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居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


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470/470

470.腐に翼

 夕暮れ時。

 世界が茜色から深い藍色へと移り変わる逢魔が時、ロートシュタイン領主館の広大な庭園には、およそその場にそぐわない異常な緊迫感が漂っていた。


「旦那様……正気ですか?」


 冷徹なまでの無表情を崩さないメイドのアンナが、声音に一切の温度を乗せずに告げる。


「しっ! アンナ、静かに! 間違いなく、これで獲物が掛かるはずなんだ。僕の計算に狂いはない!」


 丸太の影に完全に気配を消して蹲る男――この地の領主であるラルフ・ドーソンは、狩人のような真剣な眼差しで一本の縄を握り締めていた。


 その縄は芝生の上を這うようにして、ずっと先にある『怪しげな構造物』へと続いている。


 そこにあったのは、巨大な竹籠を逆さまにし、一本の細い支柱で絶妙に斜めに支えた、おそろしく古典的な鳥用の罠だった。

 支柱に結ばれたロープを引けば、支えを失った籠が落下し、中の獲物を生け捕りにする。極めて単純、かつ原始的なトラップ。


 しかし、問題はその構造ではない。


 その罠の中心部、最も目立つ場所に鎮座している『餌』――それこそが異常の塊だった。


 そこにあるのは、一冊の、実にお粗末なまでに薄い本。


 それはラルフが先日、領内の孤児の一人から「教育上極めて有害である」として没収した、男と男の禁断の情愛がこれでもかと過激に綴られた、いわゆるBLボーイズラブ本であった。


「どうにも……私には旦那様の行動が、今回ばかりは理解に苦しみます」


 アンナは冷ややかな視線をラルフの後頭部に突き刺す。


 あんな破廉恥な薄い本一冊を餌にして、本当に狙い通りの大物が釣れるのか? という純然たる疑問。もしもあんな分かりやすすぎる罠に引っかかる者がいるとすれば、それはあまりにも、獲物の頭がハッピーセットすぎやしないか……?


 そうアンナが脳内で辛辣な評価を下した、その時だった。


「……ほら、見ろ! アンナ、現れたぞ。"ホシ"だ、カイリーだ!!」


 ラルフが興奮を押し殺した声で囁く。


 その視線の先、夕闇に紛れるようにして、一人の少女が姿を現した。


 キョロキョロと周囲を全方位警戒しつつ、足取りだけは何気ない散歩を装うようにして、その足は確実に罠へと向かっている。彼女こそが領内随一の本の虫であり、同時に、悪しき腐った文学に目覚め、新たなる未知の扉を領内に流布し続けている希代の逃亡者――カイリーであった。


 彼女は罠の前に辿り着くと、周囲の警戒も忘れ、吸い寄せられるようにその薄い本を凝視した。


(マジかよ……)


 アンナは思わず、脳裏で普段の丁寧語を捨て去って素の言葉遣いで呟いていた。


 というか、仕掛けるラルフもラルフなら、引っかかるカイリーもカイリーだ。

 この二人は揃いも揃って、ただ盛大にふざけているだけではないのか? という疑惑すら頭をもたげてくる。


 しかし、事態は一瞬で動いた。


「よしッ!! かかった!!」


 カイリーがたまらず本に手を伸ばし、しゃがみ込んだ瞬間。


 ラルフが渾身の力でロープを引いた。支柱が外れ、巨大な籠が重力に従ってガシャリと音を立てて彼女を覆い隠す。


「キャンキャンキャンっ!?」


 まるで檻に閉じ込められた狂犬、あるいは新種の魔獣のように、籠の中で暴れ狂うカイリー。


「つかまえた〜!」


 そこへ猛然と駆け寄ったラルフは、口元を三日月のように歪め、実に見事な悪役フェイスで凶悪に微笑んだ。


「…………」


 完全に退路を断たれたと観念したのか、カイリーはあっさりと籠を自らどけて這い出してきた。


 そして、何事もなかったかのようにラルフの前に立ち、すっと視線を上げると、


「ラルフさま。お久しぶりです。いや~、実に気持ちのいい、清々しい朝ですねー!」


 両手を大きく広げて伸びをしながら、爽快感溢れる笑顔を浮かべる。


「……もう、完全に日が暮れかけた夕方だが?」


 ラルフは眉一つ動かさず、至極冷静にツッコミを入れた。


「いや~。それにしても急に暑くなりましたよね〜。ああっ、また眩しい夏が来ますねー!」


 カイリーはラルフの指摘を華麗にスルーし、先ほど執念でゲットした薄い本をパタパタと団扇代わりに使い、己の顔を仰ぎ始める。


「うん……確かに暑そう。すっっっごい、汗ダラダラだな、お前……」


 必死の逃亡劇の末に罠に掛かったのだから当然だが、尋常ではないレベルで滝のような汗を流しているカイリーの状態を、ラルフは哀れみの目で見つめた。


「…………では、これにてっ!」


「逃がすかよっ!」


 脱兎のごとく踵を返したカイリーだったが、その目論見は一瞬で崩れ去る。

 ラルフの手が容赦なく伸び、彼女のチュニックの後ろ首をグッと鷲掴みにした。宙に浮き、ジタバタと手足を暴れさせるカイリー。


「ラルフさま……! たとえ貴方が得意とするその恐るべき魔法の業火で、この私の身を骨の髄まで焼き尽くしたとしても……っ! この崇高な文学は決して死にません! この美しくも背徳的な芸術は、必ずや人々の心に残り、語り継がれるのです! さあ、私を歴史の礎たる灰とすればいいのです」


 捕らえられた身でありながら、カイリーはラルフに負けず劣らずの、不敵で、どこか狂気を孕んだ殉教者のような笑みを浮かべた。


「だからっ! そこまで過激な処罰はしないっての! え、っていうかさぁ。なんなのお前の大昔の天文学者みたいな悲壮すぎる覚悟は?! 命を賭して後世に『地動説』でも伝えようとしてんの!?」


 呆れ果てたラルフがまくし立てるようにツッコミを入れるが、カイリーの瞳が別のベクトルでギラリと輝いた。


「ラルフさまっ! 地動説!? なんですかソレはっ!? ま、まさか……私たちが立っているこの大地、この星自体が、何らかの法則によって動いているとでもおっしゃるのですか――っ!?」


「その話はいいっ! 面倒くさいし、作品のジャンルが違う!!」


 どうやら本の虫としての性分か、未知の知識に対する探求欲と妄想力が、カイリーの全身から溢れ出しているらしい。これ以上付き合ってはラルフの精神が削られるだけだ。


「とにかくだ! お前にどうしても依頼したい仕事がある。ほら、観念して領主館に入れ」


 ずっと追い続けていた「有害図書流布の第一級容疑者」であるカイリーの罪を、ラルフは一旦棚上げすることにした。首根っこを掴んだまま、彼女を伴って『居酒屋領主館』の店内へと足を踏み入れる。


 ガラリと扉を開けると、そこは既に多くの客で賑わう、活気と熱気に満ちた空間だった。


「やっぱり、俺はソニアさんの新曲が一番楽しみなんですよ!」


「えへ、エヘヘへへ、そうですか〜? いや~、次回はですね、結構テンポの速い、思わずこう、腰が動き出すような曲をお披露目できそうでして……」


 ガタイのいい冒険者の男にこれでもかと褒めちぎられ、ソニアは恐縮しきりといった様子で頭を下げつつも、その顔は嬉しさで完全に緩みきっていた。手にしたハチミツ梅サワーのグラスをカチンと合わせ、幸せそうに喉を鳴らしている。


 また、別のテーブルでは煌びやかなドレスを纏った貴族令嬢たちが、甘い果実カクテルを片手に格式高くも興奮気味なお喋りに興じていた。


「宮廷楽団の演奏は、やはり何回聴いても楽しみですわよね。普段はそう簡単に拝聴できるものではありませんもの」


「ええ。それに噂では、あのオルランド様が今回はかなり前衛的な曲を仕上げていらっしゃるそうですのよ」


「まあ、素敵! 楽しみですわー」


 今宵の店内の話題は、もっぱら近々王都で開催される、ロートシュタイン領主ラルフ・ドーソン主催の未曾有の音楽狂宴『ロックフェス』について持ちきりだった。


 そこへ、並々と盛られた大盛りカレーの皿を両手に抱え、凄まじいバランス感覚で客席の間をすり抜けていくエリカが通りかかる。ラルフと、その後ろで小さくなっているカイリーの姿に気がつくと、彼女はピタリと足を止めた。


「あれ? カイリー、もう捕まっちゃったの? なーんだ。あたし、あと一ヶ月は絶対に捕まらないって踏んで、賭けてたのに……。チッ」


 あからさまに不機嫌そうな顔で舌打ちをすると、エリカはそのままカレーを運び去っていった。


 その言葉を聞き逃さなかったラルフの額に、青筋が浮かぶ。


「お、お前らー……。また、なんか勝手に賭けをしてやがったな??」


 ギロリ、とラルフが居酒屋の客席全体を威圧するように見渡すと、楽しげに騒いでいた何人かの常連客が気まずそうに、サッと目を逸らした。


 そしてあろうことか、カウンターの隅でお忍びの変装をし、美味そうに冷酒を舐めていた国王陛下までもが、ラルフと目が合った瞬間に口笛を吹きながら明後日の方向を向いた。


 どうにも、このロートシュタインの住人およびその関係者は、あらゆる事象をエンターテインメントに昇華する精神がカンストしている。此度のカイリーの逃亡劇すらも、オッズがいくらだの、いつラルフに捕まるかだの、格好の賭けの対象にされていたようだ。


 しかし、そんな大人たちの世俗的な空気を切り裂くように、厨房からトトトトトーっと小気味よい足音が響いた。ミンネとハルの二人が、弾けるような笑顔で駆け出してきたのだ。


「カイリーちゃん! 久しぶりー!」


「久しぶり〜っ!」


「二人とも、元気だったー!? 会いたかったよー!」


 先ほどまでの緊迫感が嘘のように、少女たちは無邪気にキャッキャッと再会を喜び合い、抱き合っている。


 そんな微笑ましい光景を眺めながら、ラルフはふと気づいて改めてカイリーを観察した。


「というか……お前、なんか妙に健康的に日に焼けたか?」


「……え、ええ。まあ……ちょっと、色々とありまして」


 カイリーは少し気まずそうに視線を泳がせる。ラルフはふっと鼻で笑うと、意地悪く目を細めた。


「ふ〜ん。どうせ、エストルンドの長閑(のどか)な漁村で、海の幸でも貪りながら遊び呆けて、執筆活動に精を出していたんだろ?」


「え、えぇっ!? な、何故、私の潜伏先を……っ!?」


 驚愕に目を見開くカイリーに、ラルフはローブの懐から一通の手紙を取り出し、ひらひらと見せびらかした。


「ちょっと前までお前がお世話になっていた、あの村の『ラルフの酒場』の店主――ティナはな、こうして僕と定期的に連絡を取り合う文通仲間なの。お前の動向なんて、最初から僕には筒抜けだったんだよ!」


 手紙の文字を見て、カイリーの脳裏にあの一緒に過ごした健康的な浅黒い肌の、弾けるような笑顔が魅力的な若い女性の姿が浮かんだ。


「え……じゃあ、ラルフさま。本気で私を捕まえる気がなかったんですか……?」


「だーかーらー! 僕が怒っているのは、僕をモデルにした禁断の男×男小説を書くなってことだ! 書くなら一次創作をやれ、完全オリジナルの一次創作を!!」


「あ……そこですか」


 怒鳴り散らすラルフの姿を見ながら、カイリーはふと、エストルンドでの生活を思い出していた。


『いえいえ、カイリー先生! 先生は生活費の心配なんて一切しなくていいですからね! いつまでも、気が済むまでここにいてください!』


 自分の作品の熱狂的なファンだと言って、毎日のように美味しいご飯を振る舞ってくれたティナ。


 だが、今思えば……。彼女はもしかしたら、ラルフ・ドーソンから裏でカイリーの滞在費や生活費を預かっていたのではないだろうか?


 なんだかんだと言いながら、この「領民想いの聖人君子」とも評される優しい領主の庇護の手に、自分は最初からずっと守られていたのかもしれない。物語を生み出すために極限まで鍛え上げられた彼女の精巧な頭脳が、その優しさに満ちた『裏設定』を鮮やかに描き出していく。


 しかし、この極度の照れ屋である領主に、面と向かって「ありがとうございます」などと感謝を伝えても、恥ずかしがってはぐらかされるだけだということも、彼女はよく知っていた。


 だからこそ、カイリーはかつてこの居酒屋で働いていた頃のように、とびきりのワガママで応えることにした。


「ラルフさまー! 私、お腹が空きました! チャーハンが食べたいです! 具がこれでもかとゴロゴロ入った、特製の五目チャーハンが!!」


 両手を天高く掲げ、精一杯の音量で堂々と宣言する。


「ああ、はいはい、わかったよ。すぐ作ってやるからカウンターに座れ」


「はーいっ!!」


 客席の誰も彼もが、その平和的かつあまりにもいつもの日常に回帰した逃亡劇の結末を、ニヤニヤと温かい目で見つめていた。


 カイリーがウキウキとした足取りでカウンター席に腰を下ろすと、隣の席から渋く、しかし威厳に満ちた声が掛けられた。


「ハハハ、そこな娘、儂も飲み物を一杯奢ってやろう。何がいい?」


 見れば、まさかのお忍び姿の国王陛下である。ラルフの裏をかいて一泡吹かせ続けた小さな英雄(逃亡犯)に対する、彼なりの賞賛の一杯を贈りたかったのだろう。


「えっ、本当ですか!? ありがとうございます! では、コーラを!」


「ラルフ! 聞いたな、コーラだ。すぐに、コチラの勇敢なる若きレディに極上の一杯を!」


「へいへい……今やりますよ、すぐにね」


 ラルフはカウンターの向こう側で、いかにも面倒くさそうに、しかし手際は完璧にボトルを準備し始める。


 カイリーはソワソワと、久しぶりに堪能できる大好物のチャーハンを待ちながら、先ほど保留にされていた根本的な質問を、調理を始めるラルフの背中に向けて投げかけた。


「そういえば、ラルフさま。私に、何か『依頼』があると、そうおっしゃっていましたよね?」


 ラルフの手が止まる。


 彼はカラリと心地よい音を立てて氷を回し、よく冷やされた特製のタンブラーに、独自のスパイスを調合した自家製クラフト・コーラをたっぷりと注ぎ入れた。そして、それをカイリーの目の前のコースターにトン、と静かに置くと、真剣な目を彼女に向けた。


「カイリー。お前、あれだけ人を惹きつける物語ストーリーが書けるってことは……当然、『歌詞』も書けるよな?」


「……か、し、ですか?」


 ストローを咥えようとしたカイリーの動きがピタリと止まる。


 こうして、腐女子文学という独自の創造性の翼を持つカイリーの才能は、ラルフの思いつきによって、新たなる『音楽』という壮大なステージへと、その羽を大きく広げていくことになるのだった。

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