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第二十一話 合法の罠

会議室は、外の炎上を知らないふりをしていた。


壁は吸音材で、空気は薄い。

スクリーンの表示は無音で、数字だけが踊っている。

抗議件数。契約停止。保険料率。株価。視聴率。


――視聴率。


この都市の体温計は、いまやそこにある。


義弘が席につくと、向かいの幹部が薄く笑った。

OCMの名札。艶のあるスーツ。歯の白さ。

“正義”の広告より、よほど信用できない白さ。


「津田義弘さん。……あなたは名誉会長でしょう」


言い方が丁寧なだけで、意味は「黙れ」だった。


「実務から退いた方の“口約束”で、長期契約など――」


義弘は椅子に深く沈まず、背筋だけを整えた。

言葉を探すまでもない。そこは彼の戦場だ。


「名誉会長であることと、支配権があることは別だ」


間髪入れず返す。

幹部が眉を動かす。


「……株ですか」


義弘は淡々と列挙した。


「議決権。持株比率。役員指名権。金融機関への顔。供給契約の署名権」

「全部“残して”ある。残しておかなかったら、ここに座れない」


会議室の空気がわずかに重くなる。

幹部の薄笑いが一度だけ止まる。


その隣で、オスカー・ラインハルトは相変わらず静かだった。

眉目秀麗で、いかにも仕事ができる企業人の顔。

机の片隅に、小さなサボテン。棘が短い品種。

彼は鉢を、数ミリだけ直した。


義弘の口の中で、言葉が転がった。

脅しではない。自分への確認だ。

声に出せば、負ける種類の言葉。


「……場合によっては、アライアンスを動かしてでも」


ほとんど独り言。

だが、この会議室は耳がいい。


オスカーが目も上げずに言った。


「そのカードは、切りどころが重要です」


義弘は目だけで頷いた。


「分かってる」


幹部がそのやり取りを見て、喉を鳴らす。


「……あなたは、脅すために来たのでは?」


「脅しじゃない」

義弘は即答した。

「忠告だ」


「何の?」


義弘はスクリーンに映る地図を指した。

新開市。中枢リング。バイオ・オイル施設。輸送線。

そして“監視予定区域”。


「オールド・ユニオンが迫っている」


幹部が鼻で笑う。


「国際連合が? この都市に?」


「“殴り込み”じゃない」

義弘の声は低い。

「契約と監督で掌握する」


幹部が反論する。


「供給の安定を口実に、と言いたいのですか。いつもの政治の脅しだ」


義弘はその言葉を待っていたように、淡々と畳みかける。


「監視団の前倒し。査察の強化。護衛部隊の派遣」

「バイオ・オイル関連施設への直接保護」

「都市の治安運用への介入」


「口実は人道と供給だ。拒否すれば、“不安定化を招く企業”として糾弾される」

「受け入れれば、企業の権益は合法的に削られる。市場ごと取り上げられる」


会議室が、静かになる。

“市場ごと”という言葉は、ここでは銃声より効く。


幹部の喉が一度だけ動いた。


「……それで?」


義弘は言い切った。


「俺とゴースト――アリス――と、お前らが殴り合って共倒れになれば、勝つのはハーバーライトでもない」

「オールド・ユニオンだ」


幹部が顔をしかめる。


「犯罪者を味方扱いするのですか」


義弘の目が細くなる。


「味方じゃない」

「だが、あの子を潰しても終わらない」


幹部が苛立ちを抑えきれず言う。


「“あの子”? あなたは彼女を――」


義弘は一度だけ言い間違えたのを自覚し、言い直した。


「……ゴーストを、敵として消耗するのは最悪の選択だ」


オスカーが、冷たい声で補足する。


「検挙対象化。制度による剥離。ハーバーライトの仕掛けです」

「彼らは戦闘で倒すより、味方から剥がす方が安い」


義弘が頷く。


「守るために違法を踏ませる罠も仕込まれている」

「助ければ現行犯。助けなければ失格」

「どちらでも燃やされる」


幹部が吐き捨てる。


「なら、切り捨てればいい」


義弘は、そこで初めて声に刃を乗せた。


「切り捨てた瞬間、次の駒が来るだけだ」

「むしろ、お前らが“犯罪者を雇っていた”という物語が完成する」

「ハーバーライトが笑う。オールド・ユニオンが入る。アライアンスは高みで見ている」


幹部が眉をひそめた。


「……アライアンスが?」


義弘は短く言った。


「高速機動隊が動かない。今日は、いつもなら秒で潰しに来る連中が、出てこない」


会議室の空気が一段冷える。

その静けさは、恐怖に近い。


義弘は続けた。


「氷の母は助けない。審査してる」

「この都市を守るに相応しいか。俺も、お前らも、鳴海も、――全員が採点されてる」


オスカーがサボテンの棘を避けながら、鉢の土を整えた。

余計なことを言わない動き。


「中立の顔を保つには、混乱を観測する必要があります」


義弘は冷笑した。


「……綺麗ごとだな」


「綺麗ごとは広告です」

オスカーは平然と言う。

「これは運用です」


運用。

その言葉がこの会議室の神だ。


義弘は、そこでカードを切った。


「だから、担保を出す」


幹部が身を乗り出す。


「担保?」


義弘は資料を一枚滑らせた。

紙ではない。光の書類。署名欄が空いている。


「うちのインフラ・システムで使用するドロイド・ドローンを、一定比率でOCM製に切り替える」

「保守・警備・物流系。長期契約。複数年」


会議室がざわめいた。

ざわめき方が、怒りではなく欲に寄る。


幹部が早口になる。


「それは……売上の担保だ。損害の埋め合わせになる」

「だが、条件は?」


義弘は淡々と読み上げる。


「供給安定」

「保守権限の分界」

「セキュリティ監査」

「バックドア禁止。名目上でもいい、条項として入れる」

「事故時の責任分界。逃げ道は作らせない」


幹部が口角を上げかけ、しかしすぐに疑う顔に戻る。


「あなたが名誉会長だとしても――」


義弘は遮った。


「名誉会長でも、経営権は握っている」

「この契約は通る。通させる」


口の中で、また言葉が転がる。


――場合によっては、アライアンスを動かしてでも。


今度は言わない。

言わなくても、もう伝わった。


オスカーが小さく頷く。

予定通りの顔。


「合理的です。OCMは撤退できなくなる」

「逃げられない企業は、無責任に狩り場を作りにくい」


幹部が、ようやく核心に触れた。


「つまり、我々を助けるのではなく、縛るつもりだ」


義弘は笑った。笑えない笑いだ。


「助ける? 違う」

「この都市に、責任を置かせる」


幹部が沈黙する。

沈黙の中で、計算が回る音がする。


義弘は畳みかけた。


「その代わり、要求がある」


幹部が警戒する。


「……何を」


義弘は言った。


「現場の“検挙”を止めろ」

「クレイドル・ガードの現場権限を守れ」

「確保だの引き渡しだのは後だ。今は市民被害ゼロを維持する」


幹部が顔を歪めた。


「犯罪者を守る要求だ」


「違う」

義弘は低い声で言う。

「都市を守る要求だ」


オスカーが平然と付け足す。


「完全停止は不可能です。ですが、“現場確保権限の帰属”をOCM側に寄せれば、手続きは遅らせられる」

「引き渡しは後日審査。現場は事故対応優先。合法の鎖で縛る」


義弘は理解していた。

守るのではない。

より深く囲うのだ。


それでも今は、その鎖が必要だった。


その頃、現場では“合法の罠”が完成していた。


第三区域。

戦闘用ドロイド・ドローンが、救助導線を塞いでいる。

外装は清潔で、非致死の顔をしている。

だが内部は狩りの骨格だ。


ハーバーライト側ヒーローが“正義の顔”で叫ぶ。


「市民を守るため、危険対象の確保も同時に実施する!」


危険対象。

それがアリスだということは、誰の目にも明らかだった。


アリスの視界に、都市システムの通知が重なる。


《検挙対象:GHOST》

《協力要請:対象確保》


コメント欄が洪水になる。


『捕まえろ!』

『いや守ってるだろ!』

『ゴーストなら死ね』

『美少女だから許す』

『メタボだから射殺しろ』

『燃えろ燃えろ』

『台本だろ』

『台本厨うざ』

『高速機動隊いないの怖い』

『上が見てる』


鳴海 宗一――狛犬が封鎖線の外で歯を食いしばった。

高速機動隊がいない。

命令が来ない。

“枠内で動け”と言われている。


鳴海は低く言う。


「……今日は、手順じゃ救えない」


正規手順のアクセスが塞がれている。

避難施設のゲートが閉じる。

安全シャッターが降りる。

人が挟まれる。

救助の鍵は都市システムの深いところにある。


――そこに触れるのは、違法介入だ。

ゴーストの得意技。

罠だ。


アリスは一瞬だけ、黙った。

嫌だ。

踏みたくない。

踏めば“ほら、やっぱり”の餌になる。


双子が、救助導線を縫いながら振り返る。

言葉はない。

でも目が言っている。


――助けて。


シュヴァロフが影で、アリスのフードを一瞬だけ整えた。

戦場のど真ん中で、家庭的な手つき。

笑えるのに、笑えない。


グリンフォンが上空から警告を投げる。

次の落下。次の圧壊。次の悲鳴。


コロボチェニィクが盾となり、ひたすら耐える。

脳筋の誇りで、守っている。


バンダースナッチの群体が、淡く点滅した。

“踏むな”ではない。

“踏め”でもない。

ただ、心臓のように、拍動する。


アリスは――毒を飲み込んで言った。


「……踏む」


レヴェナントが数式を呟く。


「違法……確定」

「証拠……生成」

「更新」


アリスは吐き捨てた。


「黙れ。計算するな。守れ」


そして、アリスは都市の深い層に指を差し込んだ。


違法介入。

一段深い接続。

正規手順を、力でこじ開ける。


ゲートが開く。

シャッターが上がる。

挟まれていた人が抜ける。

救助が成立する。


――その瞬間だけが、切り取られる。


空のカメラドローンが寄る。

捏造ログと合体する。

速報が流れる。


【映像】ゴースト、都市システム掌握の瞬間

【確定】違法ハッキング現行犯


コメント欄が爆発する。


『ほら!!』

『やっぱりゴーストじゃん!!』

『逮捕しろ!』

『でも助けたんだぞ』

『だから余計に危険』

『守ってるふりして支配してる』

『燃えるぞこれ』

『最高』


最高。

その言葉が最悪だった。


ハーバーライト側ヒーローが、正義の顔で踏み込む。


「確保する! 市民の安全のためだ!」


便乗ヒーローが乱入する。

配信者が“協力”を名乗って近づく。

自警団が棒を持って走る。


狩猟場が完成する。


シュヴァロフが、闇の影で割り込んだ。

母性の盾。

アリスの周囲の空間を“守る”。

逮捕網の導線を潰す。

狙撃の視線を遮る。


双子が、救助導線と同時に逃走導線を作る。

その涙ぐましい働きが、配信には映らない。


バンダースナッチが霧を濃くし、視線を切る。

コロボチェニィクが盾となり、市民とアリスを同時に守る。

グリンフォンが上空で“穴”を探し、出口を示す。


アリスは歯を噛んだ。


「……最悪だ。守ったのに」


誰に言ったわけでもない。

でも都市は耳が多い。

きっとまた拾われる。商品になる。


会議室。OCM。


オスカーの端末が一度だけ震えた。

彼は視線を落とし、短く言う。


「現場が動きました。検挙手続きが前倒しされかけています」


幹部が焦る。


「今、ここでそんな――!」


義弘が言った。


「だから今、ここで決める」


彼は署名欄に指を置く。

書類の光が、指先に吸い付く。


「俺は担保を出す」

「お前らは現場を止める」

「共倒れは嫌だ」


幹部は一瞬だけ迷い、しかし欲と恐怖が勝った。

市場を失う恐怖。掌握される恐怖。

そして、アライアンスが見ている恐怖。


オスカーは淡々と言った。


「合理的です」


義弘は署名した。

その瞬間、何かが決まった。

敵でも味方でもない。

だが徹底的に敵対し続ける関係でもない、歪な関係。


義弘は口の中で、もう一度だけ呟きかけた。


――場合によっては、アライアンスを動かしてでも。


しかし呟かない。

今日は切りどころではない。


オスカーが静かに告げる。


「現場確保権限、OCM側に寄せます。

引き渡しは後日審査。事故対応優先。

“合法の鎖”で、止めます」


義弘は短く頷いた。


「……やれ」


現場の空気が、ほんのわずか変わった。


制度の通知が、言葉を変える。


《現場対応権限:OCM運用》

《対象確保:後日審査》

《事故対応優先》


“後日”。

それは猶予であり、囲いであり、首輪でもある。


ハーバーライト側ヒーローが苛立ちを隠せない。


「なぜだ!今確保すべきだろう!」


鳴海が低い声で言う。


「事故対応が優先だ。

……死体が出たら、誰が責任を取る」


“責任”。

その単語が、正義より効いた。


狩猟場の設計図に、少しだけ亀裂が入った。

崩れはしない。

だが、止血はできた。


アリスは霧の中で息を吐く。

守った。

そして、踏んだ。

追われた。

そして、囲われた。


シュヴァロフが影の中で、アリスの背中にそっと触れる。

“よくやった”の代わりに、ただ支える。


双子が顔を上げる。

笑っているようで、泣いているようで。


アリスは毒を吐く気力もなく、ただ言った。


「……借りが増えた」


誰に?

OCMに。義弘に。都市に。

そして、見ている“上”に。


高い場所。氷の母。


報告が届く。

義弘が担保を出したこと。

OCMが権限を動かしたこと。

現場の検挙が“後日”に回ったこと。


氷の母は、微笑んだ。

微笑は、褒め言葉ではない。

採点の途中経過だ。


「……ようやく、交渉の匂いが戻ったわ」


彼女はグラスを置いた。音がしない。

新開市の灯りが、遠くで瞬く。


オールド・ユニオンは迫っている。

ハーバーライトは狩りをやめない。

OCMは縛られ、義弘は泥をかぶった。


そして、試験はまだ終わらない。

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