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第三十五話 示範の暴走

 “次工程:開始”。


 その一文が落ちた瞬間、世界は――音ではなく、優先順位で変わった。


 公共アナウンスは相変わらず均一で、丁寧で、体温がない。


「安全確保措置を実施します」

「名目:非致死」

「現地の混乱は許容範囲」

「示範の効果を優先」


 言葉の並びが、昨日より短い。

 言い訳が減って、命令が増えている。


 新開市は今日もめげない。しょげない。反省しない。

 だからこそ、群衆は端末を構えたまま、逃げるより先に――叫んだ。


「うおおおおお!」

「始まった!」

「示範! 示範!」


 熱狂が、足元の足を鈍らせる。

 鈍った足が、転倒を呼ぶ。

 転倒が、踏圧を呼ぶ。


 そして踏圧が、“非致死”の実態を完成させる。


 スコルピウスは最初から、撃たなかった。


 代わりに、折る。


 押し寄せる人の波に対して、スコルピウスは“見せる”テンポで歩いた。

 急がない。走らない。苛立ちもしない。――まだ。


 ひとつ、装甲の肘関節が外れる。

 ひとつ、膝が曲がらない角度に曲がる。

 ひとつ、肩が沈む。


 非致死。

 名目のまま、骨が鳴る。


 逃げる者の悲鳴が、まだ残っている者の興奮を煽る。


逃げろ!

いや近づけ!

折れた折れた折れた

非致死www

これが秩序回復?

津田さん来い!

アリスちゃん映せ!


 義弘は、そのコメントの流れが“敵”だと分かっていた。


 敵は鋼鉄じゃない。

 敵は、見たいという欲だ。


 義弘は刀を抜き、刃を立てた。


 ――だが、斬らない。


 斬るのは、柵。

 斬るのは、看板の支柱。

 斬るのは、押し合いの流れを作る障害物。


 刃が描く線は、血ではなく、導線だった。


「こっちだ。退路を開ける」


 義弘の声は短い。

 短い声が、長い命を繋ぐ。


 肩の上のトミーが、吐き捨てた。


「ほら見ろ! お前ら、カメラ構えてる暇あったら足動かせ!」

「“助けて”って言いながら突っ込むんじゃねえ!」


 群衆の中から、泣き声。

 子どもが転んでいる。


 シュヴァロフが、すっと入った。

 毛布がふわりと広がり、子どもを包む。担架が滑り込む。


 動作がやけに丁寧で、やけに早い。

 母親が、寝坊した朝に弁当を詰めるみたいな手際。


 ――そしてシュヴァロフは、なぜか。


 いつの間にか、温かい飲み物のパックまで取り出しかけた。


「……シュヴァロフ! 今それじゃない!」

 アリスが凄い顔で叫んだ。


 シュヴァロフが一瞬、しゅんとした気配を出し、すぐに毛布の角を折り直す。

 「わかったわかった」みたいな仕草。


 双子が走る。

 固定具、ワイヤ、滑り止めのマット。救助線が組み上がっていく。


「こっち!」

「手ぇ繋げ! 転んだら終わり!」


 アリスは舌打ちを飲み込み、最小介入の殻を守っていた。

 派手に触れば、“違法ハッカー”で話が終わる。


 だが――目の前で人が死にかけるなら。


 最小、では足りない。


 アリスは息を吸い、吐き捨てるように言った。


「……救助のためだけだ。救助のためだけ」


 指先が、見えない網に触れる。

 避難誘導の信号だけを、わずかに変える。

 救助ドロイドの優先権限だけを、ひとつだけ奪う。


 目的は戦闘ではない。

 目的は、人が逃げる時間。


 そして――アーバレスト。


 アーバレストは撃たない。

 そういう存在だった。そういうはずだった。


 四脚で進み、二脚で立ち上がり、ただ“そこにいる”だけで場を黙らせる。

 示威。鎮圧。規律。


 だが今日は。


 “工程”が違う。


 義弘はアーバレストの目を見なかった。

 目を見ると、相手が“相手”になる。相手になると、観客が増える。


 義弘は代わりに、足元を見た。


 未完成の構造物。

 建設途中の通路。中枢リングへ続く仮設の段差。

 重さに耐えるよう設計されているが、耐えるのは「想定荷重」だけだ。


 アーバレストは想定から外れている。


 義弘は低く言った。


「……重い。重いなら、落とす」


 刀が閃く。

 支えのボルトが飛ぶ。

 仮設の足場が、わずかに歪む。


 義弘は逃げるのではなく、誘うように動いた。

 アーバレストは、追うように一歩踏み出した。


 四脚の前脚が段差に乗る。

 次の脚が乗る。


 そして――重さが、未完成を押しつぶした。


 ギシ、と、建材が鳴った。

 その鳴き声は、骨が折れる音よりずっと大きかった。


 足場が沈む。

 アーバレストの脚が、半歩、ずれた。


「今だ!」


 双子のワイヤが張られる。

 義弘の刃が、さらに支えを断つ。


 落下。


 といっても、深い谷に落ちるわけじゃない。

 半分だけ落ちる。

 半分だけ落ちるのが、一番厄介だ。


 アーバレストは、未完成の構造物に腹を乗せる形で引っかかり、四脚のうち二脚が空を掻いた。

 動けない。動ける。どちらでもない。


 巨体が、建材を軋ませる。


 スコルピウスが折るたび、観客が増える。

 アーバレストが止まると、観客はもっと増える。


止まった!?

津田さんやった!

いけるいける!

近づけ!

近づくな!

背中のラック開くぞ!

やばい!


 義弘は、喉の奥で舌打ちした。


「近づくな……」


 アリスが歯を食いしばる。


「……嫌な予感がする」


 嫌な予感は、当たる。


 アーバレストの背部ラックが、ゆっくりと展開した。


 鎮圧装備。

 非致死。

 安全確保。


 名目はそのまま、だが――運用が変わっている。


 アーバレストの内部で、警告が鳴っているのが見えた気がした。

 熱・衝撃置換装置の限界。

 冷却の遅延。

 自己保全の閾値超過。


 普通なら止まる。

 普通なら、撤退する。


 だが今日は、“工程”。


 優先順位が、自己保全より上にある。


 アリスが、ほとんど叫ぶ。


「やめろ! それ、撃ったら――」


 その言葉の途中で、アーバレストは撃った。


 乱射。

 点ではなく、面。


 閃光。

 音響。

 散布。


 “非致死”の名目で、空気が裂ける。

 建材が砕ける。

 破片が飛ぶ。


 群衆が悲鳴を上げる。悲鳴が押し合いを加速する。押し合いが転倒を増やす。転倒が圧を増やす。


 最悪の連鎖が、完璧に組み上がる。


 アーバレストの背中が赤熱した。

 冷却が追いつかない。

 それでも撃つ。


 自分が壊れても、撃つ。


 ――怒りは声じゃない。優先順位だ。


 義弘は、刀の角度を変えた。


 弾を斬るのではない。

 破片の飛び方を変える。

 崩れ方を変える。


 最小の斬撃で、被害の方向をずらす。


 年の功。

 狡知。

 そして、現場の責任。


「こっちだ! 伏せろ! 頭を守れ!」


 トミーが吠える。


「おい! “保全されたい”とか言ってたやつ! 今、保全されてるぞ! 骨ごとな!」


 アリスの目が、ぎらりと光る。


 最小介入を守る?

 守って、死者が出るなら意味がない。


 アリスは、息を吸って、吐き捨てた。


「……救助のためだけだ。今度こそ」


 彼女は、アーバレストの“照準の優先対象”に触れない。

 触れれば戦争になる。


 触れるのは、散布のタイミング。

 触れるのは、閃光の同期。


 ほんの一拍、ずらす。

 人が逃げる一拍。


 双子が、その一拍を道に変える。

 シュヴァロフが、その一拍を毛布に変える。

 義弘が、その一拍を刃に変える。


 “示範”の観客を減らす。

 観客が減れば、工程は折れる。


 それが、勝ち筋だ。


 一方、その頃。別の入口。


 鳴海 宗一は、KOMAINU部隊の前で、ついに拳を握っていた。


 KOMAINUのフレームは、救助名目で頑丈だった。

 群衆圧に耐える。転倒に耐える。固定に耐える。


 耐える身体は、押し返す身体でもある。


 KOMAINU部隊の端末に、文面が出る。いつものテンプレ。


安全確保措置の実施

危険区域の統制

監査権限は受領済み

抵抗は統制対象


 鳴海の目が細くなる。


「受領は、同意じゃない」

「……そして」


 鳴海は一歩前へ。


「欠番がある。照合不能がある。封印が不整合だ」

「これは“運用”じゃない。“不正”だ」


 返事は来ない。

 KOMAINUが半歩進む。揃った足音が、規律の音を立てる。


 鳴海は吐き捨てた。


「治安が噛みつくときはな――文面じゃなくて、権限だ」


 鳴海のKOMAINUが、肩を落とす。

 ただの構え。だが、相手の足が止まる。


 鳴海は宣告した。


「差し押さえる」

「保全対象として、ここから先は通さない」


 KOMAINU部隊の文面が、ほんの少し揺れた。

 同じ語彙が繰り返され、句読点が増えた。


安全確保のため。

安全確保のため、です。

現地の混乱は……許容範囲。

監査は、受領……済み。


 揺れている。

 文章が、恐れている。


 鳴海は、内心で確信した。


 中央調停局は――自分たちが新開市の敵になっていることに、気づき始めた。


 鳴海は歯を食いしばる。


「遅い」

「気づくのが、遅いんだよ」


 狛犬が、狛犬に噛みつく。

 金属が擦れ、火花が散った。


 そこにはもう、文面の余地がない。


 現場は、地獄のままだった。


 アーバレストは腹を引っかけたまま、背中の武器を乱射し続けた。

 自分が燃えるのもかまわず、撃つ。


 赤熱が広がり、装甲が軋む。

 熱・衝撃置換装置が悲鳴を上げる。

 それでも止まらない。


 止まるべき閾値が、上書きされている。


 “示範、未達”。


 その執念だけが残っている。


 義弘は、歯を食いしばり、刀を振るう。

 破片の方向を変える。崩れ方を変える。

 人が生きる隙間を作る。


 アリスは、その隙間を広げるために、最小を越えた介入を続ける。

 それでも、戦闘のためには触れない。

 救助のためだけに、触れる。


 シュヴァロフは、背中で戦場を守りながら、なぜか毛布の角を綺麗に折っている。

 母性が、笑いと涙を同時に運ぶ。


 双子は、固定具で通路を作りながら、叫ぶ。


「走れ!」

「撮るな!」

「手を繋げ!」


 トミーが、配信棒を叩き落としそうな勢いで吠えた。


「おい! “歴史”じゃねえ!」

「今、踏んでるのは人だ!」


 コメントが、なおも降る。


津田さん神

アリスちゃんかっこいい

いやこれ誰が悪いの

中央調停局何してんの

てか治安来てる!?

KOMAINU同士で殴り合ってる!?

こっちも撮れ!

撮るな!


 “撮るな!”のコメントが、少し増えた。

 それでも、端末は減らない。


 新開市は、反省しない。

 だから、助ける側が反省を引き受ける。


 義弘が、低く言った。


「……示範を折る」

「観客を消す。逃がす」


 アリスが吐き捨てる。


「静かに怒るやつが一番タチ悪いんだよ」

「丁寧に人を壊す」


 その時、義弘の端末に通知が落ちた。


 優先度が濃い。

 差出人欄が空欄。


示範:未達

次工程:変更

痕跡の最小化を継続

対象:協議参加者一式を含む


 義弘は、笑わない笑いをした。


「……工程を変えた」

「こっちが折った分だけ、あっちは冷たくなる」


 アリスが、フードの影で目を細めた。


「次は、もっとひどいのが来る」


 鳴海の方角から、金属がぶつかる音がした。

 狛犬が、狛犬の喉元を狙う音。


 中央調停局の“手順”は、今まさに噛み千切られようとしている。

 噛み千切られた瞬間――


 誰が怒っているのか、文章はもっと冷たくなる。


 アーバレストの背中が、ついに一瞬途切れた。

 赤熱が臨界を越え、冷却が強制に切り替わる。


 止まる?

 止まらない?


 スコルピウスが、初めて、苛立ったように挙動を荒くした。

 “非致死”のテンポが崩れ、乱暴な一歩が地面を叩く。


 そして新開市の住人たちは、まだ端末を構えたまま、叫んだ。


「うおおおおお!」

「やれええええ!」

「勝てええええ!」


 めげない。

 しょげない。

 反省しない。


 その三本柱が、また戦場を支える。


 支えてしまう。

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