441.新しい学校の噂
その日以降――ロートシュタイン領主ラルフ・ドーソンの日常は、文字通り逃げ場のない「質問攻め戦場」へと変貌を遂げていた。
始まりは、ほんの少しの、国王の気まぐれな思いつきのはずだった。
しかし、それが。ラルフがどこにいようと、何をしていようと、影のようにその「噂」が付きまとってくるのだ。
例えば、よく晴れた午後のこと。
ラルフが市場の喧騒をフラフラと歩き、
「今晩のビールに〜♪ 合うツマミはなにか〜♪ ミンネどこへいった〜♪」
と、口ずさみながら、のんきに品定めをしていた時のことだ。
「ちょっと、領主さまー! 聞きましたわよ! ロートシュタインに新しい学校を創設されるんですってねー!」
背後から鋭く、しかし弾んだ声で呼び止められた。振り返ると、そこにはマリアンヌ・ホテルの敏腕オーナー、アリアンヌが仁王立ちしていた。
「あ、いや、その、アリアンヌさん? それはまだ、ただの思いつきというか、妄想の段階というか……特に具体的な骨子があるわけでも――」
「ちょうど良かったわ! うちの姪っ子がね、進学のためにわざわざ遠い王都へ行こうか本気で悩んでいたのよ。ここロートシュタインに学校ができるなら、まさに渡りに船じゃない! ねえ、当然『経営学科』は設立されるのよね? 経営のノウハウを叩き込んでくれるんでしょうね?」
機関銃のようにまくし立てられ、ラルフは完全にタジタジとなり、言い訳の言葉を飲み込むしかなかった。
またある時は――、
気分を変えて水上都市の一角へと足を運んだ。
日差しのきらめく美しい水面に小さな木舟を浮かべ、優雅に釣り糸を垂らして静寂を楽しんでいた、まさにその瞬間。パチャパチャと水をかく音が聞こえ、ラルフの元に一艘の小舟がスィィィィィッ! と近づいてきた。
「ラルフさまー! 学校をつくるって本当ですか! 僕、噂を聞いて飛んできちゃいました。もしできたら、僕もぜひ入学したいなーって思って。――それで、あの……『水産資源学科』なんて。そんな、マニアックな学科、あったりしますかぁ?」
小舟の上から身を乗り出してきたのは、領内でも有名な釣り好きの貴族の少年だった。
その瞳は、水面を反射する太陽よりもキラキラと輝いており、ラルフはあまりの眩しさに胃のあたりがキリキリと痛み出し、何も言えなくなってしまった。
あるいは、美味い匂いが立ち込める屋台街を「領内視察」という便利な名目でフラフラと食べ歩きしていた時のこと。
「あーっ! ラルフさま見っけー! ちょうど良かった、学校創設の件なんですけどぉ!」
湯気の向こうから突撃してきたのは、ポンコツ・ラーメンとして名高いパメラだった。彼女は未来への輝かしい展望に、その豊かな胸を大きく膨らませて息を荒くしている。
「調理師育成の学科も、当然あるんですよね!? 数年後には、そこから歴史に残るような優秀な料理人がゴロゴロ輩出されるんですよね!? 私たち、気が早いって言われるかもしれないんですが、一足先に求人を出したいんですけど、窓口はどこですか!?」
パメラの熱量に圧倒され、ラルフはただ笑顔で後ずさりするしか選択肢がなかった。
いよいよ居場所をなくしたラルフが、逃げるようにして訪れたのは、冒険者ギルドの食堂だった。
薄暗いカウンターの片隅に腰を下ろし、真っ昼間から冷えたビールを喉に呷る。麦の苦味が喉を潤し、ようやく一息つけるかと思った矢先――。
ドスン、と隣の椅子が重々しく揺れた。
「ラルフさまよぉ……。例の、街中で噂になってる学校の件だが。……まさかとは思うが、『冒険者養成コース』は当然あるんだろーなぁ? いや、あるに決まってますよねぇ? そうだ。絶対に、あるはずだ!」
そこにいたのは、深刻な人材不足と若手の育成不足に日々喘いでいるギルマスのヒューズだった。
その眼光は鋭く、もはや確認という名の「決定事項の押し付け」に近い圧を放っている。
なんだか、
どこに行っても、
誰と話しても、
現在のロートシュタイン領の最大トレンドは「新たな学校の創設」の一択だった。
(なんなんだ?! この領の噂の伝播力と、異常なまでのブーストは?!!)
ラルフは心の中で、どこぞの何者かに向かって激しいツッコミを入れずにはいられなかった。
まだ計画の「け」の字すら立っておらず、そもそもそんな巨大な事業が我が領で実現可能なのか? という、諸々の検討すら始めていないのだ。
何故なら、そんな面倒なプロジェクトを立ち上げれば、領主である自分が主導で動かされることは火を見るより明らかだからである。
降って湧いたような、あの国王の突飛な思いつき。
そんなものは、時と共に自然と現実味を失い、いつの間にか立ち消えるだろう――そう確信し、またそうなることを切に願っていたのだが。
現実は残酷だった。
これでは、噂に尾びれ背びれが付くどころの騒ぎではない。
噂自体に頑丈な脚と手が生えてきて、おまけに立派な翼まで生えたと思ったら、ラルフの手の届かない明るい未来へ向かって大空を"フライ・アウェイ!"しているではないか……。
謎の包囲網によって精神的に追い詰められたラルフは、ついに人通りの少ない西一番通りの橋桁の下へと避難した。
ジメジメとした影の中に蹲り、ただ静かに流れる川の水面を眺めて現実逃避を決め込もうとした、その時。
――突如、ザバァァァッ! と激しい水しぶきを上げて、川底から見慣れた鉄塊、潜水艇が浮上してきた。
金属音を立ててハッチがパカッと開き、中からひょっこりと顔を出したのは――。
「ラルフ……。新しい学校の話、聞いた。……『魔導工業学科』もある? 私も通いたい。もし可能なら、通信制がいいんだけど」
ダンジョン・マスターのスズだった。
相変わらずの無表情だが、その瞳の奥には静かな熱が宿っている。どうやら彼女の生き甲斐である、機械式ゴーレム生成における知見を、次世代の育成という形を借りてさらなる高みへと昇華させたいらしい。
「お前まで……。しかも通信制って、お前、陰キャだから、引きこもってたいだけだよな……?」
呟くラルフを残し、伝える事を伝えたスズは満足したのか再びハッチを閉め、泡と共に水底へと沈んでいった。
その趣味に、忙しいのかもしれない……。
なんか……。
本当に、色々なことが面倒くさくなりすぎて。
ラルフは、無性に広い海が見たくなった……。
現実のストレスから遠く離れるため、港へと足を運び、波止場に腰掛けてスルメを不貞腐れたようにむしゃぶりながら、果てしなく揺れる波間を見つめていた。
潮風が頭痛を少しだけ和らげてくれる。
だが、そんな穏やかな時間は、またしても無慈悲に破られた。
「ラルフさまーーーっ! 学校って、もしかして『航海士育成の学科』もありますかーーーっ!? ありますよねぇーーーっ!?」
はるか洋上、港に入港しつつある巨大なアビエラ・グレイス号の甲板から、メガホンを片手に大きく手を振っているのは、メリッサ・ストーン船長だった。
というか――。
航海に出ていて、今しがた港に戻ってきたばかりのはずの彼女が、一体どうやってその噂を耳にしたというのか?
謎が深すぎる……。
ここロートシュタインの噂というやつは、電波よろしく海原をも一瞬で飛び越えるというのか……?
ラルフはスルメを噛み締めたまま、天を仰ぐしかなかった。
やがて夜になり、『居酒屋領主館』の開店時間を迎えた。
ラルフは現実から逃れるのを諦め、仕方なく店主としていつものようにカウンターの中に立っていた。
しかし、店内に満ちる熱気の中で聞こえてくるのは、やはりあの忌まわしき話題ばかりだった。
「やはり、我が騎士団の未来のためにも、剣技に特化した学科を設けるべきだ。将来有望な若者を、学生の段階から青田買いできるのは、我らにとって僥倖以外の何物でもない!」
「父親! あなた、天才ですか……! 確かにその通りですね!! 我らが後輩をここで育てましょう!」
ジョッキを激しくぶつけ合い、熱弁を振るっているのは、実直な騎士であるカーライル親子だ。
「ふむ……『魔獣生態学』なら、私でも十分に教鞭をとれると思うぞ。教員の募集はいつから始めているのだ? こう見えても一応、王都の魔導学園で教職の位はとっておいたのだ。アルバイトとしては悪くない」
極彩色の大蛇を肩に巻き付けたテイマーのヴィヴィアン・カスターが、新たな副収入の機会を見つけたとばかりに目を爛々と輝かせて息巻いている。
「おっ、いいねぇ! なら『精霊魔法学』は、この私が受け持ってあげるわ! あぁ、懐かしいなぁ、学園生活かー。ねえ、当然! アルフレッド、あんたも一緒に教鞭をとるわよねぇ!?」
すでにかなり出来上がっている炎の精霊使い、パトリツィア・スーノが、かつての同級生である男の肩にだる絡みのように腕を回し、ぐいぐいと顔を近づけている。
「……酒臭いぞ。触るな酔っ払い、衣服にアルコールが染み付く……。ふむ。しかし、確かに……少しは楽しそうだな。私の知識が、錬金薬学の未来に貢献できるというのなら、悪くはない。……また、我ら『災厄の黄金世代』が、同じ学び舎に集まるわけか……」
迷惑そうにパトリツィアを押し返しつつも、アルフレッドはどこか遠い目をしながら、不思議な感慨に浸るように呟いていた。
さらに、奥のテーブル席からは、別の不穏な酔っ払いたちの声が響く。
「お姉ちゃん! やっぱり『酒造り学科』も絶対にやるべきだよね?! これ、聖教国のためにも絶対に必要不可欠だよ!」
「あったりまえでしょー! ついでに敷地内に大きな教会も建てましょう! 私たちの『聖女酔教』の門下生を、若いうちから大量に増やすのよぉ!」
聖女姉妹が、酒の勢いに任せて、教育機関を宗教都市に変えかねない恐ろしい陰謀を企んでいた。
まあ、ここは居酒屋なのだ……。
酔いに任せ、客たちがこれだけ賑やかに盛り上がっているのは、居酒屋オーナーとしては非常に喜ばしいことではある。
だが、それを差し引いても、ラルフのコメカミを襲う頭痛が治まる気配は微塵もなかった。
すると、その時である。
ドン、と目の前のカウンターテーブルに、かなりの重量感を持った分厚い書類の束が叩きつけられた。
「はい、これ。国王さまの直筆サイン入り『勅許状』と、学校設立の『計画草案』、それから初期投資の『予算案』ね。……あ! ついでに校舎を建てる土地の選定もいくつか済ませておいたわよ……」
「…………ぇ」
ラルフがゆっくりと視線を上げると、そこには不敵な笑みを浮かべ、金髪のドリルツインテールを誇らしげに揺らしながら、胸の前で腕を組む少女――エリカが立っていた。
「ちょっと待て、エリカ……。これ、一体どういうことだ……!? なんでお前が、勝手にこんな、国を揺るがすような書類を揃えてるんだよ!!」
ラルフの我慢の限界が訪れ、ついにカウンターの中で怒りが大爆発した。
「だって、あんたって、どれだけ周囲が盛り上がってても、面倒くさがって絶対にこういう大切な実務をやらないじゃない。だから、見かねたアンナとあたしで、裏から手を回して全部事前にやっておいてあげたのよ! 感謝しなさいよね!」
エリカはふん、と鼻を鳴らした。
彼女が謎に高い実務能力と行動力を持っていることは、嫌というほど理解していたつもりだった。
だが、まさか、領主である自分を完全に飛び越えて、ここまでの外堀を埋めてみせるとは夢にも思わなかった。
かくいう、その共犯者である筆頭メイドのアンナはといえば。
ラルフからの刺すような視線に対し、感情の消えた無表情のまま、チラリと一瞬だけ目を向けた。そして、何事もなかったかのように、忙しそうに次の料理を持って給仕へと戻っていってしまった。完全に確信犯である。
ラルフは底知れぬ絶望感に打ちひしがれながら、震える手でその分厚い書類を持ち上げた。
一番上の羊皮紙に書かれた勅許状には、確かに、どこからどう見ても本物の、ウラデュウス国王陛下の流麗なサインと、厳粛なる王家の魔導刻印が押されている。
そもそも、そのサインをした張本人である国王はといえば――すぐそこ、カウンターの一番いい席に陣取り、
「いやぁ、この帝国産の冷酒も、美味いではないか! 五臓六腑に染み渡るわっ!」
などと言いながら、赤ら顔で気持ちよさそうに管を巻いている。
そう。
ここ、ロートシュタイン領においては。
本来の政治であれば数ヶ月、あるいは数年を要するはずの、ありとあらゆる「根回し」「内諾」「地ならし」「利害調整」、そういった煩雑で泥臭いコミュニケーションのすべてが、恐ろしいほど超効率化されていた。
何故なら――ラルフ自身が生み出した、この世のものとは思えない『美味しい料理』と『最高の酒』に強く惹きつけられて、この狭い居酒屋の店内に、王国の最高権力者から軍のトップ、各国の特権階級の重鎮たちが、夜な夜な一堂に会しているのだから。
「あぁ、……詰んだわ、これ……完全に、詰んだ……」
ラルフは、手の中の書類の重みを感じながら、今度こそ完全に諦めの混じった深い溜息を吐き出すのだった。




