剣は、「へへッ」と乾いた声をあげながら、俯き気味に苦笑する。
「確かに、真似事だ。でも、真似事の方がクオリティが上みたいだぜ」
「なにぃ?」
「見ろよ」
彼は、あやめ達に見えるように、握った右手を開いてみせた。それを見て、あやめは思わず息を呑んだ。
「これ……っ」
手のひらが、直径5cmほど円形状に、黒く炭化していた。皮膚が焼け、細胞が壊死している。
かなり高熱の物体を掴んだらしい。《Aランク騎士型》の皮膚をここまで焼けるとなると、セ氏1,500℃は優に超えているだろう。そうして、それほどの熱源となる物体が見えない。自らの熱で燃え尽きた、というわけでもないようだ。
となれば、考えられることは限られていた。
「《魔導型》、か?……今度の相手は」柳沢が呟く。
それに続いて、再び御剣の口から笑声が漏れた。
「ヒ……ヒヒッ」
その引きつった笑いは、彼が《因子人》と対峙する時の独特のものだった。生命を奪うことに喜悦する時のものだ。その顔もすでに、苦笑いではなくなっていた。
「おもしれえ、早速次が来やがったか……上等だ。相手になってやる。今はまんまと逃げられたようだが、三度目はないと思えよ……」
これだ。この不気味さ。
御剣の恐ろしさの一端を、あやめは再び垣間見た。
そして、今回はこれだけではなかった。
この不気味さはそのまま、御剣の頼もしさに繋がる……はずだった。だが、何故か今は、口角を歪ませる彼の表情が、とても危ういものに見えた。
無性に、いやな予感がした。事態が、さらなる発展を見せるような――しかも、悪い方向に発展するような、そんな予感がした。
※
夜の街を、何かに追い詰められるようにどこかへと向かって歩く人の波に、逆らうよう反対向きに歩く、一人の少女がいた。その後方に佇む数人の男女の姿は――そこには、己の“ターゲット”の姿もあった――、みるみるうちに遠ざかり、無数の影の向こうへと消えていく。
その足取りは緩やかにして軽やかだ。彼女は左手で、左の目元をしきりに撫でていた。さながら、眼球が自分以外のものに変わったように。
比喩表現ではない。だとしても彼女にとっては、それは別に珍しいことでもなかった。
人の波に逆らい歩く中で、少女は誰にも聞こえない声で呟いた。
「義眼型熱量射出器……こうイウのも面白いと思って実用シテみたけど、やや威力に難アリか……こんなモノの改良のタメに、博士の手を煩わせるのを馬鹿馬鹿シイシ。処分しヨウ」
さすがにこれだけの人混みの中で、《次元砲》を使うわけにもいかない。あれならば一撃で葬ることもできたろうが、別に、今ヤツを始末しようというつもりはない。だから、奇をてらった新兵器の試し撃ちを兼ねて暗殺を試みてみた。
結果は失敗だったが、それでいい。今回はちょっとした挨拶のようなものだ。
御剣 誠一を始末しようとしている者がいるというのを知ったのは、最近のことだ。そいつは、《先導会》の幹部職に名を連ねている《因子人》だった。
彼のやっていることは甘すぎた。遊んでいるのだ。自らの手を汚す事無く、他人を操って目的を達成しようとしていた。
彼女は……“彼女達”は、そのようなやり方は嫌いだった。始末するべきターゲットは、自らの手で始末する。それが最も有効かつ信頼に足る方法なのだ。
そして、彼女にとっても、御剣は確かに“敵”と考えて間違いなかった。すでに彼の手によって、《因子人》が数人殺されている。《因子獣》に至っては百体以上だ。それはそのまま、この街で生まれる可能性のあった《保有者》百人を喪失したということに繋がる。《因子獣》は、具象化しなければそのまま《因子》として人の身体に宿るのだから。
となれば、取るべき行動はひとつだ。思えば彼女は、今まで少しおとなしくし過ぎていた。人の営みに紛れて、恣に生命を屠る。それが《因子人》というものではないか。
今回は挨拶代わりだが、次は本番だ。どうせ《因子人》には遠慮も世間体も社交性も、人に対する思いやりも必要ない。そもそも自分達は“人間”ではない。人間にいかなる被害がでようとも、奴は始末する。
例えば今この場にいる無数の人間を残らず消し炭にしてでも、確実に殺す。
七年前のあの日のうちに、そうしておけばよかったのだが……
「……今度は、ワタシが相手になってアゲヨウ……懐かしい思い出と一緒ニ、次はちゃんと面と向かって会いにいク」
そうつぶやいて、彼女はビルとビルの間の細い路地へと逸れた。その次の瞬間にはもう、彼女の姿は路地の中にはなかった。
はるか上空へと、一対のブースターユニットへと変形した両足から不可視の推進力を放出しながら、上昇していた。初速からすでに音速を超え、風も、音もなく飛び立った彼女を見たものは、ひとりとしていない。




