Session.9 Straight Shooter Part.1
葦原学園の近隣は、いわゆる学術都市のようなものになっており、学園の敷地外でも学生向けの施設などが多く存在する。その代わり、一般人の出入りはそれほど多くはない。深夜となれば尚更だ。また、娯楽施設などは、やや離れた都心に近いところにあり、寮生ではない葦原の敷地外から通学しているような学生は、揃ってそちらで夜を更すことになる。そのため、夜半の学術都市にはほとんど人気はなくなる。
ましてや、日も変わってしばらくという時間帯だ。葦原の敷地へと繋がっている、街灯で照らされた広い遊歩道には、人影はほとんどなかった。
だが、まったくないわけではない。ただ一つ……いや、二つだけ、街灯の薄い光を受ける影があった。
一つは、この世のどの生物にも当てはまらないような、太い異形の四肢を持つ得体のしれない怪物――そう、《因子獣》だ。うつ伏せの状態でコンクリートの上に倒れている。その頭部の左側は潰れており、裂けた皮膚から脳漿のようなものが垂れていた。右腕と左足が、異様な方向へと折れている。
もう一つは、その《因子獣》の背中を椅子にして座っている、学生服を着た男だった。ウェーブがかった、首が隠れる程度に長い髪と、いい意味で“優男”と形容できそうな、線の細い端正な顔立ちをしている。
が、そんな整った顔立ちの男が怪物の死体を尻に敷いている姿は、不釣り合いなほどにワイルドでもあった。言うまでもなく、これは彼がやったことであろう。
彼は、心底退屈そうな顔をしていた。つくづく辟易して、息をするのも気だるいと言った顔だ。鼻から大きく息を吸い、同じように大きく吐き出す。鬱屈した念が空気と共に吹き抜ける、フーッ、という音が小さくなった次の瞬間、彼は、臀部から伝わる死体の感触に、変化が生じていることに気づいた。
絶命した《因子獣》が、肉体を消滅させはじめているのだ。色の薄らいでいく真っ黒な背中が、段々と柔らかくなっているような気がする。細胞がひとつずつ抜き取られ、スポンジ状になっているような感じだ。腰が、ズブズブと沈んでいくような感覚がする。
「はぁ……」
鼻の次は口から盛大にため息を吐く。
「拍子抜けもいいところだっていうのに……せめてベンチの代わりぐらいにはなってくれよ」
そうぼやきながら徐に立ち上がり、懐から携帯を取り出す。そうして、とあるメールの受信画面を開いた。そこには、『夜遅くならいつでもいい。この場所に来たら、君にとっていいものを見せてやろう』という主旨の文が書かれていた。
それに期待して実際にここに来てみたら、《因子獣》に出くわしたというわけだ。
しかし、これが彼にとっての『いいもの』かと聞かれれば、彼自身、とてもそうだとは言えない。
男は、メールに対し返信を打った。
『こんなものが僕に見せたいものだったのか?
用があるんなら言いなよ。ないんだったらこのまま帰る』
そのまま送信する。
五分と待たない内に、また向こうからメールが届いた。
『こちらとしても、この結果は予定通りだ。それぐらい簡単に仕留めてもらわないと話にならない。』
その一文に、男の眉が微かに動いた。文章はまだ続いている。
『要件を言う前に、まず見返りの話をしよう。
私は先導会の幹部だ。その証拠として、あるデータを添付してある。そこに記されているURLにアクセスし、併記されてあるパスワードを入力すれば、先導会のデータベースにある程度の範囲まで進入し、データを好きなように閲覧することができる。
疑うようなら、まずはそれを試してから返事をくれたんでいい。
それを踏まえた上で。君に、あることを依頼したい。
この依頼を成功した暁には、君を先導会の幹部にすると約束しよう。金には困らないし、政治家に立候補することだって難しいことじゃない。労せずに、市長クラスにはなれると思ってくれていい。なんだってできるということだ。
それでは単刀直入にいくが、その依頼というのは、葦原高の1年A組。御剣 誠一を始末するというものだ。御剣の顔写真を、先に説明したデータと併せて添付しておく。
始末とは言うが、別に殺さなければいけないというわけではない。動けなくなる程度に生かしたのでも構わない。要は、重傷以上の怪我をさせればいいんだ。
特に期限を設けるつもりはないんだが、延々と先延ばしされるわけにもいかないから、一応、君がこの依頼を受ける意思を表明してから一週間までと定めておこう。それまでに成功させてくれ。意思表明をするまでは、猶予としておこう。
勿論、依頼を受けないという選択肢も君にはある。その時にも、メールで伝えてくれればいい。今後私は、君には一切関わらないと誓おう。
御剣を始末した後のことを危惧しているのかもしれないが、それについても心配はいらない。こちらで全力をかけて、君が罪に問われることがないように保護する。
それを踏まえた上で、よく考えて返信してくれ。
最後に一つ。
君にとって本当にいいものというのは、この御剣のことだ』
男はしばらく黙りこんで、メールの画面を眺めていた。やがて、淀みなく携帯を操作し、このメールに対する返信を入力し始めた。
『一つ聞きたい。御剣 誠一っていうのは、強いのか?』
ただその短い一文だけを打って、送信する。今度は、一分と待たずに返事が来た。相手からのメールの本文は、こちらよりもさらに短かった。
『強い』
その二文字を見た瞬間、男の眼が、僅かに輝いた。色白の肌に張り付く、計算し尽くした上で神が創造したかのようなパーツが組み合わさって生み出された美しい顔立ちに似合わない、熱い火焔のような輝きだった。
一呼吸だけ置いて、彼はそのメールにさらに返信を寄越した。
『分かった。その依頼受ける。
一瞬間と言わない。明日にでも果たして見せる。
どこで見てるのかも知らないけど、今日みたいに見ていてくれ。
先導会がどうとかどうでもいいから、依頼を済ませた後はそのまま放っといてくれればいいよ』
送信する。またしても、すぐに向こうからメールが届いた。ご熱心な依頼主様だ。
『それはよかった。期待しておくとしよう。
それはそれとして、まさか君は、今しがたの行為を、喧嘩か戦闘、殺し合いの類だと思ってはいないな?
あんな雑魚一匹を殺すぐらい、遊びにすらならないという程度でなければ、この依頼は完遂できないと思え。
今からがようやく、ウォーミングアップになるのだ。
君の実力、もう少しの間見せてくれ』
あんな雑魚……今ちょうど完全に消滅した《因子獣》のことだ。そして、今からがウォーミングアップ。
その言葉の意味を、考えるまでもなく瞬時に理解した。
左方より、殺気を感じる。男は携帯を懐に仕舞い、殺気が生じる方向へと向いた。過度な力が入らない、ゆるやかな、リラックスしきった所作だった。筋肉は赤ん坊のようにまったく緊張していなかった。それでいて、固く引き締まっている。適度な張りと柔軟性を保っている。
先ほどの化け物と同じ奴が、八体ほど見えた。街灯に照らされてもなお黒々とした肉体が、強張り、小刻みに震えている。獲物を発見し、興奮している獣のそれだ。まったく力んでいない男の佇まいとはまるで別物である。
常人なら、一目散に逃げ出すか、泣き叫びながら腰を抜かすか、瞬時に昏倒するかという状況でありながら、男は落ち着きを微塵も失うことはなかった。
だらりと両腕を垂らした彼の肉体が、ここで初めて力を込めた。枝垂れ桜の枝のごとく自然体で地面を向いていた両腕がゆっくりと持ち上がり、両膝が僅かに折れ、背中が丸まる。
それは俗にいう、“ファイティングスタンス”というものだった。
八体の怪物が、牙の隙間から涎を滴らせにじり寄ってくる中で、男は微かに笑んだ。それは、この場に多感な女の子でもいればひと目で惚れてしまいそうな麗しい笑みであったが、実際のところ、そんななよなよしいものではなかった。追い詰めた獲物にトドメを刺さんとする獣よりも猛り狂った感情が、細められた眼の奥で揺らめいていた。
男は呟く。
「中々面白いことしてくれるじゃないか……いいよ、よっく見ててくれ、先導会の幹部さん」
一体の《因子獣》が、こちらに飛びかかってくる。
が、付き出した両腕の爪が彼に突き刺さろうとした瞬間、その身体は、顎を陥没させながら上方高くへと吹き飛んだ。男の拳が、“アッパーカット”のような形で静止している。《因子獣》の身体が宙に浮き上がってから一瞬間を置いて、鉄の風船が破裂するような音が夜中の歩道に響いた。
「一匹ずつじゃないだろ。まとめて来なよ。でないとそれこそ遊びにもならない。退屈させるんだったら、瞬きする間に終わらせてあげようか?」
※
クラスは変わらずに済んだとはいえ、さすがに学生寮はそのままというわけにはいかない。御剣の住まいは、《保有者》専用の特別寮に移っていた。立地的には、一般生徒用のものと、芦原校を挟んで反対方向にある。《保有者》用ということもあって絢爛豪華なものかと予想していたが、さすがに学生の本分を逸脱するほど過度に飾り立てられているわけでもない。一般生徒用の寮と、少し広いぐらいの差しかなかったというのは、彼としては逆にありがたくも感じる。快適であるのに違いはないので、大人しく現状を受け入れておく。
とはいえただ一つ残念なのが、位置的な関係もあり、あやめや友野達と一緒に登校できないということだった。特別クラスで授業を受けているわけでもない御剣が他の《保有者》と仲良くなれるわけもなく、一人寂しく通学することになる。
……というわけでもなかった。
霧島 阿頼耶と出会ってから、二日ほど経った日のことだ。
常緑樹の植林が両脇に並ぶ、学生用の広い通学路を歩いていた彼は、偶然にも当の霧島 阿頼耶と出くわした。
「よう」
と、後ろから声をかける御剣に、彼女は返事もせず、ただ振り返って一瞥するだけだった。その隣に並ぶ御剣。
あの日の晩は、彼女は《因子》によって作ったのであろう黒衣を着ており、ほとんど身体が見えなかった。が、今は学生服のブレザーを着ており、普通の学生となんら変わりない格好をしている。真っ白だった髪はやや薄いと思う程度の茶髪になっており、血のごとく紅かった瞳も暗褐色になっている。戦闘時にのみ、あの容姿になるのだろう。《因子》が活性化し細胞が変質するためだとか、いろいろ理屈は考えられる。
こう見てみると、ちょっと大人しそうな同年代の女の子そのものだ。しかもこれで中々可愛いような気がする。もっとも、その“正体”を知っている手前、特別意識するわけでもないが。
「あんたも寮生活かい?」と聞く御剣に、阿頼耶は短く応える。
「ええ」
「へぇ~、そうだったのか。そういや今まで全然意識してなかったけど、あんたもここの生徒なんだよなぁ。特別棟で勉強してるんだろ」
「一般棟で授業を受けるような物好きは……いない」
「まぁそりゃそうだ。しかし、俺がいなくて寂しい思いするんじゃないの~?」と、知り合って間もない相手だというのに、馴れ馴れしく語りかける御剣。こういうところが彼のアイデンティティであるとも、言えなくはない。とはいえ、それが阿頼耶の方のアイデンティティと上手く合致しているかと聞かれれば、そんなことはなかった。彼女は基本的に、冗談に対する“ノリ”というものがよくない。『何を言ってるんだ』といった様子で、応えてすらくれなかった。
数秒の沈黙を置いて口を開いたかと思えば、先の発言などなかったかのように、まったく別の話題を振ってくる。
「そういえば、この前言ってなかったことが……あるんだけど」
「なんだ?」と聞いてくる御剣に対する阿頼耶の次の言葉は、先ほどよりも声音が小さくなっていた。ただでさえ囁くように小さいのがさらに小さくなったものだから、無意識に耳を口元に近づけてしまうほどだ。というか、そうしなければ多分聞こえない。
傍から見れば、ちょっとおかしなカップルみたいだろう。それはそれで、御剣としては悪い気はしなかった。
「私が貴方の手助けに来た、理由」
なるほど、《因子人》絡みのこととなれば、小さな声にもなるものだ。
大声で話すべき話題ではないので、御剣としても幾分か声をひそめる。
「東さんからの指示だろ?」
「それだけじゃないの」
「他に理由が? なんだよ」
「私の《因子》は、あの晩見た通り、物理的な衝撃は……完全に無効化できる。だけど……」
「あぁ分かった、察しがついたぜ、皆まで言わんでいい。《魔導型》の攻撃はやり過ごすことができないんだな。原子レベルに分解したって、ヤツらは原子ごと焼き尽くすことができる。あんたにとっては天敵なんだ」
阿頼耶の言葉を遮り、彼女の代わりに説明する御剣。彼女としては、長々と口を動かす必要がなくなって助かったとでも言いたげだ。
「そう」と小さく頷く。
まだ御剣は彼女の口元に耳を寄せていた。背丈が一回り小さいので、やや前かがみにならなければ声が聞こえない。いつまでこの状態でいればいいんだろうと思いつつ、彼は説明を続けた。
「あんた一人じゃ、《因子獣》はともかく、《魔導型》の《因子人》が相手になっちゃ勝ち目がない。だから、そいつを代わりに殺ってくれる“パートナー”が必要だったってわけだ。そこで、東さんとしては俺に援軍を寄越す必要もあって実に好都合。一挙に二つのネックを解決することができたってことだな」
「……その通り。全部答えてくれて……助かった」
彼女が自分の下にやってきたもうひとつの事情というものを察し、御剣は無駄に得意げになった。ニンマリと笑って、いじらしい声で言う。
「なぁるほどねェ~。あんたが俺を助けに来た、ってことでもあるし、あんたが俺に助けて“もらい”に来たってことでもあるわけ。そんじゃまぁドシドシ俺に頼ればいいさァ~」
「……否定は……しない」
「そんじゃま、改めてよろしく頼むよ。あんたの苦手な相手は、俺が代わりにぶっ殺してやる。《魔導型》が撃つレーザーを一発二発貰ったぐらいなら、軽いやけどにしかならないからな。その代わり、俺がヤバくなった時は、頼りにするぜ? お互い様ってことでねぇ」
そう言ってから、耳を口元から離して、右手を差し出す。
それを阿頼耶は、怪訝そうな顔で眺めていた。手を差し出されれば、何をすればいいのかすぐに分かるはずだ。で、それをしないということは、つまり……?
「……もしかして霧島さ~ん。俺のこと、嫌い……だったりする?」こうもあからさまに握手を拒否され、気まずそうに苦笑いする御剣に、彼女は無表情で応える。
「いや……握手ならこの前したんだから……もういいんじゃない」
「……」
『いやまあそうかもしれないけど』と口外で呟きながら、ぽかんとした顔になる御剣。そこでようやく空気を読んだのか、彼に対し申し訳ないと思ったのか、阿頼耶の方もゆっくりと右手を差し出し、彼の手を握った。それで彼もようやく、安心した様子で笑顔に転じた。
「ん、よろしくゥ。それでいいんだよそれで、いいこいいこだよ君ぃ~♪」と、調子に乗って小学生を褒めるような口調で言う。
が、阿頼耶だって、感情が希薄そうだが一人の人間なのだ。さすがにこの態度は癪に障ったのだろう。そして彼女は、御剣と同じ《Aランク》だ。彼の経験から言って、《Aランク》には完全にまともなヤツはほとんどいない。
ふと、唇に何か冷たいものが触れるような感覚を受ける。次の瞬間、自分が銀色に輝く大鎌の刃の欠片を咥えていることに気づき、御剣は震えあがった。原子を口元に集め、ほんの先端だけを実体化させたようだ。その気になれば、唇の間どころか、口の中で実体化させることも可能だったろう。注視しても見落としてしまいそうな小さな刃だったが、人の皮膚を切り裂くにはこれで充分だ。
「おあわッ!」と、素っ頓狂な叫び声をあげる。
上目遣いにこちらを睨みつけながら、阿頼耶が低い声で囁いた。このまま鎌の刃を喉の奥にまで突っ込んで来そうな雰囲気だ。
「もしかして貴方、私のこと……馬鹿に、してる?」
「……してません。すみませんでした」
案の定《Aランク》とでも言おうか。あまり彼女を怒らせないようにしよう、と肝に銘じた。下手したら、《因子人》と同じように腹の内側から切り裂かれて殺されるかもしれない。
と、そうこうしている内に、葦原校に入る校門が見えてきた。
《保有者》専用の寮から続く通学路に繋がっているこの門は、直接特別棟に繋がっている。《保有者》は大体この門を通って校内に入る。一般生徒と通学路を分け、登校早々騒ぎを起こさないための学校側の配慮かは知らないが。一部の《保有者》としては、下賎な非保有者と顔を合わせなくて助かる、といったところか。
しかし、あくまで一般棟で授業を受ける御剣としては、これでは遠回りになってしまう。仕方がないので、学校を囲む塀を大きく迂回して、一般生徒用の門にまで回りこんでから校内に入ることにする。
このまま《保有者》用の門から入ればいいのだろうが、御剣としてはあえて普通の人間と一緒に校門を潜りたいという気持ちがあった。
「それじゃ、一旦お別れだ」と、阿頼耶に告げ、そそくさと塀に沿って迂回しようと歩き始める御剣。が、彼女は当たり前のようにその後についてきた。
面食らった様子で振り返り、「どうした? あんたはあっこから入ればいいじゃんよぉ、そのまま直接特別棟に入れるんだぜ? なんでついてくるんだよ」
「別に、これからすぐ授業が始まるわけじゃないし、時間には余裕は……ある。貴方についてく」
「なんでェー?」
「……折角一緒に戦うことになったんだから……友達になりたい」
「……」
豆のデザートイーグルを食らった鳩のような顔でしばらく固まった御剣はやがて、不意にやたらシリアスな顔になり、噛み締めるように言った。
「君ホン……ットにいいこ。さっきはちょっかい出してマジでごめん……よォーしそんじゃ一緒にいくか友達よォー! ハーッハッハッハッハッ!」
やはり持つべきものは友人、リア充とはかくありきといった満面の笑みに転じて、御剣は阿頼耶を連れ、大股開きで歩を再び進めた。




