Session.12 division Part.2
西条は、高慢さに堕落した《保有者》の最たる例であると言え、“最強”の例であるとも言えた。彼がそれなりの頻度で登校してくる理由は、他の生徒をこき使えるからだ。
厄介な連中に眼をつけられないように気を配りつつ、一般生徒や、《Bランク》以下の生徒を“パシリ”にし、金を巻き上げている。別に金などいらないし、物ならはっきり言って自分で買いに行った方がずっと楽だ。だが、他人が屈辱と恥辱と恐怖に竦み上がっているのを見るのが快感だった。そういう男なのだ。
そうして、生徒会なども彼を明確に処罰することができないでいた。彼は暴力までは振るわなかった。確かな証拠が残るようなことは、決してしなかった。恐喝して金を巻き上げても、元の金額を知っているのが被害者一人である以上、金が減ったという証拠がない。だから、いくらでも言い逃れはできる。そうやってこれまで、小賢しく生きてきた。そうして、自分に仕返ししようとする者や、出し抜こうとする者には容赦はしなかった。正当防衛なら情状酌量の余地ありだ。何人病院送りにしたか分からない。今も生きているかどうか分からないような者さえいる。
実力の高さと人間としての器の小ささを併せ持っていた。
まだここに入学して間もないが、すでに誰もが彼を恐れていた。
そんな男が、アインの前にいる。
彼は開口一番、こう言った。
「お前……俺のモンになれ。中々上玉だからよォ。特別にヤってもいいぜ」
「……!」
林原は思わず飛び上がりそうになった。
西条は、女遊びもひどかった。女子生徒を無理やり脅してハベラせているのだ。強姦された生徒もいるという噂を聞く。が、おそらく口封じをされているのだろう、真相は当人達にしか分からない。いくら生徒会といえども、『強姦されましたか?』だとか聞くわけにはいかない以上、本人から被害を告白されない限りは、真っ向から奴を叩き伏せることもできない。それでも、近々強行手段に打って出るという噂があり、はやくそれを実行してくれないものかと、皆内心催促している。
アインを見下ろす西条の眼には、有無を言わさぬ威圧感があった。逆らえばどうなるのか、無言の内に語っているようだ。場の空気は凍りついていた。先程までアインに質問していた生徒達は、この場から抜けだそうと、じりじりとこの場から離れていく。
このままではマズい。林原は改めて椅子から立ち上がり、西条を止めようとした。
が、すぐに立ち上がることができなかった。
相手は《Aランク》。こちらは《Bランク》。実力差は歴然だった。ダンプカーにミニ四駆で挑んで、勝てると思うか?
明らかに彼は萎縮していた。
だが、ここで引き下がらない。正義感と、己の意地で肉体を奮い立たせることができるのが彼だった。
すくむ足に喝を入れ、今度こそ立ち上がる。
筋肉が張り、上半身が上がろうとした、その瞬間だった。
「嫌です。お断りします」
アインの声だった。彼女ははっきりと、西条の半ば脅しのような誘いを拒絶した。
西条が、表情のない顔で聞く。
「……なんでだ」
「初めて会った相手です。それと、『人は見た目が……――七とか九とか、とにかく何割』とかいう言葉をよく聞きます。それに倣ってみれば、私の中では貴方は“あんまり好きじゃない人”としてはっきり決まってると思います。だから嫌です」
西条の目元が、ピクピク震えるのが分かった。何でも思い通りにできていた自分に、初めて突きつけられた辛辣な言葉だった。彼は、机に両手をつき身を乗り出して、アインに顔を近づけながら低い声で唸った。
「なるほどねぇ、理由はよく分かったけど、どうやら俺大事なこと言い忘れてたみたいだ……理由があろうが断る権利はないんだよ。オイ」
「待てよ」
今度こそ、林原は立ち上がった。まさかアインがこうもきっぱり断るとは思わなかった――気丈だ、ますます好きになりそう。しかしこれで、西条の逆鱗に触れてしまった。何をされるか分からない。彼女を守るためには、やはりこちらが立ち上がるより他になかった。
無謀だとは思わなかった。ここでアインに対していい格好を見せれば、早くも自分の輝かしい未来は確定するという、向こう見ずな考えがあった。おそらく、楽観的に考えることで恐怖を忘れようとしていたのだろう。
だがそれは無理だった。
立ち上がったのはいい。しかし、それを後悔している自分がいるのも、否定はできなかった。
西条は、前のめりになっていた上体を起こして、くるりとこちらを向く。その眼は、人目に隠れて人でも殺していて、すでにそれに慣れてしまっているような眼だった。
時間が、数秒止まった。
それほど長くないのに、水滴が岩を穿つほどの――というのは誇張し過ぎだが、それほどに長く感じる沈黙を置いて、奴は小さな声で聞いてきた。
「今言ったのお前か」
「……そ、そうだ」恐る恐る応える。
なんであれ、これで完全にスイッチは入れてしまった。後はこのスイッチが、アルマゲドンの引き金となる核弾頭の発射スイッチでなく、ちょっと痛い目を見るだけで何事も平和に終わるような代物であることを祈るだけだ。
が、そのスイッチの正体は、林原が想定したものの中の、何にも当てはまらないものだった。
突然西原は、ケロッとした顔を浮かべて、愉快そうに言った。
「あぁ~いや、ごめんごめん。確かに、転校生をいきなり口説くもんじゃあないな、悪かったよ」
拍子抜けもいいところ、あまりにも意外な言葉だった。唖然とする林原を尻目に、西原はくるりと踵を返すと、自動ドアに向かってスタスタと歩きはじめた。教室から出て行くつもりだ。途中、ひとりの生徒の机の上にあったペンケースを乱雑に物色し、シャープペンシルを手にとった。
「これ借りるぞ」
それだけ言い残し、手にしたシャーペンを起用にくるくると回しながら、自動ドアの前に立つ。
何か、無性に嫌な予感がする。
西条は、こんなことで引き下がるような男ではないのだ。
何か……何かが起きるような気がする。
ドアを潜り廊下へと出ようと、足を踏み出す。右足が廊下を踏んだ、その瞬間だった。
西原の頭の向こうで見えていたシャーペンが、その動きを止める。ちょうど、人差し指と中指の間に挟まれるような形になっていた。ステンレス製の頑丈そうな先端が、こちらに向いていた。芯が出てくるほんのコンマ数mmの穴と林原の瞳孔が、直線で結ばれていた。
「いや~、ちょっとペン回しの練習したくてさ。まぁそれも終わりだ、ほれ、返すぜ~」
「マズ……!」
叫びながら咄嗟に身を逸らそうとしたが、遅かった。西条が背を向けたまま、手首のスナップをきかせて投げつけてきたシャーペンは、一本の矢となって、すでに林原の眼前、25cmにまで迫っていた。
見えるには見えた。だがかわしきれない。スローモーションになった視界の中、意識だけが元の速度を保っていた。だが、身体は動かない。かわそうとしても、こちらの眼に合わさっていた着弾点がずれて、頭のどこかに変わるだけだ。下手に位置が悪ければ、頭蓋骨を貫通して脳に刺さるかもしれなかった。もっとも、このまま動かずとも、眼窩を穿って脳に刺さるのには変わりないが。
シャーペンはチャンバーで回転された弾丸のごとくグルグルと螺旋を描いていたが、その動きも遅くなっていた。回転というよりかは、時計の秒針をイメージする遅さだ。こちらに迫り来るスピードも、遅々たるものだった。
おそらくこれは、いわゆる“走馬灯”というものなのだろう。やけに冷静な頭でそう判断しつつも、林原はそれを認めたくなかった。
――いや、ちょっと待ってくれよ。なんだこの呆気ない……僕はただちょっと声をあげて止めようとしただけなんだぞ? それでなんで、目玉にシャーペン撃ち込まれて死ななきゃならないんだ。冗談じゃない!――
『冗談じゃない』という言葉は、理不尽な事態に対する怒りを表す言葉であるが、字面だけを受け取れば、冗談ではなく事実だと、状況を肯定するものにも見える。
つまり、林原の言葉は正しい。これは冗談ではない。シャーペンは確実にこちらに迫っているし、このままではこちらの顔か頭のどこかに刺さる。そうして、それに抗うこともできない。それは、冗談ではない事実だった。
彼は胸中で叫びながら、眼を閉じた。身体はロクに動かないのに、眼は閉じられるのか。
――クソッ!!――
だが、何もない。痛みも衝撃も、肉が抉れる音もない。大脳皮質を埋め尽くす細胞の森は、静寂に包まれていた。
ゆっくりと閉じていた眼を開ける。
闇を切り裂き、そのままゆっくりと広がる視界の中に映ったものに、林原は驚愕し、そのまま一気に眼を見開いた。
「うわっ」
ふたつの手が、すぐ目の前で握りしめられていた。林原から見て奥側の手に、シャーペンが握られていた。この手が、彼を助けたのだ。
ふたつの手は、それぞれ異なる主に繋がっていた。
困惑する林原は、無意識的に左右に視線を動かした。
右側には、長身に端正な顔立ちの男子生徒。左側には、癖の多い長髪の女子生徒がいた。ふたりとも林原は知っている。男子生徒の方が、シャーペンを掴んでいたようだ。
柳沢 興と、甲斐 雛世だ。両方《保有者》である。
ふたりの姿に驚いたのは、林原だけでなく、当のふたりもだった。
自分以外に彼を助けようとした者がいるとは思わなかったのだろう。
「おや」と柳沢が声をあげる。
「あ、これはこれは。こっちが手柄を横取りしてしまったようで、申し訳ないね」
それに、甲斐が微笑を浮かべて応える。
「いえいえ。どうやら私が動く必要はなかったようネ」
そうして、互いに手を引く。
「……」
ようやく、死なずに済んだという実感がわいてきたのだろう。足腰から力が抜け、林原はその場で尻餅ついて座り込んでしまった。
この光景を流し目に見ていた西条は、その視線を外し、こちらへ向き直しもせずに手のひらをひらひらと振った。
「あぁ~っとごめんごめーんねぇ~~。ちゃんと後ろ見てないもんだから変なところに投げちまった。申し訳なァァ~い」
そう言って、何事もなかったかのようにそのまま廊下へ出て行く。明らかにわざとだ。だが、口だけの謝罪で罪悪感の欠片さえ感じなかった。
そんな彼に対する怒りを覚える余裕もなかった。
林原は座り込んだまま。頭の中が真っ白――とまではいかないが、自分が何を考えているのかよく分からない灰色ぐらいになっていた。
そんな彼に、甲斐が呼びかける。にこやかな表情を浮かべているが、どこか不思議な雰囲気を醸し出していた。
「自分の実力ぐらい知っておいたほうがイイ。あまりにも無謀が過ぎる……でも、よくやったね。かっこよかったワ、貴方」
それだけ言い残して、彼女もどこかへとそそくさと去っていった。
柳沢も彼女に続き、こう言い残す。
「中々根性座ってるじゃないか。僕、君みたいな人嫌いじゃないよ。御剣君も多分、気に入るだろうね……だから助けたんだ。御剣君も同じ事してただろうし」
そうして彼も、「改めて、これは返すよ。壊れてたら後で言ってくれ、新しく買う金を半分ぐらいは出してあげるからさ」と言って無造作にシャーペンを持ち主の机に放り投げてから、甲斐の後を追って教室を去っていった。
残された者達は、前触れもなく発生し、そして唐突に終結した状況を飲み込むことができず、ただ呆然としているばかりだった。林原も例外ではない。彼も、しばらくの間尻餅をついたまま動くことができないでいた。
柳沢 興。
あの西条よりも強いと噂されている《Aランク騎士型保有者》だ。あの御剣に喧嘩を売って、お互いボロボロになるまで殴りあったというのは有名な話である。今ではその御剣とは親しくやっているそうだが。
歯に衣着せぬ物言いではあるが、基本的に温厚な性格ではあるみたいだが、一部では西条よりも恐れられているということも聞く。
そして、甲斐 雛世。
誰にでも別け隔てなく接する温和な人間であり、《Aランク》としては珍しく、多くの人に信頼されていた。
《特殊型保有者》であるのだが、先のシャーペンを掴もうとした動きを見れば分かるように、《Aランク騎士型》に匹敵する身体能力を持っている。彼女の《因子》の正体を具体的に知る者はいない。
そのミステリアスさが原因かどうかは知らないが、どこか不気味な雰囲気も醸し出している女性だった。
そんな二人が、こちらを助けてくれた。
何故だろうか。甲斐はともかくとして、温厚ながら物事に淡白なところもある柳沢が人を助けるというのは珍しい。自分が何か変なことでもしたのだろうか、と林原は考える。あるいは、あの二人もただ単純に、西条のことが気に喰わなかっただけなのか……
《Bランク》が《Aランク》を止めようとする蛮勇に感銘を受け、という発想には林原は至らない。至ったとしても、そんなことはどうでもいいだろう。
彼が望むのは……
停滞していた空気が再び動き始めた。アインが徐に席から立ち上がり、林原の方へと歩み寄ってきた。急にすぐ傍にまで寄ってきたことにドキリとする彼に、言う。
「どうして、立ち上がったんですか?」
「え?」
「私はさっきの人のことはよく知らないけど、あまりいい人じゃなかったんですね。もしかしたら、乱暴なこともするかもしれない。だから、助けようとしたんですか?」
「……あ……うん」
林原は、よく考えないまま曖昧に頷いた。とはいえ、一応アインが言うとおりの意思を抱いていたのも確かだ。
その返事を聞いたアインが、静かに微笑んだ。
「ありがとう」
「えっ? あぁ、いや……」
林原は、先ほど以上にドキリとした。思わず身震いしてしまうほどだ。しばらく顔を俯け眼を泳がせてから、謙遜したように言う。
「僕は何もできなかった。立ち上がったのはいいけど、その後出来たことと言えば、無様にずっこけることだけさ……情けないよ」
「でも、一番最初に動いてくれたのは貴方だったから」
「……」
それから、アインは何も言わなかった。林原がゆっくりと顔を上げると、すぐ目の前に、彼女が差し出した手が見えた。
「うわ!」
吃驚し、またも身体を震わせる林原。
「立ちましょう」というアインの声に慌てふためき、彼女の手のひらの腕で自分の手をバタバタと動かすばかりだった。
「いや、いやいやいやいや、いや……」
「……一人でも立てますか?」
「え? あ、あぁそうそう。心配ない。君の手は~、か、借りないっ」
うわずった声で応えながら、堅苦しい動作で立ち上がる。本当は彼女の手を支えにして立ちたかったが、動転してその機会を失ってしまったことが悔やまれる。
だが……
林原が立ち上がり、同じ目線になって――アインの方が僅かに背が低い――見つめ合う二人。
これは、またとない好機だった。そういえば今朝もまたとない好機があった気がするが、それよりもさらにまたとない好機だった。今、林原とアインの距離は、急激に縮まっている。それを彼自身感じる。そこからさらに一歩踏み入ることができるかどうかは、己の行動力にかかっているのだ。
彼は、自分の心を激励する。
――そうだ、いけ! 西条には手も足も出なくても、気恥ずかしさにぐらいは勝てるはずだ。林原 優二、やるんだ! いけーー!――
彼は、たどたどしい声で聞いた。
「そ……その、俺からも、質問……好きな食べ物なに?」
「……ざくろ」
「ざ……ざくろ。はは、珍しい好物……だねぇ~」
自分の心には嘘を言わなくていいので正直なことを考えるが、林原は正直ざくろはそれほど好きではなかった。
あれは人肉の味がする……という噂を聞いてから、どうもその名を聞くと気味が悪くなってしまうのだ。もちろんそんな味などしないと分かっていても。
割り裂くと見えてくる中身も、いつぞや、どうして見たのかも分からないホラー映画で見た人肉に、どことなく似ていた。




