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第三十六話 歓声と逮捕

 戦場の音には、二種類ある。


 鋼鉄が地面を叩く音。骨が鳴る音。悲鳴。

 そして――それらの上に、薄く被さってくる拍手みたいな歓声。


 新開市は今日も、めげない。しょげない。反省しない。

 だからこそ、救助線が引かれても、人は戻ってくる。

 戻ってきて、撮る。映す。叫ぶ。


「うおおおおお!」

「津田ァ!」

「アリスちゃんんん!」


 義弘は、その歓声を背中で受けていた。

 受けたくない。だが受けるしかない。

 観客は減らない。なら、観客の熱を――救助に転用する。


「退け!」

「走れ! 押すな! 押すな、押すな!」


 誰かが同じ言葉を真似した。

 配信者の声がそれを拾い、「今、津田さんが“押すな”と!」と実況する。

 コメントが真似する。

 真似が広がる。


押すな!

押すな押すな押すな

走れ!

こっち空いてる!

っていうか撮るな!

いや撮る!

撮るな!

撮る!


 地獄みたいに軽薄で、地獄みたいに有効だった。

 人の流れが、ほんの少しだけほどける。


 その隙間に、双子が固定具を滑り込ませた。

 毛布が飛ぶ。担架が走る。シュヴァロフが、母親みたいに腕を伸ばす。


 ――いや、母親なら、もう少し怒鳴るかもしれない。

 シュヴァロフは怒鳴らない。丁寧に、静かに、逃げ道を作る。


 アリスが、歯を食いしばった。


「……笑えない。ほんと、笑えない」


 彼女の視界の端で、情報の翼が揺れていた。

 昨日よりノイズが多い。翼の縁がざらついている。

 それでも、手は止めない。止めたら、人が死ぬ。


 そして――アーバレスト。


 未完成構造物に腹を引っかけた巨体が、まだ生きている。

 背面武器ラックは、断続的に“鎮圧”を吐き続けていた。


 閃光。音響。散布。

 名目は非致死。実態は足場と視界と呼吸を奪う。


 アーバレストの背中は赤熱し、冷却が追いつかず、装甲の継ぎ目が呻く。

 それでも撃つ。自分が壊れるのもかまわず撃つ。


 義弘は、その背中を見て――分かった。


 これは機械の癇癪じゃない。

 工程の例外処理だ。

 自己保全より、“示範の完遂”が優先されている。


「……背中を落とす」


 呟きは、刃より鋭かった。


 義弘は刀を握り直した。都市戦用ブレード。

 刃は敵を斬るためのものではない。

 この街では、“状況”を斬るためのものだ。


 双子が、先に動いた。

 ワイヤが鳴る。固定具が噛む。瓦礫が噛ませになる。

 アーバレストの背面ラックの展開角が、わずかに“固定”される。


「今!」

 トウィードルダムが叫び、トウィードルディーが支えた。


 義弘は踏み込む。

 スーツの衝撃増幅が、腕に火を点ける。

 熱・衝撃置換装置が唸る。限界が近い。分かっている。


 それでも、今しかない。


 刃が走った。


 支点。

 ラックの付け根。

 “工程の腕”。


 一閃。


 金属が、切断というより――解体された。

 背面ラックが、切り飛び、空を描いて落ちる。


 落下の瞬間。


 新開市が、狂ったように歓声を上げた。


「うおおおおおお!!」

「切ったァ!!」

「やったやったやった!!」


 拍手みたいな音が、戦場を叩く。


 義弘は笑えなかった。

 この歓声が、次の災害の燃料になることを知っているからだ。


 だが、ラックが落ちたことで――“面”の鎮圧は止まった。

 視界が戻る。足場が戻る。呼吸が戻る。


 救助線が、生きる。


 シュヴァロフが、毛布を広げ直しながら、なぜか角を綺麗に折っている。

 家庭的な手際が、戦場で不気味に映える。


「シュヴァロフ! 角はどうでもいい!」

 アリスが怒鳴る。


 シュヴァロフが一瞬だけ「え?」という気配を出し、すぐに角を折る手を止めた。

 そして、次の瞬間には、背中の巨大な腕を戦闘位置に移していた。


 母性が、牙に変わる瞬間は静かだ。


 スコルピウスは、まだ動いていた。


 撃たない。折る。

 それが“非致死”の顔。


 だが、アーバレストの鎮圧が途切れたことで、スコルピウスの“折り”が露骨に見え始める。

 関節を狙い、体重を載せ、圧で止める。


 観客の目が、また集まる。


スコルピウスまだ生きてる

こっちも止めろ

アリス何してんの

ハックしろ

ハックするな

いや救助のためなら…

どっちだよ!


 アリスは、そのコメントの矛盾が、喉に絡むのを感じた。

 ハックすれば、正当化される。

 しなければ、人が壊れる。


 彼女は小さく息を吐き――決めた。


「……止める」

「止めるためだけに、触る」


 視界の翼が、ぱっと広がる。

 だが、その縁はギザギザで、昨日より荒い。

 人格の切り替えが、どこか引っかかる。

 “十人分”の影が、互いの肩を押し合う。


 アリスは歯を食いしばったまま、言葉を選んだ。


 戦争の言葉じゃない。

 鎮圧の言葉でもない。


 ――相手の言葉を奪って返す。


「安全確保のため、一時停止」

「保全対象として固定」


 スコルピウスの動きが、ぴたりと止まった。


 止まった瞬間だけが、戦場でいちばん怖い。

 止まったものは、次に何をするか分からないからだ。


 だが、隙は隙だ。


 シュヴァロフが入った。


 背中の巨大な腕が、滑らかに振り下ろされる。

 爪が、脚の関節を――“止めるために”折る。


 派手ではない。

 一撃で、必要な箇所だけ。


 脚が、逆に曲がる。

 スコルピウスが膝から落ち、装甲が地面を擦る音がした。


 動作停止。


 新開市が、また歓声を上げた。


「うおおおおお!!」

「アリス止めた!!」

「シュヴァロフやべえ!!」


 拍手みたいな歓声。

 助かった歓声。

 ショーが終わった歓声。


 全部が混ざっていて、気持ち悪いほど生きている。


 義弘は、刀を下ろしたまま、短く言った。


「……終わりだ」

「終わりにする」


 アリスは答えない。

 答える余裕がない。


 視界の翼が、いびつに揺れた。

 情報がノイズになって、目の奥を刺す。

 胃が捩れ、喉が焼ける。


 彼女はフードの影で、ほんの少しだけ――血の味を飲み込んだ。


「……くそ」


 強がりの声が、震えている。


 一方、その頃。別の入口。


 鳴海 宗一は、現場の音を背中で聞いていた。


 歓声。金属。悲鳴。

 そして、文面。


 中央調停局の端末から流れてくるテンプレは、昨夜から壊れかけている。

 語彙が繰り返され、句読点が増え、丁寧さが過剰になる。


安全確保のため。

安全確保のため……です。

危険区域の統制、統制、統制。

監査権限は受領……済み。


 文章が、恐れている。


 鳴海は、冷たく言った。


「中立は、文面じゃ守れない」

「帳簿でやれ」


 鳴海の端末に、照合結果が並ぶ。


 欠番。照合不能。封緘不整合。票の語彙の異質。

 “救助名目の頑丈さ”が、荒事に向いている事実。


 そして、現場で起きた“逸脱”。


 鳴海は宣告した。

 声は低い。低い声ほど、権限は重い。


「現場責任者を確保する」

「監査拒否、不正運用、危険区域の逸脱。逮捕状、発付済み」


 姿を見せなかった者たちが――初めて姿を見せる。


 いや、姿というより、手だ。

 腕だ。

 制服の袖口が、乱れた端末を抱えたまま震える。


 鳴海の側の隊員が動く。

 拘束具の音。

 端末が取り上げられる音。


 中央調停局の出先要員が、次々とうなだれた。


 うなだれる角度が、同じだ。

 規律の名残が、最後まで残っている。


 鳴海は吐き捨てた。


「お前らは中立じゃない」

「もう、新開市の敵だ」


 その言葉に、文面が止まった。


 端末の画面が、空白になる。

 空白が、いちばん怖い。


 戦場の中心では、歓声がまだ続いていた。


 アーバレストは、背面ラックを失い、腹を引っかけたまま、重く呻いている。

 赤熱は冷え始め、装甲の継ぎ目が白い蒸気を吐く。


 スコルピウスは、膝を折り、脚を壊され、静かに沈んでいる。

 動かない。動かせない。


 人々が叫ぶ。


「勝った!」

「終わった!」

「次も頼む!」


 “次も”。


 その言葉が、義弘の胸の奥を冷たくした。


 義弘の腕に、強制冷却が走っていた。

 衝撃増幅の使い過ぎだ。

 冷却が始まった部位は――装甲以外、守ってくれない。


 戦闘の最中は忘れていた。

 終わった瞬間、遅れて痛みが来る。


 義弘は刀を鞘に戻す動作で、ほんの少しだけ息を詰まらせた。


 トミーが肩の上から、顔を覗き込む。


「……おい」

「勝った顔しろよ、ジジイ」

「勝ったのに、死にそうな顔すんな」


 義弘は、かすかに口角だけ動かした。

 笑いではない。癖だ。


「死にそうな顔は」

「元々だ」


「嘘つけ」

 トミーが鼻を鳴らす。

 毒舌の中に、心配が混じっている。


 アリスは、フードの奥で目を閉じた。

 閉じると、情報の翼がまだ見える。

 閉じても、ノイズが消えない。


 彼女の中の“十人”が、互いに距離を取れなくなっている。

 橋が焼けている。

 酷使の限界が、近い。


「……うざい」

 アリスが吐き捨てる。


「何が」

 義弘が訊いた。


「全部」

 アリスは答える。声が少し、細い。


 シュヴァロフが、いつの間にか毛布を畳んでいる。

 角がきれいだ。

 それを見て、アリスは一瞬だけ、笑いそうになって――すぐに顔をしかめた。


 笑うと、崩れそうだった。


 救助線の外側で、鳴海の隊が動いている。

 中央調停局の関係者が、次々と連れて行かれる。


 その様子を、当然のように――配信が映していた。


逮捕だ!

ざまあw

いや怖

中央調停局終わった?

これで平和?

次は誰が悪役?

アリスちゃん、顔!


 悪役。

 次。

 顔。


 義弘は一瞬、視線を上げた。

 空が遠い。

 歓声が遠い。


 そして――端末が震えた。


 優先度が濃い。

 差出人欄がない。

 署名もない。連絡先もない。


 ただ、件名だけが丁寧に表示された。


「本件担当より通知」


 義弘は指先で開いた。


本件担当より通知する。

貴殿の行為は記録済み。

次工程:整理。

痕跡の最小化を優先。

同意の有無は問わない。


 義弘の喉の奥が、冷える。


 怒りという言葉は、一つもない。

 報復という単語もない。

 なのに、背筋だけが凍る。


 それは感情ではなく、工程だ。

 工程が進むという宣言だ。


 義弘は、端末を閉じた。

 閉じた瞬間、戦場の歓声が――ただの娯楽の音に聞こえた。


 アリスが、顔を上げる。

 義弘の表情を見て、察した。


「……来た?」

 声が掠れている。


「来た」

 義弘は短く答える。


 アリスは吐き捨てた。


「最悪」

「勝っても、終わんない」


 トミーが、二人の間を見て、舌打ちした。


「ほらな」

「この街は反省しねえ」

「だから、反省しない“外”が反省を押し付けてくる」


 誰が、とは言わない。

 言わなくても分かる温度がある。


 シュヴァロフが、静かにアリスの背に近づいた。

 背中の腕が、守る位置に移る。


 母性は、戦場のあとに強くなる。


 鳴海の方角で、また拘束具の音がした。

 逮捕は進む。

 現場の敵は倒れる。


 それでも――背後の工程は、続く。


 義弘は小さく息を吐き、刀の柄に触れた。


「……整理か」

「こちらも、整理する」


 何を。

 誰を。

 どこまで。


 答えはまだない。

 答えがないまま、工程だけが進む。


 新開市の歓声は、まだ鳴っていた。


 勝利の拍手みたいに。

 ショーの終幕みたいに。


 そして、その拍手が次の災害を呼ぶ音だと、誰も反省しない。

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