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第二十話 狩猟場の正義

新開市は、今日も“番組”だった。


大型スクリーンの隅に、ハーバーライトのロゴが滑り込む。

港の灯り。救いの灯り。

その隣で、視聴者数が数字の洪水になって跳ねる。


だが、今日は違った。


街の空気が、いつもの炎上とは別の粘度を持っていた。

“事故”ではない。

“狩り”の匂いがする。


そして何より――不自然な静けさがあった。


高速機動隊が、出てこない。


「……遅い」


誰かが呟く。

その呟きが、あっという間に群衆に伝播した。


「いつもなら秒で潰しに来るのに」

「狛犬はいる。なのに高速機動隊がいない」

「上が止めてんのか?」


誰も言わない。

誰も言えない。

その“上”の名を。


高い場所には、空気がない。


ガラス越しに新開市を見下ろす女がいた。

整った顔立ち。染み一つない肌。ブロンド。青い瞳。

静かで美しい物腰。――美しく年老いつつある女性。


氷のアイス・マザー


彼女の視界には、都市そのものが数字として浮かんでいた。

供給。輸送。発電。水。人口。治安。

そして“世論”。


報告を読み上げる部下の声は、丁寧で、機械的だった。


「オールド・ユニオンが、監視団と査察の前倒しを検討しています。バイオ・オイル施設の直接保護を口実に――」


「ええ」


氷の母は微笑んだ。

微笑は、同意ではなく、温度のない受理だった。


「高速機動隊は?」


部下が一瞬だけ躊躇し、しかしすぐに言う。


「現時点では、出動指示はありません」


「そのまま」


氷の母は紅茶でも水でもない、透明なグラスを指先で回した。

音がしない。

余計なことを言わない。まるでサボテンみたいに。


「鳴海には伝えなさい。現場の被害最小化に努めること。判断が必要になれば、こちらが判断する、と」


部下が頷く。

それはつまり――“枠内で動け”という命令だ。


氷の母は、窓の外へ視線を向けた。

中枢リングの影。未完成の円環。

その下で、都市が狩猟場に変わっていく。


「……津田義弘」


彼女は名を呼ぶ。

誰もいない空気に向けて。


「あなたの手腕が、再び試される頃合いね」


助けない。

助ければ試験にならない。

助けずに、見ている。

それが“調停者”のやり方だった。


ハーバーライト・コンソーシアムの会議は、怒りで満ちていた。


ARCADIA MEDIAが吐き捨てる。


「クレイドル・ガードが先着して“絵”を奪う。スポンサー効果がOCMに戻りかけてる」


BASILISK SYSTEMSが机を叩く。


「暴走トリガは完璧だ。なのに“主役”が取れない。鎮圧が早すぎる」


GOLIATH RESPONSEが冷たく言う。


「なら、事件の格を上げろ。作業機の事故ではなく、戦闘の事件にする」


LANTERN LEGALが口を挟む。


「ただし、正義の顔は崩すな。戦闘を“非致死・鎮圧”として包装しろ」


そしてARCADIAが、最後のピースを落とす。


「中心を潰せ。クレイドル・ガードの中心。アリス」


会議室に沈黙が落ちた。

沈黙の中で、皆が同じ単語を思い出す。


――ゴースト。


「利用できる」


誰かが言った。

利用、という言葉が自然に出る空気。

それが企業だ。


「“ゴーストがヒーローに紛れている”。それでいい」


LANTERN LEGALが頷く。


「検挙対象化。味方から剥がす。戦闘で倒す必要はない。制度で縛ればいい」


GOLIATH RESPONSEが、淡々と付け足す。


「そのための事件も必要だ。自陣営製の戦闘用ドロイド・ドローンを投入する。派手で、怖くて、正義の鎮圧が必要なやつを」


ARCADIAが笑った。


「視聴率も取れる。正義も取れる。罪も押し付けられる」


狩猟場の設計図が、完成した。


事件は、第三区域で起きた。


起きた、という言い方がもう嘘だった。

起こされた。


広場の地下から、鋼の影が浮上する。

作業機でも警備機でもない。最初から戦うために設計された輪郭。


白い外装。清潔なライン。救急車の色に似た“安心”の配色。

だが関節が違う。可動が違う。

人を守るためではなく、人を追い詰めるための骨格。


観衆が一瞬、歓声を上げそうになってから、悲鳴に変わる。


「なにあれ……!」

「戦闘用だ!」

「逃げろ!」


戦闘用ドロイド・ドローンは、逃げる方向へ人を押し込んだ。

狭い導線へ。カメラが撮りやすい場所へ。

そして、スポンサーの“正義”が入りやすい舞台へ。


空のカメラドローンが、完璧に寄る。


その時、ハーバーライト支援のサムライ・ヒーローチームが現れた。


派手な装甲。ロゴ。配色。

“正義っぽい”デザインが、怖さを中和する。


「市民は下がれ! 俺たちが鎮圧する!」


観衆が湧く。

湧くのが、最悪だ。


だが、彼らの“主役”の瞬間は来なかった。


影が滑り込む。

霧が吐かれる。

壁が立つ。

道が縫われる。

空が裂ける。


クレイドル・ガード。


小さな少女が前に立ち、背後に怪物が揃った。


アリスの視界に、配属表示が一瞬だけ重なる。


《CRADLE GUARD》


彼女は舌打ちして、短く言った。


「……全機、起動。ついて来い」


隊形が完成する。


前衛――コロボチェニィク。

都市迷彩の巨体が盾となり、戦闘用機の突進を受け止める。


側衛――シュヴァロフ。

闇を吸う黒が、光学迷彩の波の中で“いるのにいない”輪郭を作り、アリスの周囲の空間を切り分ける。


後衛――双子。

トウィードルダムとトウィードルディーが救助導線を縫い、群衆を“狩りの導線”から外へ逃がす。


上空――グリンフォン。

白い翼が低空で旋回し、封鎖線の穴と、次の危険を見つけて共有する。


中衛――バンダースナッチ。

残骸の群体が同期し、霧と犬影と盾影を同時に展開する。


そして、アリスの隣に――冷たい整列。


リッチは静かに一礼した。


「あなたの指揮は美しい」


「褒めるな」


レヴェナントは数式を呟く。


「最短……無力化」

「破壊……許容」

「更新」


ドッペルが、アリスの声で囁いた。


「ヒーロー、やるよ」


アリスの喉が詰まる。


「……やめろ」


ドッペルは、今度は義弘の声で、優しく言った。


「落ち着け」


それがさらに腹立たしい。

同時に、胸の奥が嫌な形で楽になる。

――こんなものに救われたくない。


戦闘用機が動いた。


非致死、鎮圧、と外装に書いてあるような雰囲気。

だが実態は、拘束という名の圧壊だ。

逃げる人の脚を狙う。

転んだ人の上に、重さを落とす。


アリスは歯を噛んだ。


「……救助優先!」


双子が先回りして遮蔽物を展開する。

“日陰”のような壁。

群衆が無意識にそこへ逃げる。


コロボチェニィクが腕を振るい、戦闘用機を正面から押し返す。

火花。衝撃。歓声。


最悪だ。

殴り合いが映える。


空のカメラが寄る。

観衆の歓声が“番組”の音になる。


その瞬間、鳴海 宗一――狛犬が封鎖線の外側から冷たく言った。


「今日は事故じゃない。……狩りだ」


狩り。

その単語が、現場の温度を一段下げた。


鳴海は高速機動隊の影を探す。

いない。

いつもなら“正義の銃口”が背後に立つ。

今日は立たない。


鳴海は一度だけ唇を噛み、現場の正しさをやり抜く。


「下げろ。そこは落ちる。

……お前ら、死ぬな」


戦闘が最悪の局面に入った時、ネットに“速報”が流れた。


画面の端。広告の隣。

小さなテロップ。


【速報】危険ハッカー“GHOST”の正体、OCMヒーロー隊中心人物アリスと一致

【拡散】過去ログ一致/音声一致/関係者証言


一致。

そんな簡単に言うな。


次の瞬間、コメント欄が地獄になる。


『え、ゴーストなの?』

『やっぱ犯罪者じゃん』

『OCM終わったな』

『美少女だから許す』

『メタボオタクだから射殺しろ』

『どっちでもいいから燃えろ』

『ヒーローが犯罪者とか草』

『ハーバーライトが正義』

『いや台本だろこれ』

『台本厨うざ』

『でも証拠出てるって』

『証拠(切り抜き)www』

『狛犬いるのに高速機動隊いないの怖い』

『上が見てる』

『上が試してる』


“上が試してる”。


そのコメントは、笑えないほど的確だった。


そして、最悪の通知が現場の制度側に飛ぶ。


《サムライ・ヒーロー検挙対象:GHOST(危険違法ハッカー)》

《現場協力要請:対象確保》


アリスの視界に、その通知が重なった。

守っている最中に、捕まえられる。


アリスは一瞬、息を止めた。


その一瞬を、戦闘用機が狙った。

拘束腕が伸びる。

人を守るためのはずの“鎮圧”が、少女を捕まえるために使われる。


シュヴァロフが、闇の影で割り込んだ。


一撃離脱。

拘束腕の軌道を逸らし、アリスの周囲の空間を“守る”。

守るのは敵弾だけじゃない。

逮捕網の導線だ。

狙撃の視線だ。

制度の“正義”の手だ。


双子が救助導線を縫い直す。

それは避難路であり、同時に“逮捕導線”を外す回廊になる。


バンダースナッチが霧を濃くする。

見世物の視線を、いったん切る。


鳴海が低く呟く。


「……くそ。今かよ」


彼は制度側の通知を握り潰したくなるのを堪え、現場の声で言った。


「アリス。今は守れ。捕まるな。

……俺が事故を止める」


事故を止める。

その言葉が、今日ほど皮肉な日もない。


ハーバーライト側ヒーローチームが、わざとらしく叫ぶ。


「おい!いま速報を見たか!?

ゴーストが――ここにいるって話だ!」


観衆がざわめく。

ざわめきが怒号に変わる。


「捕まえろ!」

「ヒーローのフリしてたのか!」

「嘘つき!」

「でも守ってくれてるじゃん」

「関係ねえ!」


分断。

それが狩猟場の燃料だ。


ハーバーライトのヒーローは、“正義”の顔で前に出る。


「危険ハッカーを確保する!

市民の安全のためだ!」


アリスは唇を噛んだ。

守ってるのに、守ってるから、捕まる。


レヴェナントが数式を呟く。


「最短……確保」

「脅威……排除」

「更新」


アリスは即座に言う。


「やめろ。殺すな。壊すな。守れ」


リッチが一礼する。


「命令なら守る」


ドッペルが、今度は誰の声でもない声で、淡々と言う。


「確保は、命令ですか?」


アリスは吐き捨てた。


「命令じゃない。……生存戦略だ」


シュヴァロフが、母親みたいにアリスの背後に影を落とす。

“行くな”ではない。

“行け”でもない。

ただ、倒れないように支える。


コロボチェニィクが吠えるような威嚇動作をして、敵の注意を引きつける。

脳筋のくせに、盾として丁寧に働く。


グリンフォンが上空から、戦闘用機の次の軌道を読み、双子へ共有する。

双子は逃げ道を縫う。

その逃げ道は市民のためであり、アリスのためでもある。


アリスは――初めて、腹の底から理解した。


この街は、もう“事件”じゃない。

企業が企業を狩る狩猟場だ。

ヒーローは、その狩りの看板だ。


だから、毒が出た。


「……ヒーローって、便利だな」


誰に聞かせたわけでもない。

でも都市は耳が多い。

きっとどこかで拾われる。商品になる。


最悪だ。


同じ頃、もっと別の“正義”が動いていた。


オールド・ユニオン。

崩壊した世界で、第三世界を中心に再編された国際連合。

彼らは新開市を、企業間の狩猟場と認定し始めていた。


“供給の安定”と“人道”を口実に、介入を強める。


監視団。査察。護衛部隊。

バイオ・オイル関連施設への直接保護。

都市の治安運用への口出し。


市場を奪い合っているOCMとハーバーライトにとって、それは最悪の脅威だ。

国家群が「市場ごと取り上げる」気配。


その匂いを、義弘が嗅ぎ付けた。


嗅ぎ付けたルートはひとつではない。

供給網の現場。社内の古い伝手。

そして――息子との確執の中で得た、痛い情報。


義弘は、配信画面を睨んでいた。


天井端末に映る、アリスの姿。

そこへ重なる“検挙対象”の通知。

コメント欄の地獄。


隣でトミーが、毒舌で笑えないことを言う。


「ほらな。正義ってさ、使い捨てなんだよ。

拾ったやつが“俺の正義”って言った瞬間、他の正義が『それ犯罪』って言う」


義弘は黙っていた。

黙っている間に、結論だけが固まる。


このままでは、新開市が“外の正義”で管理される。

そうなれば、アリスも、ヒーローも、企業も潰れる。

バイオ・オイルも、都市も、全部“統制”に飲まれる。


義弘は低く言った。


「……交渉だ」


トミーが耳を立てる。


「は?」


「敵と交渉する。

……OCMと」


トミーが鼻で笑う。


「お前、いっつもそうだよな。殴り合いの後に、書類で殴る」


義弘は立ち上がった。

スーツを着ない。サムライ装甲は着ない。

今日は交渉の戦場だ。


「俺の得意分野だ」


それが誇りなのか、呪いなのか。

義弘にも分からない。


OCMの会議室は、冷たいビジネスの空気だった。


それでも前回より静かだった。

外の炎上が激しいほど、内側は静かになる。


そこに、オスカー・ラインハルトがいた。

相変わらず、整った外観。

相変わらず、サボテン。


義弘が入ると、オスカーは立ち上がらない。

礼儀はある。感情はない。


「津田義弘。お久しぶりです」


義弘は座る前に言った。


「時間がない。

オールド・ユニオンが動いてる。

お前らは市場を奪い合ってる場合じゃない」


オスカーは霧吹きを一度だけ吹いた。

その一滴が、義弘の神経を逆撫でする。


「理解しています」


「なら、止めろ」


「止めるには、協力が必要です」


義弘は笑った。

笑えない笑いだ。


「敵と協力ね」


「利害が一致しています」


オスカーの口調は、前と同じだ。

冷たい。正確。

“嫌な一致”を突きつける。


「あなたは都市を守りたい。供給を守りたい。

我々は市場を守りたい。体面を守りたい。

オールド・ユニオンが掌握すれば、すべて失います」


義弘は目を細めた。


「……アリスが検挙対象にされ始めてる」


オスカーは瞬きひとつしない。


「ハーバーライトの仕掛けです。検挙対象化。制度による剥離」


「止めろ」


「止めます」


即答。

それが逆に怖い。

止められるなら、最初から止められる。


義弘が言う。


「お前は何を条件にする」


オスカーが穏やかに言った。


「条件はすでに提示しています。あなたがここに来たことが、条件の受諾です」


義弘は、舌の奥が苦くなるのを飲み込んだ。


交渉卓=戦場。

そして今、義弘は戦場に戻った。

誰かに試されている感覚が背中に貼り付く。


――氷の母。


彼女は動かない。

高速機動隊を動かさない。

高みの見物。

それは“審査”だ。


義弘は、静かに言った。


「俺は、都市を守る。

……お前らの市場のためじゃない。

ここで暮らしてる連中のためだ」


オスカーは微笑んだ。


「それで構いません。目的が違っても、結果が同じなら」


冷たいビジネス。

最悪の正しさ。


現場では、狩りが続いていた。


戦闘用機が、非致死の顔で人を追い詰める。

ハーバーライトのヒーローが、正義の顔でアリスを追い詰める。

制度が、正義の顔で逮捕網を絞る。


アリスは全機を動かしながら、毒を飲み込む。

飲み込むしかない。

吐き出せば商品になる。


シュヴァロフが影で支える。

双子が道を縫う。

バンダースナッチが壁を作る。

コロボチェニィクが盾になる。

グリンフォンが空から目を光らせる。

NECROの三人が冷たく並走する。


そして画面の外側で、義弘が交渉の戦場へ踏み込んだ。


その様子を、高い場所の女が見下ろしている。


氷の母は、微笑んだまま、呟いた。


「……さあ。見せてちょうだい」


その微笑の意味を、都市はまだ知らない。

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