第六話 開示
封鎖は、空気の味を変える。
新開市の外縁は、息を吸うたびに「許可」と「禁止」が喉にひっかかる街になっていた。
白いライト。検問。巡回。
VGの隅に、いつも同じ文字が点滅する。
――《退避命令:継続》
――《危険区域:封鎖中》
――《通行許可:確認》
第五話の戦闘は、現場では終わっていた。
だが、画面の中では始まったばかりだった。
切り抜き。まとめ。神回。
「怪獣戦争」「リアル重機バトル」「最強シーン」。
人々はそれを恐怖として見て、娯楽として見て、安心として見て、そして――習慣として見た。
避難所で、震える手がリプレイを止めない。
外縁の飯屋で、無音の映像が客をつなぎ止める。
子どもが段ボールの盾でぶつかり合い、「次はもっとでっかいの」と笑う。
飢えは、腹だけでは起きない。
街は刺激に飢えていた。
そして刺激は、供給されていた。
誰が供給しているのか。
読者は――この話で、知る。
会議室は、温度も音も均されていた。
壁面ディスプレイには、視聴数のグラフ、封鎖区域のヒートマップ、装備更新の見積、メンテナンス人員の削減計画が並ぶ。
人の命は項目にない。項目にないものは議題にならない。
中央席の男が、淡々と告げた。
「第五フェーズ、成功。外縁の規律は整い、視聴は伸びた。封鎖と予算は連動した。――市場が動いた」
横の役員が、数字を指先でなぞる。
矢印が右肩上がり。矢印は正義より信用される。
「想定より早い。“神回”タグが付く速度が速すぎる。新開市市民は……飢えている。生活ではなく、刺激に」
「飢えは優良な需要だ」
男は即答した。
笑いはない。笑う必要がない。
「供給すればいい。供給できる者が、次の主導権を得る」
画面が切り替わる。
《PROJECT:LEGION》
《運用名称:LEGION CODE》
《目的:封鎖下都市における治安制圧プロトコル実証》
《副次目的:治安製品市場の更新/インフラ運用主体の置換》
役員の一人が、意識的に「副次目的」のほうを強調した。
「“人間のメンテナンスは高い。ドロイドに置換すべき”という流れを作る。これが本命だ。事件は広告。恐怖は広告。視聴数は広告」
「広告は安い」
中央席の男が頷く。
「そして広告は、第三者の手で撒ける。……高速機動隊は“介入の理由”さえ与えれば動く」
別の男が指を鳴らすように言う。
「彼らは理由で動く。理由は我々が作れる」
ディスプレイには高速機動隊の公式投稿が並ぶ。
「インフラ防衛」「危険行為はやめましょう」「装備更新の必要性」。
字幕。警告。立派な音楽。立派な正当化。
若い女が、遠慮がちに言った。
「広報が先回りしすぎでは? 露骨に見えます」
「露骨でいい」
中央席の男は、あっさり返す。
「露骨な正義は伸びる。視聴者は正義を求めているのではない。正義の“形”を求めている。形は編集できる」
ディスプレイがさらに切り替わる。
《ブランド:GHOST》
《世論:賛否分断/人気/恐怖》
《偽装署名:GHOST//》
役員が言う。
「“ゴースト”は都市の伝説だ。すでに拡散している。署名を混ぜるだけで、事件は勝手にゴーストの仕業になる。疑いが向く。争いが起きる。封鎖が長引く。実証期間が伸びる」
「そして最も重要なのは」
中央席の男が、声色を変えずに続ける。
「真相が出ても、娯楽に吸い込まれて薄まることだ。“正しい情報”は伸びない。“面白い情報”が伸びる」
会議室に短い沈黙が落ちた。
沈黙は倫理ではない。計算が揃った沈黙だ。
次のスライド。
《障害要因:GHOST(NECRO-TECH AGENT)》
淡い赤の文字。嫌悪の色。
別部署の責任者が露骨に眉をひそめた。
「あの備品はまだ貸与中なのか。正直、現場が嫌がっている。教育現場も、工場も、管理もだ。……うちの人間は、ああいうのを“人”として扱う訓練を受けていない」
中央席の男が、在庫を語るように言う。
「扱わなくていい。扱い方が問題なら、扱う対象を消せばいい」
若い女が顔をこわばらせる。
「ブランド価値が高い。利用価値もあります」
「利用価値はある」
男は即答した。
即答するほど結論が固い。
「だからこそ邪魔だ。ブランドは我々の演出に従うべきで、演出がブランドに従う必要はない」
役員の一人が、淡々と補足する。
「彼女が生きている限り、偽装署名の線がいつか辿られる可能性がある。技術的に、彼女は例外だ。例外はシステムの敵だ」
「例外は事故を起こす」
中央席の男が頷き、次のスライドを出した。
《処置案:関与の切断》
《実行主体:第三者(治安当局)》
《広報文言:危険な違法ハッカーの排除》
若い女が息を呑む。
「……高速機動隊に?」
「“我々”の手を汚す必要はない。彼らは清掃業務に慣れている」
男は言葉を選ばない。選ぶ必要がない。
「外縁の秩序維持。インフラ防衛。危険人物の排除。全部、彼らの大義だ。大義は最も安いコストで人を動かす」
別部署の責任者が吐き捨てた。
「正直助かる。あの子は“見た目”が悪い。市民の同情を引く。そこが厄介だ」
中央席の男が淡々と返す。
「同情は視聴に変換できる。“可哀想な少女が危険なハッカーだった”という物語は、非常に伸びる」
沈黙。
倫理ではない。計算。
若い女が、最後の懸念を口にする。
「……津田義弘は?」
その名前が出た瞬間、何人かが興味なさそうに視線を落とした。
重要な数字ではないという態度。
中央席の男が軽く肩をすくめる。
「あの老人は“映える”から置いておけ。刃が光る。世論が燃える。視聴が伸びる。以上」
「危険では?」
「危険?」
男は初めて笑った。
笑いは冷たい。
「彼は一個人だ。こちらは運用だ。市場だ。治安だ。インフラだ。――盤面が違う」
別の役員が追随する。
「むしろ利用価値が高い。彼が動くほど、“ヒーローは危険”が定着する」
「ヒーローは煙たい」
男が結論を言う。
「正義を名乗るくせに予算を持っていく。存在がノイズだ。ノイズは整理するか、枠に入れるか。枠に入らなければ……」
言葉はそこで止まった。
止めたのは配慮ではない。もう皆が理解しているからだ。
ディスプレイの端に、小さく一行だけ出ている。
《LC-07 Arbalest:Frontline Fixer(投入保留)》
誰も触れない。触れないことが切り札の扱いだった。
中央席の男が会議を締めた。
「次回の作戦は“延長”。恐怖を更新し、視聴を維持し、封鎖を常態化させる。――それが利益だ。
それから、GHOSTは……“清掃”の候補に入れておけ。高速機動隊の介入条件が整ったら、使う」
会議室の空気がさらに均される。
均されるほど、そこに人間はいなくなる。
同じ頃。
新開市の別の“会議”が、まったく違う温度で行われていた。
義弘の隠れ家――というより、義弘がいま「住んでいることにしている場所」は、中心部の外れにある半分空っぽの高層階だった。
豪奢なはずの部屋は、生活感が薄い。
剣の手入れ道具と、古い紙の地図だけが妙にきっちり並ぶ。
アナログだ。
義弘の選んだ“嫌がらせ”のやり方は、世界に対してアナログだった。
床に座っていたのは、灰色のフードの少女。
アリスは苛立ちを隠さず、スカーフの端を噛んでいる。
彼女の周囲では、情報が翼のように舞っていた。
だが今夜、翼は荒れていない。
双子が床の粉塵を払い、段差を潰し、照明を落としているからだ。
シュヴァロフは部屋の隅に折りたたまれ、しかし目だけはアリスを追っている。
母親が、子供の寝息を確認するみたいに。
トミーが義弘の肩から飛び降り、机の上に座った。
「ほら、秘密会議だ。ちゃんと悪党っぽくしろよ。暗がりでさ」
「うるさい」
アリスが吐き捨てる。
義弘が、机の上に小さな金属片を置いた。
第五話で切り落とした、機構の欠片だ。
刻印。合金。加工痕。
「これが、彼らの“癖”だ」
アリスが指を伸ばし、触れないで見た。
触れなくても、視界の中で解析が走る。
NECROの回路が、脳内で短絡し、情報を形にする。
「……この刻印、OCMの外注ラインでしか見ない」
アリスの声が一段冷たくなる。
義弘が次のものを置く。
紙だ。小さなメモだ。
アリスが抜き取ったログ断片を、義弘が“文字”にして書き写したもの。
――前線固定
――遮断
――排除
アリスの目が細くなる。
「この語彙……軍用の運用規範。治安ごっこじゃない」
「第五話の“影”だ」
義弘は淡々と言う。
「出ていないのに、命令語だけが残った。意図的だ。匂わせている」
トミーが耳を立てる。
「匂わせ? つまり“次回予告”ってやつか。最悪だな。視聴率のために人を殺すタイプの最悪」
アリスが拳を握った。
「……あたしの名前も、そのために使ってる」
GHOST//
署名偽装。
彼女の伝説を、彼女の意思とは無関係に、広告にする。
義弘が言う。
「偽ゴーストの目的は、金ではない。金は結果だ。目的は――」
アリスが被せる。
「市場」
義弘が頷く。
「治安製品の市場更新。封鎖の常態化。都市の運用主体の置換。人間を外し、ドロイドに置換する」
「……OCMが言ってたやつ」
アリスは唇を歪めた。
OCMはいつも言う。メンテナンスは人間では高い。ドロイドに置き換えるべきだ。
その“議論”のために、事件が必要なのだ。
アリスの翼が、小さく揺れる。
怒りと、痛みと、計算が混ざる揺れ。
「で、あたしは?」
義弘は、目を逸らさずに言った。
「障害だ」
アリスが笑った。
笑いは乾いている。
「備品のくせに、障害か」
トミーが鼻で笑う。
「備品が壊れたら買い替えだ。あいつらにとっちゃ同じだろ」
アリスの口元が歪む。
口が悪いのは性格だけじゃない。生き残るための刃だ。
「買い替えって言うなら、代金を払わせる」
シュヴァロフが、静かに立ち上がった。
大きな影が、アリスの背後に落ちる。
守る影。離さない影。
双子が、何も言わずに糖分パックを差し出した。
アリスがそれを受け取る指が、ほんの少しだけ震えている。
義弘が、次の一手を口にする。
「回収線の中継点を潰す。回収がある限り、証拠は残らない」
アリスが即答する。
「中継点は――外縁のメンテナンス管制に繋がる。OCMの“正規の”回線を経由してる。だから速い。だから綺麗に消える」
義弘は頷く。
「なら、そこを調整する」
「調整って便利な言葉だね、おじいちゃん」
「便利だから使う」
義弘は淡々と返す。
彼は怒らない。怒りは編集される。
彼は“手順”で戦う。市場に勝つには、手順で勝つしかない。
トミーが言う。
「でもよ、相手はおまえのこと歯牙にもかけてねえぞ」
義弘は刀の柄に指を置いた。
「なら、歯にかけさせる」
アリスが目を細める。
「……相手は、あたしを消すつもりだよ」
「分かっている」
義弘は頷く。
「高速機動隊を使う。正義の形で殺す。視聴率で殺す」
アリスが、息を吐く。
「……ムカつく」
その言葉の裏に、怖さがある。
怖いのに、逃げない。
逃げられない。
逃げたら“物語”が完成してしまうから。
シュヴァロフが一歩前に出て、アリスの視界の半分を隠した。
見なくていい恐怖を、見なくていい距離に押しやる。
いつもの母性の動き。
アリスが舌打ちする。
「……別に、守ってって頼んでない」
シュヴァロフは答えない。
答えの代わりに、丁寧に床の粉塵を払うような所作で、アリスの足元を“安全”にした。
義弘が言う。
「次は、戦い方を変える」
「視聴率に勝つってこと?」
アリスが嫌味を混ぜる。
「視聴率を調整する」
義弘は淡々と、しかし断言した。
「真実が刺さる角度にする」
アリスが笑う。今度はほんの少しだけ、熱が混じる。
「……最低」
「褒め言葉だ」
トミーが耳を立てて笑った。
「おまえら、性格悪いな。生き残れそうだ」
その夜のどこかで、別の“準備”が始まっていた。
高速機動隊の管制室。
壁面のディスプレイに、外縁の地図。封鎖線。検問。
淡い声が命令を読み上げる。
「危険人物、活動兆候。対象:GHOST」
画面にファイルが開く。
顔写真ではない。識別子。機械的な記述。
《NECRO-TECH AGENT》
《危険度:極》
《行動:都市システム掌握の可能性》
《対処:排除》
その下に、綺麗な広報文案が添えられている。
――「危険な違法ハッカーを排除」
――「市民の安全を守る」
――「インフラ防衛」
大義は、最も安いコストで人を動かす。
指揮官が、短く言った。
「次の介入条件が整い次第、作戦を開始する」
画面の端に、一行だけが控えめに表示される。
《支援候補:LEGION CODE(投入可)》
《追加オプション:LC-07(投入保留)》
投入保留。
触れない。触れないことが、切り札の扱い。
白いライトが点灯する準備を始めた。
清掃のために。
正義の形のために。
そして――視聴率のために。
義弘の部屋に戻る。
アリスは、糖分パックを開けて口に入れた。
双子が黙って用意した、水を飲む。
シュヴァロフがその横に座り、影を落とす。
アリスが、ぼそりと言う。
「……世界が、嘘を欲しがってる」
義弘は紙の地図を広げ、指で外縁の一点を押さえた。
「なら、嘘を調整する」
「嘘を?」
「嘘の角度を変える。真実が刺さるように」
アリスが、フードの奥で笑った。
「ほんと最低」
「生き残るためだ」
義弘は言い、そして付け加える。
「……お前もな」
アリスは一瞬だけ黙り、次に悪態で返した。
「当たり前」
トミーが机の上で丸くなりながら言う。
「さあて、次回は“清掃”だ。やだねえ、綺麗な言葉で汚いことするの」
白いライトはまだ遠い。
だが遠いほどに、近づいている。
そして読者だけが知っている。
偽ゴーストは愉快犯ではない。
市場で動く。正義で殺す。視聴率で殺す。
――その“運用”に、義弘はまだ歯牙にもかけられていない。
――その“清掃”の候補に、アリスは入っている。
第六話は、ここで終わる。
終わり方まで、次回予告みたいに。




