325.物事の価値は
「では、領主さま。それと、それと、あれと、あれとも。あとこれと、これも買い付けたいのですが?」
馴染みの商人の男が、遠慮という言葉をどこかへ置き忘れてきたような手つきで、棚に並ぶ"ぐい呑み"を次々と指名していく。
「全部買い取ってく気かよぉ……。もう勘弁してくれ……」
領主ラルフは、心底参ったと言わんばかりの声を上げた。
彼は今、領主館裏手に佇む陶芸用の作業小屋の中、一心不乱にロクロを回し、土を捏ねている。
謎の陶芸家としてブレイク中の彼のもとには、注文の書状や商人たちからの接見申し込みが、文字通りひっきりなしに舞い込んでくるのだ。
この日も、領主としては信じられないほどラフな、濃紺の作務衣に身を包んでいた。
「しかし、聖教国でもコレクターが増え続けておりまして。市場価格もぐんぐん上がっております。特に、ロジオン・ヴァール様が、『ラルフ殿の作品なら、いくらでも出す!』とのことでして……」
「チッ! あのオッサン。ずいぶん稼いでるみたいだなぁ……」
ラルフは苦々しく舌打ちする。聖女三姉妹の父親であるロジオンは、聖教国の革命以後、自らの荘園を農業法人へと転換。帝国や共和国からの投資を元手に、猛烈な勢いで開墾を進めていると聞く。
資本主義経済が順当に回り始めたのだと思えば喜ばしいが、その余剰資金が自分の陶芸作――酒器の買い占めに向けられるのは、なんとも複雑な気分だった。
「あのお方も大の酒好きですからなぁ! 蒸留酒造りに向けた設備投資も始めたらしいですぞ!」
商人の言葉に、ラルフは流し目でチラリと応えた。
実は、こうした些細な情報を拾い集めることも、王国貴族の公務の一環として商人との接見を許している理由なのだ。もっとも、"これ"に関しては有益性云々よりも、極めて平和的な情報であった。来年あたり、ロジオンを含めた地の者たちが、あの間抜けな"蒸留音頭"を舞い踊る姿が容易に想像できてしまう。
「まあ、とにかく……。頼むから全部持っていくのはやめてくれ。今日は他の商人とも商談が残ってるんだよ」
「では、この二つと、この二つで、四つ下さい……」
商人は棚を物色し、無骨なペアのぐい呑みと、薄い呑み口が洗練された多角ぐい呑みのペアを指差す。
「いや待て! 二つでじゅうぶんだろ?」
「いえいえ、是非とも。四つ!」
「二つでじゅうぶんだってぇ?!」
「おや?! あの徳利も下さい!!」
「わかってくれよぉ……」
前世のどこかで聞いたことがあるような、デジャヴの激しいやり取りをしてしまった自覚のないラルフは、大きなため息を一つ吐き出した。
「そう言えば、また何か"新しい美食"を発明したと噂を聞きましたよ?」
徳利を品定めしながら、商人がさらりと問いかけてきた。情報の鮮度に対する敏感さは、貴族も商人も等しいらしい。
「ああ。……実は、接見の手土産に、まさに"それ"を用意してあったのさ。どうぞ、持って行ってくれ!」
ラルフはどこか嬉しそうに、タライで手の土を落とし、手ぬぐいで水気を拭き取ると、そっと小包を手渡した。
「おおっ! 流石は領主様、気が利きますなぁ!! して、これはどんな逸品なのです?!」
商人が興奮気味に身を乗り出す。どうやら「何を発明したか」までは届いていなかったようだ。
「それは、"カキピー"さ! 聖教国のバタピーと、サラマンダーが焼いた米菓を混ぜたオツマミだ!!」
ラルフが得意げに言い放った瞬間、商人の男からスッ、と表情が消えた。
「……あ、あのぅ。聞き間違いでしょうねぇ? いやはや、最近は歳のせいか耳が遠くなりまして。ハハハ……。で、今、なんと?」
商人の声音は、いつになく真剣だった。まるで世界の命運を左右する重大な宣言に向かい合うような、物々しささえ感じさせる。
「いや、だから。カキピー。聖教国のピーナッツと……」
「その後です!!」
被せるような叫びに、公爵であるラルフも思わずたじろぐ。不敬を忘れるほどの勢いだった。
「その……餅を、炎の精霊のサラマンダーの、サラちゃんに焼いて貰って……」
ラルフが答えると、商人は、深く、深く、魂を吐き出すようなため息をついた。しばしの沈黙ののち、彼は重々しく口を開いた。
「で。……コレは、いくらお支払いすればいいのですか?」
唐突な問いに、ラルフは目を丸くする。
「いや! だから、手土産だって!! 接見に来た皆に配ってるし!!」
「精霊様より賜った御品を、無料で、配っているですとっ?!!!」
クワッと目を見開き、商人の顔が真っ赤に染まる。
「えっ?! なに?! なんなのさっ?!!!」
「いいですか? 私とて商人の端くれ。……コレを然るべき場所に持ち込めば、金貨にして何百枚と交換することも可能なのですぞ! それを、まるで場末の酒場で供される菓子のようにぃぃぃ!!!」
怒りに唸り声を上げる商人に対し、ラルフは前世の感覚で思わずツッコミを入れた。
「ハァ? それ、場末の菓子なんだがっ?!!!」
彼にとってそれは、決して卑下ではなく、親しみやすい酒の供としての最大級の親愛の情だった。
しかし、商人はこの領主が「世情と致命的にズレている」ことを、その肌で理解し始めていた。
彼はフゥー、と深呼吸をして無理やり怒りを収めると、極めて冷静に問い詰めた。
「では聞きますが。コレを、大量に作ることは可能ですか?」
「い、いや……。今は、無理、かも……」
ラルフはしどろもどろに答える。また無自覚に何かを仕出かしたのかと、その顔が青ざめていく。
「つまり。希少性が抜群と……そういうことですね?」
「いやいやいやいや! レシピはまた公開するし!! すぐに割と誰でも作れるようになると思う、けど……」
完璧な論理を説いたつもりのラルフだったが、商人の追撃は容赦なかった。
「ふむ……。では。誰でも炎の精霊様に対して、米菓を焼いて欲しいと招請することは、可能なのですか?」
ラルフは絶句した。
彼はその論理を理解できないほどのバカではない。つまり、気がついてしまったのだ。
この米菓は「炎の精霊特製」という、あまりにも強固で神聖なブランディングが完成してしまっている。親しみやすいどころか、この世界のパワーバランスを揺るがしかねないレアリティの塊であるという事実に。
「そうかぁ……。それは困ったなぁ」
「困ったなぁ、じゃないですよ?! こっちこそ困ってますよ!! なんで本物の『聖餅』みたいなものを出してくるんです?! かなり霊験あらたかそうですよね?!!」
商人の怒りは一向に収まりそうにない。
「まあまあまあまあ! とりあえず! 欲しいモノは全部渡すから。ね? このぐい呑みも、この徳利も、全部持ってっていいから!! ねっ! じゃあねー! またね! バイバーイ!!! 領兵の皆さーん!! 一名様ご帰宅でーす!!!」
ラルフは全力で現実逃避を決め込み、商人を小屋から力ずくで押し出した。
「話はまだ終わってねーぞ!! ちょっと待て!! な、なんだお前らは?! 放せ!! 領主様にはまだ言いたいことが――!!!」
喚きながらも、主の意図を完璧に汲み取った領兵たちによって、商人は比較的平和的に退出させられていった。
ラルフは額の汗を拭う。
メイドのアンナといい、国王陛下といい、どうして自分の周囲にはこうも怒りっぽい人が多いのか。
(皆、カルシウム足りてないのかなぁ?)
などと思考を巡らせるが、実のところ、ほんの僅かに自覚はあった。
ちょっとした思いつきで、予想を遥かに超えるハチャメチャな混乱を引き起こしている元凶が、自分自身であるということに……。
だが、ラルフはその真実と向き合うような真摯さは持ち合わせていない。彼の欲望の根源は、あくまで「楽にテキトーに、楽しく生きたい」だけなのだ。
すると、木戸をコンコンコン、と叩く音が響く。
「どうぞー」
ラルフが入室を許すと、そこには無表情なメイド、アンナの姿があった。
「旦那様……。次の接見は、カーライル騎士爵です。なんでも、騎士爵の経営する『刀剣酒場』に、カキピーを卸して欲しいとのことで……」
「うぐっ……」
新たな面倒事の予感に、ラルフは重い、重いため息をつくのだった。




