第七話 清掃開始
白いライトの映像に、綺麗な字幕が乗った。
音楽は立派で、言葉は整っていて、映像は“正しい”顔をしていた。
高速機動隊公式――というタグが、まず信用を作る。
信用が先に来ると、内容は後から正義になる。
「危険な違法ハッカー、通称 “GHOST” による都市インフラへの不正アクセス、および無人戦闘ロボットの違法運用が確認されました。
市民の安全とインフラ防衛のため、当隊は当該危険人物の排除を含む対応を実施します。
目撃した場合は近づかず、速やかに通報してください。支援行為は犯罪となり得ます」
“排除”。
その単語だけが、字幕で一度だけ太くなった。
続いて表示されたのは、手配ポスターのようなカードだった。
白地に黒文字、角丸の枠。怖さより“公的”を感じるデザイン。
《通称:GHOST》
《危険度:極》
《特徴:小柄/フード着用/口元を覆うスカーフ》
《注意:接触禁止/支援禁止》
《備考:未成年者・女性の可能性(断定せず)》
写真はない。顔はない。名前もない。
あるのは“雰囲気”だけだ。
それだけで、世界は十分に燃える。
コメント欄が開いた瞬間、炎は酸素を得た。
――「やっと来た。射殺でいい」
――「未成年の可能性って……余計危険だろ」
――「いや絶対美少女ハッカーだろ。萌え」
――「フードでスカーフ? それっぽいw」
――「実態はメタボのオタク野郎だから撃て」
――「美少女なら保護、メタボなら排除。簡単」
――「どっちでもいい。排除が正義」
――「次の神回、機動隊vsゴースト頼む」
――「切り抜き職人はよ」
――「GHOST討伐イベント化してて草」
顔がないぶん、誰でも好きな顔を貼れる。
年齢が曖昧なぶん、誰でも好きな倫理を貼れる。
萌え。嫌悪。正義。暴力。
全部が同じ行に並ぶ。
そして一番伸びるのは、結局それだ。
「ゴースト美少女説」
「ゴースト実態メタボ説」
「討伐は正義」
「保護しろ」
「いや排除しろ」
議論は真実のためではない。
視聴のためだ。気持ち良さのためだ。
その気持ち良さが、次の“白いライト”を呼ぶ。
アリスは、その地獄を見てしまった。
避難所ではない。飯屋でもない。
ただの休憩所。壁際のモニタ。無音。
通りすがりの人間が、指でスクロールしていた。
音がないのに、声が聞こえる気がした。
文字が耳に刺さる。
アリスのフードの奥で、目が細くなる。
怒りより先に吐き気が来る。
「……気持ち悪い」
小さな声だった。
胸の奥に、冷たい沼みたいなものが広がる。
知らないのに断定する。
断定して笑う。
笑って殺せと言う。
殺せと言って正義だと言う。
アリスは歯を噛んだ。
「美少女だろうがメタボだろうが……あたしは、あたしだろ」
虚しい。
世界は“あたし”を必要としていない。
必要としているのは、ゴーストという記号と、燃える話題と、次の神回。
黒い影が、音もなく一歩前に出た。
シュヴァロフ。
光学迷彩の闇が、アリスの視界の半分を塞ぐ。
見なくていいものを、見なくていい距離へ押しやる動き。
アリスは反射で悪態をつく。
「……別に守ってって頼んでない」
シュヴァロフは答えない。答えられない。
代わりにアリスの足元の段差を避ける位置に身体を置く。
転ばせない。転ばせないことが、守ること。
双子が近くで、黙ってARを“消した”。
映像の上に透明な白が被さる。
スイッチを切るみたいな優しさ。
それでも、消えない。
消えないから、アリスはさらに不快になる。
「……消しても無駄。あいつらの頭の中にもう貼られてる」
翼のUIが小刻みに震えた。
主人格の怒りが、静かに揺れる。
「だから――潰す」
誰を、ではない。
何を、だ。
“運用”を。
“正義の形”を。
“視聴率”を。
その瞬間、アリスの視界に、別の文字が割り込んだ。
――《封鎖線更新》
――《検問強化》
――《対象捜索:GHOST》
都市が、彼女を“検索”し始めた。
高速機動隊は、走らない。
追う時ほど、落ち着いている。
白いライトの列が、外縁の道路をゆっくりと塗り替える。
人間の怒号はない。機械の恐怖だけがある。
隊はまず、都市システムに“お願い”をする。
お願いの形は命令に似ている。
「封鎖線、更新」
「検問、増設」
「カメラ、同期」
「通信、遮断」
そして最後に短い。
「対象:GHOST。捕捉優先。抵抗時、排除」
排除。
公式発表と同じ言葉。
第六話の会議と同じ言葉。
“清掃”が始まった。
アリスは都市を掌握できない。
掌握しようとすれば、こちらの署名が濃く残る。
濃く残れば、排除の理由が強くなる。
局所で、薄く、短く。
それが今の戦い方。
双子が先に動いていた。
トウィードルダムが、狭い路地の段差を埋める。
トウィードルディーが、崩れかけの通路に補強材を噛ませる。
救助でも工作でもない。逃走のための“地面づくり”。
シュヴァロフはアリスを中心に立ち、見えない角度から飛んでくる探知ドローンを叩き落とす。
母親が、子どもの手を引くように。
しかし手は引かない。引けば“子ども”になるからだ。
アリスは足を止めない。
止まった瞬間に、タグが刺さる。
高速機動隊の追跡は、銃弾ではない。
“位置”だ。
“タグ”だ。
“通れる場所”を消すことだ。
逃げ場が狭くなるほど、市民が押し込まれるほど、
「危険人物を排除する正義」は綺麗に見える。
そして綺麗な正義は、伸びる。
同じ頃――義弘は別の場所にいた。
外縁の結節点から少し離れた、バイオ・オイル輸送線の副ヤード。
小さな火災。小さな暴走ドローン。小さな混乱。
小さすぎる。
小さすぎる混乱は、だいたい“誘導”だ。
義弘のバイザーが、空中の目を拾う。
壁際の影に、細身の機体。顔の代わりにカメラリグ。
LC-05――アイドロン。
トミーが義弘の肩の上で鼻を鳴らした。
「ほら来た。撮影班」
義弘は歩みを止めず、視界の端で“撮られている角度”だけを測った。
刃が光れば、燃える。
刃が光らなければ、燃えにくい。
なら、光らせない。
それだけでは足りない。
撮らせない。
義弘は都市戦用ブレードを抜いた。
刃はスーツと同期し、材質解析と通信検知が重なっていく。
“切るべき線”が、視界の中で薄く光る。
同時に、盾が動いた。
LC-01――バスティオン。
盾列は一体だけ。だがそれで十分だ。
一体で“門”を作る。門ができれば、人が押される。押されれば悲鳴が出る。
悲鳴が出れば配信が伸びる。
背後で細い射出器が展開する。
LC-02――マギスト。
床に薄く網を撒く。転倒を誘う。転倒は最も簡単なドラマだ。
そして路地の奥で、レンズの塊が点灯する。
LC-03――グレア。
白。煙。音。
“ここで戦え”という照明。
義弘は、最初から敵を倒しに行かない。
倒すのは最後だ。
まずは“撮影”を折る。
彼はアンカーを走らせた。
人工蜘蛛の糸が空を裂き、アイドロンが放った小型カメラドローンに絡む。
絡んだ瞬間、刃が一閃。
切るのは機体ではない。
中継ユニット。
電源ライン。
同期信号の基板。
小型ドローンの目が、次々と暗くなる。
暗くなると同時に、コメント欄の“神回”が遠のく。
アイドロン本体が後退し、別角度に回り込もうとする。
義弘は追わない。追えば刃が光る。追えば“戦ってる絵”になる。
代わりに、アイドロンの逃げ道に糸を張った。
引っかかる。転ぶ。機体が無様に滑る。
無様は伸びる。だが“正義の無様”ではない。
伸びても困らない無様。
トミーが笑った。
「うわ、性格悪。最高」
義弘は答えず、次にマギストの網射出リールを断った。
転倒の連鎖を切る。
バスティオンの盾の関節ケーブルを落とす。
門をたわませる。
避難路を開ける。
市民が走る。
走っていいと理解できたから走れる。
グレアの閃光が空しく白を撒く。
白の中で“救助が起きている絵”は、撮れない。
義弘は静かに言った。
「……撮影は、戦場だ」
戦場を作っているのは、敵の刃ではない。
敵のカメラだ。
彼は倒れたアイドロンの本体に近づき、胴体の側面を切り開いた。
中から出てきたのは、コアでも武器でもない。
中継装置。記録媒体。通信端末。
“回収されるべき物”だ。
義弘はその一部を抜き取り、懐に収めた。
トミーが耳を立てる。
「それ、何だ」
義弘は答える代わりに、視神経に直接浮くログを眺めた。
端末はまだ熱い。
だが熱いほどに、新しい。
転送先。同期先。
編集テンプレ。
広告タグ。
そして――回線の中継点。
義弘の口元が、ほんの僅かに動いた。
「回収線は、物だけじゃない」
「……映像も回収される」
トミーが低く笑った。
「やっと盤面が見えたかよ、おじいちゃん」
義弘はもう一度、ログをなぞる。
中継点の位置。
外縁の“メンテナンス管制”にぶら下がるように見える。
正規の回線を経由している。
だから速い。だから綺麗に消える。
綺麗すぎるのが、汚れだ。
その頃、アリスは“綺麗な正義”に追い詰められていた。
封鎖線が更新されるたびに、通れる道が消える。
検問が増えるたびに、視線が増える。
視線はカメラだけじゃない。市民の視線だ。
「ゴーストだ」と言える口だ。
ネットの勝手プロファイルが、現実の指差しになる。
――「あいつじゃない?」
――「フードだ」
――「スカーフだ」
――「通報しろ」
――「神回だ」
アリスは歯を噛み、局所の通信を薄く歪ませる。
だが歪ませれば、こちらの痕跡が残る。
痕跡が残れば、“排除”の理由が強くなる。
双子が作った細い通路を、アリスは走った。
シュヴァロフが最後尾を守る。
母親の盾。
戦闘担当なのに、今日は戦わない。
戦えば、正義の餌になるからだ。
その時、白いライトが角を曲がった。
整列する機影。
短い命令。
無機質な声。
「対象、可能性一致。接触禁止。距離確保。封鎖線、更新」
アリスの翼UIに警告が走る。
――《追跡タグ:可能性》
――《投射準備》
“タグ”が来る。
刺さったら終わりだ。逃げ道が全部塞がれる。
シュヴァロフが一歩前に出た。
影がアリスを覆う。
アリスが苛立ちを吐く。
「……だから守ってって頼んでない!」
シュヴァロフは答えない。
答えの代わりに、身体を少しだけ傾ける。
タグが飛んできた方向を、視界の端に示すように。
次の瞬間、細い金属片が空を切った。
追跡タグ。
刺されば、都市が“ここ”を永久に覚える。
シュヴァロフの爪が、それを叩き落とした。
叩き落としただけではない。
地面に落ちる前に、爪先で粉砕した。
タグは残らない。残らなければ、追撃は一段遅れる。
双子が黙って、逃走路の角を“丸めた”。
鋭角は転倒を生む。転倒は捕捉を生む。
転倒させない。
大好きが手順になる。
アリスは息を吐き、視界の端に表示される空域監視を睨んだ。
空が、空じゃない。
――《空域監視:強》
――《飛行物:検知対象》
彼女は小さく舌打ちする。
「……空を使えない。まだ」
“まだ”だ。
義弘は、中継点へ向かった。
走り方は派手ではない。派手は撮られる。
彼は壁面を滑り、段差を越え、監視の死角を辿る。
古い紙の地図と、最新のログが重なる。
アナログとデジタルの嫌がらせ。
この街に対する、義弘の唯一の趣味だ。
途中、レギオンがもう一度、邪魔をしてきた。
バスティオン。マギスト。アイドロン。
同じコンボ。
同じ絵作り。
義弘は、さらに冷たく対処した。
アイドロンの中継だけを切る。
マギストの射出だけを切る。
バスティオンの関節だけを落とす。
“戦う絵”を作らない。
“逃げ道が開く絵”だけを作る。
市民が逃げる。
逃げる絵は伸びない。
伸びないほどに、敵の利益が減る。
義弘は思う。
勝利条件が違う。
なら、勝利条件を折る。
そして、辿り着いた。
外縁のメンテナンス管制に隣接する、半壊した施設。
正規の回線が通っている。
正規だからこそ、裏を通せる。
その入口で、義弘は“違和感”を拾った。
足跡。
小さい。軽い。
そして――同じ場所を何度も整備した痕跡。
双子の手順だ。
義弘が視界を上げた瞬間、灰色のフードが角を曲がった。
アリスだった。
追われて、流れ込んできた。
偶然ではない。盤面が誘導している。
“清掃”が、ここに追い込むように作られている。
アリスが義弘を見て、舌打ちした。
「……最悪。こんなとこで会うとか」
義弘は頷くだけだった。再会の感情を挟まない。
挟む余裕がない。
「追撃だ」
「知ってる」
アリスは吐き捨てる。
その背後で、シュヴァロフが一歩前に出て、アリスの半身を隠す。
双子が無言で床の粉塵を払う。
“ここが走れる”という印を作る。
義弘が短く言う。
「中継点がここだ。映像が回収される」
アリスの目が細くなる。
怒りではなく、理解で細くなる。
「……だから綺麗に燃える。だから綺麗に正義が作れる」
「だから切る」
義弘が言った。
その時、白いライトが、施設の壁面を舐めた。
高速機動隊の列が近い。
整列。短い命令。
無機質な声が、施設の外で反響する。
「対象、位置確度上昇。封鎖線、更新。排除準備」
排除準備。
準備が言葉になった瞬間、もう半分実行だ。
トミーが義弘の肩に飛び乗り、囁く。
「来るぞ。正義の顔で」
アリスが唇を歪める。
「……吐き気がする」
シュヴァロフが、母親の盾のまま、さらに前へ出る。
危険の方へ身体を差し出す。
だが戦わない。今日は勝てない戦い方だ。
双子が施設の壁を補強し、仮の通路を“作った”。
逃げ道ではない。逃げ道の形をした“次の盤面”だ。
義弘がアンカーを走らせる。
糸が壁と梁に突き刺さり、足場が固定される。
電磁反発で床を滑り、狭い通路を抜ける。
撤退。
撤退で勝つ回だ。
高速機動隊は深追いしない。
追う代わりに、封鎖とタグで“未来”を奪う。
そのやり方が、運用だ。
施設の陰を抜けた瞬間、アリスの翼UIの端で、短い通信が踊った。
――「前線固定、準備状況」
――「投入、保留」
言葉だけが先に来る。
影だけが先に来る。
アリスが小さく舌打ちした。
「……また匂わせ。次回予告かよ」
義弘は答えず、懐からアイドロンの端末を取り出した。
まだ熱い。
まだ新しい。
彼は歩きながら、端末のログを開く。
転送先。同期先。広告タグ。編集テンプレ。
“数字の流れ”が見える。
トミーが覗き込み、鼻で笑う。
「おいおい。おまえ、ようやく気づいた顔してるぞ」
義弘は静かに言った。
「……次は刃じゃない」
アリスが横目で見て、嫌味を混ぜる。
「じゃあ何。数字?」
義弘は頷く。
「数字を切る」
その言葉は、宣言というより、手順だった。
市場の勝利条件に、こちらの刃を合わせる。
調整の本質はそこにある。
アリスは空域監視のARをもう一度睨んだ。
空が、空じゃない。
けれど、空は唯一の逃げ場でもある。
彼女は小さく呟く。
「……次は、空をこじ開ける」
シュヴァロフが、何も言わずにアリスの背中に影を落とす。
双子が無言で、次のための道具を整え始める。
大好きが手順になる音が、かすかに聞こえた気がした。
白いライトは遠い。
遠いほどに、近づいている。
そして視聴数は、今日も上がる。
正義の顔をした“清掃”が、次の神回を呼ぶからだ。




