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居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


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401/405

401.狩人とオトーシ

 今宵、ロートシュタインに新たな英雄が産声を上げた。


「でっけぇ……! なんだこりゃ、化け物かよ!」


 ラルフの口から漏れたのは、感動と驚愕が綯い交ぜになった感嘆だった。

 夕闇の紫に染まりつつある居酒屋領主館の前庭。

 そこに鎮座していたのは、もはや魚という概念を凌駕した巨躯を誇る「大マグロ」である。


 行列をなす客たちは、その圧倒的な存在感と、ぬらりと光る銀の肌を前に、文字通り涎を流しながら釘付けになっていた。


「これ、釣ったのか?」


「いえ! ……ガイ・ユーリーさんが、もりでズドン! ですよ」


 傍らで胸を張ったのは、海の荒くれ者集団『シャーク・ハンターズ』のフィセだ。その声には、目撃した者だけが抱く純粋な敬意が宿っている。


「魔導具の爆撃銛か?」


「いいえ、その、ただの鉄の、普通の銛です」


「え……まさか、素手で?」


「はい。激しく揺れる足場(バウ・デッキ)の先端、大波を浴びながら、一閃。あの獲物を仕留めた様は、まさに海に君臨する英雄そのものでした……」


「スゲェな! ガイさん。いやぁ、逸材が来たかぁ〜」


「だから、逸材なんてもんじゃないですよ! もしかしたらあの人、竜族ドラゴンさえも狩れるかもしれない、英雄の器ですよ?!」


 ガイ・ユーリー。共和国から流れてきた(デスロード・スカウトにより連れてこられた)難民の一人であり、生粋の狩人。


 齢五十を超え、白髪が混じり始めた長い髪を無造作に後ろで束ねているが、その体躯には一切の弛みがない。しなやかな筋肉は、長年の野営と狩猟で研ぎ澄まされた野生の証だ。


 今回、彼がシャーク・ハンターズに同行したのは単なる気まぐれだという。

 どこかの組織に属し、型に嵌まった職に就くことを忌避する自由人。冒険者ギルドからの熱烈なスカウトに対し、一応の登録こそ済ませているものの、パーティを組んでダンジョンを攻略することには興味を示さない。

 ラルフの前世の言葉を借りるなら、彼は「孤高のフリーランス」を地で行く男だった。


「というか、ラルフ様。これ……捌けるんですか?」


「いやぁ、まあ、できないことは、ないけど……。幸い、今日はサルヴァドルさんが来る日だからね。この解体ショーは、専門家(プロ)に丸投げ……いや、お任せしよう」


 ラルフは即座に、泣きつく相手を定めた。


 全長:5メートル超。

 推定重量:1トン弱。

 この巨体を運ぶためだけに、大型魔導輸送車『ファットローダー』をチャーターしたのだ。

 いくらなんでも、素人ラルフの手には余りすぎる。


「それじゃあ、野郎共! 居酒屋領主館、開店だぁ!!」


 ラルフの号令が夕闇に響き渡る。


「待ってましたッ!」


「ビール〜♪ ビールぅ♪」


「マスター?! エリカさんから、"油そば"とかいう裏メニューがあるって聞きましたよ! 隠してたんですか?! それを所望しますからね!」


「今日は、オルティも厨房に立っているらしいですよ? 司教」


「大丈夫かいな? 激辛料理しか出てこないんじゃなかろうな?」


「ほら、ガイさんも。早く早く! 英雄が突っ立ってちゃ始まらないぜ!」


 雪崩を打って客たちが店内へとなだれ込み、静寂は一瞬にしていつもの喧騒に塗り替えられた。


「「「カンパーイ!!」」」


 そこへ、どこから嗅ぎつけたのか、魚を愛してやまない国王が文字通り「すっ飛んで」きた。


「サルヴァドル! 何をボサッとしている! すぐに捌け! 今すぐだ!」


 引っ張ってきた宮廷料理長をせっつき、前庭では松明の明かりの下、前代未聞の解体ショーが幕を開けた。


 熱気に包まれる店内。

 ラルフは、今宵の主役であるはずのガイに歩み寄った。

 彼はシャーク・ハンターズの面々に囲まれ、賑やかな輪の中心にいたが、その手元にまだ「一杯目」がないことに気づいたからだ。


「やあ、ガイさん。最高の獲物をありがとう。……何から飲む?」


「あ、ああ、領主様。……実はな。その、俺ぁ、酒は一滴もやらないんだ。場違いで申し訳ねぇが、できれば茶でもあれば……」


 ガイが申し訳なさそうに零した言葉に、ラルフは一瞬だけ目を丸くした。

 この世界の酒場といえば「飲めない奴は去れ」と言わんばかりの場所だという先入観があるのだろう。だが、ラルフの驚きは単に「何故か周りに酒豪しかいなかったから」という至極個人的な理由に過ぎない。


「ああ。ウチはお子さん達も来ますし、こうして、ソフトドリンクのメニューもあります。好きなものを選んでください!」


 今度はガイが絶句する番だった。

 フィセに「ああ、あそこなら大丈夫だと思いますよ!」と半ば強引に連れてこられたものの、彼にとって酒場は苦行の場でしかなかった。

 しかし、差し出されたメニュー表には、目移りするほど多彩な「ノン・アルコール飲料」が並んでいたのだ。


 紅茶、緑茶、麦茶、豆茶。

 さらには葡萄ソーダにメロンソーダ、さらには秘伝のクラフトコーラまで。


 未知の文字列に翻弄されながらも、ガイは一番聞き覚えのある名前を指差した。


「よくわからねぇが、この『紅茶』ってのは、貴族様が嗜むっていう高級品だよな? 一生に一度くらい、飲んでみてぇ」


「温かいのにする? それとも、冷たいやつ?」


「え? こ、紅茶を冷やすなんてことができるんですかい?」


「もちろん。ロートシュタイン流の『アイスティー』、美味いよ!」


「じゃあ……それで頼む」


 ガイの注文を受け、ラルフは軽やかな足取りで厨房へと消えていった。


 再び周囲の談笑が耳に届く。


「いやしかし、ガイの旦那の『眼』は本物だ。あの鳥山ナブラを真っ先に見つけた。俺らより早くだぜ?」


「そうですよ! あの投擲の精度、あれは感動しましたぜ! ぜひウチのクランに加入を!」


 すると、隣のテーブルの冒険者からも声が上がる。


「いやいや! 海なんてもったいねぇ。その腕があれば、魔の森のAランク魔獣だってカモだぜ。冒険者になれば、金も女も思いのままだ、ガイの旦那!」


 猛烈な勧誘の嵐。そこへ、涼やかな音を立ててラルフが戻ってきた。


「お待たせ! 特製アイスティーだ。まずはそのまま、もし試してみたければ。このシロップやレモン、ミルクで自分流にカスタマイズしてみて。何かあれば呼んでね」


 置かれたのは、背の高い透明なグラス。


 ガイは、その美しさに息を呑んだ。

 琥珀色の液体が照明を反射してきらめき、中にはカランと涼しげな音を立てる「氷」が浮かんでいる。


(……氷だと?)


 カウンターの向こうを見れば、あの大魔導士として名高い公爵様が、あろうことか「製氷アイス」の魔法を酒場の備品作りのために行使している。

 その贅沢すぎる光景に、ガイは呆れを通り越して戦慄すら覚えた。


 彼は、震える手で冷たいグラスを持ち上げる。


 狩人として、ヒトの群れから、文明から背を向けて生きてきた自分。

 そんな自分が、貴族が口にするという高貴な滴を味わう日が来ようとは。


 静かな感動が胸に満ち、彼はゆっくりとその液体を喉へと滑らせた。


「――っ!?」


 まずは鮮烈な冷気が、冬の清流のように喉を駆け抜ける。


 続いて、春の花園を凝縮したような華やかな香りが鼻腔を抜け、舌の端をかすめる心地よい渋みが輪郭を整える。

 そして最後には、繊細な甘みの余韻が長く、深く残った。


「おお……! こりゃあ……確かに、貴族様が独占したくなるわけだぜ!」


 思わず叫んでいた。

 その声に反応して、カウンターでくつろいでいた辺境伯が、面白そうに振り返る。


「ほう、ガイ殿は紅茶の味がわかる口か。ならば今度、我が領地で採れた特選茶葉を贈ろう。ロートシュタインの品にも引けを取らぬ自慢の品だ」


「あ、あの! いや、自分のような者に、そのような……」


「構わん。あのマグロの切り身を、私も私的に購入させてもらうつもりだからな。……それに、"凄腕"と個人的に友誼を結ぶことは、色々とこちらにも利があることなのだよ」


 心底面白そうに。そう言って、何か企みに満ちた光をその目に宿す辺境伯。


「は、はぁ……」


 困惑するしかない。

 森の中で一人、獲物と対峙することにのみ心血を注いできたガイにとって、この場所の「常識のなさ」は衝撃的だった。

 身分の差を軽々と越え、共通の「美味」を前に笑い合う。まさに、ここは異境だった。


 そこへ、再びラルフがトレーを手に現れた。


「ガイさん、これ『オトーシ』ね。今日はヨランダが張り切って作ってくれたんだ。……この三種類から、好きなものを選んで!」


 カウンターの奥で、誇らしげに胸を張るのは、聖教国魔導厨師の称号を冠したばかりのヨランダ・カームだ。


「お、おとーし……?」


「そう、一品サービス。つまり、タダだ! ウチは席料もとってないんだぜ! フフン!」


 と、何故か得意げなラルフ。


「タダって……こんな料理を、無償で?」


 ガイの視線の先には、小鉢に盛られた三つの宝石があった。

 燃えるような赤が食欲をそそる『麻婆豆腐』。

 鮮やかな緑のネギが散らされた、艶やかな『茄子の煮浸し』。

 そして、雪のような白に黒胡椒のアクセントが効いた『マカロニサラダ』。


(これ……本当に酒場の、それも無料の料理なのか? 王族の晩餐の並びじゃねぇのかよ……)


 喉が鳴る。

 視線が、三つの小鉢の間を三角形に、何度も、何度も彷徨う。

 どれか一つ。

 そんな究極の選択を前に、狩人の決断力は霧散していた。

そして、彼は意を決して、絞り出すように言った。


「あ、……あのぅ。……もし、許されるなら。三つとも、全部いただくことは……できませんかね?」


 ラルフは一瞬だけ目を見開き、そして観念したように深い溜息をついた。


「……いいよ。もう、特別ね。一つはサービス、後の二つは追加料金を少しだけもらうけど、いいかい?」


「ああ! もちろんだ!」


 テーブルに三つの小鉢が並べられた瞬間。


 店内から、怒号に近い声が上がった。


「おい領主様よぉ! そんなことが許されるなら、最初から言えよ!」


「そうですわ! わたくしも、一品に絞るのにどれだけ苦労したと思っているのですか!」


 どうやら、居酒屋領主館の常連たちは、この『オトーシ一品制』を鉄の掟として守っていたらしい。

 それがガイの素朴な要望によって崩されたのだ。


「俺は、このマカロニサラダをドンブリで食いたいんだよ!」


「私は煮浸しをもう一皿! 生姜マシマシで頼むわ!」


 怒涛のように押し寄せる追加オーダー。


「ガイの旦那、よくやった! あんたはやっぱり英雄だぜ!」


「なんだ、つまり、裏メニューみたいなもんだったのか? 気が付かなかったぜ。……やるな、ガイさん!」


 なぜか周囲の冒険者や漁師たちに肩を叩かれ、称賛されるガイ。


「あー! もう、わかった! 順番に作るから! 頼むから騒ぐな〜!!」


 ラルフの悲鳴のような声を聞きながら、ガイは今までに感じたことのない、奇妙で、それでいて温かい居心地の良さに包まれていた。


 かつて、同業者に無理やり連れて行かれた酒場は、不快な酒と怒号が飛び交うだけの場所だった。

 だが、ここは違う。

 好きなものを、好きなように、自分らしく楽しむことが許されている。

 誰も強要せず、誰もがその瞬間の幸福を分かち合っている。


 酒を飲んでいないはずなのに、心地よい昂揚感が、冷たい紅茶とともに全身を駆け巡る。


 移り住んだばかりの、見知らぬ土地。

 だが、この一夜だけで、彼は「友」と呼べる者たちとの確かな縁を手に入れていた。


 ガイ・ユーリーは「箸」という名の不慣れな二本の棒に悪戦苦闘しながらも、三つの小鉢が織りなす未知なる滋味を、慈しむように交互に口へと運ぶ。

 指先に伝わる覚束なさと、胸を満たす確かな温もり。

 彼は、いつまでも途切れることのないロートシュタインの喧騒に、心地よく身を委ねるのだった。

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― 新着の感想 ―
お通しや突き出しの文化って理解するけど、茹でだかレンチンだかのもやしで500円とか取る挙句に箸代やおしぼり代にテーブルチャージまで取る様な悪質酒場もあるからなぁ、、、 繁華街のキャッチが居る様な所だけ…
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