348.邂逅
「おーら、おいでなすったぜ。アレは……。ほう、オーガか。いくぜ! 野郎ども!!」
「おう!!!」
ギルドマスター、ヒューズの野太い号令が、濁りきった空気を震わせた。
聖教国が抱える、解放されて日が浅い、魔の深淵——『聖骸の口窟』。
そこでは今、溜まりすぎた魔素が臨界を突破し、魔獣が溢れ出す「スタンピード」が発生していた。
ロートシュタインから緊急動員された冒険者たちは、押し寄せる絶望の波を食い止めるべく、死地へと身を投じていた。
不気味に開いた迷宮の「口」からは、おぞましい唸り声と共に魔獣が次々と吐き出される。
「うぉりゃああああぁぁぁぁ!!!」
「斬れ! 一匹たりとも通すなッ!!」
戦場は、鉄と血が混じり合う乱戦の極致。
冒険者たちがこれほどまでに猛るのには、理由があった。
数日前、故郷ロートシュタインを襲ったあの悪夢——。それを振り払うため、そして、事態を静観し続ける領主ラルフ・ドーソンの不甲斐なさへの、行き場のない憤りを刃に乗せて叩きつけていた。
「魔導士は前へ! 前衛を交代させろ、休ませる暇を稼げ!」
土埃と悲鳴の渦中で、ヒューズの指揮が響く。
激闘が始まって半日。
本来なら、迷宮内の魔素が枯渇し、収束に向かうはずの時間だった。
「ヒューズ! "デカブツ"が一体来る、警戒しろ!!」
一人の冒険者が、恐怖に引きつった声を上げる。
視界を覆う砂塵の向こうから、大地を物理的に揺らす足音が近づいてくる。ズシっ、ズシっ、という振動が、戦士たちの本能に警鐘を鳴らした。
「……なんだ、アレは。変異種か?」
現れたのは、通常の個体を一回り上回る巨躯のオーガだった。
筋骨隆々とした黒い肌。経年劣化した古びた鎧をその身に強引に纏わせ、手には粗削りな鉄塊のような大剣を握っている。
「グォォォォォォォォ……」
剥き出しの牙の隙間から、地を這うような重低音の唸りが漏れる。
その瞳に宿るのは、知性ではなく、迷宮が生み出した殺戮装置としての純粋な、殺意だ。
「ヒューズ、火力の準備完了だ! 射線をあけろ!!」
「よし、焼き尽くせ!!」
「《火炎球》!」
十五人の魔導士による一斉掃射。空を焦がす劫火の弾丸が、変異種へと収束する。
しかし。
「グォォ!!!」
オーガは鬱陶しい羽虫を追い払うかのように、手にした鉄塊を一閃させた。
物理的な衝撃波が、着弾寸前の魔導を無慈悲に霧散させる。
「ちっ、魔法耐性持ちか……。なら、物理で叩き伏せるしかねぇな」
ヒューズが愛用の大剣を握り直した、その時。
「やってやるぜ! このクソ野郎がぁぁ!!」
「俺たちが先陣だ!」
血気に逸った二人の槍使いが、制止を聞かずに飛び出した。
「待て、戻れ……!」
ヒューズの叫びは届かない。
オーガは一瞬、深く沈み込むような「溜め」を作った。
直後、巨体からは想像もつかない爆発的な踏み込みで、槍使いたちの目前へと肉薄する。
「なっ……!?」
「う、あぁぁぁぁぁ!!」
槍は枝のように折れ、二人の身体は木の葉のように弾き飛ばされた。地面を激しく転がり、砂塵の中に沈む。
「救護班! 二人を回収しろ!」
ヒューズは後方へ指示を飛ばすと、一歩前へ出た。
(ラルフ様なら、欠伸をしながら瞬殺するんだろうが……。今は俺たちがやるしかねぇんだよ)
自嘲気味に呟いた瞬間、オーガが動いた。
バネ仕掛けのような超加速。
「うおっらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ヒューズは渾身の力で大剣を振り抜く。
激突。
鼓膜を突き刺す金属音が響き、火花が闇を裂くように散った。
だが、力の奔流は残酷なまでに一方的だった。ヒューズの体は後方へと滑り、辛うじて踏みとどまったものの、膝が地面を叩く。
(……クソッ、腕が……!)
右肩に走る鋭い激痛。脱臼だ。
それでも彼は、震える左手で剣を支え、目前の死神を睨み据えた。刃は無残にも大きく欠けている。
(ここで終わりかよ……。万事休す、か)
死の足音が近づく。ズシリ、ズシリ。
重圧に押し潰されそうな意識の中で、後悔が首をもたげる。
(こんなことなら……もっと早く、ロートシュタインを奪還する計画を進めておくべきだったか……)
「ヒューズ、逃げろ!!」
仲間の叫びが遠く聞こえる。
だが、彼は立ち上がった。
額から流れ落ちる鮮血が左目を染めても、その眼光だけは、剣士としての矜持を失っていなかった。
最期の一撃。
正真正銘、全身全霊の、それを叩き込もうと覚悟を決めた、その刹那だった。
「あ~。ちょいと、そこの冒険者さん。なんなら、俺も手を貸そうか?」
戦場にはあまりに不釣り合いな、緩慢で、どこか締まりのない声が響いた。
「えっ……?」
一瞬、ラルフかと思った。
声の質は違う。だが、あの底知れないだらしなさと、やる気を感じさせない独特の気配。
振り返ると、そこには一人の初老の男が立っていた。
端正な顔立ちを無精髭で覆い、軽くカールした金髪を揺らしている。身なりは存外に上等だが、その背には、奇しくもヒューズと同じく巨大な大剣が背負われていた。
「あんた、は……冒険者、なのか?」
「あ~、なんだ。今は、前を見た方がいいかも、な」
男が気だるげに指をさす。
「はっ——うおっ?!」
いつの間にか、オーガの鉄塊がヒューズの頭上まで迫っていた。回避は間に合わない。
「ふんっ!」
短い呼気。
男のローブが風を孕んで翻る。同時に、ヒューズの鼻腔を、どこか懐かしい「古い鋼と花」の臭いと匂いがかすめた。
ズガォォォォォォォォォン!!
雷鳴と見紛う衝撃音が戦場を圧した。
「ほう……。速いし重い。だが、それだけだな。品性の欠片もない、ただの棒振りだ」
オーガの全力の一撃を、男は片手の大剣で事も無げに受け止めていた。
退屈そうに吐き捨てられたその言葉に、周囲の冒険者たちは言葉を失う。
「な、なんだ、あの男……。バケモノ、か?」
男から放たれるのは、圧倒的な「強者」の重圧。
立っているだけで大気を支配するような、絶対的な剣の理。
「で、冒険者さん。この獲物、俺が狩っちまってもいいのかい?」
「ンゴォォォォォォォォ!」
格下の人間にあしらわれたことを察したのか、オーガの殺気が膨れ上がる。
「た、頼む……! 討伐してくれるなら、ギルドから報奨金を出す!」
「あいよ。まあ、小遣い稼ぎにしちゃあ、割のいい仕事だ」
男はオーガの剣を軽々と弾き飛ばすと、一歩踏み出した。
オーガが逆上し、先ほど以上の威力で剣を叩きつける。
だが、男の姿はすでにそこにはなかった。
「だから……単調すぎるんだっての」
気づけば、男はオーガの右腕を足場にして立っていた。
光が走る。
ヒューズの動体視力では、何が起きたのかさえ判別できなかった。
次の瞬間、オーガの巨大な首が宙を舞い、血の放物線を描いて地面へと転がった。
「ヒィィィ!!」
その凄惨な光景に、女性の魔導士が短い悲鳴を上げた。
土に汚れたオーガの首は、怒りに歪んだ表情のまま。そして、命の灯火を奪われた巨躯が、轟音と共に崩れ落ちた。
暫くして……。
「……助かった。本当に、なんと礼を言っていいか」
「いや~、気にするな。金も貰えるし、こうして美味いもんにもありつけた。モグモグ……」
戦いの後。
男は、冒険者たちが差し出したカツサンドを、幸せそうに頬張っていた。
「さあ、遠慮せず食べてください! おかわりもありますから!」
「ほう、こりゃ美味いな。では、次はこっちの……」
「それはスパムサンドです! 自慢の一品ですよ!」
女性冒険者たちに囲まれ、男は機嫌よく笑う。
スタンピードが収束した後の安堵感が、野営地に広がっていた。
「へぇ、あんたら、料理が上手いんだなぁ。毎日こんなもん食ってるのか?」
「はい! ロートシュタインの冒険者にとって、野営メシは必須スキルですから!」
「なんたって、俺たちのマスターは『美食の冒険者』ですからね!」
仲間たちの冷やかしに、ヒューズは決まり悪そうに顔を背ける。
彼が執筆した『野営のススメ』は、今や冒険者のバイブルだ。
「……ロートシュタイン、か。ほう、それは奇遇だな。いや、これも、何かの縁……か」
「あんた、ロートシュタインを知ってるのか?」
「ああ……まあな」
男の言葉に、一人の女性冒険者が溜息を漏らす。
「でも、あそこも今や大変なことになっちゃって。ラルフ様が、あの連中を、いつもみたく魔法でドッカ~ン! とヤっちゃえばいいのに……」
「……ラルフ? お前さんたち、アイツの知り合いなのか?」
「知り合いも何も、今や飲み仲間みたいなもんですよ。変な場所でしょう? ロートシュタインって。公爵様と俺たちが酒を酌み交わすなんて」
ヒューズの言葉に、男は何かを納得したようにニヤリと笑みを浮かべた。
そして、重い腰を上げる。
「そうか、そうか……。まさか、ふと思い立って、寄り道をしてみたら……。まさかこんな出会いがあるとは、な」
「あの、あんた……ラルフ様とは、どういう関係なんだ?」
ヒューズの問いに、男は振り返り、不敵に、そしてどこか誇らしげに顔を歪めた。
その笑顔。
それは、ヒューズがよく知る、あの「だらしない男」に、まるで生き写しのように、そっくりに見えた。
凍り付くような予感が、ヒューズの背筋を駆け抜ける。
記憶の扉が開く。
(そうだ。この男を、いや、この"お方"を、俺は、知っている……)
まだ駆け出しだった頃、ロートシュタインの大通り。
きらびやかな軍服を纏い、背に巨大な剣を背負って馬を駆る、圧倒的な英雄の背中。
少年だったヒューズが、魂を焼かれるほど憧れた、王国最強の称号「剣聖」を戴く男。
男は、風にローブをなびかせ、まっすぐな瞳で問いかけた。
「俺の"バカ息子"は、元気でやっているか?」




