391.Tumble On!
その日も、ロートシュタインの空は抜けるような蒼穹に包まれていた。
陽光を浴びて輝く街並み、その一角で、今日も今日とて奇妙な光景が繰り広げられている。
ロートシュタイン放送局による、いまや領民の日常に深く入り込みつつある「魔導波」を用いたラジオ番組の街頭中継だ。
機材を担ぐ音響スタッフ、進行表を凝視するディレクター、そして忙しなく動き回る小間使い(AD)の少年。
その中心に立つレポーターは、現場の泥臭さとは対極に位置する、あまりに高貴な人物だった。
ディレクターが指を弾き、無言で「キュー」を出す。
「はい! 皆様、ご機嫌よう。『グレン・アストンの建もの タンブル・オン!』……さあ、始まりましたよ」
集音マイクに向かって、まるで極上のワインを転がすようなバリトンボイスを響かせたのは、美食家として知られるグレン・アストン子爵その人である。
なぜ、王都でも名の知れた彼が地方局の冠番組を持っているのか。その経緯は謎に包まれているが、当の本人は至って愉悦に浸っている様子だ。
「今日はですね〜、ロートシュタイン領の喧騒を少し離れた、静かな郊外へやってきました。……いやぁ、いいですねぇ。頬を撫でる風が実にかぐわしい。清らかな小川のせせらぎに交じって……おや! 小気味のいい金槌の音が聞こえてきましたよ。……さあ、見えてきました。現在建設中の、デューゼンバーグ伯爵の別邸でございます。……あ、どうも! リネア夫人」
「ふふふ。グレン子爵、昨日ぶりですわね!」
銀鈴を転がすような笑い声で応じたのは、リネア・デューゼンバーグ。
華やかなドレスの裾を揺らし、にこやかにインタビューに応じる彼女の瞳は、自慢の「城」を前にして輝いている。
「本日はよろしくお願いします。なんと、完成間近の別邸内部を特別にご案内いただけるとか?」
「ええ! もう九割方は出来上がっておりますの。特に、一階にオープン予定の『スナック・リネア』としてのフロアは、是非とも皆様に見ていただきたくて!」
亭主である伯爵の意見など微塵も介さず、己の趣味嗜好を全開にしてオーダーした別邸。
リネアのボルテージは、既に最高潮に達していた。
「では、まずは外観から拝見しましょう。……いやー、これは立派な丸太だ! いわゆるログハウスというやつですね?」
「ええ! 木の魔物、トレントの材をふんだんに使っておりますのよ。強度は折り紙付きですわ」
「いやー、いいですねぇ……。生命の力強さを感じます。……わかりました! ……では、さっそく中へお邪魔しましょう」
重厚な扉が開かれた瞬間、グレンの口から感嘆の溜息が漏れた。
「いやぁぁぁ、いいですね〜! そう来ましたか!」
グレンは仰ぎ見るように、高い天井を見つめた。
「はいっ! 二階部分までの一部吹き抜け。これで圧倒的な開放感を演出いたしましたの!」
「ほう。天井は……『現し』ですね?」
「その通りですわ。あの、改築後の『居酒屋領主館』を参考にさせていただきましたの」
本来なら天井板で隠してしまうはずの梁や横柱を、あえて剥き出しにする技法。それによって視線は一気に上方へと抜け、木材の無骨な逞しさが空間に風格を与えている。
「いやぁ、素晴らしい! 奥様のこだわり、随所に感じますよ」
「ありがとうございますわ!」
「さて、ほう……! ここが客席、いわゆるボックス席ですか」
「ええ。ソファは王都の本邸からわざわざ運び込ませた最高級のオーダー品ですわ」
「では、少し失礼して……。ああ、なるほど。一階はこじんまりとした居心地の良い空間ですが、不思議と圧迫感がない。いやぁ、いいなぁ……。これは酒が進みますよ」
グレンはソファの弾力を確かめながら、近い未来、ここでグラスを傾ける自分の姿を幻視しているようだった。
彼は再び立ち上がり、品評を続ける。
「このカウンターも見事だ。お一人様でも、気兼ねなく入店できる趣向ですね?」
「もちろんですわ。静かに嗜みたい方はこちらへ。複数人で賑やかに、というお客様はパーテーションの向こうのソファへ。動線もしっかり考え抜きましたの!」
「計算されてますねぇ!」
「いえいえ、それほどでも……あるのかしらね!」
褒められ尽くし、リネアの頬は上気している。
そしてグレンの鋭い審美眼は、窓辺の一角で止まった。
「ほう! これは素晴らしいカーテンですねぇ。さぞかし、高かったのでは?」
「うーん、まあ、そこそこね! 水上都市の織物工房に特注した、私のこだわりの逸品ですのよ」
「ふむ……。『オーダーカーテン』は、高い。……それがこの世の常識ですからねぇ。わかります、その重み」
何故か、オーダーカーテンに一際注目するグレン子爵。
すると、
――その時。
淡い花柄のレースの向こうから、現場の活気が一段と高まる音が響いてきた。建築を担うドワーフの大工たちや、期間奴隷たちの騒ぎ声だ。一体、何が起きたというのか……。
「あら? ラルフ公爵の出前が届いたようですわね。 ……そういえば、もうそんな時間。お昼休みですわ!」
リネアの言葉に促されるように、中継クルーと共に外へ出ると、そこには壮観な景色が広がっていた。
「ほらー! ちゃんと並べ、並べ! 全員分あるからな! 念のため余分に用意してあるから、慌てるんじゃねえぞ!」
魔導車:ハイバックスの荷台に立ち、演説でもするかのような勢いで作業員たちを統率しているのは、ラルフ・ドーソン公爵その人である。
彼に雇われた若い冒険者や、領主館で働く孤児たちが、手際よく本日の「昼食」を配っていく。
受け取ったドワーフたちが、傍らの材木に腰掛けて蓋を取る。そして、辛抱堪らずに、すぐにかき込む。
「あー! 美味い! 肉と米、そしてこのしょっぱくて甘いタレ……これだ、これだよ!」
頭領が騒がしく丼をかき込む中、一人の奴隷の男が、一口頬張った瞬間に動きを止めた。
「むぐっ……。えっ、美味っ……何だこれ!? え、美味しすぎる……。俺、俺……、なんか……奴隷になって、よかったかも……」
領主館特製の『タレカツ丼』。
その、衣に染みた甘辛いタレと、噛みしめるほどに溢れる肉の旨みが、男の凝り固まった心を溶かしたのか。彼は丼を抱えたまま、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
そこへ、グレンが優雅な足取りで近づく。
「いやー、ラルフ殿。また美味しそうなものを発明されたようですね?」
ラルフはぎょっとして目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待って! グレン子爵まで!? これ、何の番組だよ?! 最近どこにでも現れるなぁ、このマスメディアがっ!」
盛大に戸惑うラルフを他所に、中継は続行される。
元は彼自身が発明した、魔力同調を基礎とした通信技術。
それが娯楽として花開き、このロートシュタインでは今や、領主であるラルフの制御を離れて暴走し始めていた。
「ラルフ殿。儂も、ぜひ、ご相伴にあずかりたいのだが?」
それがレポーターとしての職務なのか、それとも一人の美食家としての欲望なのか。グレンの目は真剣だ。
「ラルフ公爵! 私も食べたいですわ!」
「おい! ディレクター! ちょっとこっち来い! プロデューサーは誰だ!? 誰が許可した! ただでさえ出前の問い合わせが殺到してんだよ! 勝手な宣伝を公共の魔導波で流すたぁ、どういう了見だ!」
憤慨するラルフの前に、一人の男が悠然と歩み出た。
「やあ、ラルフ。……僕が、スポンサー兼エグゼクティブ・プロデューサーだよ」
差し出された名刺。
そこには確かに、『ロートシュタイン放送局 エグゼクティブ・プロデューサー:ミハエル・バランタイン』の文字が。
ラルフの元同級生であり、悪友。
そして何より、この王国の第三王子。
「お、お、お前……。何やってんだ……ッ?!」
ラルフはその名刺をギリリと握りつぶした。
なぜ王族が地方局の中枢に食い込んでいるのか?
公爵である自分ですら太刀打ちできない「最高権力」の介入に、納得のいかない怒りと、さらなる混乱の予感が、ロートシュタインの快晴の空の下で渦巻いていた。




