Session.7 interrogation Part.3
彼らは何者なのだろう。
興味深そうに二人の《特殊型保有者》の姿を交互に眺める御剣。彼の前で佐原が、おかっぱ頭に向かって言った。
「まずはお前さんからだ。せっかくだから自分で紹介しなよ」
「は、はい」
先輩な上に生徒会の役員としても上位の佐原に命じられては、潜在的に嫌悪する御剣に対してでも自己紹介しなければならない。彼女は、渋々と言った様子で事務的に語り始めた。
「私は月詠 眞子。貴方と同じ《保有者》であり。一年生です。《因子》については……実際にお見せするのが難しいので、口頭で説明しましょう。“五つの眼”。それを半径50km圏内の好きな場所に出現させ、周囲を見ることができます。言うなれば、生きた“監視カメラ”です。視力はそれぞれ大体4ぐらいに相当、“私本体”の視力とは別です、この眼鏡は伊達じゃありません」
早速御剣は、佐原の言った“対策”という言葉に合点がいった気がした。ひとまず言うべきことだけ言った月詠は、“プロ”に続くように促した。
「お次、どうぞ」
「ん」と頷き、彼も月詠に続く。
「俺は世良 拓巳。月詠と同じ一年で……もう言わなくてもいいな。俺の《因子》については、実際に見せてやれる。なに、単純明快なモンだ」
そう言うと、彼は右手の人差指で、キリスト教徒がやるような仕草で胸の前に十字を切った。
瞬間、横に切った一本線から中心に、薄いゴムの膜を切り裂き上下に思いっきり引き伸ばしたような、縦長な空間の裂け目が現れた。初めて見た者にはあまりに唐突なことで何が起こったのか分からないだろうが、御剣にはすぐに、空間が裂けたのだと理解できた。裂け目の内側は眩い光に包まれており、純白の壁のごとく向こうの光景を隠していた。彼――世良の姿が見えなくなる。
その裂け目は、《因子獣》が実体化する際に出現するそれと似ていた。《因子獣》の場合、裂け目が透明でほとんど見えないという違いはあるが、それを差し引いてもかなり類似している。それだけでも、世良の《因子》が何のか、大体察することができた。
横の線が空間を裂いたなら、残る十字の縦の線は……
答えは、チラリと左に眼を向けて分かった。同じ裂け目が御剣のすぐ隣に出現していた。十字の縦は、これのためだった。
御剣は驚く前に、「なるほど!」と声をあげて感心した。なるほど、これは確かに“対策”だ。
数秒後には、裂け目の中から世良の身体がぬっと現れて、隣に立っていた。“横線”の裂け目を通って、こちらの“縦線”の裂け目から出てきたのだ。
世良は一言、「こういうことだ。単純だろ?」とだけ言って、また裂け目の中へ入り、元の位置へと戻った。次いで、ふたつの裂け目が“チャック”のように閉じ、消滅した。
そこで改めて、世良が説明する。
「これが俺の《因子》だ。半径100kmの範囲なら、どこでも好きな場所に“ワープホール”を作ることができる。“無事に立てる”場所なら、どこだろうとな。厳密に言えば、“入るワープホール”を俺自身の眼の前に、それと、X、Y、Zの三つの座標をそれぞれ指定して、そこに“出るワープホールを出現させる”。だから、どこにあるのかも分からないような場所に行くことはできない。だが、この葦原学園の敷地の中なら、ほぼ全て三次元でマッピング済みだ。ワープホールには、俺じゃなくても誰だって入れる。あと最後にな、さっきの十字を切る動きはちょっとしたポーズだ、ただカッコつけてるだけだから気にしないでくれ」
「なるほど~」
再び御剣は感嘆した。
「“対策”と言ったのはこれなんスね? 月詠の《因子》で学校の中を監視して、もし何かやってる奴がいたら、世良の《因子》を使ってすぐに駆けつける。これじゃ隠れて好き放題できなくなっちゃいますねぇ~」
佐原が続ける。
「そう。そこまで分かってるんなら、俺が言いたいことも察しがつくよな」
「この二人を、俺の監視役にするっていうんでしょう? 一般棟で何かしないか見張ろうってわけですね」
「そういうこと。月詠の《因子》で、お前さんを常に監視させてもらう。『プライベートもあったもんじゃない!』と言いたい気持ちもよぉーく分かるが、許してくれよ? 便所と寮の部屋の中までは見ないからさ」
それに続いて月詠が、よほど御剣のことが嫌いなのか、いちいち刺々しい言葉を投げかけてくる。
「そういうことです。この一時だけ耐えて、後で勝手気まま傍若無人に暴れまわろうと考えていたのかもしれませんが、アテが外れましたねぇ、無駄ですよ。意味なし!」
が、御剣当人としてはまったく堪えていない。
「アイよろしくゥ! あんたみたいなそこそこカワイイ女の子に四六時中見られちゃうなんて、ホッホォ興奮してきた!」
「い、今すぐしょっぴいてやりましょうかねこいつっ!」
「まあまあ」と、キレる寸前の月詠をなだめる佐原。
世良の方はというと、相変わらずの鉄面皮である。とはいえ、人は見た目によらないというのだろうか、快くこう言ってくれる。
「その様子だと。お互い仲良くできそうじゃないか。あんたが悪さしない限り俺の方に出番はないだろうが、せっかくの縁なんだ。個人的に仲良くしよう」と、爽やかな台詞を言ってくる。
御剣としてもそれには快く、「ん! こちらこそ」と応える。
次いで、佐原。
「そういうわけで、仲良くやってくれ。そんじゃ、これで今度こそ一件落着。あれこれ手続きはこっちで済ませておくから、お前さんは明日からも前と同じように登校すればいい。近いうちに、正式に身体検査して細かいデータを取ることになるだろうが、その時はまたよろしく頼む。ってなわけで解散! いい機会だ、二人に出口まで送ってもらいな」
「そこまでやるんですか? こんなののために?」と、見るからに乗り気のなさそうな月詠。
「警戒するのも分かるが、さすがに失礼じゃないか?」一方の世良はあくまで紳士的だ。
「そうだ。ほら、行きな行きな~」
と佐原に催促されたので、御剣は世良と月詠に連れられ、教室を後にすることにした。
が、先に自動ドアをくぐって廊下に出た二人に続いてドアをくぐろうとした時、不意に彼が呼び止めてきた。
「待て御剣。これで正真正銘最後だ、ちょっと言わせてくれ」
佐原の方に振り向き、「なんです?」と聞く御剣に、彼は言う。その表情は、“拷問”の時のように、僅かに真剣なものになっていた。その時とはまた感情のベクトルが違うように見えるが、何にせよ、冗談を言うつもりはない、という顔つきだ。
「お前さんには、非保有者――普通の人間に対して何か特別な思い入れがあるんだろうと、俺は察した。しかしなぁ、《保有者》が普通の人間と溶けこむことは難しいぞ。ましてやお前さんは《Aランク》だ。世間的には“怪人”と同じだよ。自分だってそうさ。お前さんの真意を確かめるためにやった“アレ”な。あんなのだってちょっとした“ジャブ”みたいなモンなのによ。月詠の奴、すっかりビビっちまってな。本気を出しゃ、あんなもんじゃないんだぜ?」
要するに“あんなもんじゃない”その実力を恐れている、と言いたいのだろう。図星を突かれた月詠の身体が縮こまる。が、すでに廊下に出ているので、佐原にはその様子は見えない。
「入学早々、友達はできたかい? もしかしたら、まだできてない方がよかったのかもしれないぜ……もし一般棟にいるのが辛くなったら、特別棟に来たくなったらな。また俺のところにこい。頭を下げる必要もない。遠慮無く頼んでくれ」
こういうところが、彼が早々に生徒会副会長になれた理由であるのだろう。きっと、世良や月詠も、《Aランク》だからこその恐れは抱いているだろうが、彼のことを尊敬しているはずだ。彼は、根本的には真面目で柔和な人間なのだ。まぁ、根本的どころか、わりと表に出てきているのかもしれないが。
そんな佐原の言葉の意味は、御剣には理解できていた。だからこそ彼は、一瞬だけ小さく身震いし、その場で固まってしまった。
だがその次には、彼らしいだらしない笑みで、こう応える。
「大丈夫ですよ……たぶんね」
それを最後の挨拶にして、御剣は改めて教室を後にした。
出るなり早々、月詠が突っかかってくる。
「きた道を戻るだけなんだから、私達がいなくてもいいでしょう。さぁ、早く帰りなさい」
それをまた、生真面目な世良が非難した。
「そう言わずに、少しの間だが、一緒に行こうじゃないか」
「……」
さすがに、嫌いでもなんでもないし、この先おそらく同じ環境で共に活動する同僚になるであろう彼の言葉であれば、彼女も仕方なく従う。廊下を歩いている間、しばらく口を聞いてくれなかったが。
7、8人ぐらいで横一列に歩いてもまだ幅が余りそうなほどの廊下を歩く中で、世良が言った。
「さっきの佐原副会長の言葉じゃないが。御剣、あんたが普通の人間達と一緒にいたいという気持ちはなんとなく察している。だが、世の中そう上手くいかないことも多いんだ。若い頃の挫折や落胆は一度は味わうべきかもしれないが、それから立ち直れなければ一生引きずることにもなる」
まだ高校生のクセに悟ったようなことを、と一瞬思ってしまうが、その体躯と声のせいで、常人の数倍は早く精神が成熟しているのではないかとも思えるのが世良だ。
「……」
ただ黙って彼の言葉を聞いていた御剣に、月詠がここぞとばかりに噛み付いてきた。今更気が付いたが、彼女、結構性格が悪い。
「簡潔にまとめてあげましょうか。《Aランク》である貴方は、貴方が大好きな普通の人間からすれば、化け物なんですよ。そんな貴方が……」
「いい加減にしたらどうだ」
世良の低い声。高校生に見えない身体つきと大地が揺れるような声音は、人を黙らせるのにはこの上なく効果的だった。
思わずたじろぎ、言葉が途切れる月詠。
「事実を言ったまでですけどね」
ただこの一言だけ言い残して、また口を噤んだ。
重苦しい空気が漂い始めてきたが、ここでようやく昇降口まで来た。こういう空気も悪くないとは思うが、外にまで二人を連れて行くわけにもいかない。御剣はここで別れることにした。
来賓用のスリッパを世良に渡しつつ、靴に履き替える。そこで彼は、月詠に向かって言った。
「確かに事実だけど。世の中がそれだけで済んでしまっちゃあ、あまりにも悲しすぎるだろう」
「……はぁ」
「明日から早速、監視を始めなよ。見せてやるぜ、俺ってあんたの想像通りな男だけど、これで結構誠実なんだ。誠実さは、必ず囁かであれ報われるもんなのさ」
それが、『さようならまた明日』の代わりの言葉だった。
※
翌日。
佐原と世良、そして月詠が語った言葉の意味は、すぐに眼に見える形となって現れた。
学校に着くなり御剣は、職員室に呼び出され、“あること”についての確認を受けた。その後、ホームルームの時間になってから、與座先生と共に1-Aの教室に入ることとなった。
廊下を歩いている途中、隣に並んでいる與座先生が語りかけてくる。
「いきなりのことで、みんな戸惑うかもしれん。多分、お前自身も戸惑っているんだろう、と思う。けどな、俺ら教師達は、出来る限り君を助けてやる。何か困るようなことがあったら、言ってくれな」
そう言いながらも、無意識に緊張しているのを御剣は感じ取った。隠し切れない恐怖心というものが、目に見えるようだ。
それでもこの言葉が、口から出任せに言ったものではないということも分かる。彼は教師としても、人間としても真っ当なのだろう。
教室に入り、黒板の前で同級生達の視線を一身に受けながら立つ御剣。まるで転校生のように先生に連れられて入ってきた彼に、生徒達は不思議そうな視線を送った。しかし、すぐにあることに気が付いたのか、その表情が驚愕の色に変貌する。あの友野も例外ではない。ほとんどの人間が眼を見開いたり、逆に細めて凝らしたりしている。
ただ一人あやめだけは、驚愕というよりも、絶句していた。昨日佐原が彼を呼んだ理由をずっと考えていたのだが、それがものの見事に的中してしまったからだ。今、御剣の襟に輝くそれが、その証左だった。
交差する金色の剣。俄に教室の中がざわめきだす。それを與座先生が沈める。
「少し静かにしてくれ。これから大事な話をする」
皆が黙ったのを確認してから、神妙な面持ちで話始めた。
「見ての通り、彼、御剣 誠一君なんだがな。《Aランク騎士型保有者》であるということが分かった。だが、彼は特別棟への転入を希望せず、このA組に残ることになった。前例のないことだけど、校則違反とかでは一切ない。すでに学校長からの許可も出てる。理由は言ってはくれないが、きっと御剣なりの事情ってのがあるんだろう。突然のことで戸惑うかもしれんが、どうか、これからも彼と仲良くしてやってくれ」
その言葉自体に対するリアクションはなかった。ただ、先生の話が終わったのを合図に、各々隣にいる生徒と口々に何か言い合って、またざわめきが戻ってくるだけだった。話などほとんど耳に入っていないのかもしれない。数多くの言葉が飛び交って、それぞれ何を言っているのか聞き取れなかったが、聞こえなくとも大体察しが付く。
まさか御剣が?
どうして《保有者》が一般棟なんかに?
《Aランク》って言えば、あの化け物みたいな《保有者》じゃないか。
つい昨日まで親しみを感じさせていたクラスの人達が皆、御剣に対しある“オーラ”を放っていた。
“異質なるもの”の進入に対する、拒絶反応のようなオーラだ。《保有者》と非保有者は違う。《保有者》が一般人を差別するように、その逆もまたあるのだ。
何故《Aランク》という化け物が、自分達普通の人間の縄張りに進入してきたのか。しかも、何故今になって。
それが、彼らのざわめきの要約だった。完全に、御剣を受け入れようとしない、という空気が形成されようとしていた。彼は一気に、世界から突き離されたような気分になった。
佐原達が言っていたのはこれだったのだ。《保有者》となった者はもう、“普通”ではいられない。“普通”の世界にはいられない。これもまた、今のこの社会の現状だった。
いつ自分が冗談のように殺されるのかという恐怖、偉大な力を持たないこその妬み、嫉み。それらを一身に受ける環境に嫌気が指すから、《保有者》達は“普通”の世界から離れ、特別棟で並外れたエリートの道へと逸れていくのだ。
その現実に今、御剣は直面した。このままでは彼は、ただただ孤立していくだけだった。
だが、まだ希望はあった。
彼は知っていた。世の中の全てがこうじゃないと。
彼は、確かに半ばトチ狂った人間であるが、それでも、人との関わりを大切にしようと思っている。他人に対する誠意というものは、いつか必ず、囁かなれど自分を助けてくれるということを、信じていたのだ。
御剣を孤立させようという見えざる力が人々の心を固めようとしたその一瞬を破る声があった。
「まさか、《保有者》とは思わなかった!」
昨日までとなにも変わらない声音だった。御剣が《保有者》であることは関係ない、と無言で語っているかのようだった。
友野の声だった。彼は椅子から立ち上がると、ゆっくりと御剣の方に歩み寄っていた。
「けどまぁ、だからって約束を破っちゃいけないぜ? ま、お前はそんなことしないだろうと思うけどな。今日こそは俺と常岡とお前の三人で飯喰いにいくぞ。約束通り、お前の奢りでな」
彼は、人の真意というものを繊細に感じ取られる人間だったのだろう。御剣が、昨日交わした約束を反故にするような薄情な者ではないと直感的に信じた。そういう人間なのだと。
《保有者》は悪人というわけではない。普通の人間にいい者と悪い者がいるように、《保有者》にだっていろいろある。そして御剣は、いい《保有者》だ。そう感じ取った。
御剣にとってはこれこそ救いだった。誰か一人でも自分を受け入れる者がいれば、そこから凝り固まった空気を解すことはできる。
それに、自分を受け入れてくれるのは彼だけではない。もう一人いる。
あやめが同じように立ち上がり、大きな声で聞いてきた。
「ねえ御剣くん、なんで私達と一緒にいたいの? どうしても教えてくれないの?」
彼女自身、ずっとそれを知りたいと思っていたのだろう。以前も似たようなことを聞いていた。
御剣も、自分の心を何もかも隠すつもりもない。彼女達に対して話すことのできることは、あった。そしてそれは紛れもなく、彼自身の心からの言葉だ。
彼は、静かに、しかし教室にいる全員が聞こえるような声で、言った。
「入学してすぐ、出会って間もないけど。なんていうか……ここの人達とは仲良くなれると思ったんだ。そういう人達と、できるならずっといたい」
その一言で、教室の中の空気がわずかに和らぐような気がした。勿論、今すぐに御剣が快く歓迎されるわけはない。だが少なくとも、信頼してもらえる“余地”というものは生まれた気がした。
後は、実際に行動で示すのだ。御剣 誠一という人間が、恐れる必要のない、“友人”にするに足る者だということを。
あやめと友野、常岡もいる。彼女らがいれば、それもできるはずだ。
他人に認められる。友人を作る。人間が当たり前にできることなら、《因子》なんてものに眼を付けられてしまった自分にだって、できるはずなのだ。
それは、《因子》によって自分の運命を歪められてしまった男の、小さな、しかし人間としての尊厳に関わる反逆だった。




