第五話 正面衝突
外縁は、いつもより静かだった。
静かというより、息を殺していた。
封鎖。検問。巡回。
新開市の未完成な半分は、白いライトで縫われ、許可証のARで縛られている。VG越しに見える文字は整然としていて、整然としているぶんだけ不気味だった。
――《通行許可:要》
――《退避命令:発令中》
――《危険区域:進入禁止》
義弘の視界には、さらに別の文字が浮く。
――《危険人物》
――《炎上中》
――《例のヒーロー》
一歩進むごとに、現実が“タグ付け”される。
現実より先に、現実が分類される。
肩の上のトミーが鼻で笑った。
「なあ。おまえ、いま歩いてるだけでイベントだぞ」
「イベントなら、避難路を作る」
「それはイベントじゃねえ。仕事だ。……でもこの街じゃ、仕事もショーになる」
義弘は返さず、外縁の積み替えヤードを見上げた。
高架配管。コンテナ。半壊した道路。未完成の骨格。
そして、その骨格の結節点――バイオ・オイル輸送線の分岐に、人が“寄って”いる。
寄っているのは、集まっているのではない。
封鎖が、人を狭い場所へ押し込めたのだ。
そこへ、偽ゴーストが“舞台”を置く。
義弘のバイザーが、遠距離センサーで異常を拾う。
規律ある足音。
揃いすぎた機械の歩幅。
治安の形をした――暴力。
ヤードの入口、狭い路地の口を、二体の人型が塞いだ。
胸部が平たい。肩幅が広い。左腕に縦長の大型シールド。角には識別灯。白い線。都市迷彩。
LC-01――バスティオン。
盾が門のように立ち、路地が喉のように絞られる。
人は自然に、そこへ押し込まれる。押し込まれた人は、押し返せない。
その背後で、別の機体が腰を落とす。背中の巻取りリールがうなり、前腕から細い射出器が展開した。
LC-02――マギスト。
網が、薄く、広く、床に撒かれた。
見えないほど薄い。見えないから、踏む。踏めば、絡む。絡めば、転ぶ。
路地の奥で、胸部が眩しいほどのレンズで埋まった機体が点灯する。
LC-03――グレア。
閃光。煙幕。音響。
視界が白くなる。判断が遅れる。悲鳴が出る。悲鳴が増える。
そして、もっと厄介なものがいた。
細身の機体。顔の代わりにカメラリグ。背中から小型ドローンを放つ籠。
LC-05――アイドロン。
戦闘に勝つためではない。戦闘を“撮る”ための目。
義弘の刃が光る角度、群衆が倒れる角度、恐怖が最も伸びる角度に、目が回り込む。
トミーが吐き捨てた。
「ほらな。勝負じゃねえ。撮影だ」
義弘は歩みを止めない。
「なら、撮れないようにする」
同じ頃、ヤードの影――高架配管の下。
灰色のフードを被った少女が、世界に翼を広げていた。
アリスの周囲を、無数のログとアプリケーションが羽のように舞う。
都市の通信。ドロイドの制御。民間端末のざわめき。
その中に、わざとらしく混ざる“署名”。
GHOST//
偽ゴーストの癖だ。
見つけてほしい、という見せびらかし。
そして同時に、追わせるための餌。
アリスは舌打ちした。
「……あたしの名前を、編集の道具にするな」
足元の段差がいつの間にか埋まっている。
粉塵が、いつの間にか払われている。
彼女の周囲半径だけ、妙に“整って”いる。
トウィードルダムとトウィードルディー。
救助・工作特化の双子は、返事をしない。返事の代わりに、環境を整える。
アリスが“自分で立てる”ように。
そして、黒い影が一歩前に出た。
シュヴァロフ。
光学迷彩。巨大な腕。鋭い爪。
アリスが見上げる前に、シュヴァロフが彼女の視界の半分を遮る位置に立った。
飛んでくる拘束具と破片を受ける角度。アリスの負荷を減らす角度。
母親が、子供の前に立つように。
アリスは不機嫌そうに言う。
「……別に、守ってって頼んでない」
シュヴァロフは何も言わない。言えない。
代わりに“守る”という動作だけが丁寧だった。
第一の悲鳴が上がった。
マギストのネットに足を取られ、男が転んだ。
転んだ男に、次の人が倒れた。
倒れた人の上に、さらに人が倒れた。
将棋倒しの始まり。
バスティオンが盾を押し出す。
押し出すだけで、死ぬ。
義弘は、スーツの脚部を鳴らし、壁面を滑るように走った。
電磁反発。路面を噛む。壁を滑る。路地の入口へ。
アンカー。
人工蜘蛛の糸が空を走り、壁と地面に突き刺さる。
義弘が糸を引く。糸は人を吊らない。糸は“支え”になる。
人の波が崩れる手前で、波の角度を変える。
「押すな! 下がれ! 逃げろ!」
義弘は怒鳴らない。怒鳴れば恐怖が増え、恐怖は配信に乗る。
彼は“形”を作る。人が逃げられる形。逃げてもいいと理解できる形。
刀は、抜き切らない。
刃が光ると、物語が完成する。
完成した物語は、現場より速い。
義弘は“切る”。
マギストの前腕に伸びた射出器。
ネットの巻取りリール。
拘束ボルトの給弾ライン。
そこだけを最短で断つ。
切断音は小さい。
だが効果は大きい。
ネットが途切れ、床から“粘り”が消えた。
転倒の連鎖が一瞬止まる。
同時に、双子が動く。
トウィードルダムが硬化材を床に流し、段差と亀裂を埋める。
転ぶ理由を消す。
トウィードルディーが倒れた人を引きずり、煙幕の外へ運ぶ。
誰にも見られない救助。物語にされにくい救助。
グレアが、悪意のように閃光を放つ。
白。白。白。
悲鳴。咳。怒号。
アイドロンのカメラが、義弘の正面へ回り込んだ。
刃が光る角度。老人の顔が“冷たい悪役”に見える角度。
トミーが肩の上で叫ぶ。
「来た! 目玉だ! 撮らせるな!」
義弘は、答えの代わりにアンカーをもう一本走らせた。
糸が空を裂き、アイドロンの放った小型カメラドローンの群れに絡む。
絡んだ瞬間、シュヴァロフが跳ねた。
一撃離脱。
爪が光学迷彩の闇から現れ、カメラドローンを叩き落とす。
落とすだけではない。落ちた位置が“見えない”ように、煙幕の外へ蹴り飛ばす。
撮らせない。見せない。母親の戦い方。
アリスの翼が揺れ、局所の通信が歪む。
カメラの同期がずれ、フレームが落ちる。
位置情報が偽装され、別地点の映像が混ざる。
視聴者は「ラグい!」と騒ぎ、しかし騒ぐほどに視聴数が伸びる。
アリスは歯を噛んだ。
「……くそ。飢えてる。視聴者も、編集屋も」
バスティオンの一体が、義弘へ突撃してきた。
わざとだ。斬り合いの絵を作るための“突撃”。
盾が迫る。
盾の縁が人の骨を折れる角度で迫る。
義弘は盾を斬らない。盾を斬れば火花が散り、火花は伸びる。
彼は盾の“関節”を落とした。
盾を支える動力ケーブル。
固定ピン。
そこだけを切る。
盾が、垂れた。
門が、たわんだ。
義弘はアンカー糸を盾に絡め、引いた。
盾の隙間が広がる。
人が一人、通れる。二人、通れる。三人、通れる。
避難路が“目に見えて”開いた。
人は走った。
走っていいと理解できたから走れた。
その瞬間、グレアがさらに煙幕を濃くする。
救助の絵を隠し、殴り合いの絵だけを残すために。
マギストが残った拘束具で、もう一度床を縫おうとした。
転倒を“第二波”にして、また将棋倒しを起こすために。
バスティオン二体が、盾列を再形成する。
開いた避難路を、潰し返す。
「また潰す気か!」
トミーが叫ぶ。
義弘は叫ばない。叫びより先に、動く。
しかし、盤面は変わり始めていた。
封鎖小隊の目的は勝利ではない。
編集素材の回収と、恐怖の定着だ。
素材が撮れた時点で、彼らは“次の段階”へ移る。
それを知っているのが、アリスだった。
翼の端に、通信の癖が見えた。
回収線が、近づく前の静けさ。
そして、必ず来る“証拠消し”。
アリスは唇を噛み、短く言う。
「……次、来る。回収が」
シュヴァロフが一歩前に出る。
アリスの視界を遮り、背中で答える。
“分かっている”。そう言うように。
双子が、アリスの足元をさらに整えた。
段差が消え、粉塵が消え、アリスが走れる。
好きが手順になっている。
アリスは悪態をつく。
「……過保護」
返事はない。整備だけが進む。
盾列が、避難路を完全に潰し返した。
Bの路地が再び絞られる。
人の波が戻る。
将棋倒しが“二度目”になりかける。
その瞬間――アリスが決めた。
第四話の影。逆三角形のシルエット。
隠していた札。
「コロボチェニィク」
声は小さいのに、命令は鋼だった。
「正面。押し返せ。殺すな。潰すな。避難路を作れ」
地鳴りがした。
路地の奥から、都市迷彩の巨体が現れた。
逆さまの正三角形の胴体。頭部とセンサー群。三対の腕。装甲の塊。
直立で四メートル。ビル解体用重機に匹敵する重量。
コロボチェニィク。
AIは闘志に満ちていた。
戦闘前に、野獣の遠吠えのような動きを真似る。ゴリラの威嚇のような身振り。
その滑稽さが、次の瞬間には恐怖へ変わる。
コロボチェニィクが突進した。
盾列に、正面からぶつかる。
衝撃が空気を叩いた。
路地の壁が震え、床が鳴り、遠くの配管が唸る。
怪獣映画みたいな押し合い。
バスティオンの盾がきしみ、識別灯が揺れた。
コロボチェニィクの腕が盾を“面で”押し、押し返す。
殴るのではない。押し返す。
アリスの制約がかかっている。殺すな。潰すな。
その制約を、コロボチェニィクは“誇り”として守った。
味方のための盾になる。自分が犠牲になっても進む。
それがこの脳筋の忠義だった。
義弘が動く。
怪力は、調整で勝ちになる。
彼はコロボチェニィクの背後へ滑り込み、盾列の“踏ん張り”を奪う。
バスティオンの膝関節。
腰部の動力ライン。
固定ピン。
そこだけを落とす。
落とした瞬間、盾列の踏ん張りが崩れ、コロボチェニィクの押しが“勝ち”に変わった。
盾が、ずれた。
門が、開いた。
避難路が、今度ははっきり開いた。
人が流れ出す。
走る。転ぶ。起きる。走る。
双子がその流れを“整える”。
トウィードルダムが壁を補強し、臨時の通路を形にする。
トウィードルディーが負傷者を抱え、煙幕の外へ運ぶ。
救助は映えない。だが救助がなければ、戦闘は地獄になる。
シュヴァロフが、アリスの前から離れない。
拘束具が飛ぶ。破片が飛ぶ。
シュヴァロフは受ける。
受けながら、アリスの翼に必要な情報だけを落とす。余計な情報を削る。
母親が、子供の恐怖を減らすように。
アリスは歯を噛みながら、局所支配を維持した。
カメラの目を潰す。
署名偽装を追う。
回収線を読む。
そして、来た。
LC-06――リーパー。
建設解体ドロイドのような姿。だが動きは軍用だ。
工具腕が伸び、破損したマギストの胸部を開く。
火花。溶断。引き抜き。
“コア”と“ログ端末”だけを抜く。
証拠だけを抜いて撤収する。
自爆ではない。破壊ではない。運用だ。組織だ。
アリスの翼が、瞬間的に冷たくなる。
「……やっぱり来た。消す気だ」
義弘は、熱限界の警告を見ながら、アンカーを走らせた。
衝撃増幅は使わない。ここで使えば冷却が入り、装甲以外が死ぬ。
彼は“遅らせる”ことに徹した。
アンカー糸が回収路の開口部に絡む。
壊さない。塞がない。だが引っかける。数秒遅らせる。
その数秒で、アリスが抜く。
回収線の符号。
コア識別子の断片。
署名偽装の癖。
完璧に取れない。完璧に取ろうとすれば、高速機動隊が来る。
だから欠片でいい。欠片が次へ繋がる。
コロボチェニィクが、撤収の最後尾に立とうとする。
自己犠牲の気合が全身から溢れる。
アリスが抑えた。
「壊すな。潰すな。……生きて帰れ」
コロボチェニィクは一瞬だけ動きを止め、それから“従う”ように盾になった。
忠義は暴走ではなく、命令で形になる。
シュヴァロフはアリスの横で、撤収の背中を覆う。
双子は負傷者の最後の一人まで運ぶ。
義弘は、糸の張力を調整しながら、戦場を“閉じる”。
勝ったか負けたかではない。
取るものを取って、生きて帰る。
白いスポットライトが、夜の外縁を昼にした。
高速機動隊が来た。
整列する機影。短い命令。冷たい規律。
「当区域を封鎖。退避。抵抗は危険行為とみなす」
その言葉は、空気を整える。
そして同時に、配信のコメント欄も整えていく。
――「やっと来た」
――「これが本物の治安」
――「映画みたい」
現場の緊張より先に、視聴の体温が上がっていく。
義弘とアリスは撤収路で一瞬だけ近づき、最低限の共有をした。
義弘が機構片を見せる。刻印。物理の欠片。
「中継がある」
アリスがログ断片を見せる。符号。識別子。
「回収線。……組織」
それだけで十分だった。
重複排除。最低限共有。片方が死んでも残るように。
トミーが鼻で笑った。
「仲良くすんな。……でも仲良くしろ」
アリスが睨む。
「うるさいウサギ」
義弘は淡々と答えた。
「……撤収だ」
避難所は、体育館のような場所だった。床に敷かれた薄いマット。配られた水。眠れない人の背中。
ここには娯楽がない。光も音も、必要最小限。だからこそ、ひとつの画面が周囲を吸い寄せた。
若者が、震える手でVGを覗き込んでいる。指が止まらない。スクロール。リプレイ。リプレイ。
「……怖……」
言葉は恐怖なのに、目は離れない。
再生されたのは、コロボチェニィクが盾列にぶつかった瞬間だった。
押し合いの衝撃で画面が揺れ、音が割れ、コメントが弾ける。
――「神回」
――「怪獣戦争」
――「もう一回!」
――「切り抜き助かる」
若者の隣で、年配の女が呟く。
「……怪我した人、いたのにね」
だがその“いた”は、画面の外側に追いやられる。
画面の中は、都合よく“戦いだけ”で出来ている。
若者は、返事の代わりにもう一度再生した。
怖いから見る。見ることで怖さを薄める。薄めるために、もっと強い刺激を探す。
飢えは、腹だけでは起きない。
同じ頃、外縁の古い飯屋では、音のない映像が流れていた。
壁の端に吊られた小さなモニタ。客は少ない。店の灯りは薄い。油の匂いだけが確かだ。
店主は、音量をゼロにしたまま、配信を流し続ける。
皿を拭きながら、誰に言うでもなく言った。
「音消しでね。……客が増えるから」
無音のまま、映像だけが“豪華”だった。
巨大なドロイドの押し合い。白いライト。刃の閃き。煙幕。閃光。
客は箸を止めて見上げ、また箸を動かす。
誰かが小さく笑う。
「外縁のほうが、中心部より面白いな」
冗談の形にした本音が、油の匂いと混ざった。
ここでは日々が停滞している。イベントは減り、外出は減り、夜は早い。
残った娯楽は、現実が壊れる瞬間だけだ。
子どもはもっと正直だった。
避難所の片隅。毛布をマントみたいに羽織り、床に落ちた段ボールを盾にして、二人が向かい合う。
「ぼく、コロボチェニィク!」
「じゃあ、ぼくバスティオン!」
盾を構え、突っ込む。段ボールがへしゃげて、二人は転がり、笑った。
大人たちはそれを止めない。止める元気がない。止める言葉が見つからない。
親が、子どもの背中を撫でながら、画面を見ている。
目尻が赤い。涙なのか、乾きなのか、自分でも分からない。
子どもが叫ぶ。
「つぎ、もっとでっかいの出して!」
その声は、誰にも届かないはずだった。
だが届いてしまう。届く場所がある。数字を数える場所がある。
配信の視聴数は跳ねた。
炎上より速く、ランキングが上がる。
まとめが生まれ、短尺が生まれ、広告が貼られる。
「【神回】外縁の怪獣戦争まとめ」
「リアル重機バトル」
「今日の最強シーン」
救助の映像は伸びない。
避難路が開いた瞬間も伸びない。
伸びるのは、殴り合いと閃きだけだ。
そして、その“伸び”を根拠に、公式の広報がすぐ動く。
高速機動隊の公式アカウントが、整えた映像を出した。字幕付き。警告付き。立派な音楽付き。
――「インフラ防衛の現場」
――「危険行為はやめましょう」
――「装備更新の必要性」
それもまた伸びた。
市民はそれを娯楽として消費する。安心として消費する。正義として消費する。
偽ゴーストが望んだのは、破壊ではなく“定着”だった。
戦時の空気が、日常のコンテンツになること。
撤収路で、トミーが義弘の肩の上で鼻を鳴らした。
「ほらな。悲鳴も光も、腹の足しになる。飢えてるんだよ、この街は」
義弘は答えなかった。
答えの代わりに、遠くのモニタの無音の映像を一瞥した。
そこには自分の刃が、また〇・七秒だけ輝いていた。
アリスは、フードの奥で小さく吐いた。
「……戦争が、娯楽になる」
シュヴァロフが一歩前に出て、アリスの視界を半分だけ隠す。
見なくていいものを、見なくていい距離に押しやる動きだった。
アリスは、ポケットの糖分パックを握りしめた。
双子が黙って整えたもの。過保護の味。必要な味。
義弘が淡々と言う。
「だから調整が要る」
「次はもっと丁寧に、“勝つ”」
その直後、アリスの翼UIの端で、今回の語彙にない命令語が一瞬だけ踊った。
――「前線固定」
――「遮断」
――「排除」
ノイズに飲まれて消える。
出ていない。出ていないのに、影だけがある。
アリスは舌打ちした。
「……まだ“本物”を隠してる」
義弘は頷く。
「なら、出させないように調整する」
白いライトが遠ざかる。
封鎖は強くなる。
視聴数は、もっと強くなる。




