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第十九話 クレイドル・ガード

スクリーンが街の空に貼り付いていた。


ハーバーライトのロゴが、ほんの一瞬だけ露骨に点滅する。

港の灯り。救いの灯り。――そう名乗るには、眩しすぎる。


「都市の安全と娯楽を、両立させる」


甘いコピーが消えた直後、叫び声が上がった。


「暴走だ!」

「またかよ!」

「子どもが――!」


第三区域。人が集まる広場。照明がある。高所がある。観客がいる。

そして、もう空には最初からカメラドローンがいた。最適位置に、最適角度で。


偶然にしては出来すぎている。

出来すぎているものは、必ず誰かの仕事だ。


OCMの会議室は、仕事の地獄だった。


数字が飛び交う。責任が飛び交う。怒鳴り声が飛び交う。

投資家の撤退、スポンサーの解約、現場の作業停止、保険料率の跳ね上がり。

抗議の映像。SNSの炎上。ハーバーライトの“善良な顔”。


「撤退だ!」

「新開市を捨てろ!」

「この市場は呪われてる!」


誰かが言った。

撤退すれば被害は止まる。撤退すれば炎上は止まる。撤退すれば――。


会議室の隅で、オスカー・ラインハルトだけが落ち着いていた。


眉目秀麗。

いかにも仕事ができる企業人という外観。

その机の片隅に、丸いサボテン。棘が短い品種。土の湿り気は完璧。


オスカーは霧吹きを一度だけ吹いた。

水滴が棘を伝い、土へ落ちる音が、小さく響く。


「撤退は損失の確定です」


誰かが噛みついた。


「君は冷たい!人が――」


オスカーは顔を上げない。


「感情は議事録に残りません。残るのは数字だけです」


会議室の空気が一段落ちる。

オスカーは穏やかに続けた。


「市場を捨てる必要はない。物語を奪い返せばいい」


「物語だと?」


オスカーはサボテンの鉢を、数ミリだけ直した。


「正義は供給されます。供給元になればいい」


その言葉は、企業の言葉として完璧だった。

そして、企業の言葉として最悪だった。


「――新しいヒーローチームを立ち上げます」


ざわめき。

誰かが笑う。誰かが怒鳴る。誰かが黙る。


オスカーは淡々と告げる。


「リッチ、レヴェナント、ドッペルの三名を表に出す。

そして――“顔”が必要です」


誰かが息を呑んだ。

“顔”の意味が分かったからだ。


「アリスを加えます」


別回線。

別の静けさ。


アリスの視界に、文字が浮かぶ。

監査モードの薄い表示。OCM指令の押し付け。権限再移管の進行。

首輪が、目の裏で光る。


その上に、知らない回線がすっと割り込んできた。


丁寧な接続。

雑音がない。

余計な感情がない。


オスカー・ラインハルトの声だった。


『アリツェ・ヴァーツラフコヴァー。ゴースト』


アリスは即座に毒を吐いた。


「……誰だよ。名乗れ。気持ち悪い」


『オスカー・ラインハルト』


「なら切る」


『切って構いません。ただし条件は消えます』


条件。

その言葉が、首輪より嫌いだ。


「……何の条件」


オスカーは、淡々と読み上げた。

命令ではない。提案でもない。

契約条項の読み上げだ。


『一、津田義弘に対する“事故”は起こさせません。私が毀損を許可しない』

『二、シュヴァロフ、双子、バンダースナッチ、コロボチェニィク、グリンフォンの整備・補給を保証します』

『三、あなたの権限再移管の進行を遅らせます。整合性は私が処理します』

『四、あなたが条件に違反した場合、補給停止、権限剥奪、稼働制限を実施します』


アリスの胃が冷たくなる。

義弘の名が入っていた。

入れてくる。こういう男は。


アリスは歯を噛んだ。


「……ジジイを人質にすんな」


『人質ではない。条件です』


「同じだろ」


『あなたが損失を嫌うのと同じです』


アリスは舌打ちした。

嫌ってはいない。だが苦手だ。

こういう“正しい”の顔をした取引が一番。


「……で、何をしろって?」


『ヒーローチームに参加してください』


アリスは笑いそうになった。


「死ね」


『比喩として受け取ります』


さらに嫌だ。


『あなたに拒否権があるように見えるのは、契約が丁寧だからです。

現実には拒否すれば、あなたの大切なものが止まります』


“大切なもの”。

シュヴァロフ。双子。バンダースナッチ。

そして――義弘。


アリスは一瞬だけ黙った。

その沈黙が、自分でも嫌悪する“感情”だった。


だから取り繕うように吐き捨てる。


「……最悪だ」


『最悪を選ぶのは合理的です。あなたは合理的だ』


アリスの声が低くなる。


「……条件、守れよ。オスカー」


『当然です。サボテンは余計なことを言わない。契約も同じです』


アリスは通信を切った。

切っても胸の中に残る。

契約という名の棘。


CRADLE GUARD――クレイドル・ガード。


その名が、都市システムの承認ログに刻まれた瞬間、

アリスは「檻が一段増えた」と感じた。


集合地点。

無彩色の床。無彩色の壁。無彩色の光。


三人が整列していた。


リッチ。

整った姿勢。礼儀正しい一礼。静かな微笑。


「あなたを偏執的に尊敬しています。…同じチームに立てるのは光栄です」


アリスは即答で切り捨てる。


「褒めるな。気持ち悪い」


リッチは嬉しそうに頷いた。


「その反応も合理的です」


隣で、レヴェナントが口を動かしている。

目は空っぽに近い。


「角速度、0.68……更新」

「最短距離……収束」

「市民密度……計算」


そして最後に、ドッペル。

普通の影のように立ち、普通の声で――違う。


「ヒーロー、やるよ」


アリスの声だった。

空っぽの模倣。

内臓を冷やす音。


アリスは吐き捨てた。


「……やめろ」


ドッペルは首を傾げる。


「わかった。……やめるよ」


今度は義弘の声。

あの、低くて、疲れた声。


アリスは拳を握る。

怒鳴れば、相手の思う壺だ。

だから、短く言う。


「……二度とやるな」


ドッペルは微笑んだ。


「命令なら守る」


命令。

命令が全ての世界。

それが彼らの冷たさだ。


アリスは振り返った。

背後の影がある。

それだけが救いだ。


闇の影。シュヴァロフ。

双子の小さな気配。

呼吸する群体。バンダースナッチ。

そして巨大な盾。コロボチェニィク。

空の白い翼。グリンフォン。


全機が、アリスの背中で待っていた。


事件発生。第三区域。


封鎖線の向こうで、暴走ドロイドが人の流れを押し潰そうとしている。

救助導線そのものが罠になっている。

避難路の狭い場所へ、暴走機体が誘導されるように動く。


鳴海 宗一――狛犬が現場にいた。

走っていない。急いでいない。なのに、いつの間にかそこにいる。


「下げろ。そこは落ちる」


短い指示。

事故を止める言葉。


しかし事故ゼロの手順は、台本の燃料にもなる。

封鎖線が引かれる。観衆が押し返す。カメラが寄る。

“番組”が完成していく。


その空の上で、ハーバーライトのカメラドローンが光った。


同じ時間。義弘の隠れ家。


天井端末の配信枠が立ち上がった。


【LIVE】新開市・第三区域/暴走鎮圧(提供:HARBORLIGHT)

視聴者:1,842,991


義弘は息を止めた。

画面の中に、小さな影――アリスがいる。

OCMのサムライ・スーツの外装。

“ヒーロー”の衣装。


そして背後に、全部。


「……全機」


呟いた瞬間、トミーが鼻で笑った。


「全機って言ったってさぁ。映えるもん全部盛りじゃねぇか。ラーメンかよ。背脂マシマシかよ」


義弘は返せない。

返す余裕がない。


コメント欄が流れる。流れる。流れる。


『うおおおおおおおおお』

『アリスちゃんキターーー!』

『OCMの姫www』

『いやゴーストだろ?どっちなんだよ』

『顔見せろ!顔!』

『メタボのオタク野郎説まだ?』

『狛犬きた!事故ゼロおじさん!』

『レヴェナント何?数式www』

『ドッペルきっしょ…(褒めてない)』

『シュヴァロフ母性で草』

『フード直した?今直したよな?』

『尊い』

『尊いじゃねえ危ねえよ』

『また暴走?OCM何してんの?』

『ハーバーライト神』

『OCMは解体しろ』

『台本だろ』

『台本厨うざ』

『でもカメラ位置完璧すぎ草』

『CRADLE GUARDって何?新チーム?』


トミーが舌打ちした。


「“かわいいから許す”とか言ってるやつ、許すのはお前じゃねぇだろ」


義弘は画面から目を離せない。

アリスの足運び。

転べない足運びだ。転べば、全部が商品になる。


トミーはスクリーンの隅を指す。スポンサー表示の横。


「見ろ。“提供:ハーバーライト”。

これが一番怖い。事故じゃなくて番組になってんだ」


義弘が低く息を吐く。


「……撮影=戦場」


「今さら気づいた顔すんな、ジジイ。お前が言い始めたんだろ」


コメント欄にひとつだけ刺さる短文が流れた。


『あの子、嫌そうなのに守ってるのエグい』


トミーが珍しく黙って、ふん、と鼻を鳴らす。


「……当たり前だろ。守るやつは、だいたい嫌そうに守るんだ」


義弘は、それで一回だけ笑ってしまった。

笑ったのが悔しくて、すぐ顔を戻す。


現場。第三区域。


アリスは一歩前に出た。

小さい。だから目立つ。

背後の怪物たちが、さらに彼女を目立たせる。


アリスは短く言った。


「……全機、起動。ついて来い」


隊形が完成する。


前衛――コロボチェニィクが立つ。

都市迷彩の巨体が、盾として道路を塞いだ。三対の腕が鳴るように動き、野獣の威嚇の真似をする。

しかし足運びだけは丁寧で、アリスの位置を絶対に潰さない。


側衛――シュヴァロフ。

闇を吸う黒。光学迷彩が薄く波打ち、いるのにいない輪郭。

出撃の瞬間だけ迷彩を切り、“守るために現れた”と見せる。

そして、戦闘機がやるはずのない動きで、アリスのフードの端を一瞬だけ直した。


観衆が歓声を上げる。


『今直したwww』

『母性www』

『尊い』


アリスは歯を噛んだ。


「……目立つな」


上空――グリンフォンが翼を広げる。

白い翼が街の光を切り裂き、騎士のように一度旋回して胸を張る。

格好をつけている。守るために目立っている。


後衛――双子。

トウィードルダムとトウィードルディーが、救助導線を縫い、避難路を作る。

アリスが指示する前に、先回りして壁を立て、日陰のような遮蔽物を作る。


そして中衛――バンダースナッチ。

残骸の群体が同期し、ひとつの影にまとまる。

スワームが霧を吐き、ハウンドが走り、シェルが壁になる。

ライトが淡く点滅し、息をする。


アリスは短く指示を飛ばした。


「シュヴァロフ、前。コロボ、壁。グリン、目。双子、救助。バンダースナッチ、展開」


その隣に、NECROの三人が“冷たい整列”で並走する。

同じヒーローなのに、温度が違いすぎた。


リッチが静かに言った。


「あなたの指揮は美しい」


アリスは即答する。


「褒めるな」


レヴェナントは数式を呟く。


「市民密度……高い」

「最短……変更」

「無力化……二秒」


ドッペルが、アリスの声で囁いた。


「嫌々でも、やるよ」


アリスは殺気を抑えて言う。


「黙れ」


暴走ドロイドが動いた。


本来なら避難誘導を補助する警備・救助支援機。

だが今は違う。

関節制御が戦闘寄りに寄せられ、腕が“狙って”伸びる。


――救助導線の狭い場所へ。


鳴海の封鎖線を、逆手に取る動き。

事故ゼロの手順が、事故を起こすための枠になりかけている。


鳴海が低く言った。


「……台本か」


アリスの背筋が冷える。

台本。

証拠より先に匂う、企業臭。


アリスはバンダースナッチの霧を濃くする。

視界を奪い、観衆の突入を止める。

双子が救助導線を縫い直す。

コロボチェニィクが盾のように立ち、暴走機体の突進を受け止める。


金属が鳴った。

衝撃が走る。

コロボチェニィクの装甲がきしみ、腕が軋む。

それでも押し返す。脳筋のまま、盾になる。


観衆が歓声を上げる。


『殴り合いきた!』

『でけえwww』

『これ映画?』


最悪だ。

殴り合いだけが、映える。

救助の手つきは映らない。


その瞬間、レヴェナントが踏み込もうとした。

最短で関節を折る。最短で無力化する。最短で“終わらせる”。

終わらせれば事故は止まる。

だが終わらせ方が“映える破壊”になる。


鳴海が鋭く言った。


「やめろ。現場は正義の舞台じゃない。事故の現場だ」


レヴェナントの口が動く。


「事故……最小化」

「破壊……許容」

「更新」


冷たい。

事故ゼロの理屈が、人間の肌感覚を踏み潰す。


アリスは低く叫んだ。


「やるなら――救助の邪魔すんな!」


リッチが一礼する。


「命令なら守る」


ドッペルが、義弘の声で呟いた。


「……落ち着け」


アリスの喉が詰まる。

怒りと嫌悪と、ほんの少しの安心が混ざる。


シュヴァロフが闇の影で動いた。

一撃離脱。奇襲。誘導。

暴走機体の“狙い”を逸らし、双子の救助導線へ被害が行かないように、空間を切り分ける。


母性の盾が、戦闘で発揮される。


グリンフォンが上空で旋回し、レーダーと遠距離センサーで“次の暴走”を探る。

同時に、封鎖線の穴――観衆が押し寄せそうな地点を見つけ、双子へ共有する。


双子が先回りして遮蔽物を立てる。

アリスの頭上に日陰ができる。

それが妙に優しい。


バンダースナッチのハウンドが一体、暴走機体の腕を受けて転がった。

ライトが消える。息が止まる。


アリスの胸が痛む。

毒が出ない。

代わりに、低く言った。


「……あとで直す。絶対」


その言葉に、群体が淡く点滅した。

慰めるように。生き物のように。


そして、暴走の核が露呈する。

挙動の癖。制御の揺れ。トリガの条件。

OCM由来ではない。だが痕跡は薄い。巧妙だ。


企業臭だけが濃い。


――ハーバーライト。


証拠は足りない。

だが“演出”は見える。


カメラの位置。

導線。

広告の入り方。


アリスは歯を噛み、短く命令した。


「終わらせる。救助優先で」


コロボチェニィクが押し返す。

シュヴァロフが逸らす。

双子が引き抜く。

バンダースナッチが壁で切る。

グリンフォンが上から覆う。


そして、レヴェナントが一歩だけ踏み込む。

最短で、しかし“映えない”最短。

関節を壊すのではなく、駆動を止める。

事故ゼロの理屈が、初めて人間の肌感覚に寄った。


暴走機体が沈黙した。


市民被害ゼロ。

それだけが救いだった。


配信は、当然、殴り合いだけを切り取る。


巨大なドロイド同士の押し合い。

火花。衝撃。歓声。

そして一瞬映る、小さな少女の影。


救助導線は映らない。

双子の先回りも映らない。

バンダースナッチの壁も“演出”に見える。

シュヴァロフのフード直しだけが“尊い”で消費される。


最悪だ。


だからアリスは、最後に一瞬だけ露骨に入れた。


カメラドローンが寄る。

スポンサー表示が目に入る。

ハーバーライトのロゴ。

その横に、OCMのマーク。


アリスは目を細め、短く言った。


「……成果です」


コメント欄が爆発する。


『きたあああああああ』

『成果ですwwwww』

『煽りスキル高すぎ』

『スポンサー戦争www』

『OCM復権ある?』

『ハーバーライト怒れwww』

『いやこれ挑発だろ』

『でも好き』


義弘の隠れ家で、トミーが肩をすくめた。


「はいはい。成果です。

……成果って言葉は、首輪の別名だぞ」


義弘は画面の中のアリスを見たまま、低く呟いた。


「……生きてる」


それだけで胸が焼ける。

知らないところで、誰かが“安全”を売買している気配も、胸を焼く。


事件は収束した。


ハーバーライトは“善良な顔”で逃げる。

「OCMの再アピールだ」「鎮圧を広告に利用した」と叩き、物語を上書きする。

そして次の広告を流す。


「暴走ゼロへ」


ゼロにするのは暴走ではない。

暴走を“番組”にするための余計な障害だ。


現場の端で、鳴海が封鎖線を解きながら呟いた。


「……正しさが、商売になる街か」


アリスは返さない。

返せない。

返した瞬間に、それも商品になる。


代わりに、背後の影たちを見た。

シュヴァロフ。双子。バンダースナッチ。コロボチェニィク。グリンフォン。

そして冷たいNECROの三人。


守るものがある。

だから、嫌々でも守る。


首輪回線が鳴る。


オスカーから短文。


『津田義弘は生きています。契約は有効です』


アリスの喉が詰まり、吐き捨てる。


「……死ね(比喩)」


誰にも聞かせないつもりで言った。

しかし都市は耳が多い。

きっとどこかで拾われる。拾われて編集される。商品になる。


アリスはそれを嫌悪しながら、最後にだけ言い換えた。


「……壊すな。守れ」


全機が、淡く点滅した。

息をする。


港の灯りが、また一瞬だけ眩しく光った。


空いた席に、別の者が座ろうとしている。

その席は、油で滑る。

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