第444話 猟犬
《LEDGER-01》は見えていた。見えているのに、近づけなかった。第448話までなら、それは単に正体不明機の逃走能力が高いという話で済んだ。だが今、スルツォヴァー・クラーロヴナーと数機のバンダースナッチが追っている相手は、もう一機のドローンだけではなかった。交差点の信号が数秒長く青を保ち、人波が一方向へ流れる。配送ドローンの航路が一本ずれ、その下の道路から歩行者が遠ざかる。工事区域のゲートが安全確認を理由に閉じ、代わりに一つ隣の搬入口が開く。駐車場の誘導灯が満車表示へ切り替わり、そこへ入ろうとしていた車列が別の通りへ迂回する。どれも一つずつ見れば、都市が日常的に行っている安全調整にしか見えない。しかしそれらが同時に積み重なると、アリスが《LEDGER-01》へ近づくために使える道だけが、まるで水路をせき止める堰のように一つ、また一つと遠回りへ変わっていった。
「右、空いた」
アリスは端末越しにクラーロヴナーへ指示した。薄い電子戦翼が建物の間を傾き、バンダースナッチの一機が先行する。だが、その右側の道路へ入る直前、商業施設の搬入口から荷役車両が出てきた。自動制御された安全柵が閉じる。わずか二十秒。それだけで十分だった。《LEDGER-01》はもう次の区画へ入っている。
「……また」
トミーの声が通信から返る。
『見えてんだろ?』
「見えてる」
『なら追え』
「追ってる」
『追えてないじゃん』
「うるさい」
アリスは苛立ちながらも、状況そのものには冷静だった。クラーロヴナーは電子戦機であり、観測と通信保護、敵の予測を乱すことには優れている。バンダースナッチも狭い場所へ入り、複数経路を同時に見る偵察には向いている。だが、どちらも《LEDGER-01》を物理的に叩き伏せるための機体ではない。追いついたとしても、止める身体がない。シュヴァロフはすでに呼んでいた。黒い巨体は最短ルートでこちらへ向かっている。しかし到着予測時刻を見れば、アリスが期待していることは分かっていても、間に合わない可能性の方が高かった。
「シュヴァロフ、あと?」
『四分三十二秒』
「遅い」
『無茶言うな』
「お前に言ってない」
『分かってる』
クラーロヴナーが《THREADLINE》を強化し、複数の観測点から《LEDGER-01》の位置を再構成する。いた。次の大通りへ出る。人通りが少ない。そこなら少なくとも姿は捉えられる。
そして、その道の先に、別の影が現れた。
大きい。
重い。
見覚えがある。
アリスは数秒黙った。
「……何でいるの」
《MAXIMILIAN》だった。
一機。オールドユニオンの最新鋭大型支援機が、道路の向こうからゆっくりと姿を現す。以前の個体と同じ外形だが、アリスにはすぐ分かった。関節制御の立ち上がりが違う。センサーの切り替えも速い。姿勢制御の細かな補助が、以前より明らかに滑らかだった。
通信が開く。
『移動脅威評価部隊です』
「ついてきたの!?」
『クラーロヴナーの継続活動を確認しましたので』
「勝手に!」
『対象が前方にいます』
「知ってる!」
一瞬、頭を抱えたくなった。だが、今は本当に役に立つ。
MAXIMILIAN側から、さらに通信が入る。
『アリツェ・ヴァーツラフコヴァー特別調停官』
「長い」
『電子支援を要請します』
アリスは少し驚いた。オールドユニオン側が千載一遇の捕獲機会と見て先走り、結果として一機を失った。今回は違う。勝手に突っ込まない。先に聞く。
「……学習した?」
『改善しました』
「その言い方、嫌」
それでもアリスはすぐに決めた。
「クラーロヴナー」
電子戦翼が広がる。
「THREADLINE、MAXIMILIANに接続。観測だけ共有。制御までは取らない」
『了解』
「あと」
アリスはMAXIMILIANへ警告する。
「勝手に前出ないで」
『承知しています』
「本当に?」
『前回の損失を分析済みです』
「……本当に賢くなった」
*
《LEDGER-01》は、MAXIMILIANの出現を認識していた。
遠隔作業室で御厨綴が戦況を見る。その横ではヴェラ・クラウスも同じ画面を見ていた。稼働し始めた都市予測縦深は、まだ試験運用に近い。それでも《LEDGER-01》を逃がすには十分な効果を見せている。
《MAXIMILIAN接近》
《外部電子支援:スルツォヴァー・クラーロヴナー》
《追跡継続可能性:高》
ヴェラが少し笑った。
「またあいつ」
御厨はMAXIMILIANの挙動を見ていた。
「前と違います」
「アップデートされたから」
「それだけではありません」
ヴェラが横を見る。
「何?」
MAXIMILIANは以前のように《LEDGER-01》を見つけた瞬間、直線的に捕獲へ向かわなかった。距離を保ち、クラーロヴナーから渡される外部観測を利用し、都市設備の変化まで含めて相手の退路を確認している。《LEDGER》側が一つの道を開いても、すぐには入らない。むしろ、その道が開けられた理由を読むように立ち止まる。
「負けたことを」
御厨が言う。
「覚えています」
ヴェラ。
「機械よ」
「《LEDGER》もです」
「そういう意味じゃない」
「操縦者、技術者、ログ、改修、運用規則」
御厨は画面を指す。
「全部まとめて一つの機体だと思えば、同じですよ」
ヴェラは答えず、少しだけ口元を上げた。御厨は以前より変わった。危うくなったという意味でも、鋭くなったという意味でも。
*
MAXIMILIANが動いた。
速い。
アリスが目を細めるほど速かった。巨体が一歩踏み込んだだけで、道路との距離が消える。《LEDGER-01》は右へ抜ける。MAXIMILIANは追わない。代わりに二歩先の分岐へ向けて腕を振り、そこへ進む選択肢そのものを削る。
「……もう直したの?」
『改善しました』
「早すぎ」
《LEDGER-01》は街を使った。信号が変わる。横断歩道へ人が流れる。MAXIMILIANは市民を巻き込まないため一瞬だけ足を止める。その間に01は次の道路へ移る。
だが今度は、クラーロヴナーの観測が先に入る。
アリス。
「左!」
MAXIMILIANが左へ出る。
《LEDGER-01》は予測している。
《左側遮断可能性:高》
だから先に下がる。
MAXIMILIANも読まれることを承知している。
追わない。
圧をかける。
別の道へ押す。
そこへクラーロヴナーが通信状況を整え、バンダースナッチが一つ先の路地を見る。
「追いついてる」
アリスが小さく言った。
トミー。
『捕まる?』
「まだ」
その通りだった。
MAXIMILIANは追いつける。
《LEDGER-01》は捕まらない。
巨体の腕が振られる。01は一歩早く抜ける。次は脚部の拘束機構が展開する。01はそれが開く前に地面を蹴る。前回のようにMAXIMILIANの関節始動そのものを読むだけではない。道路、人流、信号、クラーロヴナーの索敵圧、すべてを重ねて最適な退路を作る。
それでもMAXIMILIANは離されない。
アリスが少し笑った。
「強くなった」
『評価をありがとうございます』
「褒めてない」
『承知しています』
「絶対分かってない」
*
「やれば01が勝つ」
ヴェラは淡々と言った。
御厨が見る。
「戦わせません」
「勝てるわよ」
「知っています」
ヴェラが眉を上げた。
「分かってるなら、何で?」
御厨は戦況を拡大した。《LEDGER-01》は回避へ全資源を割いている。都市縦深も、攻撃ではなく撤退用に使っている。その間、MAXIMILIANの打撃は一度もまともに入っていない。
「01が回避だけに専念する限り、MAXIMILIANは捕まえられません」
「そう」
「ですが、01が攻撃に移れば違います」
ヴェラが画面を見る。
「拘束腕を伸ばす。相手へ踏み込む。姿勢を固定する。攻撃対象を見る」
「その瞬間だけ」
「行動候補が減ります」
御厨はクラーロヴナーの位置も見る。
「MAXIMILIANの反撃を一度受ける可能性が高い」
「一発なら耐える」
「その後、クラーロヴナーの電子支援があります」
ヴェラは少しだけ黙った。
「二撃目までに立て直せない?」
「確率はあります」
「でも勝てる」
御厨は首を振った。
「勝つ必要がありません」
「敵よ」
「いいえ」
一拍。
「アリスさんは犯罪をしていません」
ヴェラ。
「OUは?」
「今はしていません」
「MAXIMILIAN、あなたのヒーローを殴ってる」
「捕獲しようとしているだけです」
「十分敵じゃない?」
御厨は少し考える。
「《LEDGER》にとっては」
一拍。
「倒すべき悪ではありません」
ヴェラは御厨を見た。
これだから。
面白い。
危険。
両方。
ある。
「撤退します」
御厨が命令を出した。
《LEDGER-01:COMBAT PROHIBITED》
《RETREAT PRIORITY》
《URBAN DEPTH:RECONFIGURE》
*
《LEDGER-01》の動きが変わった。
アリスはすぐに気づいた。
「逃げる」
MAXIMILIANも止まらない。だが攻撃への圧は少し弱めた。《LEDGER-01》は交差点を一つ抜ける。配送車両が流れる。次の道路で歩行者誘導が変わる。その向こうの駐車場ゲートが開き、細いサービス路へ接続する。
「そこ」
アリスが指す。
「次、右」
クラーロヴナーが右側へ回る。
《LEDGER-01》は行かない。
「……読んだ」
さらに左。
工事用の仮設通路。
開く。
アリス。
「罠」
MAXIMILIANは一歩出た。
止まった。
アリスが見る。
「……追わないの?」
『追跡非推奨と判断しました』
「何で」
『対象は都市構造そのものを退路として利用しています。現在位置より先では、こちらが追跡者として対象の縦深構築に利用される可能性が高い』
アリスは一瞬、何も言わなかった。
前回。
自分。
言った。
『追うと噛む』
今。
OU側。
同じ。
判断。
してる。
「……本当に」
一拍。
「賢くなった」
『改善しました』
「そこだけ人間味ない」
『ありがとうございます』
「褒めてない!」
《LEDGER-01》はそのまま消えた。透明になったわけではない。街の流れが一つずつ元へ戻り、その中へ紛れ込むように姿が遠ざかった。
*
ヴェラは撤退する《LEDGER-01》を見ながら、別のことを考えていた。
OCM海外部門。
要求。
《完全勝利》。
一度。
誰が見ても。
言い訳。
できない。
勝ち。
今の01。
強い。
予測。
都市。
縦深。
ある。
それでも。
戦わない。
御厨。
勝利。
欲しくない。
ヴェラ。
必要。
ある。
「……これ」
御厨。
「何です?」
「海外部門が見たら」
「何を」
ヴェラは一瞬だけ01の戦闘評価を見る。
「何でもない」
言わなかった。
まだ。
その時。
ではない。
*
アリスはクラーロヴナーを戻し、バンダースナッチを回収した。シュヴァロフが到着したのは、その数分後だった。黒い巨体が路地の先から現れる。
「遅い」
シュヴァロフ。
無言。
トミー。
『四分で来たんだから褒めろ』
「もう逃げた」
『それはお前のせいじゃない』
「分かってる」
『諦める?』
アリスは端末に残る都市変動ログを見る。信号、人流、ゲート、配送航路。クラーロヴナーを使えば兆候は拾える。でも、拾った頃には相手の縦深の中にいる。
「今」
一拍。
「無理」
『珍しく認めた』
「うるさい」
『じゃあどうする』
アリスは少し考えた。
「人」
『何』
「借りる」
『誰』
答え。
決まってる。
*
義弘の病室へ向かう途中、アリスは病院の玄関近くで神代朔に会った。
荷物を一つ持っている。長く続いた治療と経過観察を終え、ちょうど退院手続きを済ませたところだった。以前より少し痩せたが、歩き方にはもう大きな不自然さはない。
アリス。
「退院?」
「今日」
「よかった」
「何、その顔」
「何」
「また面倒なの追ってる顔」
アリスが少しだけ顔をしかめる。
「追ってる」
「何」
「幽霊」
朔が一瞬止まる。
「あれまだいるのか」
「いる」
「混ぜろ」
「嫌」
即答。
「何で!」
「退院したばっか」
「だから動ける」
「休め」
「お前に言われたくない」
朔は荷物を持ったまま、アリスの隣を歩き始めた。
「どこ行く」
「義弘」
「じゃあ俺も」
「来ないで」
「行く」
「嫌」
「聞かない」
アリスは少しだけ立ち止まり、朔を見る。
「……新開市の人」
「今更?」
結局。
ついてくる。
*
「何で朔までいる」
病室へ入った義弘の第一声だった。
アリス。
「ついてきた」
朔。
「相談だろ」
「お前の相談じゃない」
隣のベッドでチャールズ・ブラウンが本を閉じる。
「病室が会議室になる頻度が上がっていますね」
義弘。
「俺も困ってるよ」
アリスは椅子を引き、端末をテーブルへ置いた。
「これ」
新開市の地図。
出す。
義弘。
見る。
「幽霊?」
「うん」
「何が変わった」
「街」
「街?」
アリスは追跡ログを出した。信号。工事ゲート。歩行者。配送航路。道路案内。駐車場。都市設備が順番に小さく変わる。
「追うと」
一拍。
「道」
「向こうが」
「作る」
義弘はすぐには答えず、地図を長く見た。
チャールズが横から口を挟む。
「追跡者の行動予測と都市側の経路調整が、同一の判断系へ接続されているようですね」
朔。
「分からん」
義弘。
「向こうが先に道決めてる」
「分かった」
チャールズ。
「簡潔ですね」
「義弘さんの方が説明上手い」
「少し傷つきますね」
アリスは続ける。
「クラーロヴナー」
「見つける」
「バンダースナッチ」
「見る」
「でも」
「追いつくころ」
「道」
「変わる」
「シュヴァロフ」
「間に合わない」
「MAXIMILIAN」
「追いつく」
「でも」
「奥」
「追わない」
義弘が少し笑った。
「賢くなったな」
「みんな言う」
「いいことだろ」
「面倒」
義弘はもう一度地図を見る。
そして。
「俺が行く」
アリス。
「駄目」
病室の扉。
開く。
担当医。
入る。
「駄目です」
義弘が振り向く。
「まだ何も言ってない」
「聞こえました」
「歩ける」
「歩けることと追跡戦は別です」
「スーツ着れる」
「装着試験を通っただけです」
「地下じゃない」
「駄目です」
アリス。
「駄目」
義弘。
「二対一かよ」
チャールズが手を軽く上げる。
「私は棄権します」
「そこは味方しろよ」
「医学的判断に介入するほど回復していませんので」
担当医が満足そうに頷いた。
*
義弘は諦めたようには見えなかった。
「地図見て追うから逃げられるんだよ」
アリスが見る。
「どういう意味」
「街は道じゃない」
「知ってる」
「なら、人見ろ」
義弘は地図上の一つの交差点を指す。
「向こうが信号変える」
「うん」
「人を動かす」
「うん」
「工事ゲート閉める」
「うん」
「配送機ずらす」
「うん」
「なら」
一拍。
「その流れに乗らない奴見る」
アリスの目が少し変わる。
義弘は続けた。
「街を動かすなら、全部が綺麗に動くわけじゃない。急いでる奴、道知らない奴、案内見ない奴、腹立てて逆行く奴、配達遅れて近道する奴」
トミーが通信越しに聞いている。
『新開市民、そういうの多いな』
「多すぎる」
義弘。
「向こうは最適な道を作る。でも街って、最適に動かない奴だらけだ」
アリスは地図ではなく、実際の市民映像を開く。
一人。
案内板。
無視。
する。
別。
信号。
待てず。
戻る。
配達員。
予定外。
路地。
入る。
「……ノイズ」
義弘。
「人間」
「同じ」
「そう」
義弘は笑った。
「機械にはノイズでも」
一拍。
「街には普通だ」
チャールズが少し興味深そうに言う。
「LEDGERが都市を最適化すればするほど、最適化から外れる行動が情報になる」
義弘。
「そういうこと」
朔。
「じゃあ」
全員。
見る。
「人の変な動き追えばいい?」
義弘。
「雑だけど、まあ」
「なら俺行く」
アリス。
「駄目」
「何で!」
「退院したばっか」
「義弘さんより若い」
義弘。
「それだけ?」
「走れる」
担当医。
「津田さんよりは」
「おい」
朔は笑う。
「義弘さんが見るところ」
一拍。
「教えてくれ」
アリスが朔を見る。
「何する気」
「義弘さんの代わりに」
朔。
自分。
胸。
指す。
「俺が走る」
*
病室が少し静かになった。
義弘は朔を見る。
怪我。
回復。
した。
でも。
以前。
TEN-GU。
着た。
無茶。
した。
若い。
速い。
それだけ。
じゃない。
新開市。
知ってる。
失敗。
した。
助けられた。
自分。
役割。
変えた。
LEDGERが読むには。
義弘ほど。
データ。
ない。
アリスほど。
ない。
MAXIMILIANほど。
ない。
しかも。
義弘の見方。
学ぶ。
でも。
義弘。
そのもの。
ではない。
義弘は少しだけ口元を上げた。
「追いつくなよ」
朔。
「は?」
「追いつこうとするな」
「追うんだろ?」
「相手」
義弘。
アリスを見る。
「追う奴読むんだろ」
「うん」
「なら」
義弘は朔を見る。
「ケツ追うな」
「じゃあどうする」
「匂い見る」
朔。
「犬?」
「猟犬」
チャールズが少し笑う。
「少し格好良くなりましたね」
朔。
アリスを見る。
「じゃあ俺」
一拍。
「アリスの猟犬やる」
アリス。
「嫌」
「何で!」
「飼ってない」
「そういう意味じゃない!」
「犬ほしいならトミーいる」
通信。
『俺はウサギだ!』
チャールズ。
「賑やかですね」
義弘。
「病室なんだけどな」
*
朔は荷物を床へ置いた。
「追う相手いるんだろ」
アリス。
「うん」
「お前、目ある」
クラーロヴナー。
バンダースナッチ。
電子。
都市。
全部。
見る。
「でも」
朔。
「脚」
一拍。
「足りない」
アリス。
少し。
ムッ。
「シュヴァロフいる」
「間に合わなかった」
「MAXIMILIAN」
「追わなかった」
「正しい判断」
「でも捕まってない」
アリス。
黙る。
正しい。
だから。
腹立つ。
義弘は朔へ言う。
「最初に見るのは、幽霊じゃない」
「何」
「人」
「次」
「信号」
「次」
「道」
「順番逆じゃない?」
「街ってそういうもんだよ」
朔。
少し。
考える。
「分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「信用できねえな」
「やれば分かる」
アリスは深く息を吐き、端末を開いた。クラーロヴナーとバンダースナッチの観測データを、人間一人へ安全に共有するための限定インターフェースを作る。全情報は渡さない。位置、流れ、不自然な都市変化、危険警告。それだけ。
「死なないで」
朔。
「いきなり縁起悪いな」
「怪我も」
「要求増えた」
「勝手に戦わない」
「お前が言う?」
「言う」
「幽霊見つけたら?」
「連絡」
「逃げたら?」
「追う」
「追いついたら?」
「待つ」
「何で」
「私」
アリス。
赤い目。
少し。
細める。
「行く」
朔は笑った。
「了解」
一拍。
「飼い主」
「やめろ!」
病室にアリスの声が響いた。
担当医が額を押さえた。
「病院です」
「こいつが!」
「アリスが!」
「両方静かにしてください」
チャールズは笑いを堪えていた。
義弘はベッドの上で、新開市の地図ではなく、そこに映る人々の流れを見ていた。LEDGERは街を読む。BLUEPRINTは街を組み替える。アリスは電子空間から街を観測する。そしてこれから走る若者には、そのどれとも違うものを見てもらう。
信号に従わない人。
予定通り歩かない人。
間違える人。
急に気が変わる人。
誰かを助けるため、最短経路から外れる人。
LEDGERが「誤差」と呼ぶもの。
BLUEPRINTが「不規則」と呼ぶもの。
義弘が。
街。
と。
呼ぶもの。
その中へ。
新しい。
猟犬。
放つ。
こと。
なった。




