340.失われる者達
ロートシュタイン領、騎士団駐屯地。
その一角に開廷された法廷は、この日、厳粛な裁きの場というよりは、喜劇の舞台のような熱狂と混沌に包まれていた。
「――貴様ら王国は、我らカドス国を見捨てたのだ! 先の大戦において、我らが共和国に与せざるを得なかったのは必然! それを今更、不当に裁くというのか……!」
被告席で朗々と、あるいは悲劇の主人公のように身振り手振りを交えて演説をぶっているのは、亡国の王子コール・ディッキンソンである。彼の言葉は弁明というよりも、自身の不遇を呪う独白のようだった。
乾いた音が二度、静寂を強いるように響く。
木槌を振るったのは、最高裁定官の席に座る国王ウラデュウスであった。
しかし、その玉座に座る男の表情には威厳など微塵もない。そこにあるのは、極限まで煮詰められた「面倒くささ」であった。
「判決……死刑」
ぼそりと、吐き捨てるように彼は呟いた。
その刹那、傍聴席から爆発的な歓声が上がった。
「ふぉ〜! ヤッちまえぇぇぇ!!」
「縛り首だ、吊るせ吊るせぇ!」
「いっそ八つ裂きにしろぉぉぉ!」
殺気立った怒号を上げるのは、屈強な冒険者や騎士、そして手隙の農民たち。
その顔ぶれは、この領地の中心地たる居酒屋領主館の常連客そのものであった。酒場の喧騒をそのまま法廷に持ち込んだような異様な熱気に、コールとその取り巻きたちは顔を青ざめさせ、戦慄に身を震わせる。
「ちょ、ちょっと待って! はいはい!! 異議あり! 異議あり!! ちょっとちょっとぉ、ヴラドおじさん!!」
慌てて声を張り上げたのは、ラルフ・ドーソンだ。
前世で見た法廷劇の決め台詞を、まさかこんな締まりのない状況で叫ぶ羽目になるとは。彼は一段高い裁定官席を見上げ、詰め寄った。
「なんだ、ラルフ。文句があるのか? 儂はこんな茶番をさっさと切り上げて、ワカサギ釣りに行きたいのだ」
ウラデュウスは苛立ちを隠そうともせず、背後に立て掛けられた釣竿のケースを忌々しげに一瞥した。
「陛下、裁定抄録には何と記録いたしましょう?」
書記官役を買って出たカーライル騎士爵が、羽根ペンを構えて淡々と尋ねる。
「うむ。……何を言っているのかよくわからないので、とりあえず死刑とした……と書いておけ」
「かしこまりました。『何を言っているのかよくわからない……』と」
「ちょっと! 騎士爵! 貴方まで公文書にそんなテキトーなこと書かないでくださいよ!!」
ラルフの鋭いツッコミが飛ぶ。
だが、確かにコールの演説は苦痛なほどに長かった。政治批判かと思えば社会への恨み言になり、最終的には「自分がいかに不幸か」という子供の駄々に帰結する。それを延々と聞かされれば、誰だって投げやりにもなるだろう。
「……そもそも、これは何の罪に対する裁定だったかな?」
裁定席に座るグレン子爵までもが、記憶の彼方へ意識を飛ばしたような呆けた顔で問いかける。
「えーっと……。あれ? そういえば、何でしたっけ?」
当のラルフですら、あまりの退屈さに記憶が霧散しかけていた。その時、凛とした涼やかな声が法廷に響く。
「皆様。コール・ディッキンソン被告の従者、バウワー氏による――『居酒屋領主館』従業員、ハルさんへの暴行の件でございますよ」
控えていたメイドのアンナが、氷のように冷静な声で事実を提示した。
「ふむ。ならば、あの眼帯の男だけ死刑でよかろう」
「解決」とばかりに再び裁定を急ぐ国王。
「ああああっ、もう! ハル! ハルを証人として呼びます!」
ラルフの叫びに導かれるように、証言台に立ったのは獣人族の孤児、ハルであった。
「あ、あのぅ……。あの時は、びっくりしましたけど。全然、痛くなかったですし……。その、ごめんなさいって言ってくれたら、それでいいですので……」
頬を赤らめ、指先をもじもじとさせながらも、彼女は懸命に言葉を紡いだ。
その健気な姿に、傍聴席の荒くれ者たちは一転して、孫の成長を見守る祖父のような慈愛の眼差しを向け、深く頷く。
「おらっ! 謝れよ、このハゲぇ!」
「ハルたんの優しさに、一生感謝して生きろよ!」
この領地において、ハルは皆の妹であり、娘であった。彼女に向けられる情愛は、もはや信仰に近い。
だが、被告席の眼帯の大男バウワーは、屈辱に顔を真っ赤に染め、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。
「殺すなら殺せ! 俺はカドスの騎士だ! 先の大戦で、王国の魔導士にこの目を焼かれ、全てを奪われた! もはや命など惜しくはない! 誰が獣人如きに頭を下げるか! これが俺の、最後の一片の矜持だ!!」
静寂が、一瞬だけ法廷を支配した。
しかし、その沈黙を切り裂いたのは、憤怒の業火を宿したラルフ・ドーソンの気配だった。
眉間に深い溝を刻み、床板を激しく踏み鳴らしながら、彼はバウワーへと大股で歩み寄る。
「ま、待て! 誰か止めろ!」
「旦那様!」
国王とアンナが同時に制止の声を上げる。
普段、だらしなくヘラヘラと笑っている男が、真に「大魔導士」としての鱗片を露わにした時。この場に、彼を御せる者など存在しない。
「な、なんだ!? ここでヤろうってのか?! やってみろ! やはり王国は野蛮な……!」
たじろぎながらも虚勢を張るバウワーの顔面を、ラルフの片手が鷲掴みにした。
「……何が矜持だ。何が命は惜しくないだ?! 片目を失っただけで、全てを失っただと……?! 生きてるなら、どうにでもなるだろうがよっ!!」
ラルフの声は、低く、そして地を這うような怒りに満ちていた。
「そんな陳腐な禍根なんて、"この僕"が消してやる!!」
その手から、視界を焼き潰すほどの魔力の奔流が溢れ出した。
「ギャアアアアアアアッ!!!」
断末魔の悲鳴。
握り込まれた肉から煙が上がり、周囲の者は誰もが、ラルフがその男を処刑したと確信した。
「――《最上級治癒》」
静かに唱えられたその言葉と共に、バウワーの顔から古びた眼帯がハラリと剥がれ落ちた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
肩で荒い息をつくラルフ。その一方で、バウワーは自身の両手を見つめ、困惑に震えていた。
「あ……。あれ、俺……」
「お、お前! 目が、目が治っているぞ!!」
仲間の驚愕の声に、バウワーは恐る恐る、かつて光を失ったはずの瞼を開いた。
「あ、アアアアァ……見える。見えるぞ……!」
男の頬を、後悔と歓喜の混じった涙が伝う。
神の奇跡にも等しい「欠損治癒」。
規格外の魔法を目撃した人々は、冷や汗を流しながら、言葉を失ってその場に立ち尽くすしかなかった。
ラルフは荒い呼吸を整えると、吐き捨てるように告げた。
「バウワー。お前はセスの農家で七日間の強制労働。コール・ディッキンソンと他は、共和国へ強制送還だ。……もう、それで終わらせよう。バカバカしい……」
領主としての権限を以て下されたその裁定に、異を唱える者は一人もいなかった。
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その夜、居酒屋領主館はいつもの喧騒に包まれていた。
「かんぱーい!」
「あの王子の間抜け面、傑作だったなぁ!」
「でもよ、ここロートシュタインの、メシと酒が恋しくて、また戻ってきたりしてな?」
「ハッハッハ! あり得るぜ!」
酒を酌み交わす客たちの笑顔。
それは、昼間の殺伐とした法廷が嘘のような、平和な日常の景色だった。
カウンターの中、ラルフはクレア王妃お気に入りのグレープフルーツサワーを仕立てていた。
そこへ、裏口から戻ったエリカが深いため息と共に報告する。
「ねぇ、あのハゲ頭……まだいるわよ」
ラルフは天を仰ぎ、重い腰を上げて裏口へ向かった。
寒空の下、そこにはバウワーが泥に塗れて五体投地をしていた。
「あのさぁ、そこにいられると、邪魔なんだけど。ドッチさんが寝床を用意してくれただろ? 帰れよ」
「俺は……ラルフ様にこの命を捧げると決めました! 従者でも荷物持ちでも、何でもやります! だから、俺を……俺を舎弟にしてください!!」
地面に顔を押し付けたまま、悲壮なまでの覚悟を叫ぶ男。
「荷物持ちなんていらないよ、マジック・バッグがあるんだから」
取り付く島もないラルフ。だが、背後に忍び寄ったアンナが淡々と言葉を添える。
「いいのではありませんか? 力仕事には向いていそうです。給金を払わなくていいのなら、好都合ですし」
「さすがは姉御!!!」
顔を上げたバウワーの瞳は希望に満ちていた。いつの間にかアンナが「姉御」に昇格していることに頭を抱えつつ、ラルフは折れた。
「……好きにしろ。ただし、ハルには謝れ。それができないなら今すぐ立ち去れ」
「は、はい! 獣人族だろうが何だろうが、謝らせていただきます!!」
その言葉に、ラルフの瞳が鋭く据わった。
「――獣人族とか、そういう意識をまず改めろ! 彼女と向き合い、一人のヒトとして話をしてみろ。このバカが……」
背を向け、厨房へと戻っていくラルフ。
「あ、あの……良いのでしょうか?」
「……旦那様は慈悲深いお方です。甘すぎるほどに。ですが、私は違いますよ? くれぐれもお忘れなきよう」
無表情なアンナの威圧感に、バウワーは何度も激しく首を縦に振った。
厨房に戻ったラルフは、押し寄せるオーダーを次々と捌いていく。
しかし、隣で支えるエリカの目には、彼の動作が僅かに精彩を欠いているように映った。
客席では、バウワーがハルに平身低頭で謝罪し、逆にハルが照れ笑いをする純真な笑顔を真正面から見たバウワー。その予想外の可愛らしさに、彼のハゲ頭が茹でダコのようになっている姿を、エルフのミュリエルが面白がってハゲ頭をペシペシと叩いている。
ふと、ラルフが愛用の包丁に手を伸ばした。
「あっ」
指先が空を切り、包丁が床に落ちて高い音を立てる。
それを拾い上げたのは、アンナだった。
「ラルフ。……あんた……まさか」
エリカが、何かに気づき、声を震わせる。
「ごめんね、アンナ」
おどけて笑うラルフに対し、アンナの視線は射抜くように鋭かった。
「旦那様。……片目、視えていらっしゃらないのでは、ないですか?」
あの奇跡の魔法。
失われた肉体を再生させる代償。
体内魔力だけで賄えるはずのない「神の領域」への対価を、彼は自身の身体で支払ったのだ。
「まあ、そのうち慣れるんじゃないかな……」
事もなげに、彼はそう言って笑った。
アンナとエリカは、彼のお人好しさを十分に知っていた。
だが、これはもう慈悲や優しさなどという言葉では片付けられない。
もはや、……バカではないか。
胸を締め付けるような怒りと悲しみが混ざり合った激情を、二人はただ、静かに噛み殺すしかなかった。




