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第31話 運んだだけ

ループ31回目。今日の目的:高瀬自身の口から「運んだだけだった」を記録に残し、神崎と藤崎を繋ぐ中継役を崩す。新変数:高瀬は失敗報告のあと、東貨物ヤード脇の自販機で必ずブラックコーヒーを買う。


7:02

アラームの音で目を開けた瞬間、胸の奥でひとつの言葉だけが残っていた。

運んだだけ。


前のループで分かった。

神崎は、高瀬を切るつもりでいる。

Mの鍵も、白便も、箱の運搬も、ぜんぶ“高瀬が勝手にやったこと”に寄せる気だ。

高瀬自身も、それを分かっていた。

喫煙所で神崎と話しながら、はっきり言っていた。

「俺は運んだだけで——」

あの言葉は、言い訳じゃない。

綻びだ。

そこから切れる。


ベッドから起き上がりながら、私は深呼吸をした。

今日は責めない。

追い詰めない。

高瀬に必要なのは、正しさじゃなくて逃げ道だ。

その形なら、もう知っている。


7:30

警備詰所の前で、飯田さんが鍵束を鳴らしていた。今日も初対面の目。

だから入口の言葉は、もう決まっている。


「迷子は、守りたいです。あの時の後悔ごと」

飯田さんの指が止まる。

そのまま私は、本題を置いた。


「今日は高瀬です。『運んだだけだった』を、自分の口で残してもらいたい」

飯田さんが眉を寄せる。

「警察調書にするのか」

「いきなりだと閉じます。まずは危機管理課の確認メモでいいです」

飯田さんは少し考えて、それから低く言った。

「15:45のあと、あいつは喫煙所脇の自販機で必ずブラック買う。

 煙草吸わねえ日も、あそこで缶を開けるまで少し立ち止まる。

 話すならその数十秒だ」

胸の奥が静かに鳴る。

止まる場所。

箱でも紙でもなく、人間の“止まる場所”だ。

今日はそこを使う。


8:00

危機管理課に電話を入れる。

短い声が返る。


「篠原」

「今日は高瀬です。15:45のあと、自販機前で止まります。危機管理課の任意確認メモで『運んだだけ』を残したい」

向こうが一拍黙った。

「……警察は引かせる」

「はい」

「警察が見えてると、高瀬は“取り調べ”だと思う。

 今日は私とあなただけで入る。記録は私が取る」

「分かりました」

「それと、言わせるのは一文でいい。長く喋らせようとすると閉じる」

短い声。

でも、その一言が今日の形を決めた。

一文でいい。

運んだだけ。

指示は神崎。

そこまででいい。


8:05

掲示板前。

紙の貼り替え。高瀬の顎の傷。藤崎の手袋。

いつもの始まりが、今日も同じ順番で来る。


高瀬が掲示板脇の細い扉へ向かった瞬間、飯田さんが塞ぐ。

「そこは通さない」

「点検です」

「点検なら、なおさら通さない。今日は人が多い」


篠原が来て、狭い通路を開ける。赤いレバー。『設備点検モード』。

「今日は封鎖。触らせない」

高瀬のスマホが二音鳴る。

藤崎の肩がわずかに揺れる。

いつもの計画変更。

でも、今日はそこから先にある“神崎への報告”が本番だ。


11:10

換気室。

巡回員のスマホが二音鳴る。

手がスイッチへ伸びる前に、篠原が遮る。

「封鎖。触るな」

巡回員は電話口で小さく言った。

「神崎さん、無理っす。危機管理が……」

換気は止まらない。

甘い匂いも薄いまま。

駅の普通は守れている。

その普通の上で、高瀬だけが少しずつ追い込まれていく。

箱も、紙も、鍵も、前ほど自由に運べない。

神崎の機嫌が悪くなるほど、高瀬の行き場は減る。


12:30

軽事故の交差点。

今日も群衆が膨らみ、スマホが向けられ、苛立った男が「救急車呼ぶほどじゃない」と吐き捨てる。

私は処置の補助をしながら、高瀬を探した。

いた。

輪の外。スマホ。二音。

でも今日は、その指先が露骨に荒れていた。

打ち終わったあと、ポケットへしまい損ねて一度落としかける。

高瀬らしくない。

余裕が削れている。


13:40

東貨物ヤードへ向かう風は、潮と古い灰の匂いを運んできた。

自販機の前には、青いベンチが一つ。吸い殻入れ。金網。

ここが今日の“折返し”だ。

逃げる前に止まる場所。

私はベンチの向かいの壁に貼られた古い避難図を見ているふりをした。

篠原は少し離れた灰皿の影で、腕章を隠さずに立つ。

“逃げ道はある”を言う人と、“記録に残す”人。

それだけでいい。


15:39

駅務区画。

高瀬が白封筒を持ってくる。

庶務棚の前に佐々木さん。受領番号の台帳。青い受領印。

前と同じだ。


「受領番号をどうぞ」

佐々木さんの淡々とした声。

高瀬は一瞬だけ笑う。

「保全部です。至急で」

「はい。番号を」

前と同じやりとり。

前と同じ結末。

高瀬は封筒を引いて、置けないまま去る。


でも今日は、その横顔が違った。

苛立ちより先に、怯えが見える。

次に何を言われるか、もう分かっている顔だ。


15:45

東貨物ヤード脇の喫煙所。

高瀬が来る。

スマホを出す。

通話。

神崎はすぐ出る。


「……すみません。庶務が戻ってて」

声が低い。

小さい。

神崎の声は聞こえない。

でも、高瀬の顔がそれを全部翻訳していた。


「いや、今日は……」

「……分かってます」

「でも、それは俺が——」

一拍。

顎が固まる。

「Mも白便も、俺が勝手にやったって……?」

胸の奥が冷える。

前と同じ言葉。

でも今日は、その続きがあった。


「……藤崎さんは?」

通話の向こうで何か返されたのだろう。

高瀬の目が、一瞬だけ死んだ。

「じゃあ、俺だけですか」

そこではっきり分かった。

神崎は、高瀬だけを切るつもりだ。

藤崎は残し、高瀬は捨てる。

中継役だからだ。代わりが利くからだ。


通話が切れる。

高瀬はしばらく動かない。

煙草も吸わない。

自販機でブラックコーヒーを買い、開ける前に缶の縁を指でなぞる。

その“なぞる”動きが、前より長い。

ここだ。


私は一歩だけ近づいた。

「高瀬さん」

高瀬がびくりと振り向く。

怒りじゃない。

完全に、怯えている目だ。


「……何だよ」

声が掠れている。

私は正面からは言わない。

責める形にすると、すぐ閉じる。

だから、脇へ置く。


「神崎さん、藤崎さんは切らないんですね」

その一言で、高瀬の喉が動いた。

表情が崩れそうになって、でもまだ持ちこたえる。

「関係ないだろ」

「関係あります。

 あなたは“運んだだけ”で終わらされる。

 でも、運んだだけだったって、今ここで残せば違います」

高瀬が笑った。

笑ったというより、口の端がひきつった。

「残してどうすんだよ」

「神崎さんの言い分だけで終わらないようにします」

私は続けた。

「箱も、白便も、あなたの独断じゃないって。

 危機管理課の確認メモに、一文だけでいい。

 長い調書じゃない。警察も今は呼びません」

“警察を呼ばない”

そこが効いたのか、高瀬の目が少しだけ戻る。

完全には閉じていない。

まだ、神崎の外側へ足を出せる。


篠原が一歩前へ出た。

声は低い。

「一文でいい。

 『神崎の指示で、箱と白便を運んだ』。

 それだけ残せば、切り捨てられにくくなる」

高瀬はブラックコーヒーの缶を見つめた。

プルタブはまだ開いていない。

そこで、喉が一度だけ大きく動いた。


ヒヤリ。

ここで“そんなの意味ない”と言われたら、全部戻る。

私は息を止めた。


高瀬は小さく言った。

「……俺、決めてない」

声がひどく小さい。

でも確かに出た。

篠原はすぐにメモ用紙を差し出した。危機管理課の簡易確認メモ。

罫線と日付と、短い記入欄だけの紙。


「書けますか」

高瀬はしばらく黙り、それから紙を取った。

手が震えている。

書き出しの一文字目が少し歪む。

でも、最後まで書いた。


神崎の指示で箱・白便を運んだ。内容は決めていない。高瀬


署名までは書かないかと思った。

でも、高瀬は自分の名字だけを、最後に小さく添えた。

胸の奥が熱くなる。

やっと、線の途中にいた人の字が出た。


「もう一つだけ」

篠原が言う。

「神崎は、どこから見てる」

高瀬の目が揺れる。

一瞬だけ、また閉じかける。

私はそこで口を挟まない。

一個しか取れないなら、さっきの一文で十分だ。

でも高瀬は、数秒黙ってから、東側の駐車スペースを顎で示した。


「……灰色のワゴン」

低い声。

「貨物ヤードの外れ。

 あそこで見てる。端末もそこ」

胸の奥が硬く鳴った。

やっぱり車だ。

神崎の指揮所は、そこにある。


16:25

花火警備へ警察車両が流れる時間。

私たちは折返しの配置につく。

篠原は手前。

警察は死角。

飯田さんは一般導線の出口。

私は壁沿い。

そして篠原のポケットには、高瀬の一文が折って入っている。

小さい。

でも、紙よりも箱よりも、ずっと重い。


17:18

藤崎が来る。

鏡面広告板の前で、一拍。

袖から腰ポーチへ銀の筒。

顔が一般導線へ向く。

篠原の左手が下がる。


警察が出る。

鏡板に肘が当たり、ガン、と音が鳴る。

私は振り返らず、壁沿いへ声を出す。

「そのまま前へ! 止まらないでください!」

波は小さい。

そして今日は、その小さな波の中で、藤崎が一瞬だけ“振り返った”。

いつもは即座に抜けるのに。

高瀬の二音が、今日は来ない。

それだけで、藤崎の足が一拍迷う。


警察の指先が、今までより深く袖にかかる。

でもまだ足りない。

藤崎は身体を細く折って、抜ける。

それでも、確かに深く入った。

高瀬の遅れは、もう目に見える。


17:20

火災報知器が鳴る。電子音。

真壁がマイクを取る。

迷わない。

「火災報知です。係員の案内に従い、走らず壁沿いにお進みください。現場確認は後続班が行います」


人が止まらない。

押し合いが小さい。

中央柱の逆流も起きにくい。

私は喉が枯れるまで誘導しながら、高瀬が書いた一文を胸の中で何度も反復していた。

内容は決めていない。

その一言が、神崎と高瀬の間に線を引いた。

線が引けたら、切れる。


17:35

煙は上がった。甘い匂いも一瞬だけ強くなる。

それでも爆発の衝撃は来ない。

換気も放送も生きている。

駅は立っている。

そして今日は、東の灰色ワゴンの存在まで分かった。

次の相手が、はっきり見えた。


18:50

耳の奥で、アラームの気配が鳴り始める。戻る準備の音。

篠原が低く言った。

「高瀬の一文、取れた」

私は頷く。

「はい。神崎の指示で運んだって」

飯田さんが短く息を吐く。

「これで“あいつが全部やった”は通りにくいな」

私は頷いた。

中継役は、崩れ始めている。

もう、完璧には繋げない。


篠原が続ける。

「次は灰色ワゴン。端末ごと押さえる」

胸の奥が静かに鳴った。

そうだ。

箱も、紙も、人も削ってきた。

次は、指揮所そのものだ。


19:00

空気が薄くなり、視界が暗く落ちた。


7:02

アラーム。

私は飛び起き、胸の奥で灰色のワゴンを思い浮かべた。

高瀬は、もう完全には繋げない。

次は神崎の手そのものに届く。

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