表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/40

第26話 欠番の社内便

ループ26回目。今日の目的:高瀬が「保全部・至急」の白封筒を運べなくなる条件を作る。新変数:駅務区画の社内便には、本来、受領番号と佐々木の受領印が必要。


7:02

アラームの音で目を開けた瞬間、胸の奥で白い封筒の角が浮かんだ。

右上にぴたりと揃えられた角。

十五時三十九分。

高瀬が真壁の机に置く、“保全部・至急”の社内便。


前のループで、私はそれを差し替えた。

やれた。

でも、あれは綱渡りだ。

八秒の空白に身体を滑り込ませて、同じ厚み、同じ位置、同じ向きで置き直す。

一回なら通る。

でも、毎回それで乗り切るのは違う。

高瀬が封筒を運ぶこと自体を、普通じゃない状態にしないといけない。


ベッドから起き上がりながら、私は深呼吸をした。

封筒を止める。

でも流れは止めない。

それが今日の線引きだ。


7:30

警備詰所の前で、飯田さんが鍵束を鳴らしていた。今日も初対面の目。

だから入口の言葉は、もう迷わない。


「迷子は、守りたいです。あの時の後悔ごと」

飯田さんの指が止まる。

そのまま私は、本題へ入った。


「今日は社内便です。高瀬が真壁さんの机に置く白封筒、自分で届けられない形にしたい」

飯田さんが眉を寄せる。

「差し替えじゃなく?」

「はい。ルートを切ります」

飯田さんは少し考えてから、低く言った。

「駅務の社内便は、本来、庶務の佐々木が受ける。受領番号と印が要る」

胸の奥が静かに鳴った。

「受領番号?」

「白封筒を好きに持ち歩いていいわけじゃねえ。庶務棚の脇に受付票があって、持ってくる便には番号が振られる。佐々木が受領印を押して、そこから各机へ回す」

私は息を呑んだ。

つまり、高瀬がやっていたのは“庶務便を装った手渡し”だ。

正規の流れじゃない。

だから、正規の流れへ戻せば、高瀬は机まで入れない。


「佐々木さんを味方につけます」

「つけるっつうより、仕事に戻してやればいい」

飯田さんが短く言う。

「祭りでみんなバタついてるから、勝手便が通ってるだけだ」


8:00

危機管理課に電話を入れる。

短い声が返る。


「篠原」

「駅務の社内便、本来は佐々木さんの受領番号と印が必要です。高瀬はそこを飛ばして机まで持って行ってます」

向こうが一拍黙った。

「……なら、封筒じゃなくて“便の権限”を戻せばいい」

「はい。今日は差し替えません」

「分かった。庶務の流れを危機管理名義で元に戻す。八時五分はいつも通り押さえる。そのあと佐々木と話す」


8:05

掲示板前。

紙の貼り替え。高瀬の顎の傷。藤崎の手袋。

いつもの始まりが、今日も同じ順番で来る。


高瀬が掲示板脇の細い扉へ向かった瞬間、飯田さんが塞ぐ。

「そこは通さない」

「点検です」

「点検なら、なおさら通さない。今日は人が多い」


篠原が来て、狭い通路を開ける。赤いレバー。『設備点検モード』。

「今日は封鎖。触らせない」

高瀬のスマホが二音鳴る。

藤崎の肩がわずかに揺れる。

その揺れを横目に、私は今日は別の一文を追っていると自分に言い聞かせた。

白封筒は、午後だ。


9:20

駅務区画の奥、庶務棚の前で、佐々木さんは帳票の束を腕に抱えていた。

前のループで、私が名前を呼んで誤魔化した、あの人だ。

今日は誤魔化さない。


「佐々木さん」

彼女が顔を上げる。

「救急の……」

一瞬だけ覚えがあるような顔をしたけれど、すぐに消えた。初対面の目に戻る。

私は名札を見せたまま、篠原の一歩後ろに立つ。


篠原が短く言った。

「祭当日の安全確認で、庶務便を本来の受領運用に戻します。今日から“保全部・至急”も、必ず佐々木さんの受領印を通してください」

佐々木さんが目を瞬いた。

「いま? 今日? みんな走り回ってるのに?」

「だからです。誰が何を机へ置いたか、追えないのが一番危ない」

篠原の声は短い。揺れない。

佐々木さんは帳票の束を見下ろし、それから小さく息を吐いた。


「……実は、変だと思ってたんです」

その一言で、胸の奥が少しだけ軽くなる。

「保全部・至急って封筒、最近は庶務棚を通らないことがあって。

 でも“保全部なら急ぐだろう”って、みんな見て見ぬふりしてた」

やっぱりだ。

気づいていた人はいた。

ただ、忙しさの方が強かっただけだ。


「今日から戻しましょう」

篠原が言う。

「受領番号、受領印、各机への振り分け。いつもの手順で」

佐々木さんは頷いた。

その頷きが、思っていたよりずっと力強く見えた。


11:10

換気室。

巡回員のスマホが二音鳴る。

手がスイッチへ伸びる前に、篠原が遮る。

「封鎖。触るな」

巡回員は電話口で小さく言った。

「神崎さん、無理っす。危機管理が……」

換気は止まらない。

甘い匂いも薄いまま。

駅の“普通”は守れている。

今日の勝負は、その普通のまま、十五時三十九分を迎えられるかだ。


12:30

軽事故の交差点。

今日も群衆が膨らみ、スマホが向けられ、苛立った男が「救急車呼ぶほどじゃない」と吐き捨てる。

私は処置の補助をしながら、高瀬を探した。

いた。

輪の外。スマホ。二音。

そのあと、彼は駅務区画の方へ向かった。

庶務棚のある通路。

予定通りだ。


13:10

庶務棚の脇には、いつもは開きっぱなしの小さな引き出しがある。

今日は、その前に佐々木さんが座っていた。

受領番号票、青い受領印、社内便の台帳。

机に座るだけで、空気が変わる。

誰が見ても、“通す場所”になる。


「この番号票、今日は保全部も全部通します」

佐々木さんが言う。

「抜け道なしです」

私は頷いた。

たぶん彼女も、ずっと嫌だったのだ。

勝手便が、忙しさに紛れて机へ滑り込んでくる感じが。


15:37

駅務区画の廊下。

私は掲示板の前で避難導線図を見ているふりをする。

篠原は少し離れた机で、人員表を読むふり。

飯田さんは見える範囲の外、巡回に紛れている。

佐々木さんは庶務棚の前に座り、受領台帳を開いている。

全部、整った。


15:39

高瀬が来た。

雑用係みたいな地味な上着。手には白封筒が二通。

昨日と同じ。

でも今日は、庶務棚の前に佐々木さんがいる。


「受領番号をどうぞ」

佐々木さんが顔も上げずに言う。

高瀬の足が、ほんの一瞬だけ止まる。

「……保全部です。至急」

「はい。だから番号を」

声が淡々としている。

怒っていない。

ただ、仕事の手順を言っているだけだ。

それが一番強い。


高瀬が笑った。

「いつも通り、真壁さんへ直接——」

「今日から戻しました」

佐々木さんが初めて顔を上げる。

「受領番号、受領印、庶務経由です。保全部も同じです」

廊下の空気が少しだけ硬くなる。


ヒヤリ。

ここで高瀬が押し切ろうとしたら、揉める。

揉めれば、“保全部・至急”の圧が周りを揺らす。

私は喉がひりつくのを感じた。


リカバー。

篠原が一歩だけ前へ出る。

「安全確認の一環です。例外は作りません」

高瀬の笑みが一瞬だけ薄くなる。

彼は封筒を見下ろし、それから佐々木さんの台帳を見る。

番号を書かないと通らない。

書けば、差出人と時間が残る。

残れば、神崎の好きな“曖昧さ”が消える。


高瀬は数秒黙ってから、封筒を引いた。

「……あとで来ます」

それだけ言って、踵を返した。

置けなかった。

真壁の机まで届かなかった。

胸の奥で、何かが静かに噛み合った。


15:50

真壁は席へ戻る。

机の右上には、白い封筒がない。

ほんの僅かに目が動く。

探している。

そのあと、自分の胸ポケットを無意識に指で押さえた。

空だ。

今日は、あの紙がまだ届いていない。


16:25

花火警備へ警察車両が流れる時間。

折返しの配置につく。

篠原は手前。

警察は死角。

飯田さんは一般導線の出口。

私は壁沿い。

そして今日、真壁の胸ポケットには神崎メモがない。


16:52

真壁の個人スマホが震えた。

『Kanzaki』

胸の奥がひやりとした。

やっぱり来た。

封筒が無理なら、次は直電だ。


真壁は画面を見る。

でも、今日はすぐには取らない。

周囲を見て、駅務区画の外へ一歩出てから、耳に当てる。

距離を取った。

つまり、これまでの“社内便の紙”とは別の重さがある。

封筒より、少しだけ露骨だ。


ヒヤリ。

まだ切れていない。

でも、形は変わった。

それで十分だ。次がある。


17:18

藤崎が来る。

鏡面広告板の前で、一拍。

袖から腰ポーチへ銀の筒。

顔が一般導線へ向く。

篠原の左手が下がる。


警察が出る。

今度も早くない。

鏡板に肘が当たり、ガン、と音が鳴る。

私は振り返らず、壁沿いへ声を出す。


「そのまま前へ! 止まらないでください!」

波は小さい。

藤崎はまた、ぎりぎりで抜ける。

でも、抜けた先の一般導線は今日さらに静かだ。

真壁の一文が、もう身体に馴染み始めている気がする。


17:20

火災報知器が鳴る。電子音。

真壁がマイクを取る。

一拍。

胸ポケットに手は行かない。

代わりに、ほんの短く目を閉じる。

それから言った。


「火災報知です。係員の案内に従い、走らず壁沿いにお進みください。現場確認は後続班が行います」


胸の奥が熱くなる。

紙がなくても言えた。

封筒が届かなくても、同じ一文を選べた。

もちろん、神崎は16:52に直電している。

でも少なくとも、“机に白い封筒が置かれる”あの儀式は切れた。


17:35

煙は上がった。甘い匂いも一瞬だけ強くなる。

それでも爆発の衝撃は来ない。

換気も放送も生きている。

私は喉が枯れるまで誘導しながら、胸の中で整理していた。

封筒は切れた。

次は、直電だ。


18:50

耳の奥で、アラームの気配が鳴り始める。戻る準備の音。

篠原が低く言った。

「高瀬は置けなかった」

私は頷く。

「はい。庶務の手順に戻しただけで、封筒は止まりました」

飯田さんが短く息を吐く。

「勝手便は、手順が戻ると弱いな」

私は少しだけ笑いそうになった。

神崎のやっていたことは、ずっと“忙しさに紛れた例外”だったのだ。


篠原が続ける。

「次は16:52の電話。封筒が切れたから、神崎は自分で真壁に触りにきた」

私は頷いた。

直電。

次の鎖は、音声だ。

封筒より短く、でもまだ切れるはずのもの。


19:00

空気が薄くなり、視界が暗く落ちた。


7:02

アラーム。

私は飛び起き、胸の奥で二つの時刻を並べた。

15:39。

16:52。

白封筒は切れた。

次は、神崎の声だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ