329.カクテル
トントンと、包丁がまな板を叩く小気味よい音が響く。
トマトは大きめに、溢れんばかりの量を刻む。次は茄子だ。こちらは丁寧に、細かなさいの目切りに。さらに、種類豊富なキノコたちも次々と刻まれていく。
その大量の具材を、エリカは深鍋の中へと豪快に投じた。
さらにその上には、山のような鶏ひき肉。そして仕上げに、近頃エリカが熱心に研究開発に勤しんでいる「特製粉末カレースパイスミックス」をこれでもかと盛り付ければ、鍋の中はさながら茶色い宝山と化した。
エリカは、その山の天辺に、慎重に、慎重に蓋を載せる。
山の頂に鎮座し、もはや蓋としての機能を果たしていないその様は少々シュールですらあったが、彼女の表情は極めて真剣だ。魔石コンロの火力を繊細に調整する。
これで数十分煮込めば、素材の水分だけで旨味を凝縮した"エリカ特製・無水カレー"が完成する。
一仕事終え、エリカが額の汗を拭うと、ふとカウンターに立つラルフの姿が目に入った。
彼はワイングラスをクロスで磨いている途中だったようだが、その目はどこか遠く、心ここにあらずといった様子が一目でわかった。
なので――。
「手、止まってるわよ……」
じっとりとした視線で注意を促すと、ラルフは弾かれたように我に返った。
「あ、ああ……。すまん……」
慌てて手を動かし始めるが、その様子を皿洗いをしていたミンネとハルも心配そうに見つめていた。
「お兄ちゃん、どうしちゃったんだろう……」
「なんだか、元気ないよね……」
幼い二人も何らかの異変を察して、ヒソヒソと声を潜める。
昨日、王都のカーライル騎士爵が営む"刀剣酒場"に出向いて以来、ラルフの様子はどこかおかしい。その微かな、だが確かな違和感を、居酒屋領主館の面々は敏感に感じ取っていた。
そんな沈滞した空気を、カウンター席で葡萄サワーを飲んでいた女騎士、ミラ・カーライルが打ち破った。
彼女は意を決して立ち上がると、しどろもどろながらも、その思いを大声に乗せる。
「ま、マスター! 大変失礼ながら、進言する!! ……あの、その。なんというか……今のマスターは、マスターらしくない!!!」
「えっ?! はっ! え、なに? 突然なに?!!」
狼狽するラルフ。周囲の客たちも、唐突に始まったカウンター越しのやり取りに何事かと振り返った。
「その……だからだ! 私も、先の大戦に騎士として参加した。だからこそ言わせてもらう。あの戦争では……誰もが大切なモノを守ろうと戦った。自分の役割を全うするために戦ったのだ。だから……マスター個人が、罪や禍根を独りで背負う必要など、私は無いと思う! だから……だからッ!!!」
言語化できないもどかしさに拳を握りしめ、震える声を絞り出すミラ。
その不器用なまでの真心は、ラルフの胸に痛いほど届いた。
(……まいったな。皆に、こんなに気を遣わせていたとは)
ラルフは自らの振る舞いを深く反省し、苦笑を漏らす。
「すまんな……ミラ。……なんか、食べるか?」
誤魔化すように尋ねると、ミラは即座に応じた。
「エリカ殿のカレーを! なんだか凄まじい香りが漂ってきているのでな!!」
彼女が指差す先では、いつの間にか鍋の具材が熱で沈み、蓋がしっかりと本来の役割を全うしていた。
「ふっ……。はいよ。頼んだぜ、エリカ」
「はいな!」
エリカは元気いっぱいに金髪のツインテールを翻し、鍋へと戻っていく。
ラルフ自身も、いつまでも引きずってはいられないと気持ちを切り替えた。
それには、酒を飲むに限る。
居酒屋の店主として、たとえ営業時間中であっても、ここでそんな些細なことを咎める野暮な客はこの店にはいないのだ。
(さて。ビール、いや……。今は、少し甘いものが飲みたい気分だな)
保冷庫を開けると、お子様や下戸の客向けの葡萄ジュースが目に留まった。
聖女三姉妹が造った米焼酎、そして炭酸水のボトル。
それらを目にした瞬間――ジリリッと、鋭い痛みがこめかみを走った。それは彼にとって、前世の記憶を呼び起こす予兆。
(なんだ? 何を思い出しそうになった……?)
記憶の糸を手繰り寄せる。ボトル、そして今作ろうとしているのは、ジュースと酒を混ぜて作る、広義の"カクテル"と言える。
カクテル……!!!
脳裏に、前世で観た、――ある映画のワンシーンが鮮やかに浮かび上がる。
若かりし頃の、あのトム・クルーズが主人公を演じた、割と古い映画だ。
ラルフの唇が、悪ガキのような不敵な笑みに形を変えた。
彼はカウンターに焼酎と葡萄ジュース、炭酸水のボトルを並べる。タンブラーを左手で持ち上げると、静かに宣言した。
「――イッツ・ショー・タイム!」
右指をパチンと鳴らす。魔法によって中空から生み出されたロックアイスが、カラコロ! と涼やかな音を立ててタンブラーに落下した。
「おおっ!!」
客達から歓声が上がる。大魔導士ラルフ・ドーソンの華麗な魔法捌きは、いつだって最高の娯楽だ。
ラルフは右手の焼酎ボトルを腰の下から背面へと投げ上げ、左肩の上で見事にキャッチした。
「えっ! すごっ! なに! 何が始まったの?!!」
若い冒険者たちが目を輝かせ、カウンターに駆け寄ってくる。
「そーれ! ミラ!!」
ラルフが葡萄ジュースのボトルをミラへ向かって放り投げると、彼女は、
「へっ?! キャッッッ!!」
と、思わず両手を突き出した。
しかし、いつまで経っても衝撃も落下音もしない。
恐る恐る目を開くと、そこには――宙でクルクルと回転し続けるボトルがあった。ラルフが右手をかざし、念動力で制御しているのだ。恐ろしいほどの精密な魔導制御に、客たちは息を呑む。
ラルフは左手のタンブラーに焼酎を注ぎ終えると、チョイチョイと指先で招く仕草をした。
回転するボトルがゆっくりとラルフの手元へ引き戻されていく。
「もう! マスター! 人が悪い!!」
赤面しながら怒るミラ。ラルフは構わずボトルをバシッと掴むと、それをタンブラーに注ぎ、それを両手で独楽のようにクルクルと回転させた。
焼酎と果汁が、宇宙の巡りのように美しく混ざり合っていく。
仕上げに炭酸水のボトルを開けると、彼はニヤリと笑った。
「《水球弾》の応用だ……」
ラルフが客達に向けてボトルを振る。
「キャッ!!」
「ちょっと、マスター!?」
驚愕の声が上がるが、炭酸水は誰にも降りかかることなく、意志を持つかのように空中にフワフワと浮遊した。
やがてそれらは一斉に、回転するタンブラーの中へと吸い込まれていく。
回転がゆっくりと止まり、特製の葡萄サワーが完成した。
ラルフはそれを高々と持ち上げ、一気に喉を鳴らした。
「んぐ、んぐ、んぐ……。ぷはぁ~!!! やっぱ、リグトラシア産の葡萄は美味いなぁ!!!」
その爽快な飲みっぷりと満面の笑みに、店内のボルテージは一気に最高潮に達した。
「す、すげぇ! 今の魔法、どうやったんだ!?」
「あー、やっぱり勝てねえわ、あの人には」
「俺にも一杯作ってくれ!」
「領主様! 今のもう一回見せて! チップ払うからー!!!」
驚愕と羨望と注文とアンコールが、嵐のように客達から巻き起こる。
「しょうがねーなぁ! そんなに言うなら、たっぷり見せてやるぜ!!」
ラルフはカウンターの上に、ブワッ! と青白い炎を生み出した。
前世の伝説的なバーテンダーを模した、あの「炎の演出」に、客たちはさらなる熱狂の渦に包まれる。
「フォー!!」
「イェーイ!!!」
そんなラルフの前世に存在する"元ネタ"など知る由もない客達でも、その幻想的な光景に心を躍らせた。
その様子を、厨房から横目で見ていたエリカ。
「ふんっ! まったく……。心配した、あたしがバカだったわ!」
彼女は呆れたように肩をすくめながらも、その表情には柔らかな安堵が浮かんでいた。
彼女は煮えゆく無水カレーをクルクルとかき混ぜ、その完成を静かに待つのだった。




