第334話 正しい顔と汚れた手
比嘉と雫の再三にわたる新開市への工作と、その果てにアリスが負傷したという事実に、日本国のサムライ・ヒーローたちは明確に苛立っていた。
それは単純な感情論ではない。
もっと筋の通った不快さだった。
本来なら、日本国は正々堂々と新開市と交渉するべきだった。
そして自分たちサムライ・ヒーローは、その交渉が暴力に汚されないよう守護する役であるべきだった。
少なくとも KAGUTSUCHI は、そう信じている。
正面から立つ。
剣は抑止であり、判決ではなく防壁である。
そういう筋道を、日本国の側が自ら崩してどうするのか。
なのに実際に比嘉がやっていることは、雫のようなハッカーを使い、日本国の交渉が有利になるように裏工作を積み重ねることだった。
しかもその結果、代表公募の場は汚され、アリスは負傷した。
今まで新開市で見てきた企業群や外部勢力の悪役どもと、どこが違うのか。
KAGUTSUCHI には、ますます分からなくなっていた。
「理解しかねます」
日本国側拠点の会議室で、KAGUTSUCHI ははっきりと言った。
白い装甲を脱ぎ、黒と灰を基調にした簡素な待機服へ着替えていても、その立ち姿には研がれた刃のような緊張感がある。
向かいに座る比嘉日向は、その視線を真正面から受け止めながら、湯気の立たない冷めた茶を一口飲んだ。
「何がですか」
比嘉の返しは柔らかい。
柔らかいが、その柔らかさの奥に“時間を稼いで角を鈍らせるための官僚の声”があることを、KAGUTSUCHI はもう理解していた。
「日本国のサムライ・ヒーローを連れてきている以上、新開市の何を恐れているのです」
KAGUTSUCHI は言う。
「根回しそのものを否定しているのではありません。ですが、雫のようなハッカーを使った裏工作まで、日本国がする必要はない」
比嘉はそこで否定も肯定もしない。
ただ、少しだけ首を傾ける。
「必要性の定義は立場によって変わります」
「立場の問題ではありません」
KAGUTSUCHI の声が一段低くなる。
「結果としてアリスが負傷した。しかも我々が来ていながら、です」
そこが本音だった。
新開市側の人間だから、アリスを庇いたいわけではない。
だがサムライ・ヒーローが展開していた場で、あれほど象徴性のある人間が負傷する。
それは、日本国の剣が守るべきものを守れなかったということでもある。
KAGUTSUCHI にとっては、それが耐えがたい。
「我々は、交渉の守護者であるべきでした」
その言葉に、部屋の他のサムライ・ヒーローたちも静かに頷いた。
KAGUTSUCHI ほど強い口調ではない。
だが同じ不満を抱いている。
比嘉は、そこでようやく茶碗を置いた。
「あなた方の不快感は理解します」
その言い方が、逆に KAGUTSUCHI の神経を逆撫でした。
理解します。
配慮します。
検討します。
そういう言葉で、本題を一歩ずつ霧へ逃がすのが比嘉のやり方だ。
「ですが、現実には新開市は極めて複雑な場です。理想的な交渉の姿だけを保持して結果が伴わなければ、それもまた責任ある態度とは言えません」
「つまり」
KAGUTSUCHI が遮る。
「結果のためなら、汚れた手も使うと」
「汚れた、という評価もまた立場によります」
比嘉は、やはり正面から言わない。
肯定しない。
否定もしない。
ただ、筋を曖昧にし続ける。
KAGUTSUCHI は、その瞬間にはっきり悟った。
比嘉を通していては、自分たち日本国のサムライ・ヒーローの意見は通らない。
少なくとも、真正面からの“日本国の顔”を守る方向へは進まない。
ならば、自分たちで動くしかない。
*
KAGUTSUCHI は、日本国内部への根回しを始めた。
政治団体。
日本国内企業。
新開市進出を望みながらも、イメージを損なうことを強く恐れる層。
利益も大事だが、見え方を失えば支持も市場も削られる、と分かっている連中だ。
比嘉の手法は、彼らから見ても便利ではある。
しかし、露骨に悪役じみた手法で新開市へ食い込めば、“日本国はまた外からやってきて好き勝手をする”という印象を強める。
そのことを、KAGUTSUCHI はかなり率直に伝えた。
「我々は、正々堂々と交渉を守る側であるべきです」
KAGUTSUCHI は、政治家や企業幹部相手にも、その言葉をほとんど変えずに言った。
「今のやり方は、新開市で今まで嫌われてきた勢力と同じ役回りです」
その真っ直ぐさは、官僚の話法ではない。
だが逆に、そこが効く相手もいる。
“整った顔をした、日本国のヒーロー”がそう言うこと自体が、ある種のブランドになるからだ。
結果として、一部の政治団体と企業は、比嘉を通さず独自に新開市の代表候補たちと接触を持とうとし始める。
灰島直。
三岐透子。
小戸森いぶき。
鉄川ジン。
祝部マコト。
そして刀禰ミコト市長。
それぞれへ、“日本国の理性的な窓口”として接触する。
利益を匂わせる相手もいれば、制度と秩序の話を持ちかける相手もいる。
警戒と好意を巧みに使い分けながら、日本国の顔をよく見せるための直接接触だ。
それは比嘉の意向を無視した動きであると同時に、日本国の中で別系統の根が伸び始めたことでもあった。
*
当然、そのような接触はアリスの病室でも起きた。
病室は相変わらず、静かな場所というより“各勢力の出入り口”に近かった。
足の固定具はまだ痛みを強く主張しているし、医師からも安静を言い渡されている。
なのにその安静なはずの空間へ、今日もまた人が入ってくる。
今回は、日本国側の企業代表と、新開市の企業代表だった。
しかも、その二人は初対面ではない顔をしている。
もっと言えば、今まさにここで新しく話し始めるのではなく、すでに水面下で話を進めてきた者同士の空気をまとっている。
「このたびは、災難でした」
日本国側の男が、見舞いの言葉としてはずいぶん滑らかな声で言った。
「ですが、今回の件を受けてこそ、安定した実務者同士の連携が必要だと再認識しております」
新開市企業群の代表も、すぐにその言葉へ乗る。
「ええ。感情と善意だけでは都市は守れません。現実に供給と設備と雇用を支えている声を、次の会談へ適切に反映させるべきです」
そして二人は、アリスの目の前でほとんど契約が成立したみたいに握手した。
あまりにも自然に。
あまりにも堂々と。
まるでアリスは病室の備品か何かで、自分たちの握手を“見届ける証人”としてそこに置かれているだけのように。
アリスのこめかみがひくりと動く。
「ちょっと待て」
足の痛みで顔をしかめながらも、声は低く出た。
「何、その、もう話ついてるみたいな顔」
二人は一瞬だけ視線をアリスへ戻した。
戻しただけで、空気そのものは崩さない。
「いえ、あくまで将来的な可能性の確認です」
日本国側の男が言う。
その言い方が、余計に腹立たしい。
将来的。
可能性。
確認。
全部、既成事実化を柔らかく言い換えた言葉だ。
「病人の前でやることじゃないだろ」
アリスが吐き捨てるように言うと、新開市企業群の代表が、少しだけ困ったような顔を作る。
「だからこそ、です。あなたの負傷は、今回の枠組みの危うさを示しました。より安定した実務的代表が必要だと、我々は考えています」
痛みのある足より先に、頭の方が痛くなりそうだった。
トミーがベッド脇から低く笑う。
「病室で握手会とは、ずいぶん景気がいいな」
真鍋がそこへ入ってきて、事務的に面会時間を切った。
それでようやく二人は退いたが、アリスの中には強い苛立ちだけが残った。
その場で、アリスは比嘉へ回線をつないだ。
*
「日本国の勢力、暴走してるぞ」
開口一番、それだった。
比嘉の顔が端末越しに現れる。
彼は、ほんの少しだけ眉を下げた。
謝る時の顔だ。
だが、本気で追い込まれている時の顔でもある。
『汗顔の至りです』
「汗顔どころじゃない」
アリスの言葉はきつい。
病室での握手の光景がまだ生々しく残っている。
「病室で、もう契約締結みたいな顔してたぞ」
『それは――』
「比嘉」
アリスは、珍しくかなり真っ直ぐな声で遮った。
「いま日本国の勢力が勝手に動くの、一番まずいからな」
比嘉は一瞬だけ黙った。
その沈黙の間にも、彼は考えている。
どう言い訳するかではなく、どう修正するかを。
『謝罪します』
最終的に彼はそう言った。
『日本国側の内部調整が不十分でした』
それはほとんど本当だ。
KAGUTSUCHI たちの独自根回しも、企業や政治団体の焦りも、すでに比嘉の制御を少しはみ出し始めている。
だが彼は謝罪しながらも、別のことを観察していた。
ワンダーランドを始めとする新開市の市民団体は、今回の状況をあまり良く思っていない。
企業群が先に席へ滑り込む気配。
日本国の企業や政治団体が、直接候補者へ触れている気配。
それは市民団体側から見れば、“また外から奪われる”感覚を強める。
つまりそこには、次の怒りの種がある。
比嘉は、そこで冷たく整理した。
この怒りをそのままにしておけば、日本国に不利な熱へ育つ。
だが逆に、その怒りが暴力を伴う形で噴き出せばどうか。
企業群の方が安定している、という株を上げる材料になる。
そしてそのためには、やはり雫が便利だった。
*
比嘉は、雫へ新しい指示を出した。
市民代表の今回の事件での失態をあげつらう。
武装した民意は危険だ、企業代表の方が安定しているという空気を強める。
そして、できるだけ市民団体側に“抑えきれない怒り”が噴き出す形を作る。
直接、暴力を起こせとは言わない。
比嘉はそこまで露骨な言葉は使わない。
だが、そうなるよう導線を引け、という意味では同じだった。
雫はその指示を聞きながら、別のものを見ていた。
かつて企業群が企業ヒーローのマッチポンプのために用意していた大型ドローン群。
その設計の奥に潜っていた、三機の大型ドローンが合体して一機の超大型ドローンになる図面。
あまりにも露骨で、あまりにも頭の悪い発想。
だが、だからこそ新開市では強い。
彼女は、自分だけの切り札としてその設計図を抜き出し、密かに組み上げを始めていた。
比嘉の命令通り、世論操作はする。
市民代表の危険性を煽り、企業群の安定感を押し出す。
必要なら市民団体が暴力を伴ったデモへ傾くよう、噂と誤情報を流す。
だが、その先に勝つのは比嘉ではない。
企業群でも、日本国でもない。
海井雫は、そのつもりでいた。
アリスを越える。
いや、もうその表現では足りない。
アリスを排除し、その上に自分だけの神話を立てる。
そのための巨大な怪物を、誰にも見せずに手元で育てる。
倉庫の奥で、切り出された大型フレームが鈍く光る。
まだ名はない。
まだ完全な形にもなっていない。
だがそこには、すでに“最後に出てくるもの”の気配があった。
雫はその骨格に触れ、静かに笑う。
病室で各勢力が握手し、謝罪し、所有権を争っているあいだにも、次の火はすでに組み上がり始めている。
新開市はまだ、それを知らない。
知らないまま、また次の会談へ向けて整えられていく。
整えられるほど、燃やしやすくなるというのに。




