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居酒屋領主館【書籍化&コミカライズ進行中!!】  作者: ヤマザキゴウ


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363/404

363.誰も知らない

本日、二話連続投稿です。

お間違えなきように。

 遠く、意識の境界線の外側から、絶え間なく繰り返される抱擁のような波音が聞こえていた。そのざわめきに交じって、誰かが自分を呼ぶ、ひどく切実な声が鼓膜を震わせる。


「陛下ッ! コール陛下っ!」


 重い瞼を押し上げると、そこには網膜を焼くような、燦々と降り注ぐ暴力的なまでの陽射しがあった。逆光の中に浮かび上がる、数人の男たちのシルエット。見覚えのある、泥と汗にまみれた部下たちの姿だ。


「……お前……たちか? ……そうか。ここが、あの世という場所か……」


 コール・ディッキンソンは、ひび割れた唇から、砂を噛むような嗄れ声で呟いた。


「おお! コール陛下、お目覚めになられましたか!」


「……ん? はぁぁぁっ?! えっ、は? なんだこれは!」


 コールは弾かれたように上体を起こした。

 まず肌を打ったのは、濃厚なまでの「熱」だ。肌を撫でる風は湿り気を帯び、季節を飛び越えたかのような、紛れもない夏の匂いがした。


 視界に飛び込んできたのは、どこまでも続く純白の砂浜。

 手元では、場違いなほど平穏な空気を纏った小さなカニが、コールの指先を避けて横歩きで通り過ぎていく。


 死の静寂を覚悟していた意識に、あまりにも鮮烈な色彩と生命の躍動が叩きつけられ、ただ混乱だけが支配した。


「陛下ッ! 陛下ッ! よくぞ、よくぞご無事で……っ!」


 隊長格の男が砂浜に膝をつき、子供のように号泣し始める。その涙が砂に吸い込まれていくのを、コールは呆然と見つめていた。


「いや、ちょっと待て……。なぜ、俺が生きている? 説明しろ」


 記憶の最後にあるのは、虚無に染まった心で仰いだ、あの薄暗い処刑場の天井だ。毒杯を呷り、意識が闇に溶けていく確かな感覚があったはずだ。


 四ヶ国の関係者が見守る中での非公開処刑。

 その場に立ち会っていた、あの憎たらしいほど澄んだ瞳をした――ラルフ・ドーソンの、相変わらず悪戯が成功した子供のような、それでいて底知れない凶悪さを秘めた微笑。


「クソっ……。これも。また、アイツの仕業か……」


 すべてを察した瞬間、脱力感と共に深い溜息が漏れた。生殺与奪の権利さえ、あいつにとってはいつもの"遊び"に過ぎなかったというのか……。


「陛下……ご覧ください。ここは地図にも載らぬ、未開の孤島です。絶望的な状況ではありますが……しかし、命がある限り、希望はあります!」


 縋るような部下の言葉に、コールは周囲を見渡した。

 そこには、自分たち元兵士だけでなく、茫然自失とした様子で砂浜に座り込む男女の姿があった。


「彼らは……? どうも、見覚えがある奴らだな」


「例の、"我々の協力者"たちです。共和国の議員連中も、一族郎党ことごとく、この島に追放されたようで……」


「……あんな子供たちまでもか?」


 コールの目が驚愕に見開かれる。

 砂浜の片隅では、親たちの絶望を余所に、幼い子供たちが興味深そうに小さなカニを追いかけ、歓声を上げていた。


「この島に流されたのは、連座した者すべてです。私の両親もです……。これは、あまりにも、あまりにも酷い仕打ちだ……」


「……すまんな。俺を恨め。すべては、俺の野心が招いたことだ」


 コールはギラつく太陽を仰ぎ、天を呪うように目を細めた。

 しかし、あまりにも暑い。

 彼は王としての虚飾が刺繍された厚手のジャケットを、忌々しげに脱ぎ捨てた。

 そこにはカドス国の紋章が誇らしげに刻まれていたが、今の彼には、肌を滑る不快な汗を拭う布切れ以上の価値もなかった。


「いいえ……陛下は我々の誇りのために戦ってくださいました! 誇りを捨てて生きるより、戦う道を選ばせてくれた。どうか、また我らを導いてください!」


「どうか! コール陛下!」


 部下たちが一斉に頭を下げる。


 だが、すべてを失った「仮初の王」に、何が残されているというのか。

 この隔絶された孤島で待っているのは、飢えか、あるいは発狂の果ての殺し合いだろう。


 その時だ。森の奥から一人の兵士が、砂を蹴立てて駆けてきた。


「おーい! 凄いぞ! 凄いのがあった! ちょっと来てくれー!」


 福音とも取れる、場違いなほど明るい叫び。


 促されるまま、一行は島の中央に広がる原生林へと分け入った。そして、そこで彼らを待ち受けていたのは、常識を覆す光景だった。


「こ、これは……まさかッ?!」


 コールの言葉が凍りつく。


 そこには、ロートシュタイン領主館の裏庭にそびえていた、あの謎の樹、『リグドラシル』と同種と思われる巨木が、圧倒的な生命力を放ちながら鎮座していた。

 枝という枝には、バナナ、キウイ、パパイヤ、マンゴー……。多種多様な熱帯の果実が、重みに耐えかねるほどたわわに実り、甘やかな香りを漂わせている。


「これは……もしかして。なんとかなってしまうのか?」


「そうですよ! これだけの実りがあれば、ひとまず飢える心配はありません!」


 隊長が目を輝かせ、木登りが得意な兵を呼び寄せ、収穫を開始する。


 砂浜に戻ったコールは、もぎたてのバナナを手に、カニを追い回していた幼い少年と少女に差し出した。


「ほら……食べるか?」


「わー! ありがとう、お兄さん!」


「えっ、なにこれ?! 美味しい……っ、甘いよ!」


 頬を膨らませて笑う子供たち。

 その無垢な笑顔に、コールの胸の奥で何かが静かに音を立てて崩れた。


「コール陛下っ! これを! これをご覧ください! 浜辺に流れ着いた木箱から、こんなものが!」


 別の兵士が興奮冷めやらぬ様子で持ってきたのは、数本の釣り竿だった。


「これは、釣り道具……か?」


「そうです! リールに、最新式の魔鉱テグス、さらには見たこともないほど精巧な擬似餌ルアーが大量に! 木箱には、これらすべてが新品で詰め込まれていました。神の思し召しに違いありません!」


 神の思し召し、だと?


 コールは冷笑を浮かべそうになった。

 いや、これは神などではない。あの「元同級生」の贈り物だ。


 さらに、別の場所でも歓声が上がる。


「こっちの木箱には、野菜の種が! それに、育て方のコツが記されたメモまで入っています!」


「えっ?! こっちは酒だ! 白ワインに、エール……ボトルが何本も!」


 もう、笑うしかなかった。


 コールはその中の二本、白ワインのボトルを手に取った。

 ラベルの隅に目をやれば、そこには小さく、しかし確かな自己主張と共に、『ロートシュタイン産』の文字。


「ちっ……。わかりやす過ぎるんだよ」


 吐き捨てながらも、コールは砂浜にうずくまるピエトロ・ガッリにボトルを差し出した。


「飲むか? 飲まなきゃ、やってられないだろ」


「あ、ああ……。感謝する」


 虚ろな目で受け取ったピエトロは、栓を抜き、そのままボトルを呷った。


「ブハァ〜ッ! 美味っ! あー、もう……。なんか、どうでもよくなってきたわ……」


 ドサリと砂浜に仰向けになるピエトロ。

 かつての権威も傲慢さも、南国の風に吹き飛ばされたようだ。

 見れば、兵士たちの何人かは既に海に向かってルアーを投げ込み、どちらが先に釣るかを競い始めていた。


 コールもまた、熱を帯びた砂の上に腰を下ろし、ボトルの口を直接含んだ。


 芳醇な果実味と鋭い酸味、そして酒精が喉を焼く。

 暴力的なまでの陽射しの下、この感覚は案外悪くない。


 見れば、親の罪も、自らの数奇な運命も知らぬ子供たちは、波打ち際で水を掛け合い、歓喜の声を上げている。


「キャハッハッハ!」

「そーれ! そりゃあ!」


 その光景を見て、コールの脳裏に遠い日の記憶が蘇った。


 まだ「王」でも「反逆者」でもなかった頃。ラルフと共に、笑い転げていた幼い日々。


「どうして……こうなってしまったのか」


 歴史はラルフを勝者とし、自分を敗者とした。

 ずっと、そう思ってきた。

 だが、それは違うのだと、酒精に浸食され始めた脳が囁く。


 人は、自らの生きる道を選ぶ力を持っている。

 どんな絶望の中にいても、どんな不毛の地に立たされても。

 生き方を不自由に縛り付けていたのは、王という名に固執し続けた、自分自身の卑屈な心だったのではないか?


 ワインを一口、また一口と喉へ流し込む。


 心地よい酩酊が、重苦しい自責の念を優しく包み込んでいく。


 酔いの回ったピエトロが、「えーい! 暑すぎるわ! 儂も泳ぐ!」と叫びながら、高級な上着を放り出して海へ駆け込んだ。


 しかし、浅瀬で何かに足を取られ、


「ぶがっ! ガボガボ……」


 と盛大に転倒する。


「ギャッハッハッハッハ!」


 子供たちの爆笑が島に響き渡る。


 ザバァ! と立ち上がったピエトロが、顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「痛いではないか! なんだコレは……えっ? でかッ! 貝だこれ! 凄まじい大きさだぞ!! えっ?! でかっ!!」


 と、巨大な二枚貝を持ち上げる。

 その滑稽な姿に、コールも堪えきれずに噴き出した。


 そういえば、笑ったのは、一体いつ以来だろうか。


「陛下! 島の中心部に、奇妙な洞窟を発見しました! 偵察によれば……間違いありません、ダンジョンです!」


 森から戻った兵士の報告に、兵たちはざわめき立った。


「ダンジョンだと? ならば食糧問題は解決だ!」


「オークでもいれば、肉が手に入るぞ! ダンジョンに吸い取られちまう前に、魔封じを施せばいい」


「しかし、どうやって狩る? 剣もないのに?」


「馬鹿野郎! 剣がなければ木を削って槍を作ればいい!」


「そうだ! 俺たちの祖先がやってきたことを、ここでやり直すだけだ!」


 意気揚々とサバイバル計画を立てる部下たち。

 その中の一人が、熱のこもった瞳でコールに詰め寄った。


「コール陛下! ひとまず力を蓄え、いつか舟を造って大陸へ帰還しましょう。今度こそ、カドス国の再興を……!」


 しかし、

 その言葉に、コールは薄く、どこか晴れやかな微笑を浮かべて答えた。


「そんな面倒なこと、やるわけねーだろ。バーカ!」


 その乱暴な口調は、不思議と「誰か」に似ていた。


「えっ? ……あの、コール……陛下?」


「今日から、ここが、新生カドス国だ! ……いや。国なんて堅苦しいもんじゃない。俺たちの『新しい遊び場』だ! その方が、楽しそうじゃねーか?」


 そう宣言し、ニヤリと不敵に笑う。その凶悪な笑みもまた、『誰か』にそっくりだった。


 コールは振り返り、碧く澄み渡る水平線を見つめた。


 故郷も、大陸も、かつての怨嗟も。

 ちっぽけなプライドも、認められたいという渇望も、すべてはこの海の果てに置いてきた。


 寄せては返す波と、ギラギラとした陽射しが、コールの心を透明に洗い流していく。


 その上空、雲を裂いて飛翔する紅き巨躯のワイバーン。

 その背に乗る二人の人影が、満足げに島を見下ろしながら彼方の空へと消えていくのを、この島で新しい生を始めた者たちは、誰も知らない。

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― 新着の感想 ―
おお~この展開は想像外でしたね。 ほぼ箱庭状態とは、さすが大魔道士。
更新お疲れ様です。 罪を憎んで人を憎まず…ってやつですかね? 以前の戦争で未だに心にトラウマを抱えてる=人死にを忌避してるラルフっぽい締め方と言われたら、彼らしくはある結末ですかね? それでは今日…
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