368.芋煮会
「でっかっ……!!」
エリカが、零れ落ちそうなほどに目を見開いた。
彼女の視線の先――領主館の広大な庭園に鎮座していたのは、もはや植物の概念を疑いたくなるほどに超巨大な、謎の「芋」だった。
「だろ? 東大陸から輸入した特級品を、ここロートシュタインの土壌に合うよう、実験的に魔導品種改良を施しておいたのだ!」
腕組みをして、鼻高々に語るのはラルフだ。
現在、彼の邸宅兼「居酒屋領主館」は、再開に向けた改築工事の真っ只中にある。
周囲ではドワーフの大工たちが威勢のいい声を張り上げ、日雇いの冒険者たちがリズミカルに金槌の音を響かせていた。
雲ひとつない晴天、午前の終わりを告げる柔らかな陽光が、その異常な光景を冷酷なまでに鮮明に照らし出している。
「これほど肥大化しているとなると、毒素、あるいは過剰な魔素を蓄積している危険性も否定できんぞ……?」
そう言って、その巨塊の表皮を専門家特有の鋭い眼差しで観察しているのは、錬金薬学の権威、アルフレッドである。
だが、ラルフは事も無げに笑い飛ばした。
「大丈夫! 解析した限り、そんな不穏な因子は見当たらないからね」
ラルフの左目――赤き魔力を宿した瞳が妖しく煌めく。それは、物質の構造すらも紐解く透視分析の光だ。
アルフレッドが、息を呑んだ。
「その……左目は。詠唱も、魔法陣の構築も、発動工程すら必要ないというのか?」
「ああ。まあね。これは僕の脳に直接バイパスされた魔導演算器官なんだ。考えるだけで、望んだ魔導現象を行使できる。便利だろ?」
事も無げに「神の領域」の所業を口にする旧友に対し、アルフレッドの頬を冷や汗が伝った。
「……呆れるのを通り越して、恐怖すら覚える規格外さだ。もはや、君の存在自体が神話の領域だよ」
そんな畏怖の念を、無表情なメイド、アンナの声音が切り裂く。
「それで? 旦那様。あの巨大すぎる鉄鍋と、この異常な芋。この両者に、極めて強力な相関関係を感じてしまうのは、私の邪推でしょうか?」
感情の起伏を削ぎ落としたアンナの問いに、エリカも便乗して叫んだ。
「っていうか、何よこれ! 鍋っていうレベルじゃないわよ、もはやお風呂じゃない!」
庭の反対側に設置された、もはや建築物に近い威容を誇る特大の鉄鍋。
それを見上げて呆れ果てる彼女らに、ラルフはふてぶてしい笑みを浮かべて言い放つ。
「例の魔導兵装を鋳溶かして、ドワーフのみんなに特注したんだ。……あんな、不具合まみれの欠陥品を大量に売り捌いてしまった事実は、僕の名誉と社会的信用、そして高潔な人格を貶める負の遺産でしかないからね。……こうして平和的にリサイクルしたというわけさ!」
信じられない発言。すると、
「……その発言自体が、自らの人間性を一番貶めているという、自覚はないのか?」
アルフレッドが心の底からのツッコミを投げ掛けるが、ラルフは全く動じない。
「ないね。……そんな不名誉な未来は、溶鉱炉の中に“アイルビーバック”したのさ!」
ラルフはビシッと右手の親指を立て、高く掲げた。
すると、すぐ近くの焚き火で優雅にマシュマロを焼いていた二人が、その言葉に敏感に反応した。
隣領の公爵、ファウスティンは串を口に運ぶ手を止めずに、
(……それ、戻ってくるっていう意味じゃねーかよ)
と、心の中で静かに毒づいた。
その隣で、ダンジョン・マスターのスズは遠い目をして、
(……玄田さんの吹き替えバージョンの印象が強いけど、あえて津嘉山さんバージョンを推す、私のマニアックなこだわり……わかる人いるのかしら?)
と、切ないオタクの矜持を胸に秘めるのだった。
そうこうしているうちに、太陽は天高く昇り、待ちに待った昼食の時間が訪れた。
"居酒屋領主館の復旧作業……もとい、この際だから魔改造レベルで拡張工事をしてしまえ計画"に従事する労働者たちに向けて、ラルフの振る舞い飯が公開される。
「さあ! 本日は、ロートシュタイン第一回、芋煮会だぁ!」
前世、日本の東北地方で愛されたあの郷土イベントを、彼はこのロートシュタインの中心で再現しようとしていた。
「おう? なんだそりゃ? とん汁か?」
ドワーフの頭領が、湯気の立ち上る巨大鍋を足場の上から覗き込んで尋ねる。
「まあ、似たようなもんだ! 東大陸の巨大タロイモと、脂の乗ったオーク肉のハーモニーを楽しんでくれ! 大量に用意してあるぞー!」
「おおーー!!」
空腹を抱えた作業員たちが、吸い寄せられるように巨大鍋の前に列をなした。
ラルフは鍋に立てかけられた専用の梯子を軽快に登り、もはや櫂にしか見えないほど長い"おたま"を操って、黄金色のスープと具材を次々と器に盛り付けていく。
活気溢れるその隣では、いつの間にか商売の匂いを嗅ぎつけた面々が陣取っていた。
「炊きたてご飯、熱々ですよー!」
「おかわり自由! 銅貨一枚でーす!」
ミンネとハルのコンビが、ちゃっかりと屋台ビジネスを展開している。
さらにその隣では、
「どうぞ! 陽だまり食堂特製の焼きたてパンです! 相性抜群のバターもありますよ!」
ペニーが、香ばしい匂いと共に自家製パンを売り捌き始めた。
すると、一人のドワーフが器を抱えて首を傾げる。
「このスープには、やっぱり米が一番合うんじゃねえか?」
その疑問に、ポンコツラーメン店主の一人、ジュリが、不敵な笑みで割り込んだ。
「ふっ……分かってないっすね〜。これに、バターを一欠片落としてみるっす。……そして、このパンを、こうして、こう!!」
彼女はバターを溶かした濃厚な芋煮の汁に、フワフワのパンを豪快にディップ。スープをたっぷりと吸い込んだそれを見せつけるように頬張った。
「美味ぁぁぁぁぁぁぁぁい!!」
その叫びは、新たな食文化の幕開けを告げる号砲となった。
梯子の上からその光景を見ていたラルフは、一瞬呆然と固まる。
(パンと、芋煮……いや、豚汁? ……新しすぎないか? だが、バターというコクのブースト。僕の知らない未知の食べ合わせ革命が、今ここで起きようとしている……!)
「旦那様! 手が止まっています、皆様がお待ちですよ!」
アンナの鋭い叱咤激励が飛び、ラルフは「はひぃぃぃぃぃぃ!」と情けない声を上げて再びおたまを回し始めた。
気がつけば、エリカも便乗していた。
「はいはい、私の特製ブレンド、カレースパイスは銅貨一枚よ!」
その横では、製麺工場のボス、トムが茹でたての麺を並べている。
「さあ、うどん一玉、銅貨一枚! そこに、エリカ姉さんのカレースパイスをぶち込めば、最強の"カレーうどん"に化けるって寸法よ!」
「うおっ、これマジか! めちゃくちゃ美味いぞ、おい!!」
「ずぞぞぞぉ!! むほっ! ムホホホホホ! 美味っ! チーズなんかも合うんじゃねーか?」
「いやいや! "ネギだく"だっ!」
「マヨだよ! マヨ!! マヨネーズだっ!」
「私は、半熟卵を下さい!」
「ふん! どいつもこいつも、知性の欠片もないようだなっ?! これに合わせる至高のメニューは、デスソースだ!」
「……変態どもが……。コレに合うのは、コロッケしかあるまいに……」
と、
作業員たちは、カレー色の汁を服に飛ばしながら、好き勝手の議論――というか、"主義主張"を口にし、やりたい放題の"味変カスタマイズ"を全力で楽しんでいた。
しかし。
ラルフは、ふとした瞬間に、ある「違和感」を覚えた。
「……いや、ちょっと待て。エリカは……まあ、わかるが……。なんでジュリやトムまで! なんで当然のようにここに交じってるんだよっ?!」
これは本来、自邸の工事に協力してくれている者たちへの、格安の、あるいは無料の福利厚生のはずだ。
なぜ近隣の経営者たちが、自前の商品を抱えて商売を始めているのか。
「……えっ? 今更ですか? これは、領民への、分け隔てない施しではなかったのですか?」
またもやアンナが、氷のような無表情で問いかけてくる。
「え……いや、そんなつもりは、ない、けど……」
「……旦那様が何を意図されていたかは存じ上げませんが。……ご覧下さい。もう……手遅れですよ?」
アンナが、すっと細い指で後方を指し示した。
「……は?」
ラルフは梯子の上で、恐る恐る振り返った。
そして、その光景に、肺の底から魂の叫びを上げた。
「なんだお前らはぁぁぁぁぁぁぁぁ?!!」
そこにあったのは、地平線の彼方まで続いているのではないかと錯覚するほどの、絶望的な長蛇の列。
工事に関係のある者、ない者、老若男女……。今やロートシュタインの住人ほぼすべてが、この「巨大な何か」が引き起こすお祭りに吸い寄せられていた。
決して、食糧に困っているわけではない。
だが、ラルフの周りで何かが起きる時。そこには必ず未知の美食と、確かな興奮がある。
彼らが飢えていたのは、腹を満たす栄養素ではない。
ラルフという男が巻き起こす、理不尽で、ハチャメチャで、けれど最高に刺激的な「イベント」そのものだったのだ。
阿鼻叫喚の忙しさに飲み込まれていくラルフをよそに、空はどこまでも青く、芋煮の香りは街中に広がっていくのだった。




