379.串焼きを巡る出会い②
たった一日で、最強の退魔師をも唸らせる「美味いヤキトリ」を創り上げる。
ファウスティン公爵から突きつけられたその無理難題は、少年エドの心に、これまで経験したことのない暴風雨のような混乱をもたらしていた。
掌に残る金貨一枚の重み。
それは単なる通貨としての価値を超え、エドのちっぽけな肩にズシリとのしかかる重責の証だった。
だが、暗雲の中に一筋の光はある。
あの気難しい公爵が、「タレは美味い」と認めてくれたのだ。
それもそのはず、あれはエドが寝食を忘れて試行錯誤し、ようやく辿り着いた血と汗の結晶。美味くないはずがない。その自負だけが、彼を支える最後の砦だった。
ならば、問題は「肉」だ。
最高級の部位を揃えれば解決するのか?
肉屋のアントニオの店へ行けば、何か秘策が見つかるのか?
いや、金貨という潤沢な資金があるとはいえ、残された時間は砂時計の最後の一粒が落ちるのを待つばかりに少ない。
迷っている暇はない。
エドが選んだ方策は、ただ一つだった。
早朝の冷気が満ちる居酒屋領主館。
かつて自分が反抗的な態度で働き、それでも、救われた場所。
エドはその門を叩き、ラルフの前で、迷わず床板に頭を叩きつけた。
「お願いします! ラルフ様! ヤキトリを美味しく作る方法を……どんな肉を使えばいいのか、そしてどんな仕込みが必要なのか、教えてください!!」
なりふり構わぬ必死の叫び。額を床に擦り付け、震える声で懇願する。
生来の負けん気の強さと、歪んだプライド。
人に頭を下げて何かを乞うなど、エドの辞書には存在しない行為だった。
だが、自分を拾ってくれたラルフに対してだったら、そしてあのファウスティン公爵が自分に向けた「期待」に応えるためなら、そんな薄っぺらな矜持は軽く飲み込めた。
対する、ラルフはといえば……。
「……へ? は? えっ? ……な、なに、エド。こんな朝早くから、え? なに……?」
そこにあったのは、およそ「公爵」だとか「伝説の魔導師」とは程遠い、寝癖で爆発したボサボサ頭と寝ぼけ眼の間抜け面だった。
ベッドから上半身だけを起こし、目の前の光景が現実か夢かも判別できていない様子で、口を半開きにしている。
「お願いします! どうか! どうか!!」
「いや、だから、何を?! ……えっ、ちょ、ちょっと、アンナぁ! アンナぁ! いる?!」
パニックに陥ったラルフが助けを求めて叫ぶ。
数分後、ようやく事態を把握した一同は、一階の客席へと場所を移した。
「なるほど……。酔ってめんどくせーくなった、ファウストさんに絡まれたのか……」
身支度を整え、ようやく「領主」の顔を取り戻したラルフが、紅茶を啜りながら事の経緯を反芻する。
「あ、いや、その、絡まれたというか。なんか、期待されてる気がして。その……どうにか、してみたいなぁ、って……」
エドは膝の上で拳を握りしめ、消え入りそうな声で本音を漏らした。
すると、ラルフの傍らに無表情で控えていたメイドのアンナが、ピシャリと言い放つ。
「貴方が、……たとえ旦那様に対してだろうと、人に頭を下げるなんてどういう風の吹き回しかと思えば。……なるほど、お金のためでしたか」
隠そうともしない、氷のような皮肉。
アンナの瞳には、かつて店で反抗的だったエドへの不信感がまだ色濃く残っている。居酒屋で働く他の孤児たちが素直で聞き分けが良い分、エドの「悪目立ち」は彼女の逆鱗に触れ続けていたのだ。
「おい……アンナ……」
ラルフが小さく嗜めるが、エドは顔を上げない。
ただ、ポツリと、けれど確かな拒絶を口にした。
「お金のため、だけじゃない……です」
「ん?」
意を決したように、エドはさらに拳を強く握りしめる。
その瞳から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。
「確かに、お金は欲しいです。……でも、でも……なんか俺、悔しくって。……だって、みんな、みんな凄いじゃないですか! なのに、俺だけ、何やってもダメで。でも、なんか……わかんねーんですけど、ホントに! 俺バカだから、どう言ったらいいか、わかんないんすけど! ……なんか、これだけは、やってやろうじゃねーかっ! って、思ったんです……」
膝の上に落ちる涙が、強い決意の証となって染みを作っていく。
その様子をじっと見つめていたラルフは、天井を仰いで深い溜息を吐いた。
「ふぅ……。そう、ねぇ……。でも、厳しいかなぁ」
「?! ラルフ様ッ、なんで、どうして?!」
「だって、今日一日でしょ? ウチのヤキトリ、たとえば『皮』なんかは、仕込みを含めて六日間かけて作ってるんだ」
「……六日……」
エドは絶句した。
たかが肉を串に刺して焼く。
その単純な工程の裏に、それほどまでの時間が費やされているとは想像もしていなかった。
「モモ肉だって、切り方一つ、筋切りの加減、丁寧な脂の除去……串打ちの際、筋繊維の方向をどう揃えるか。そんな些細なことで、劇的に味が左右されるんだよ」
ラルフの言葉は、職人の冷徹なまでのこだわりとなってエドを打ちのめす。
『僕の料理は、所詮は素人の居酒屋メニューだからさ!』と、いつも謙遜していたはずの領主の、真の姿。美食の深淵を垣間見たエドは、自分の浅はかさを呪った。
「だから、ウチもこの祭り期間はヤキトリの提供は諦めたんだ。さすがに、手間と時間がかかりすぎるからね」
「そんな……じゃあ……」
希望が潰える。あと半日。どれだけ背伸びをしても、その高みには届かない。
そう悟り、肩を落としたエドの耳に、悪戯っぽい声が届いた。
「まあ、でも。ファウストさんの無茶振りもなかなか酷いからさ……ちょっと、僕も手伝ってあげようか!」
「えっ?!」
「旦那様、各書類の承認業務や、今夜の営業に差し障るのは困りますよ」
アンナが鋭い視線で反対するが、ラルフはどこ吹く風で笑い飛ばす。
「まあ、大丈夫だろ? 書類仕事はエリカに任せよう。居酒屋の方は、僕がいなくても回る体制になってるはずだしね。だろ?」
「ふぅ……旦那様は……本当に甘すぎますよ」
アンナの呆れたような溜息。それを受け、ラルフは不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「ケッケッケッ! いいのいいの! 甘く生きていくのよ、僕は! さしずめ……ヤキトリのタレのようにね!」
その宣言は、まるで常識を嘲笑う悪ガキのようだった。ラルフは勢いよく立ち上がると、エドの髪をくしゃくしゃと乱暴にかき回した。
その温かさと、くすぐったい感触に、エドの胸の奥で再び火が灯る。
「よし! 行くぞ、エド! 肉屋へ、レッツらゴーだ!!」
「はい!!」
かくして、ロートシュタインを揺るがす「最高の一串」への挑戦が始まった。
制限時間は、残りわずか半日。
果たして、二人の悪ガキコンビは、最強の退魔師を唸らせる奇跡を起こせるのか――!?
――次回予告!
美食の街、ロートシュタインを駆け抜ける二人の「悪ガキ」。彼らをを待ち受けていたのは、炭火よりも熱く、タレよりも濃厚な運命の濁流だった。
肉屋のアントニオが告げた「究極の鶏肉」に隠された、あまりにも残酷な真相。
一串のヤキトリを巡る探求は、いつしか香ばしい匂いに誘われるように、王国中枢の陰謀渦巻く深淵へと足を踏み入れる。
背後に忍び寄る謎の組織の影。
交錯する思惑と、焼き台から立ち昇る白煙。
たかが鶏肉、されど鶏肉。
エドが握りしめたその一串が、やがてロートシュタインの境界を越え、王国全土を揺るがす未曾有の事態へと着火する!
加速する狂乱。
焼き上がる未来。
旅の終着点で、ラルフとエドが邂逅する「この世界の真実」とは――。
「さ〜て、次回も、……サービス、サービスぅ〜!」
「え? あ、あの……ラルフさま? 今、誰に向かって叫んだんですか?」
ラルフ「ふらーみとぅざむー♪ あんれみーぷれーざまんだすらー♪ れみしわすぃーわすぴんりんらいかーじゅびどぅわむー♪」
エリカ「……アンタねぇ、うろ覚え過ぎでしょ……」




